霊能力編2
それからふみの新生活が始まる。
佐々野は次の仕事に向けての準備を進め、ふみは今の生活に慣れるための訓練を行う。時が立ち、佐々野とふみの関係も大分落ち着いてきていた。
ふみが強制昇進試験を合格してから数週間が経っていた。
昼休みになると、ふみは一人で休憩所に向かった。椅子に座っている一人の女性を見ると、笑顔で手を振った。
「マイ!」
「こんにちは、ふみ」
店で買ってきた弁当を持ち、マイと呼ばれる女性と同席した。
「前にもちょっと言ったけど、今度layer2に出張に行くんだ」
「暁斗と一緒に?」
「暁斗って佐々野さんのこと? そうだよ。時系列はこっちと合ってないみたいだから、どれだけ不在になるのかわからないけど、少なくとも私は当分マイと会えなくなるんだ」
「layer2かぁ。行ったこと無いなぁ。怖いところだっては聞いてるけど」
「え、そうなの? じゃあ一緒に行く?」
「あはは、私は治安維持層の位がないから行けないよ」
簡単な意思疎通であれば、ふみは言葉が通じるようになっていた。出会った当初、ふみが何を言っているかわからないと言っていた女性がマイである。
マイはlayer1の一般市民である常人層に所属する女性であり、治安維持館の事務員として働いている。ふみは治安維持層の住人であるが、一つ上の常人層の位を持っていないため、本来の規則に従えば、位の高いマイは、位の低いふみとの付き合いに制限がかかることとなる。ただし治安維持館の中では、そのような制限など無いに等しかった。
「おみやげは何がいいかな」
「食べ物はダメだよ。確かlayer2の物を食べるには上長の承認が必要だったはず」
「えぇー? そうなんだ。変な食べ物を買ってこようと思ってたのに」
「気にしなくていいよ。それよりさぁ」
マイの顔がより笑顔になる。
「ふみは休日なにやってるの?」
「休日は無いよ。ずっとトレーニングしてる」
「ええ? それはないでしょ?」
「あ、正確には、休日取ってもやること無いからここに来てるんだ」
「そりゃダメだよ。ちゃんと休まなきゃ。でさ、今度の休みに一緒にお出かけしよ」
「え!」
予想外の誘いにふみが驚いた。
「あ、はい。私で良ければ! って、えーと」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。そんなこと出来るのかなって。私って、マイと一緒にどこかに行っても大丈夫なのかな?」
ふみが気にしているのは治安維持層と常人層という身分の違いについてであった。しかしそれを細かくマイに説明出来るだけの語彙力が不足していた。
しかし気にしていることについて、マイはちゃんと理解してくれたようだった。
「私もよく知らない。暁斗に聞こう。今から行こう?」
「え、ええ、その前にお弁当たべよ?」
昼ごはんを食べた二人はすぐに移動し、治安維持層・分析業務と書かれた部屋のドアをノックした。
「はい」
佐々野の声が聞こえ、すぐマイが返事をする。
「失礼します」
二人が部屋の中に入る。ふみは自部署にノックして入ったことがなかったため、何となく斬新な気分であった。
マイが部屋の中に入り、続いてふみが後を歩く。その光景を見て、佐々野はその状況を理解しようと試みた。
(ふみと一緒にいるのは治安維持館・事務所属のマイ。ふみは何か問題を起こしたのか。)
「こんにちは。暁斗」
「どうしましたか、マイ」
佐々野に緊張が走る。
「治安維持層と常人層の両方の位を持っている暁斗に聞きたいことがあります。現在、ふみは治安維持層の位しか持ち合わせていませんが、常人層管轄区域に外出する場合、どのような問題が想定されるのかを教えていただきたいです」
「ふみが外出、なるほど」
なるほど、とは言ったものの、マイの本当に言いたいことがいまいち理解できずに、佐々野の緊張は解かれなかった。ふみはそんな様子を見て、何となく誤解しているのではないかと気が付き始めていた。
「おそらくは私の体験をお聴きしたいのでしょう。概念基盤が提示している常人層区画法整備の規約によりますと、治安維持層の位だけを持った人は、常人層とは違い、さまざまな制限が課せられています。layer1の常識であったり、また常人層の法的な一般知識が欠けているため危険視されているのです。しかし実際の所は、外見では全然見分けがつかないことと、今までに治安維持層の人間が特別に何か法を犯すとか、そういった危険性がほとんど無かったことより、制限は無視されていると言っても良いと思います。一つの例外を除いては、ふみはどこに行っても全く問題ありません」
「一つの例外とは?」
「役所や発電所のようなインフラ設備など、都市の重要な機能を担う設備においては、立ち入りだけではなく近づくことさえ厳しく制限されます。これは位の違いというよりは戦力の違い。つまり常人層の人に比べて非常に大きな戦闘能力、破壊能力を持っているゆえのことです。常識のない乱暴者はそもそも役所に近寄るな、ということです」
「なるほどね」
「ところで」
マイが話を続けないように、佐々野が先に口を開く。
「ふみとご一緒のようですが、どうかしましたか?」
二人の間に、すぐふみが割り込んだ。
「佐々野さん、佐々野さん、」
「ん?」
「マイは私の友達なんです」
「……え、そうなの?」
突然、佐々野の雰囲気が変わる。
「あれ? 暁斗は私のことをなんだと思ってたんですか?」
三人が顔を見合わせる。
「ふみと俺がマイに叱られるんだと思ってた」
「ちょっとー、私ってそんなキャラだったのー?」
三人は部屋の奥にあるソファーに移動した。
「休日に二人で遊びに行くってことか。規約の話とか持ちだした俺が馬鹿みたいだった」
「いえいえ、参考になりましたので」
マイが気を使って佐々野をフォローする。
「でも、ふみは俺とマイの言ってること、ちゃんとは理解できていないんじゃないか?」
三人の会話は、佐々野とふみがふたりきりのときに用いているlayer2のものではなく、layer1のものであった。
「役所には行けるってことは何となく」
ふみが自信なく言った。
「逆だよふみ」
佐々野が反応した。
マイがふみの方を向いて、声を大きくして話し掛ける。
「ふみはどこにでも行けるんだよ。役所はダメ。発電所もダメ。わかった?」
「あ、はい。よかった!」
マイはふみが理解しやすい話し方を心得ているようであった。
「じゃあ他に聞きたいことがあったら、言ってもらえれば答えるから」
ソファーに二人を残して、佐々野は席に戻ろうとした時である。
入り口のドアが乱暴に開き、一人の男性が部屋に入ってきた。
「おぃーっす、暁斗。ってあれ?」
男性の視線の先にはマイの姿。
「マイがいるってことは、説教されてるのかな? すまん、出直してくるわ」
「ちょっとまて! なんでそうなる!」
男性が三人いる方に行きあいさつをする。
「おいっす、暁斗、マイ。そして、」
ふみの方に体を向ける。
「この子が暁斗の所に新しく来た新人さんだね」
「はじめまして。瀬戸ふみと申します。このたびはlayer2から強制昇進の義務に合格して、佐々野暁斗さんの元で働くこととなりました」
「よろしく。俺は事務組織・窓口業務のハルトだ」
「よろしくお願いいたします。もしかしてマイと同じ部署ですか?」
「うん、そうだよ」
ふみが二人を見る。
マイはふみを見て頷いていた。
ハルトが話を続けた。
「それにしても、本当に女の子なんだな。めずらしく暁斗の所に合格があったって聞いて、広報の写真で確認したら、おとなしそうな子だったんで驚いちまったよ」
「珍しいんですか?」
「うん、だって今まで合格したのって暁斗だけだぞ」
それからマイが割り込んでふみに話した。
「暁斗がいる分析業務は、試験内容がトップレベルでおかしいのよ。確か『猛獣を倒し続けなければならない』だったっけ。どうすれば人間がそんなこと出来るんだって内容だったはず。合ってるよね?」
佐々野に問い合わせると、軽く頷いた。
「でさ! 合格したって聞いて、どんな筋肉だるまのおっさんが合格したんだろうって写真見てみたのよ。そしたら、何かめちゃくちゃかわいい女の子が映っててさ、驚いたってもんじゃなかったわ」
「俺も絶対に男だと思ってた。実際、こうやって目の前で見てみても、そんなこと出来るような人間に見えんよな。でも暁斗が直接合格させたんだろ?」
ハルトが言い、暁斗の方を見た。
「ああ。ふみは文句なしの合格だよ」
「へぇ~」
マイとハルトがふみの方をみて感心する。ふみは照れながらも口を開いた。
「えっと、でも佐々野さんには随分助けられました。最後だって、左腕と右足が完全に破壊されたましたし、佐々野さんが直してくれなかったら合格なんて出来ませんでした」
「うわぁ、本当に猛獣と戦ってたんだ」
しばらく四人で談笑。
「さてと、ハルトは仕事しに来たんでしょ? 私はそろそろ戻るわ」
マイが立ち上がる。
「また昼にね、マイ」
ふみが手を振って言った。
「うん、じゃあね」
マイが部屋から出て行く。
「しかしマイは話せば面白そうな人なんだな。俺のイメージとは全然違ってた」
佐々野がつぶやいた。
「どうなんだろうね。一緒の部署にいるけど、あんなに楽しそうにしてるマイは初めて見たよ」
「私と一緒にいる時はいつもこんな感じですよ」
ふみがハルトに言った。
「そうなのか。まあ友達と一緒にいるときは態度を切り換えるもんだよな」
佐々野、ふみ、ハルトは引き続きテーブルを囲み、三人で座った。しかし談笑の続きではなく、ここからは仕事の話となる。
「ハルトは分析業務をしているときに、かなり頻繁に連絡を取り合う窓口担当の人だ。裏方として体力仕事以外のことをやってもらう。だから俺だけじゃなくてふみもハルトとはかなり話す機会があると思う」
「体力以外の仕事というと、どんなお仕事なんですか?」
ふみがハルトの方を見る。
「事務処理と部署間調整が正式な仕事。でも、たぶん物品調達が主になるんじゃないかな。ふみが戦車欲しいって言ったら俺がなんとかすんの。layer1から送るのがいいかlayer2で手配するのかはその時の状況次第だ」
「戦車ですか」
「ふみは戦車を運転できるんだっけ?」
「いえ、、、げ、原付ならギリギリ」
佐々野が話に割って入る。
「戦車より先に大型トラックと牽引だな。これはすぐにでも覚えてもらいたい」
「確かに大切だ。戦車を運んでもらわないと」
それからふみは簡単にハルトの窓口のことを教わったが、結局現地で実際にやってみたほうが早いということで話を次に移した。
テーブルに地図を広げて佐々野は説明をしていた。
「次の現場はここ。周りにはlayer1の施設が全然ないから、ここの建物を借りて拠点とし、水影家へ通うこととする」
「拠点の確保は俺がやろうか?」
「いや、建物の確保はもうしてある。どうも水影家の所有地なんだと。直接話をつけてきたんで、あとはlayer1で書類申請さえ通れば、機材搬入などが出来るようになる」
「結構な田舎のようだな」
「ああ。流通はそれほど早くない。でも近くに軍の基地があり滑走路もある。事前に調整しておけば、問題が起きてもすぐに借りることができる」
「空の経路が確保できるなら、だいぶ安全になるな」
佐々野とハルトの話を、ふみはずっとおとなしく聞いていた。
「あ、そうだ。ハルトとふみに言っておくけど」
佐々野が二人の方に体を向ける。
「本件はかなり楽だから。ふみの初仕事ということで、前々からあまり重要ではないと考えられているものを選んだ。だから一応は現地でハルトとの回線はつなぐものの、ハルトの出番があるかどうかはわからない。ふみは気を引き締めてやってくれればいいと思う。でもハルトは別件があるなら、そっちを優先しても大丈夫だ」
「わかった。お言葉に甘えさせてもらうかもしれない」
「私もわかりました」
地図の一部を指差して、佐々野がふみに話しかける。
「ここの拠点が宿となるから、事前に荷物を搬入しておくといいよ。明日から当日までは自由行動とするから、ここには出勤する必要はない。layer2に戻るのも自由だ」
「はい、わかりました。でも、たぶん明日はマイに会いに来ると思います」
それから三人で、水影家への仕事の話を行い、それで終了。
ハルトは自分の部署に戻っていった。
その日の業務が全て終了してから、佐々野とふみは帰らずに部屋に残っていた。
「ふみ。少し話したいことがあるんだが」
「はい。私も少しありますので、お先にどうぞ」
資料も何も用意せず、佐々野とふみは向い合ってソファーに座った。
「ふみがここに来てから、結構な日が経ったね」
「そうですね。生活は大分慣れました」
「ふみにしてもらったことは、体力、会話、護身術の3つ。そのどれも、一つも文句言わずに、ただ積極的にトレーニングを行ってくれた。体力は毎日一緒に走っているから分かる。会話は、本日初めてふみとマイ、ハルトとの会話を見たが、ほとんど問題ないレベルだった。格闘技についてはわからないが、教官の話を聴く限り問題ないだろう」
「楽しかったですよ」
「今日はふみのことについて少し聞きたい」
「はい。佐々野さんになら何だって答えます」
ふみが笑顔で答える。だが佐々野の表情は少しだけ硬かった。ふみは佐々野がこれから話す内容を薄々理解していた。
やっと私のことを聞いてもらえる。ふみは喜んでいた。そして佐々野は、ふみから発せられる得体の知れない迫力に圧倒されていた。
「ふみは、こっちに来てから、そうだな。俺と出会ってからは、おとなしく生活してきた」
「はい」
「少なくとも俺が知っている範囲で、ふみは法を犯すとか、誰かを失踪させるような行為はしていない。そうだろう?」
「ええ。でもその言い方だと、私の裏を取る方法を佐々野さんは持ち合わせていないということに聞こえます。私のような犯罪者に監視を付けたりしていなかったんですか?」
ふみの冷たい声色。その様子は今までとは明らかに違っていた。
「していないし、する予定もない」
「いいんですか? あまりに放任だと思います。佐々野さんには部下の行動に対する責任というものがあるのでは? 私の性欲はlayer2にいた時から全く変わってはいません。今でこそおとなしくしていますが、今後は私の最も親しい人でさえ被害者になる可能性はあります。それは佐々野さんも十分ご存知のはず」
見たことが無い態度のふみ。それは今まで接してきたふみではなく、強制昇進試験を受けていたふみでもない、佐々野の前に初めて現れた犯罪者のふみであった。
佐々野が気迫で負けることはない。だが目の前にいる女性は、佐々野が今まで出会ったことがないタイプの殺人鬼であった。
(これがふみの本質なんだろうな。)
ふとそんなことを思う。
「ふみの様子はいつも気にしていたよ。でもふみを犯罪者扱いして縛り付けることだけは避けたかった」
「なぜです? 私は一級の犯罪者だということでlayer1に選ばれたのでしょう? 犯罪のエキスパートを犯罪者扱いしないなんて、それは許されることなのでしょうか」
「許されるよ。ふみの扱いは俺に一任されている。確かにふみの犯罪は重い。だがふみ本人は仁義と道理を極端に外す人ではないと思っている。さらに俺を信頼してくれていた。少なくとも俺にはそう見えた。だから俺も、ふみの様子がおかしくない以上は、信頼したいと思っている」
「ふふふ、佐々野さん優しい」
ふみの笑顔は本物だったが、今まで見てきたものとは違い、攻撃的であった。
「こちらからも質問させて欲しい。ふみはlayer1ではずっとおとなしかった。そして毎日充実しているようにさえ見えた。俺にとっては非常に扱いやすい優等生だ。だが、それが本当のふみなのか? 俺の知っているlayer2のふみは、もっと凶悪で、そして残忍だ」
性行為をしてそののち殺す。その犯罪歴は尋常ではない。さらに全ての殺人を完全に隠蔽したのがふみの本当の姿である。ふみは変態殺人鬼だ。
「いつもの私が本物の私、そして凶悪で残忍な私です」
全く答えになってはいないものの、佐々野は何も返答できずにいた。
「佐々野さんは、layer1の人たちを犠牲にしてまで私を信頼してくれたんですか?」
「どうしてそう思う」
「だって、信頼してくれるのは嬉しいですけど、本当はこっそりlayer1の人たちを食べちゃってるかもしれないですよね」
対面に座っていたふみがそっと立ち上がる。そして佐々野の方に歩き出した。
「layer1の人たちはみんないい人で、カッコ良くて、かわいい。マイはとっても綺麗な女性だったし、ハルトも親切ですごく感じのいい人だった。マイもハルトも、みんな大好き!」
佐々野は、ふみが今まで見たこともないような表情をしている事に恐怖を感じていた。体に嫌な冷や汗が浮かんでいるのが分かった。
「みんな、私の手で殺してしまいたい」
そういうと、ふみは佐々野の方まで歩み寄り、そして隣に腰を下ろした。
「暁斗さん」
ふみは佐々野の手にそっと自分の手を重ねて、そして自分の体を佐々野の体に押し付ける。
「わたし、暁斗さんみたいに強い人好き」
しばらく佐々野とふみは近くで見つめ合う。ふみが女を武器にして迫った場合、全く勝ち目がないことを佐々野は悟っていた。だが今回の場合、佐々野にはふみにどうしても言わなければいけないことがあった。
佐々野は下を向いて、息を吐いてから体の緊張を解く。そしてふみに問いかけた。
「なあ、ふみ。俺の言ったことを覚えてるか? 俺はふみと一緒に働きたいって思ってた。ふみのような優れた能力がある人と一緒に働くことができたら、俺が楽しいだろうなって思ったんだ。だからふみを採用した。その思いは試験のときに十分に伝えたと思ってる」
ふみからの返答はない。
顔を上げてふみの顔をまっすぐ見た。可能な限りやさしく話しかけるように気をつけながら、丁寧に言葉を放った。
「でも、ふみがlayer1の人間に手を出したら、もう一緒にはいられないよ。ふみの実力は、たぶんふみが自分で思っている以上に高い。ふみが本気を出したら、俺は簡単に殺されると思う。でもふみがそれを望むって言うなら抵抗はしない」
しばし沈黙。
佐々野は動かない。ずっとふみを優しい目で見つめていた。
ふみは佐々野の言葉にかなり動揺していた。やがてふみが耐えられなくなり、佐々野から視線を外し大きなため息をつく。
「はぁーー」
ふみがため息を漏らす。
「私、何やってるんだろー」
今まで密着していた体を離して立ち上がった。
「ごめんなさい、なんか、」
まともに佐々野の顔を見ることが出来ないまま話を続ける。
「佐々野さんを試すような事しちゃいましたね。私だって、ここで問題を起こしても何にもならないこと、ちゃんと分かってるんです」
「いや、いいんだ」
「ほんと、何やっちゃってるんだろうー!!」
冗談めいた口調だったが、佐々野からは、ふみが相当後悔しているように見えた。二人の間に気まずい空気が流れる。それを紛らわすようにふみが口を開いた。
「佐々野さん。わたし嘘つきました。正直に言うと、ここに来てからはそんなにしたいって気持ちにはならないんです。それより佐々野さんと一緒にランニングしてたほうがよほど楽しい。だから当分はおとなしくしてると思います」
「そうか」
だが、佐々野には引っかかる所があった。
「ふみの能力は過去の犯罪を含めてlayer1が選んだ宝物なんだ。本当のことを言うと、ふみが犯罪もせずに居ることが、神にとって良いことなのか俺にはわからないんだ」
「ええ? 神ですか?」
ふみが驚いて顔を上げる。
「もし良くないとしても、それで俺がふみにしてやれることが思い浮かばない。当分おとなしくしてくれるって言うなら、俺にとってはそっちの方が有難いことだよ。でも、もし収まりがつかないことが出てきたら協力してあげたいとは思う」
「うん、ありがとう、佐々野さん」
ふみが佐々野の顔をしっかりと見つめて言った。
そのまま目を合わせて、そして力なく笑って見せた。
「佐々野さんの言いたいことは、これで全部ですか?」
「ああ」
「それでは、今日はこれで失礼したいと思います」
「また現地でな」
「明日来ますよ! マイに会いにだけど」
ふみは弱々しい笑顔で手を振って、そして部屋から出て行った。
しばらく佐々野は動かずにいた。
部屋が静寂に包まれる。
そんな中で、佐々野は先ほどのふみとの対応を考えなおしていた。
「あれでよかっただろうか。ふみは傷ついていないだろうか」
ふみが体を寄せて佐々野に誘惑してきた時の対応を思い返しては、目を閉じて頭を悩ませていた。
「ふみが無害な人間だなんて一度も思ったことはない。でも自分が思う以上にはるかに危険な存在なのではないか?」
色々な考えが頭の中を駆け巡る。そんな思考の中、認めたくない気持ちが心に取り憑いていることをはっきりと自覚した。気持ちを確かなものにするために、あえて口に出してみる。
「ふみは、怖い」
すぐに、廊下の足音で現実に戻された。
誰かが分析業務に駆け足で近づいてくる。それがふみの足跡であることはなんとなくわかった。
ドアのノックの音と同時に扉が開く。
「佐々野さん、言うの忘れてた」
ふみが元気よく部屋に帰ってきてた。
「お肉食べたい!」
「はい?」
ふみが笑顔で佐々野の前まで小走りでやってきた。
「ほら、約束したじゃないですか。試験に合格したらご褒美にお肉食べさせてくれるって」
「あー。クマの肉だっけ」
「ちがいます」
「はは、覚えてるよ。そうだなあ、これから食べに行ってもいいけど、初めてlayer1の繁華街に行くなら先に約束しているマイと一緒の方がいいだろう? layer2の分析業務中に落ち着いたら食べに行こうか?」
「私はいつでもどこでも構いませんよ」
「じゃあ、ちょっと先になるけどそうしよう」
「はい。ごめんなさい、突然思い出して、戻って来ちゃって」
「問題ないよ。気をつけて帰りなよ」
肉を楽しそうに語るふみを見て、佐々野は救われたような気がしていた。




