(3)オレは村を散歩する
外に出る前にひとつ問題があった。
今オレが着ている服装の事なのだが、これはおそらくは寝巻きだ。
従ってこのまま外に出るのはいかがなものかと思われる。
チコリに相談したら、サウラの家からお下がり(?)をもらって来てくれた。
一応パンツルックなので動きやすいのは助かる。
ついでに女の子っぽいヒラヒラ感もあまりないので、ますます助かる。
サウラさんったら、何気にオシャレじゃないですか。
そんなわけでようやく出かけられる状態になった。
「アスカおねえちゃん、行こ!」
チコリの号令に引っ張られ、オレは初めてオットの家の外に出たのだった。
ああ~空気がおいしいッ!
思い切り背伸びをしてからゆっくり深呼吸をする。
田んぼと山に囲まれた故郷を思い出すなぁ。
見たところ、トット村もちょうど同じぐらい田舎のようだ。
「アスカおねえちゃん、どうしたの?」
「ううん、なんでもない。外に出られたのが嬉しくて」
「そっか。でもまだ無理しちゃダメだよ」
「うん、だからゆっくりお願いします」
「はーい」
笑顔満面のチコリは元気に前を歩く。
自分の村を案内するのが誇らしいのだろう。
道の端の部分には花が植えてあったり柵があったり、よく手入れされている。
石垣や塀も多いのは防犯上の理由なのだろうか。
移動を始めてすぐ、チコリが前方を指差して叫んだ。
「あそこがサウラおばさんのおうちだよー!」
オットの家からわずか徒歩3分。
大人が急げば1分切るぐらいの距離だ。
なるほど確かにこれは安心だな。
家の前まで来ると窓からサウラの顔が見えた。
チコリが大きく手を振る。
「サウラおばさーん!」
窓から小さく手を振って微笑むサウラ。
一応オレも軽く会釈しておく。
「サウラおばさんは結婚したいって男の人がいっぱいいるんだよ」
チコリが自慢げに教えてくれた。
えーと、サウラが浮気者って意味じゃないよな。
求婚する人がたくさんいる、と。
確かにオレから見ると全然若いし魅力的な女性だしなぁ。
チコリがおばさんなんて言うのも失礼なくらい……おっと、今のオレは17歳の女の子だった。
このギャップ、なんとかならんのかな。
*****
村を案内してもらって、気付いた事がいくつかある。
まず、ペット的な動物を見かけない。
犬や猫、鳥など。
そもそも種としてこの世界に存在しないのか、あるいは家畜として愛玩するという習慣がないのか。
かろうじて山羊を柵で囲っているのをみかけたぐらい。
あれはきっと乳を搾るためだろう。
牛じゃないから牛乳とは言わないのか。
山羊のミルク、あとチーズくらいはありそうだ。
肉は……ちょっと食べた事ないなぁ。
ジンギスカンは羊だしなぁ。
そもそも山羊と羊って何がどう違うんだっけ?
48年生きてても知らない事は多い、うんうん。
逆に見た事もないような生き物を見かけたかというと、それもなし。
そこはちょっと拍子抜けした。
植物は、元々詳しくないのもあるが、見た目で明らかに変わってるようなものは見当たらなかった。
この世界の生態系についての知識はいずれ必要になりそうだから、情報収集は心がけておこう。
それでトット村の様子についてだが、村の中心に比較的大きな広場があり、その周りに幾つか露店が立っていた。
酒場のような建物も見かけたが、チコリが近づきたくないようだったのでスルー。
酒場の奥の方にも何かありそうだったが、そっちは行けず仕舞い。
「あっちが市場だよ」
チコリに急かされて行ったのが、一番賑わっている場所だった。
広場に出る一番大きな通りが市場になっていて、買い物などは大抵そこで済ませるらしい。
店は約6割が食品関係。
衣類や装飾品が3割。
残りが、生活雑貨っぽい店だった。
チコリは色んな人たちと顔見知りらしく、あちこちで声をかけられる。
その度、オレはびくびくしていたのだが……。
「よぉチコリ! 今日は何のお使いだ」
「お使いじゃないよ。アスカおねえちゃんを案内してるの」
「ん……? ほう、えらいべっぴんさんじゃないか。じゃあこれ持っていきな!」
というような感じで深く詮索される事もなく、気前よく何かもらえるというおまけつき。
ちょっと歩いただけであっという間に持ち切れないほどの量に……。
途中で背負い籠を貸してもらわなかったら、動けなくなるところだった。
ぎっしり詰まった籠を背負って市場を後にする。
「チコリ、いつもこんなに色んなものがもらえるの?」
「うううん、いつもじゃないよ。今日はアスカおねえちゃんがいたから」
チコリ+美少女、という組み合わせのご祝儀なのだろうか。
いや、よく考えるとやはりおかしい。
チコリの事はよく知っているとしても、オレの事はみな初対面のはず。
いくら美少女とはいえ、小さい子供が知らない人間と一緒にいるのを一人も誰何してこないのは不自然すぎる。
もしかして、逆にみんなオレの事はもう知っているという可能性は?
いや、それはいくらなんでも……。
オレはほとんど丸一日寝たきりだったはずだから、その間に情報が共有される可能性はゼロではない。
この村が外からやってきた人間に対してどの程度の警戒心、あるいは興味を抱くものなのかにもよるなぁ。
でも、少なくともジュリアは昨夜オレの事は知らなかったはず。
知っててあのリアクションなら大女優並みの名演技ってとこだな。
「……アスカおねえちゃんってば!」
「えっ、あ、ごめんチコリ。なに?」
考え事に気を取られて呼ばれていたのに全然気がつかなかった。
「あそこの大きな門が、村の入り口だよ」
なるほど、確かにこの村にしては立派な門がある。
「チコリ、あの門って閉まる時もあるの?」
「う~ん、チコリは見たことないよ」
緊急時にだけ閉める、という感じか。
普段から門を閉じているほど、周辺が物騒なわけではないって事か。
「でね~、あれが警護隊の建物」
門の近くに大きな平屋の建物があった。
チコリの家の5倍ぐらいはありそうな広さだ。
あ、広さの例えは東京ドームじゃないとダメですか?
そんなに広かねーよ!
「チコリじゃないか!」
いきなり後ろから野太い声がした。
「あ、ガラドおじさん!」
なるほど、この人が昨夜の声の主だったか。
今まで見た村人の中では年長っぽいが、オレよりは確実に若いな。
オットより更にガッシリした体格。
腰には剣を佩いている。
堀の深い顔はもみあげがそのまま顎鬚に繋がっていて相当な強面だが、何より目立つのは顔も含め全身すすに塗れている事だ。
山火事の対処から今戻ったのだろうか。
「君は……」
「アスカおねえちゃんだよ!」
「そうか、君があの……ふむ」
納得したようなガラド。
こちらは全然話が見えないんですが。
というか、やはりオレの事はある程度の人たちには伝わってたっぽいなぁ。
ある程度なのか、ほぼ全員なのかは知らないが。
「オットさんの所でお世話になっているアスカといいます。はじめまして」
「私はガラド。オットとは昔からの友人で、この村の警護隊の……一応隊長をしている」
そう言うと、何かこちらを伺うようなそぶりのガラド。
「ガラドおじさん、真っ黒だよ。どうしたの?」
チコリが面白そうに尋ねる。
「ハハハ、ちょうどひと仕事してきたところだからね。チコリも真っ黒にしてやろうか」
「やだー、きゃあ~~~」
追いかけっこが始まった。
チコリに助けられたな。
それにしてもガラドという人は子供好きなのか。
あるいはこのガタイに似ず、茶目っ気のある人物なのだろうか。
「隊長、そろそろ……」
少し離れたところで姿勢を正して待っていた警護隊とおぼしき男性がガラドに声をかける。
さすがに痺れを切らしたのだろう。
「ああすまん。チコリ、おじさんはこれからみんなで風呂に行ってくる。また遊ぼうな」
「うん、ちゃんときれいに洗わないとダメだよ」
ガラドさん、後ろの方で部下がくすくす笑ってますよ。
「君も……また後で少しいいかな」
「あ、はい」
やはり何かありそうだ。
そりゃそうか、警護隊の隊長さんだもんな。
こんな不審人物そのまま放置ってわけにはいかないだろう。
ガラドは笑顔でチコリに手を振りながら警護隊の建物の方へ去っていく
部下たちもその後に続く。
ま、なるようになれ、だな。
「チコリ、この後はどこへ行くの?」
「うーんと、学校!」
「え、チコリってもう学校に通ってるの?」
「まだだよ、でも学校行きたい」
早く学校に通いたいという意味なのか、今これから学校に行きたいという意味なのか。
ただそれを聞くのもなんだか気が咎めたのでスルー。
「そっか、じゃあ行こう」
「うん!」
ニコニコしながら前に出て歩き出すチコリ。
と、そこへまた声がかかる。
「ちょっと待って!」
この声は……。
「あ、ジュリアだ!」
チコリがジュリアに抱きつく。
肩を抱いて頭を撫でるジュリア。
「こんにちは」
向こうが顔見知りと認識している以上、無視するわけにもいかないので声をかける。
「こんにちは、アスカ。ここで何をしてたの?」
「チコリが村を案内してあげてるのー!」
ジュリアを見上げてチコリが答える。
「そうなんだ。チコリはえらいね~」
「えへへへ」
親同士だけでなく、その娘同士も仲が良いらしい。
「私も一緒に行っていいかな?」
「うん、いいよー! チコリが案内してあげるー!」
「よろしくね、チコリ。……アスカも」
いや、まぁオレはどっちでもいいんですけどね。
「よろしく」
異世界で出会う人たちとは、相手が邪悪な存在でない限りは極力仲良くしよう。
今、そう決めた。
「ジュリア、さっきガラドおじさんに会ったよ」
「えっ? お父さん帰ってきたの? どこ? 隊舎?」
「お風呂に入るって言ってたよ」
「なら隊舎ね、ありがとう。ごめんチコリ、アスカ。私ちょっとお父さんと話があるから」
「ええ~、ジュリア一緒に行かないの?」
「後から行く。すぐ追いつくから、ゆっくり行ってて」
「わかった。じゃあアスカおねえちゃんと先に行ってるね」
「うん。アスカ、あとでね」
そう言い残すとガラドが入っていった建物の方へ駆けて行ってしまった。
またねと言われるのは今日二度目だな。
というか、なんだか慌ただしい子なんだな、ジュリアって。
「チコリ、行こっか」
「うん!」
チコリは落ち込んだ気配もなく、元気な様子。
さっきのジュリアの言葉を信じ切っているらしい。
中身オッサンのオレは、後で行く云々は半分程度は実現しないまま終わるものだという人生訓を既に学んでいるので、どうかチコリが後で悲しむような事にはなりませんように、と心の中で願掛けせざるを得ない。
だがこの場合、何に、誰に祈ればいいのだろうか?
神様はこの世界にはいるのだろうか。
いや、元の世界にもいないんですけどね。
とりあえず祈る対象としての概念はあるのかな、という意味ですよハイ。
チコリお目当ての学校を通って――結構な回り道だった――再び広場が見えてきた。
このまま行くと酒場の横を通る事になるが、チコリは大丈夫なのだろうか?
一応聞いておこう。
「チコリ、このまま進んでも大丈夫なの?」
「……うん、大丈夫」
気乗りのしない表情だが、絶対にイヤってほどでもないのかな。
うんまぁそれじゃせめてチコリは前に出さず、オレが酒場側に立って横に並んで歩こう。
「アスカおねえちゃん……」
チコリがこっちを見つめて少し安心した様子を見せる。
大丈夫、怖くないからね。
―――ごめんなさい、オレが全面的に間違っていました。
酒場の斜向かいにある武器防具を売ってるらしい店の前で立ち止まって外から展示しているものを眺めていると、後ろの方で酒場から人が複数出てくる気配がした。
「おっと、ガキが天下の通りを塞いでやがる。オイ! 邪魔だ! どけ!」
「おい、やめとけ。とっとと行くぞ」
「ガキなんか相手にすんなって、タモン」
酔っぱらいが3人。
まだ少し距離があったので、直接何かされたわけではないが、チコリが可哀相になるくらい怯えてしまっている。
まだ日も高いうちから飲んだくれて一般市民に管を巻くたぁ随分な御身分様じゃねぇか、オイ。
こいつらとは仲良くしなくても大丈夫かな。
「チコリ、行こう」
だが、争い事はよくない。オレは平和主義者だ。
その場を離れようと酔っぱらい達の横をすり抜けて広場へ出ようとするも……。
「おい待てよ。よく見りゃ上玉の姉ちゃんも一緒じゃねぇか。おれらと一緒に飲み直そうぜ」
「そ、そうだ。おれたちのおごりだからさ、いいだろ。な、な」
「お前ら本気か。そうか、ならおれも異論はねぇ」
大の大人が3人いて誰もまともなヤツはいないのか。
ターゲットがオレに移ったのはある意味良かったと言えなくもないが、何とも気分の悪いこと。
酔っぱらいに絡まれる女性の気分が少しは身にしみる。
「アスカおねえちゃん……」
チコリが泣きそうな顔でこちらを見る。
この子だけでも早く安全なところへ避難させないと……。
「ねえちゃん、アスカってぇのか。聞かねぇ名前だなぁ」
「名前どころか、その顔見たこともねぇよ」
「そうだな、こんな美人、一度見たら忘れるわけねぇ」
下衆め。
だが、ちょっと困ったぞ。
オレが捨て身でやり合うのは構わないのだが、この美少女の体を傷付けるわけにはいかない。
って事はつまりこいつらとはやり合わずにうまくトラブルを回避しなきゃならないって事だ。
うわぁ、いきなり難題すぎるだろ。
こういうトラブル対応が得意なら、そっち系の職種で出世してるっての。
そうこうしているうちに男の一人が肩に手を回してこようとする。
息が酒臭い。
だいぶ酔っぱらっているのか、動きがかなり緩慢だ。
回されてくる右手を回避するようにスッと体を斜め後ろに引く。
男が腕を空振りして体勢を崩す。
「うおっと……」
何とそのままドスンとコケてしまった。
「ギャハハハ、何やってんだよタモン」
「見事に逃げられてるじゃねぇか」
仲間にコケにされてタモンと呼ばれた男の顔が瞬間、怒りで真っ赤になる。
「おいこのアマ! なめんじゃねぇぞ!」
立ちあがって腰のモノに手をかける。
え、いきなり抜くのか?
こんな人目につくところで?
「おい、やめとけタモン」
「てめぇでコケといてみっともねぇぞ」
仲間が何か言う度にタモンの怒りが膨れ上がっているように見える。
やめてくれよ、火に油注いでるじゃないか。
それともわざとか?
腰にあるのは短剣っぽいが、殺傷能力は低くはないだろう。
ましてこちらは女だし、連れに子供もいる。
抜かれるのは厄介だから、出来れば抜く前に何とかしたい……。
揉め事を目にした野次馬も集まって、周囲も少し騒々しくなってきていた。
「チコリ、少し離れてて。何かあったら市場の方へ逃げるんだ。いいね」
目だけチコリの方へ動かして小声で伝える。
「う、うん。アスカお姉ちゃんは?」
「大丈夫、すぐ終わるから」
チコリに離れるよう手で合図を送ると、チコリは言われた通り少し離れたところへ移動した。
いいぞ、賢い子だ。
「おい、逃げるんじゃねぇよ」
タモンがチコリの方を向いて威嚇するのに合わせて、オレはタモンの前まで移動する。
「えっ!?」
急に近くへ来られて驚いたタモンが思わず短剣を抜こうとするが、オレは柄の底を上から抑えてタモンの顔をじっと見る。
男の手にも触れる事になったがこの際仕方ない。
「な、なんだよ姉ちゃん。やる気か?」
意表を突かれたのか手に触れられてドキッとしたのか、急に弱腰になるタモン。
それにしても酒臭い。
「まさか抜く気じゃないだろうな。ホラ、周りを見てみな。こんなに人が見てるぞ」
出来るだけ低く、ドスの利いた声で言い放つ。
思ったよりもいい感じの声が出た。上出来だ。
ハッとして周囲をキョロキョロ見回すタモン。
「どうしたタモン、イチャついてんのか」
「そのまま連れて来いよ」
仲間の声にも、もう過剰には反応しない。
こいつが村の住人ならここでこれ以上馬鹿は出来ないだろう。
既にもう鼻つまみ者で誰にも相手にされてない場合は別だが。
しかしオレは読み間違えたかもしれない。
タモンという男の目にはまだイヤな光が残っていたのだ……。
「馬鹿にしやがって……」
抑えていた手に力が籠るのを感じる。
マズイぞ!
「何やってるのアンタたち!!」
鋭い警告。
本当に来たんだ……オレの経験当てにならなさすぎ。
「おい、やべぇぞジュリアだ……」
「警護隊呼ばれちまうぞ、タモン!」
お仲間の方が呑み込みが早いようで助かる。
タモンの方もビクリと緊張した直後、すぐに力が萎んでいくのがわかった。
「ジュリア! アスカおねえちゃんが!」
ジュリアがまずはチコリの安全を確保してくれたらしい。
助かる。
「クソッ! 行くぞお前ら。呑み直しだッ!」
タモンは踵を返して仲間のところへ合流すると、何度もこちらを振り返りながら酒場の中へ入っていった。
ふぅ、と溜息をひとつ付いてから、チコリとジュリアの元へ。
「アスカおねえちゃん!」
チコリが抱き付いてくる。
ああ、今度はオレの番か……嬉しいものだな。
でも、抱き返すのにはさすがに抵抗があるので頭にポンと手を置くに留める。
ほら、中年のおじさんが公園で女の子にちょっかい出すと絶対誤解されるでしょ。
「遅くなってごめん」
別にジュリアが謝る事じゃないだろう。
「ううん、こっちこそありがとう」
当然、こちらは助けてもらったのだから礼を言わないと。
しかし、ジュリアの表情はどこか緊張しているように見える。
まだ何か心配事でもあるのだろうか。
「アスカ、あなた一体何者なの?」
「え!?」
何かバレた?
っていうか、オレまだ何もしてないと思うけど何がマズかった?
キョトンとしているチコリ。
未だ緊張した表情で真剣にこちらを見つめるジュリア。
えーっとですね……どうしたらいいの、これ。
読んでいただきありがとうございます。
拙い文章で恐縮ですが、もし興味を持っていただけたなら今後とも応援していただけると嬉しいです。
三話目は予定より少し長くなってしまい、投稿が遅くなってしまいました。
だんだんアクション要素も出てくる予定ですので、引き続きよろしくお願いいたします。




