なるべく歩道を走りましょう
ただ不運だった。
それだけだ。
歩道を自転車が走っている。
道路交通法では自転車は車道を走らないといけないらしいが、あってないような法律だろう。
人ごみの中をうるさくベルを鳴らしながら走る自転車に、舌打ちはしても警察を呼ぼうなんて考える奴はいない。面倒だからだ。それに警察を呼ぶにしては小さすぎる。
歩道横の店の前で、高校生くらいの少女はスマートフォンをいじる。
“歩道走る自転車マジうぜえ”。開いていたチャットにそう書き込んだ。
その自転車は結構スピードを出して走っていく。
時々人にかすりながら、乗っている男は得意げにベルを鳴らして。
ふいに彼の前に障害物が歩いてきた。パーカーのフード部分を被った少年だ。
舌打ちをしてほんのちょっとだけ避ける。これだけスピードを出しててベルも鳴らしてるのに、進行方向を遮ってくる奴が悪いんだ。
あわよくばちょっとかすって、ビックリさせてやれ!
そう考えながらすぐ近くを通り過ぎようとして、
自転車の側面を蹴られた。
蹴られた自転車は男を乗せたまま、車道に飛び出して、そのまま倒れて、少し地面を滑ってから、
走ってきた車に轢かれた。
一拍置いて悲鳴が上がる。既に止まっている車の下には、変な方向に曲がっている男と壊れた自転車がある。
そっちに向かい状況を確認しようとする人々と、パーカーの少年に怒号を浴びせる人々がいた。
どちらも取り囲むように人間の輪ができている。
中年くらいのスーツ姿の男が少年の腕を掴もうとした。
だが無理だった。
その腕が曲がったからだ。
まるで見えない壁に触れた途端、拒絶されたかのようだった。
少年はフードを被ったまま、両耳を塞ぐジェスチャーをする。
「ねー、うるさぁい」
途端に静かになる。
人々の口はつままれたように上下の唇が前に出た状態で、上からネジを通されボルトで固定されていた。
声にならないくぐもった悲鳴が辺りに満ちる。
その中で一人だけ、普通の悲鳴を上げる者がいた。
自転車の男だ。
まだ意識があるらしく、叫んだりうめいたりを繰り返している。
少年はパーカーのポケットに手を突っ込んで、そっちを見た。
「ボクチンさぁ~、めっちゃすぐ横を走る自転車とかマジいらつくんだよねー。で、通り過ぎる時横っちょ蹴りつけたくなんの。なるよね? みんなそゆコト思ってるよね? だからやってみました。やってみた!」
いえー!と言いながらポケットに入れたままの両手を上へ突き上げる。下に着ているTシャツが丸見えだが、気にしていない。
「でもでも~、みんなうぜえって思ってるクセにみんな怒るからー、なーんかシラけちゃった」
手を下ろしてわざとらしくがっくりと首を前に落とす。
人々の何人かは手を震わせながらスマートフォンで何かをしようとしている。
「すごいスッキリするのにねー?」
はーあ、と声にしながら溜め息をつく。
「もーみんな怒るし仕方ないからさ」
顔を上げたその動きのまま、かっくりと首を横に倒した。
「君を殺して、なかった事にしちゃおう」
足を踏み出す。いまだ悲鳴を上げている男の方へ。
文章にならない言葉を喚き、動く腕を無意味にばたつかせる男の横で、少年は停止している車に目をやった。
その車に触れるか触れないかぐらいの近さで手をかざす。
ギギッ。車が軋む音がした。
少年が手を上の方にずらしていけば、車もその手に従うように上へ浮かんでいく。
天へ向かって腕をピンと伸ばし、指先に車を浮かせて、そしてそのまま振り下ろした。
ガンッ。
車が道路にぶつかる音にまぎれて、何だかグチャッと水っぽい音もした。
また振り上げる。
また振り下ろす。
振り上げる。振り下ろす。振り上げる。振り下ろす。振り上げ、振り下ろし、それを繰り返すたびに音はどんどん水っぽくなっていく。
人々の口にあったネジとボルトは無くなっていた。
けれど、周囲にはもうくぐもった悲鳴さえ聞こえない。
人々の何人かはふらりと壁に寄りかかったり、へたりと地面に座り込む。
そのうち手に力が入らなくなったのか、誰かがゴツッと持っていたスマートフォンを落とした。
それに気づいた少年が、振り上げていた車をぱっと放した。けたたましい音を立てて落ちる。
少年は自分のまわりをぐるっと見た。
「……あー、そっかそっかぁ……」
両手を腰にあてて天をあおぐ。
「『目撃者』がいたらダメだよねぇ」
地面にへばりついたその赤黒い塊を指さしながら、
「みんな“これ”と同じになってよ」
そう言った。
落ちていた誰かのスマートフォンを手に取り、タッタッタッと操作する。
プルルルル。プルルルガチャッ「はい、こちら警察です」
「ねぇこれどこにいるか分かるの?」
「はい?」
「いやさぁ、全然ここに詳しくなくて。場所どことか分かんないんだよね」
「ええと、調べれば分かりますが……」
「そっか、ありがと」
「あの、ご用件は、どのような……?」
「あっそうそう、そうだ忘れてた」
「人がいっぱいグッチャグチャになって死んでるから、どうにかしてくんない?」
「……は、」
「さすがに片づけんのめんどくて」
「、待て、お前誰だ」
パーカーのフードの下に、笑顔が見えた。
「アイアムカミマチ!」