(12)オレは森の民と出会う
―――夢を見ていた。
大勢の人々がこちらを向いて口々に何かを叫び、手を振り上げている。
オレは高い位置からそれを見下ろしながら彼らが何を言っているのか聞きとろうとするのだが、全くわからない。
そんなに大勢で一度に叫んでもわからないって。
もう少し静かにするか、順番に話してくれ。
っていうかそもそもそれはオレに向かって言っているのか?
疑問に思ったのでもしや他に本来の対象がいるのかとキョロキョロ周囲を見渡す。
やはりこの場所にいるのはオレひとりだ。
わかった、わかったからとりあえず落ち着こう!
両手を上げてまぁまぁと抑える仕草をする。
刹那、割れんばかりだった歓声嬌声が一瞬で鎮まり、耳が痛いぐらいの静寂が訪れた。
うわ、耳キーンなるわ。
―――で?
急にそんなに畏まってどうした?
何を待っているんだ?
まさかとは思うがオレに何か言えとかじゃなかろうな。
冗談ヨシコさん。
更に静寂は続く―――。
だ、誰か助けて……。
一瞬の浮遊感の後、視界が暗転する。
ああ、夢か。
深い安堵と共にふと思ったのは、目覚めるとそこは元の世界で今までのは全部夢だったんじゃないかという淡い期待だったのだが、、いざ目を開けた時に飛びこんできた映像はまたもや見慣れない天井だった。
「アスカ!!」
すぐにジュリアの顔で視野が埋め尽くされる。
相変わらず近いんだよなぁ。
思わずクスリと笑ってしまった。
「……良かった。無事で、本当に良かった……」
ジュリアが泣いてる。
笑いながら泣いてる。
ジュリアの涙がオレの頬に落ち、つつと口の端を通って顎まで流れる。
舌で口の端をペロッと舐めてみたらしょっぱかった。
「しょっぱい」
思わず口に出してしまった。
「最初に言うのがそれ? アスカのバカ」
涙を拭いながら至近距離で軽く罵倒された。
そう言えばジュリアにバカと言われたのは初めてのような気がする。なんか嬉しい。
「もう大丈夫なようですね。でもしばらくは安静が必要です」
ああ、あの時の声の人だ。
頭を右に傾けてジュリアの奥に立っている人物を見定める。
「あなたは……」
何より目を引くのが輝く白銀の髪。
前髪パッツンストレートはオレよりも長くて腰まである。
肌は雪のように白く、切れ長の目の奥にある瞳は見事なコバルトブルー。
そして―――耳が大きく立っていて先が尖っている。
「……エルフ?」
ふと口にしてしまったその瞬間、相手の表情が一変した。
急に険しい顔になり、じっとこちらを見詰めてくる。
こ、怖い……。
なに、オレ何か悪いことした?
エルフって言ったから?
ちょっとまだ頭がぼーっとした感じで何か考えようとしても形にならない。
そして今頃気が付いたのだが、身体がやたらと重くて動かすのが億劫な感じだ。
若干痺れもあるのか、指先足先の感覚がピリピリしている。
「うっ……」
思わず呻き声が出てしまった。
「どうしたの! 大丈夫ッ!?」
嬉しいけどちょっと心配しすぎだよジュリア。
「うん、ちょっと体が重いだけ」
「まだ動くのは無理でしょう。ジャフの毒を心の臓の近くにうけて生きている方が奇跡なのです」
銀髪のエルフ(口には出さないので許して)が静かに告げる。
さすがに優しい口調とまではいかないが、少なくとも敵意を感じさせるほどではない。
「ジャフ?」
耳慣れない言葉に、思わず反復してしまった。
「あの大きな生き物のことよ。アスカも覚えてるでしょ」
ああ、あの蛇か。
ジャフっていうのか。
ジュリアも知ってたのかな。
それともオレが寝てる間にエルフ(口には出さないので許して)に聞いたのかな。
少なくとも蛇とは言わないのか。
蛇自体そんなに目にしないのかもしれないな。
じゃあ狩りの対象にも出来ないか。
元の世界でも蛇は食った事ないからまぁいいや。
思考が次から次へとフラフラ迷走してしまう。
「アスカ、ちょっとしっかりして!」
肩を揺すられ、頬を軽くペチペチされる。
ああ、なんか気持ちいいかも……。
「静かに休ませてあげなさい」
おそらくはジュリアに向けて言ったと思われるエルフ(口には出さないので許して)の言葉を聞きながら、再び意識が途切れた―――。
*****
結局オレは丸3日寝ていたらしい。
その間ジュリアはオレの寝ているベッドの傍でずっと付き添ってくれていたそうだ。
2度目に目が覚めた時、ようやく体が動かせる状態に戻っていた。
もうすっかり回復したと思うのだが、エルフ(口には出さないので許して)はよほど慎重派なのか、まだ起き上がってはいけないと言われ、もう1日だけ病人生活が続いた。
いや、ホントもう全然平気だったからジュリアにあれこれ世話してもらうのが申し訳なかったよ。
ジュリアに聞いたところによると、オレたちを救ってくれたあの人はロビーナさんという名前だそうだ。
オレが意識を失ったのを見てすぐ応急処置を施し、ジュリアと一緒にこの森の中のキャンプへ運んでくれたらしい。
そこで何か薬を飲まされ、傷口にも何か塗られてベッドに寝かされたと。
傷自体は魔法ですぐにきれいになったらしいが、やはり毒が問題で、助かるかどうかは何とも言えない。
手足に受けた毒なら回復した例はあるが、胴体や首・頭などに受けた場合は助からないか、助かっても麻痺が残る場合が多いのだそうだ。
でもオレはラッキーなことに回復した。
神様ありがとう。
こっちの世界でのオレは、いやこのアスカという少女はよほど運に恵まれているらしい。
こうして、やっと起き上がる許可をもらった日、最初にロビーナに案内されたのが森の中にある湖だった。
ちなみにジュリアは安心したのか爆睡中。
「うわぁ」
思わず声が出てしまうくらい、幻想的な光景だった。
薄暗い森の中で、湖にだけ何本もの光が注いでいて湖面がキラキラしている。
気のせいか、湖一帯に青白い靄だか霧だかがかかっているようにも見える。
見とれていると、どこからともなく色とりどりの蝶がやってきて湖面をひらひら飛び始めた。
「あれは、蝶ですか?」
傍らのロビーナに尋ねる。
「バフテルです」
バフテルねぇ。
生物関係の固有名詞はとことん違う感じですなぁ。
「今は無害ですが、羽の色が変わると毒の粉を振りまくようになります」
「え、毒ですか?」
「そうです。その毒を吸い込むと息苦しくなり、最後は死に至ります」
「そ、そうなんですか。今は大丈夫、なんですよね?」
「ええ。どうです、美しいでしょう?」
「は、はぁ……」
毒を出して吸ったら死ぬって言われたら、もうそんな呑気な感想出てこないんですが……。
「どうぞ、先に入ってください」
「はい?」
思わず右京さんになってしまった。
「ここでは不満ですか?」
「いえ、不満というわけでは……」
ここで水浴びしろという意味なのか?
いいんですよ、オレは中身オッサンなんで全然平気なんですけど、この蝶がいる中に突入するのはちょっと勇気がいるんですよ。
「えーと、ではお先に」
どうせ助けてもらった命だ。この人の言うことには逆らうまい。
全部脱いでスッポンポンになって湖へ一歩また一歩と入っていく。
水は思ったほど冷たくはなく、むしろ生温かいくらい。
透明なところとやや白濁したところがあるが、その違いは何なのだろうか?
そんな事を考えながら歩を進めていると、後ろからロビーナの視線を感じる。
感じる。感じるぞ。
ジリジリするほどの視線を―――ってどんだけ見てんだよ!!
もうこの辺でいいかな、と思いしゃがんで振り返るとロビーナもすぐ近くまで来ていた。
肌が、全身白い。
秋田美人も真っ青の白さ。
真っ青の白さってちょっと意味がわからないけれども。
もう雪女とか雪の精とかでしょ、これ。
そして予想通りの貧乳。
マニア歓喜の見事なぺたんこっぷり。
いや、オレはむしろグラビアアイドル的なムチムチボンキュッボンが好みなので。違いますから。念のため申しておきますけれども。
さても見事な薄くピンクに染まった極小乳首。
乳輪はクリーム色で1円玉くらい……かな?
ハッ! いかん、ついまじまじと見とれてしまった。
既に腰上ぐらいまで水に入っているので、その下はわかりませんよ見てませんよオレは無実です。
そもそもロビーナが隠してないからこれは不可抗力なのだ!
でもまだオレ、この人のことよく知らないし、睨まれたのも記憶に新しいし、なんだか落ち着かないっすよ。
すぐにロビーナも横に並んでしゃがむ。
約50cmほどの間隔。
ナイスパーソナルスペースだ。
ジュリアならほとんどくっつかんばかりに肩を寄せてくるはずだからなぁ。
「ロビーナ・パルティナムと言います」
「あ、はい。アスカです」
いきなりの自己紹介にドギマギしてしまった。
そしてこちらはファーストネームだけなのが毎度のことながら申し訳ない。
だが、まずはお礼を言う必要があろう。
「この度は命を救っていただいて、どうもありがとうございます」
「いえ、別に構いません。森の中で起きたことには私たちにも責任がありますから」
それにしても相変わらずいい声だ。
だが森の中で、というのはどういうことなのだろう?
「ロビーナさんはどうしてあそこにいらしたんですか」
「そうですね。まずは私たちのことを少し話しておきましょう」
ロビーナの説明によると、こういうことらしい。
ロビーナたちは森の民といって、各地の森を転々とする遊牧民のような種族なのだ。
幾つかの集団に分かれて森の点検のようなことをしながら、狩りと行商をして生計を立てているらしい。
ロビーナたちのグループは今このエミールの森に来ていて、たまたまオレたちがジャフに襲われるところに遭遇したということだ。
まぁたぶんシルカ狩りをしている時から気付かれていたような気がする。
あんだけアアア、アアア叫んでたんだから。
だいぶ大雑把な説明ではあったが、ジュリアが聞いたのも同じような話なのだろう。
「ところで、アスカはどうしてエルフのことを知っているのですか?」
「えっ!?」
いきなりド直球でキターーーーーーッ!
また睨まれるヤツですか?
なんでわざわざそっちから聞くかなぁ。
チラリをロビーナの方を横目で見ると、ロビーナはまっすぐ前を見ている。
こちらには全く関心がないかのように前を向きながら質問だけしている感じ。
そして後から気付く、アスカと呼び捨て。
もう怒ってるの? ねぇ?
「いや、知っているというわけではないのですが」
「でも私を見て最初にエルフと言いましたよね」
「いや、見た目がエルフそっくりだなと思ったのでつい……すみません」
もうこうなったら謝り倒すしかない。
許してもらうまで何度でも謝るぞ。
そういうのはサラリーマンの得意技だからな。
「やはり知っているのですね」
今度はこちらを見ているのが気配でわかる。
「すみません、すみません」
ロビーナの方を向いて湖面に額がくっつくまで頭を下げる。
「どうして謝るのですか?」
「いや、だってこの間ロビーナさんが怒ってたから」
「別に怒ってなどいません。あの時はどうしてアスカがエルフという言葉を口にしたのか、真意を測りかねていたのです」
「真意も何もさっき言ったとおり、姿が似てると思ってつい口にしてしまっただけなんです」
「では私がエルフに似ていると判断したその知識はどこで手に入れたのですか?」
えー、えーと、どこでと言われましても……。
元の世界のアニメとかゲームとか小説とかなんですけど、それを言うとまた更に説明しなきゃいけないことが増えるだけですよねたぶん絶対。
もういっそ正直に全部言っちゃうか?
命の恩人だし、悪い人ではなさそうだし。
あの糞判事の時みたいなことにはならないだろう。きっと。
「あの、その理由についてお話してもいいんですけど、たぶん信じてもらえないと思います」
「それは聞いてから判断しましょう」
腹を決めて、この世界に来てからのことを全てロビーナに話した。
ロビーナは一言も口を挟まず、途中からは目を閉じたまま表情も変えずにじっと聞いていた。
「―――というわけで森で狩りをしていてジャフにやられ、今に至ります。あ、エルフというのは元いた世界における想像上の種族で、結構一般的に認知されている存在というか、言葉なんですよ」
「…………」
最後に申し訳程度にエルフについて説明したが、ロビーナは黙して語らず。
未だ目も閉じたまま。
「あの、ロビーナさん?」
ロビーナはゆっくり目を開くと、オレの目をまっすぐに見て言った。
「話はわかりました。また今晩、改めて話をしましょう」
「え? あ、はい」
まさかまた最初から話をさせられるわけではないだろうが、改めてというのが気になる。
とりあえず怒られたり否定されたり疑われたりといった気配はないので安心したが。
しばしの沈黙を挟んで、ロビーナが再び口を開いた。
「ひとつだけ、聞いていいですか?」
「はい、なんでしょう」
今度はなんだ?
その質問の仕方は結構な確率で問題の核心をついてくるパターンなのだが……。
こっちはおっかなびっくりなので、少し身構える。
「アスカの背中のところに痣のようなものがありますが、知っていましたか?」
「ああ、はい。前にチコリと一緒に風呂に入った時に聞かれましたから」
「そうですか。他には何か知っていますか?」
「他に……ですか? この痣について?」
「そうです」
「いえ、痣のことはさっきまで忘れてたくらいですから。いつどこで出来たかもサッパリ」
「わかりました」
何の感情も伝わってこない声。
ただ、それまで話していた時とは雰囲気が違ったのは感じた。
どこがどう、というのまでうまく表現できないのだが。
「そろそろ出ましょうか」
そうですね、あまり長く浸かっているとフヤケそうだし。
「はい」
返事をして立ちあがり、湖を出ようと湖岸へ歩きはじめると後ろから声がかかった。
「私のことはロビーナと呼んでください」
「え? あ、はい」
振り返ってあわあわと返事をする。
我ながら無様だ。
アスカと呼び捨てにしてたのもそういう意味だったのだろうか。
向こうの好意の印、的な。
あるいは森の民にとっては呼び捨てがデフォルトなのかもしれない。
「それと、エルフというのは私たち森の民の本当の呼び名です」
「えっ!?」
いきなりまた蒸し返されてびっくり。
と同時に真実を話した後で処理される的なイメージが脳裏を掠め、ゾクリとする。
「もう私たちの中でも限られた者しかその名を知らないほど、遠く忘れ去られた知識でもあります。私たちはその忘れられた知識を未来永劫忘れられたままにしておきたいと考えています。ですから、エルフの名を口にするアスカの素性と意図が知りたかったのです。それについては先程アスカから説明を聞きました。この後隊の長と相談して、夜改めて話をしに行きます」
めちゃくちゃよくしゃべるなロビーナ。
長台詞過ぎて内容があまり頭に入ってこなかったが、エルフという言葉は口にするなって事は確実に理解した。
「はい、わかりましたロビーナ」
そう答えると、ロビーナはにっこり笑って頷く。
その笑顔に害意がないと感じたオレの直感を今は信じるだけだ。
その後2人とも湖から出て身体を拭き、服を着てキャンプに戻った。
キャッキャウフフなことなど何ひとつなかった。
読んでいただきありがとうございます。
第三の美少女、森の民ロビーナ・パルティナムの登場です。
次回も森の民とのお話になります。
ちょっと説明回が続く感じになってしまいますが、結構重要な内容なのでどうかお付き合いください。
引き続き応援よろしくお願いします。




