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宮沢弘の文学論

「プロップのファンクション」と「ユングの元型」と ---テンプレート論---

作者: 宮沢弘

 さて、これは「テンプレ」についてのエッセイでもあるとともに、「テンプレ」についてではないエッセイでもあります。


 まず一つ。「プロップのファンクション」については、「プロット製作の参考資料になればいいなと思い」の「真打ち、プロップのファンクション」(http://ncode.syosetu.com/n1178co/3/) とかをご覧ください。いや、まぁ、そこだけじゃわからなかもしれませんけど。「プロップのファンクション」をキーワードで検索してもらえば色々あると思います。それと、「宮沢弘の科学エッセイ2」の「対話文法とか物語文法とか」(http://ncode.syosetu.com/n6631cs/18/) もご覧ください。


 二つめ。「宮沢弘の科学エッセイ2」の「文脈自由文法」(http://ncode.syosetu.com/n6631cs/9/) とかもご覧ください。


 三つめに行く前に。この二つで、何が言いたいかというと、こうなります:


  有限のルールによって無限の実現を表現できる


ということです。一定の文脈自由文法が定義されれば、その再帰性により、無限の文を表現できます。

 ではプロップのファンクションや物語文法のようなものが、もちっとうまい具合に書けたとします。その場合、物語についても、こう言える可能性があります:


  有限のルールによって無限の実現を表現できる


ということです(同じだけど誤記じゃありません)。


 さて、ここで問題になるのは、「なぜそのような可能性があるのか」ということです。


 そこを認識した上で、三つめとして挙げたいのが、「ユングの元型」です。ユングは元型をリストアップしてるわけじゃありませんが。まぁ、ユングはちょっと誤解されてる面もあると思いますし、それはユングの書きかたがいまいちだったという面もあります。まぁ、「元型論」とかを読んでください。

 ここで何が問題なのかというと、当時、脳は「タブラ・ラーサ」であると考えられていたという点です。つまり、脳は0から全てを学習していると考えられていたという所です。現在、それは低次から高次まで「結構そんなことない」ということがわかっています。学習そのものは必要だったとしても、学習を受け入れる回路は存在しているとか、まぁいろいろ。


 という、三つめを提示したところで、「なぜそのような可能性があるのか」という問題に戻りたいと思います。

 さて、おわかりかと思いますが、テンプレとは、もう別の段階として、「全ての物語は既に脳に存在するものからのみ生み出されている可能性」に突き当たります。まぁ、文に対する文法における「単語」(のようなもの)に対応するものとして、新しいものが追加されたりとかいろいろあるでしょうけど。

 もちろん、誰か二人いたとして、その二人が一生で言葉にするものが完全に一致することなどないでしょう。ではあっても、まぁ完全ではないとしても、その二人が一生に言葉にするものを、有限のルールで記述することは可能なわけです。


 これがどれほど恐しいことかわかるでしょうか。テンプレとは、もう別の段階として、人間が作り出し得る物語には限界があるということです。原則的には、「人間が理解し得るものしか作り出せない」とも言えるでしょう。これがどれほどの強さを持つ制限なのかはわかりませんが。


 そして、四つめ。"ForRunner" では "memectome (ミメクトーム)" という造語を出しています。memectomeは、"meme(ミーム)" と "connectome (コネクトーム)" からの造語です。meme自体、あやふやなものでもありますが、memectomeは、生得的なものも後天的なものも含めて、meme間の全結合の情報とします。コネクトームは神経回路の全ての結合のマップですが、それは脳という媒体を前提としています。それはそれで知りたい情報ではありますが、それをどうにが加工しようとしたら、脳を媒体として前提に置いているというのは、むしろ邪魔な情報ではないかと思います。そこで、ここではmemeを前提にした全結合というものを考えます。

 ここまで書いたことは、ミメクトームとして書ける可能性があります。

 これはありえないものと思われるかもしれません。ですが、まずは簡単なものを考えみましょう。ある物語があったとして、どの単語がどういう続きかたで書かれているかも、極めて単純なものであったとしても、著者のミメクトーム(の一部)であろうと想定することも可能でしょう。

 それが複数の著者になり、大人数の著者になったらどうでしょうか。それあどれだけ単純なものであったとしても、人間のミメクトーム(の一部)であると想定することはできないでしょうか。

 記述可能、あるいはモデル化可能なものに基づいてのみ、物語は生み出されているのかもしれません。

 これについては、そういう可能性を提示するだけでいいだろうと思います。


 では、最後に、テンプレについて。

 そういう強い制限下にあるということに満足できるでしょうか。さらにはテンプレという制限下にあることに満足できるでしょうか。

 良い、悪いという話ではありません。その強い制限を超えたら、人間には理解することはできないのかもしれないのですから。ただ、それに満足できるのかどうかという話です。


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