(5)オレは稽古をする
夕食の後、チコリと一緒にお風呂に入った。
いや、決して邪な意図ではない。
断じてない。
チコリがどうしてもアスカおねえちゃんと一緒に入ると言ってきかなかったから仕方なく折れたまで。
幼女とお風呂に入りたいなどといった欲望もとい願望などはこれっぽっちもない。
だから本当だってば。
「あっ、アスカおねえちゃん。ケガしてるよ」
洗い場で体を洗っているとチコリが言った。
「えっケガ? どこどこ?」
「背中の下の方。ぶつけたみたいになってる」
マジか、気がつかないうちに一撃食らってたとか、ジュリアすげぇ。
でも全然痛みはなかったんだけどなぁ。
「ここだよ、痛くない?」
チコリが腰の少し上あたりを優しく触ってくる。
その辺なのか?
「いや全然。本当に痣になってるの?」
「うん、黒っぽくなってる。でも、さわってもすべすべしてる」
「チコリ、ちょっ! くすぐったい!」
チコリの両手が腰の横の方に回ってきてくすぐったい。
さてはわざとやったな。
「お返しだっ」
チコリの方を向いて脇腹辺りをこちょこちょこする。
「きゃはははは、いやーやめてー!」
「どうしたチコリ!?」
ほら~、オットが心配して声かけてきちゃったじゃないか。
まぁオレが悪いんですけども。
でも、風呂の外で聞き耳立ててるオットの姿を想像すると、申し訳ない気分になる。。
オレがいるから遠慮して外から声をかけるしかないわけだからね。
同じオッサン(しかもオレの方が年上)なのに、中に入ってしまっててホントすんません。
「大丈夫だよおとうさん。アスカおねえちゃんと遊んでるだけだよ」
「そ、そうか。ちゃんとお風呂に入らないと風邪引くぞ」
「うん、わかった」
ふむ、この世界でも風邪は引くんだな。
風邪ウイルスは存在するって事か。
まぁあっちの世界のウイルスと全く同じかどうかはわからんが。
いろいろ種類もあるんだろうし。
「ほら、お父さんに心配かけないで。もうお風呂に入りなさい」
「はーい」
湯船の中でも、チコリは何かとスキンシップをとりたがる。
なるべくオレはオッサンの心を封印して、美少女アスカになりきって接する。
不思議と裸を晒す恥ずかしさは感じない。
でも、オッサンを自覚すると強烈に恥ずかしくなってチコリの方をまともに見られなくなる。
自己暗示、自己暗示だ……オレはアスカ、女性だ。
「アスカおねえちゃん。この鏡、おかあさんのなんだ」
チコリが持っていたのは、昨夜オレが自分の姿を確認するのに使った手鏡だった。
あ、こっちの世界でも鏡で良かったのね。
「そっか、おかあさんの鏡かぁ。チコリはおかあさん似なのかな」
「う~ん、わかんない」
「でもおとうさん似だったらひげがもじゃもじゃになるかもしれないよ」
「えーっ! ひげいやーっ!」
「じゃあおかあさん似だ」
「そっちがいい」
こう見えて3つの時に母親を亡くしてるんだもんな。
そりゃ寂しいだろう。
こうして女の人(中身はオッサンだが)と風呂に入ることも久々なんだろうか。
あ、でもサウラがいるよな。
一緒にお風呂に入ったりするんだろうか。
「チコリ~ッ!」
思わずチコリを抱きしめてしまった。
「アスカおねえちゃ~ん!」
チコリもしっかり抱き返してくる
なんだかほっとするような、あったかい気持ちになる。
オレの中にも母性が目覚めたのかもしれない。
この子がこれからもこの村でずっと平和に暮らして、幸せになれますように。
その夜はチコリと一緒に寝た。
*****
翌朝、サウラが持ってきてくれたパンと、オットのスープ(昨日とはまた違う味)で朝食をとると、チコリに捉まる前に外に出た。
一応、オットにはジュリアに会って来ると伝えておいたので心配される事はないはず。
昨日の空き地へ行くともうジュリアが待っていた。
例の石段に腰掛けて。
こんなに早くから待っててくれたのか。
ナイス、ジュリア!
これだけでオレの中の好感度が激上がりだぜ!
なにせオレは待ち合わせ恐怖症(詳細は割愛)なのだ。
「早かったわね、アスカ」
「ジュリアもね」
ジュリアの横に座ろうとすると、先にジュリアが立ちあがってこちらを向いた。
「それじゃ、まずは昨日の続きから」
「えっ!?」
今日は放り投げてよこさず、棒を手渡ししてくれた。
断られる事は考えていない、か。
もちろん受け取る。
稽古が始まった。
昨日とは違って、最初からジュリアは本気モードだ。
但し殺す気までは感じられない。
ちょっと安心する。
あんなのは出来ればもう勘弁願いたい。
だって怖いじゃない。
*****
そろそろ休憩とかしないのかな。
かれこれ一時間以上は動きっぱなしな気がする。
だがジュリアはまだ元気が有り余っているようだ。
あ、その姿勢低くするヤツはやめて!
間合いを詰めるジュリア。
初段の脛への攻撃の時、オレは昨日より大きくバックステップをとる。
真後ろではなく右斜め後方へ。
次の切り上げ攻撃の目標を射程範囲外にするためだ。
が、ジュリアは横に振るった棒を切り返さず、肘から先だけの動きで突きに変えてきた。
「なにッ」
低姿勢ダッシュの勢いで加速した突きは今まで見たジュリアのどの攻撃よりも速かった。
これはマズイ!
バックステップからの右足が着地するや否やそのまま更に後ろへ上体を投げ出すように蹴る。
あれ? このままじゃひっくり返る―――と思った時にはもう体が動いていた。
うわっ地球がッ!
―――オレは、いやアスカは高速バック転を2回連続で決め、大きく間合いを取った状態でジュリアに向き合った。
ジュリアは驚愕の表情で棒立ち。
「……今の、なに?」
「たぶん、バック転……だと思う」
「そんな技、どうやったら出来るようになるの?」
「ああ、ジュリアはまだ出来ないんだ?」
「まだって、そんなの初めて見たわよ!」
え、まさかこの世界にはバック転が存在しないんですか?
やるだけなら、練習すればオッサンのオレでも不可能ではないぞ。たぶん。
トット村では出来る人がいないってだけとか。
それならテレビとかがないと目にする機会がないのも頷ける。
あるいは本当にバック転が一般的には認知されていない世界なの?
ありえ―――なくもない、か。
「ただやるだけなら、そんなに難しくないと思うけど」
「そうなの!? なら私にも教えて!」
「いいけど、棒の稽古は?」
「それもやるけど、先にそのバックなんとかを教えて!」
ジュリアその言い方はちょっと……。
「バック転」
「そうそれ、バック転!」
あれ、バック転じゃなくてバク転だったっけ?
まぁどっちでもいいや。
そういうわけで何故かオレが教える側になってしまった。
これまた遠い昔、中学ぐらいの記憶を掘り起こす。
確か膝は前に曲げるんじゃなくて座りながら後ろに倒れる感じ……だったかな。
補助が重要だったはず。背中を支えてやりつつ、ブリッジの体勢に移行させて……。
「あっジュリア。手は肘を外に向けて。指先が少し内向きになる感じで」
「こ、こう?」
で、手が地面に着きそうになったら背中を押し上げてクルリンパ、と。
おお! 一発でうまくいった。
「出来たッ! アスカッ!」
「うわっ! ちょっとジュリア……」
満面の笑みでいきなり抱きつかれた。
両腕を首に回して頬と頬がぴったりくっついてぐりぐりって……。
それだけじゃなく胸が……お互いの胸が密着してむいんむいんしてますよ。
脚までくっついて……ちょ、ちょっとジュリアさん?
なんかわざとやってませんか?
その膝、脚の間に入れてくる必要ありますかね?
ものすごくエロいんですが……。
オ、オレにも心の準備というものがですね……。
だがありがたい事に、この心の動揺を端的に外部に知らしめるための重要な器官―――男のシンボルが今のオレには欠落しているため、差し当たっての問題は全くないと言えよう。
ああああでもなんかムズ痒いッ!!!!
「アスカ、顔が真っ赤だよ! 大丈夫?」
それはねジュリア、あんたのせいだよ。
てかまだ離れてくれないのね。
顔近いッ! 近いッてば!!
できるだけ上体を反らせて顔を離そうとするが、ジュリアの両腕が邪魔だ。
そして今気付いたのだが、ジュリアの息ってばなんだか甘い匂いがする……。
花の蜜に吸い寄せられるミツバチのように―――。
いかんいかんいかーーーーーーん!!
両手をジュリアの肩にかけて、出来るだけ無理矢理にならないよう気を遣いながら体を離す。
「まだ出来たわけじゃないよ。ひとりで成功させないと」
だから早く練習に戻ろう、ね。
ジュリアはようやく首からほどいた腕を、今度は同じようにオレの肩に置きながらじっと見つめてくる。
「アスカ……」
ハイまた何かヘンな感じになりましたー。
ファーストキスのシチュエーションじゃないのこれ。
しかもどっちかというとオレがされる側っぽい勢い。
肩にかかったジュリアの両腕をくるっと内から掬うように腕を回して気をつけの姿勢にさせ、二の腕を掴んで180度回して後ろ向きに。
「ハイ、練習の続き!」
背中をポンッと叩く。
「はーい」
チコリの真似かよ。
可愛いじゃないか、ジュリア。
*****
ジュリアはすぐに補助なしで自力バック転が出来るようになった。
やはり並みの運動神経ではない。
が、連続となるとさすがに安定しないようで、何度もチャレンジしては悔しがっていた。
ほんの一時間程度でそこまで出来るようになれば充分だと思うのだが、向上心がすごいというか貪欲というか。
とにかくジュリアはすごい。
「そろそろ休憩しよう、ジュリア」
「まだ大丈夫、全然疲れてない」
「いや、こっちが疲れたし」
「アスカはもう見てるだけじゃない」
「うん、だから見てるのが疲れた。なんか目が回る」
「しょうがないなぁ、もう……」
やっと休憩してくれた。
というか、もう今日はこれくらいで良くない?
いつもの石段に二人で腰を下ろす。
やっぱり近い。
唐突にジュリアがぐっと顔を寄せてくる。
「ねぇ、記憶がないってどこからないの?」
「どこから?」
「産まれた時からないってこと?」
「産まれた時の記憶は普通ないでしょ」
「そういえばそうね。じゃあ覚えてる事で一番古い記憶は?」
そういうちゃんとした質問が一番難しいんだよなぁ。
リアルには保育園に行く時に泣いて泣いてダダこねて母親が呆れて連れ帰った事なんだけど、そういう話じゃないもんなぁこの場合は。
「……チコリの家で目が覚めた時」
「ホントに!? その前は全然ないの? 何にも?」
「うん」
「ちょっとした断片とかも?」
「ない」
疑っているというより、どうやったらオレの力になれるのか考えている風のジュリア。
「でもアスカっていう名前はあんたに合ってると思う」
「えっ!?」
「だからもしアスカが記憶を取り戻して本当の名前に変わっちゃたら……ちょっと残念かも」
「わけわかんないよジュリア」
「わかるよ。私はアスカが好きって事!」
肩に腕を回して密着してくるジュリア。
「えっ……」
「それ、アスカの口癖なのね」
口元を指差す。
「なにが?」
「えっ」
「……え?」
「えっ?」
なんだこれ、クソ楽しい!!
二人でしばらく涙が出るほど笑い転げた。
オレもすっかりジュリアが好きになってしまった。
いや、異性としてじゃないよ。
友達として。
ああ、友達ってこんな簡単に出来ちゃうものだったんだ?
オレは社会人になってこの方、大事なモノを失い続けていた気がする。
まぁでも現実問題、仕事では友達なんて関係ないというか必要なかったけどね。
根回しとか交渉とかグレーゾーンとか平身低頭とか、そういうのが大事。
うん、大人って汚い。
この世界に来て、心洗われる日々だよホント。
「あ~あ、なんかお腹空いちゃった。アスカは?」
「同じく」
「じゃあ、私ん家で食べよ。行こ!」
「いいの? 急にお邪魔しちゃっても」
「大丈夫大丈夫、私ん家誰もいないから」
そうなのか。
そういえばジュリアの母親の事はまだ知らないな。
チコリのところはもう亡くなってたし、迂闊に聞けないなこれは。
*****
ジュリアの家は、昨日見学した警護隊の建物の近くだった。
100mほど手前の少し引っ込んだ場所。
ガラドが隊長だからこの場所なのだろうか。
「こんなものしかないけど、遠慮しないで食べて」
手際良く準備していたジュリアがテーブルの上にどんとボールを二つ置いた。
とうもろこしとじゃがいも?
「こっちがトットもろこしで、こっちがトットいも。どっちも村で採れたの」
トットもろこし=とうもろこし、トットいも=じゃがいも、でOK?
「あとこれがトットまとの搾り汁」
トットまと=トマトでOK?
なんでもトットって付けりゃいいってものじゃ……ま、いっか。
搾り汁はジュースだった。
たぶん果汁100%。
うまっ!
酸味と甘みが引き立ってるし、トマトジュースにありがちな粒々感がなくてサラッとしてる。
トットもろこしの方はまんまとうもろこし。
茹でたて熱々で甘くておいしい。
トットいもは蒸かしイモ。
これまたホクホクして何個でもいけそう。
どちらにも塩みたいなのがかかっているが、これは塩なのかと聞くするのはやめておこう。
そんな事よりも―――。
「ジュリア」
「なに、アスカ」
「すっごくおいしい」
「ウフフ、ありがとう」
しばらく二人で無言で食事に集中し、全部ペロリと平らげる。
「あ~もうお腹いっぱい」
「ご馳走さまでした」
いいから座っててと言われ、ジュリアが後片付けするのを待つ。
すぐに温かい飲み物が出てきた。
「これは?」
「カカ汁よ」
ん? 黒いからもしかしてコーヒーかな?
―――ココアでした。
カカ=カカオでOK?
甘さ控えめながら、食後のココアはほっと落ち着くなぁ。
ちょうど片づけが終わったジュリアも向かいに座ってカップに口をつけた。
目が合って、二人とも微笑む。
なんだろうこの人生でかつてないほどの安らぐ感じ。
この世界へ来て良かった。
元の世界のオレなんて、オレの人生なんてクソだった。
神様ありがとうございます。
その後、またジュリアの質問タイムが始まったのだが、オレが全然物を知らないのでとにかく子供の勉強と同じところから始めてはどうかという話になり、ジュリアが使っていた教本(教科書のことらしい)を貸してもらう事になった。
実は文字の件が非常に心配だった。
これまで家の中や村で見かけた文字は、例えば外国の街並みの看板やポスターを見て書かれている文字が見えてはいるが意味はわからない、といった感覚に近かった。
なので最初に読み書きの教本を見せてもらったのだが、パラパラっと見た瞬間に文字が理解できるようになってしまった。
うっそ、なにこれ。
元々あった記憶が刺激されてオレでも解読できるようになった、というような感じ。
ともあれ、これで最大の問題はクリアした。
あとは本を読んで知識を得るだけだ。
が、ここでジュリアが警護隊の方へ行く時間になったため、オレもおいとましてチコリの家に戻る事にした。
*****
その翌日から、昼食前まではジュリアと稽古。
昼食後は本を読んで勉強、という毎日になった。
時にはチコリと外に出て、本で読んだ知識を実際で確認したりもした。
少し遠出になるような時はジュリアが同行してくれた。
ジュリアと稽古を続けて理解したのは、このアスカの身体能力は飛びぬけて優秀だという事。
考えなくても体が反応するように徹底的に訓練されているらしい。
それに目が異常に良い。
単純な視力だけでなく、動体視力も人間離れしているようだ。
そのせいで、酔っぱらいの動きは一層緩慢に見え、ジュリアの動きもしっかり見えていたのだ。
但し攻撃面では、まだオレ自身が慣れていないというか、戸惑いがあるため、稽古では本気を出せていない。
意識して攻撃する、という状態ではオレの存在がブレーキになってしまうようだ。
生存本能が脅かされるような状況になれば、オレの意識など関係なく動けるのかもしれないが。
更にもうひとつ、重要な発見があった。
自分がイメージできる動きならほぼ完璧に再現できる事がわかったのだ。
例えばオレは古くはロサンゼルスオリンピック時代から体操競技が好きでよく見ていたのだが、なんとなく覚えている程度の技でも実際に再現出来てしまった。
ジャッキー・チェンのカンフー映画ばりの動きだってちょちょいのちょいだ。
どうやら技術的な知識や習熟が不足している部分は、アスカの身体能力や直感力などで補完してしまうらしい。
なのでもしかしたら実際の動きとは多少の違いはあるのかもしれない。
尚、再現出来るのは動きそのものであって、動きのもたらす効果や結果は別だった。
酔拳の動きが完璧にトレース出来たとしても、与えるダメージはあくまで実際の動作に見合ったものになり、映画のような破壊力は到底発揮されない。
さすがに物理法則までは超越出来ない、という事らしい。
それでもこれは、ものすごい力になる。
可能性の宝庫じゃないか。
イメージさえ出来れば現実にその通り動ける―――。
ある意味何にでもなれる、と同義なのだ。
こうしてオレは人目を忍び、ジュリアにも内緒で毎晩自主トレをするようになった。
もちろん、様々なイメージを実際に再現してみて検証するためだ。
スーパー身体能力
ウルトラ動体視力
パーフェクト再現力
これが今現在判明しているオレの全能力。
なんか、いいじゃないの。
オラ、わくわくしてきたぞ。
読んでいただきありがとうございます。
拙い文章で恐縮ですが、もし興味を持っていただけたなら今後とも応援していただけると嬉しいです。
主人公が色々理解し始めて、ここから序盤のクライマックスへ移行します。
引き続きよろしくお願いいたします。