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狼のつがい  作者: 七草
3/13

隣に寄り添う幸福

シュビ視点です。

『シュビ、シュビー起きろ、朝だぞ!』


 翌朝、いつものようにゼルに鼻先でつつかれたり、顔中を舐められたりしながら起床した。

 まだ寝ぼけ眼の私と違い、ゼルは朝から元気いっぱいだ。


「ふわぁ~…おはようゼル」


 朝の挨拶をすると、ゼルはいつものように挨拶を返してくれる。


『おはようシュビ。さぁ早く!いくぞ!』


 この時間のゼルはとてもテンションが高い。私は元々、夜が明けて陽が顔を出し始めてから起床していたのだが、ゼルがきてからは夜明け前の、藍色から薄紫の様な空になりゆく時間に起床するようになった。

 手早く仕度を済ませて、寝る前に軽く用意しておいた朝食を持って、扉の前ではしゃいで待っているゼルと一緒に散歩に出る。

 まだ息が白く出るような薄ら寒さの中、地面を踏みしめるように歩く。ゼルはすたすたと私の前を歩いているが、何度も振り返っては私がちゃんとついてきているか確認してくれる。

 たまに私の足元に蛇が出るのだが、そんな時もゼルがいち早く気づいて撃退してくれる。今まではされるがままに噛まれていたので、守ってくれる相手がいると言うのはとても嬉しい。噛まれても毒はないし、どうせすぐに治るので一時的に痛いだけだと笑って言ったら、ゼルは「俺がいるのにシュビに怪我なんてさせるわけがない」と至極当然のように言っていた。

 私がどれほどその言葉が嬉しかったかなんて、ゼルにはきっとわからないだろうな…。

 当たり前に心配をして、守ってくれる存在は私にはいなかったのだ。異端な髪と瞳を持って、不思議な力を使い、他者の心を読む。これだけ気味の悪い私を、ゼルだけが受け入れてくれたのだ。

 かつて一緒に住んでいた人だって、自分より力の強い私を、心を読める私のことを気持ち悪いと思っていた。止め方がわからないから常に読み続けてしまうし、読めてしまうのだからどうしようもないし、読めないとそれはそれで困るのだ。

 でもゼルは気持ち悪がらない。

 常に私がゼルの心を読み続けているのをわかっていても、平気な顔で私のそばにいてくれる。

 私がゼルと意思疎通できているのもこの力のおかげなので、この力を手放す気になんてなれない。ゼルと出会って生まれて初めてこの力に感謝したくらいなのだ。

 でもゼル以外の動物の心を読めたことなどない。そんなことをしていたら、動物が食べられなくなりそうなので、別にかまわないのだけれど。

 きっと、ゼルが私にとって特別だったのかもしれない。それとも私がゼルにとって特別なのかもしれない。そうだったらいいな…私が誰かの特別になれるなんて、そんな奇跡が起こるのかしら…?


 そんなことを考えながら、散歩の到着地点のひらけた場所に出た。

 まだ空は薄紫で、段々白くなってきたころだった。

 花畑もなく広い草原で、ゼルはうきうきとはしゃいで駆けまわった。かなり広い草原なのだが、ゼルはあっというまに端まで行ってしまう。

 私はそんなゼルを見つめながら、柔らかい草の地面に腰をおろして持ってきた朝食を食べる。

 ゼルは見えたり見えなくなったり、近くに来たり遠くに行ったりを繰返しながら美しい走りを見せてくれる。

 ゼルは普段は私に対してほとんど吠えたりしない。私が大きな物音にびっくりするのをわかってくれているのだ。ゼルはとても愛情深くて優しい狼だった。だがこの朝のひと時だけは、野生的でしなやかな強さを存分に発揮している。

 美しいなと思った。

 艶やかな黒い毛並みもお腹の柔らかい白い毛も、がっしりと大地を蹴る脚も、凛々しい顔だちも、けれど瞳だけはその鋭さに反してとても優しい光を湛えていることも、全てが美しいと思う。

 こんなことを考えてるってゼルに言ったら、ゼルはどんな反応をするだろうか。

 きっとゼルは照れてそっぽを向いてしまうかもね。でも尻尾と耳がしっかりと喜びを表現してくれるのかもしれない。


 私がそんな風に考えながら朝食を終え、立ちあがって朝食と一緒にもってきた木の玉に布を巻きつけて縛り付けただけの簡単なボールを取り出すと、どこからか察知したらしいゼルが戻ってきた。


「ゼル。私の食後の運動に付き合って」


 私がお願いすると、ゼルは千切れんばかりに尻尾を振って答えてくれる。


『しょうがないなー!さぁやろう!早く投げろ!』


 私がゼルの声に押されて大きく振りかぶってボールを遠くに投げる。ゼルはすばやくそのボールをとりに走るのだ。

 私はその間にゼルと反対方向に向かって走り出す。ボールを咥えたゼルがダッシュで私を掴まえに来るので、私は必死に逃げるのだ。

 この遊びはたいていゼルが勝つ。当たり前だが、私の足ではどんなに速く走ってもゼルから逃げることなど出来ないのだ。だが私はこの遊びを気に入っている。

 ゼルがこの時だけは私に遠慮せずに甘えてくれるからだ。ゼルはこの遊びがものすごく好きらしく、普段は私に気遣って出さない本気を軽く出して目いっぱい楽しんでいるのだ。私はゼルのその姿を見れるならば、何度負けても構わない。たまに勢い余ったゼルに背中からタックルされて、地面に無様に転ぶことがあっても構わないのだ。

 ゼルはすごく申し訳なさそうに謝ってくるけど、どうせ傷や痛いのはすぐ治るから平気なのだ。それよりもゼルが私の共として楽しいのではなく、狼として心から楽しいこの瞬間を私は大事にしたい。だからこれは欠かせない大切な日課のひとつだ。

 私が息を切らすまで走り回った後、また二人で小屋まで戻っていく。

 本当は力を使えば一瞬なのだが、初めはゼルが歩け!というから歩くようになり、今は私が二人で歩くこの時間を大切だと思っているので、力は使わないようにしている。

 二人で無言でただ歩いているだけなのに、こんなにも心が穏やかなのはなんでなのだろう。決して一人で気付く事の出来なかったことだ。誰かと一緒に、心地よい疲労を分かち合うことの素晴らしさを教えてくれたのもゼルだった。


 小屋に戻ると、ゼルは再び縄張りの巡回に出かける。たまに狩りもしてお土産をくれたりするので、その時に大型の動物を掴まえて食べているのかもしれない。

 私は畑の世話と洗濯物、掃除や薪割り等をする。たまに早く帰ってきたゼルが手伝ってくれたりする。

 ゼルの帰りを待ちながら食事を作ることも苦ではない。ゼルは手間だからやめればいいのにというけれど、そんなことは決してない。

 あの長い長い一人ぼっちに戻るくらいならば、このくらいは喜びでありこそすれ、たいした苦ではないのだから。

 誰かのために料理を作ることの喜びも、小屋を心地よくして帰りを待つことも、すべてゼルが教えてくれたことだ。

 ゼルは私の方が物知りだと言うけれど、私はゼルの方が大切なことをいっぱい知っていると思うんだ。たとえばおかえりとただいま、おはようとおやすみ。すべてゼルが教えてくれたことだ。

 そして、ゼルは私をどこかに連れて行ってくれるらしい。天気の良い夕方がよいと言っていたのでたぶん今日だろう。

 夕食は早めに作っておいた。今から出かけるのなら、戻るのが夜になるかもしれないからだ。

 そんなことを考えながら、ゼルの寝床にする布を織り上げていると、ゼルが嬉々として帰ってきた。


『ただいまシュビ。準備できてるかー?すぐ出たいんだけど。』

「おかえりゼル。すぐに出ていけるよ。行こうか」


 私は作業を中断して、扉のそばでそわそわしてるゼルに駆け寄った。


 ゼルが連れて来てくれたのは、湖のそばに花畑がある少しひらけた場所だった。私も一人で来たことがある場所だ。


「ここがゼルが私を連れてきたかったところ?」

『あぁ、もうすぐだ。もうちょっとでちょうどいい具合になると思う。』


 まだ時間がかかるかもとゼルが言うので、花畑の花を摘んで腕環にしてゼルの頭に乗せたりしていた。

 ゼルは花の匂いを堪能している。ゼルはいいにおいの花が好きらしい。匂いのきつい花ではなく、ほんのりとかすかに香るぐらいがいいらしい。それでも鼻のよいゼルには十分に香るようだし。


「この花を摘んで帰って、花の匂いを移すことのできる様な何かを作れないかしら?」

『花の匂いを移してどうするんだ?』

「ゼルは花の匂いが好きでしょう?だから私が花の匂いをつければ喜んでくれるかしらと思って」


 ゼルは私の言葉に、即座に否定の言葉を返した。


『シュビが花の匂いを纏うのはだめだ』


 ゼルのいつになく強気な言葉に、私は不安になった。


「ど、どうして……?」

『シュビにはシュビの匂いがある。俺はシュビを匂いでたどったりすることがあるから、花の匂いをさせているとシュビの匂いがわからなくなる。

 俺は花の匂いが一番好きだが、シュビの匂いも好きだぞ。シュビは森の匂いと、ヒトの匂いと、料理や畑の土の混じった、不思議な匂いで出来てるんだ。あと、俺の匂いも少し混じってる。それがシュビの匂いだ。シュビを形作る匂いだ。だから余計な匂いなんて足さなくてもいいんだ』


 そっか。ゼルにとって私の匂いは私の目印なんだ。ならば余計なことなどしなくてもいいかな。ゼルが望んでくれるなら、ゼルの元いた森の花を毎日摘んでくるぐらいは平気でやろうと思っていたのだが、ゼルにとっては不要なことだったらしい。

 花の匂いには負けてしまったけれど、私の匂いがゼルの中で特別な匂いなのだと言うことが嬉しかった。

 そんなことを話しながら待っていると、湖の向こうに夕日が沈んでいくようだった。


『あっ、シュビもうすぐだ!もうすぐだぞ!』


 ゼルがそう言いながら、湖の方を見つめているので、私も真似をしてそちらの方を向いてみる。

 青い湖と白い花畑に夕陽が差し込んで、辺り一帯が赤色に染まっている。


 特別素晴らしいことなどなかった。

 けれど湖の水面をキラキラと反射する光は金色で、水面も、草木も、花も全てが湖の向こうに見える夕日の色に染まって、赤と金色に輝く景色は綺麗だった。


『水面とさ、あの夕日の光って、よく見たら赤じゃなくて黄色みたいな光もしてるだろう?もしかしてこれが金色かもしれないって思ってな。

 シュビに見せたかったんだ。赤色と金色で綺麗じゃないか!』


 楽しそうに言う、そのゼルの心こそが黄金のようだと思った。


「そうね。きっとあれが金色ね。眩しくてとても綺麗……」


 茫然とつぶやいた私を見上げてゼルは言った。


『お前と一緒に住んでた人の色がある場所だ。どうだいいだろう?ここにくればいつでも見られる景色なんだぞ!これをお前に見せてやりたくってな』


 そういうゼルの毛並みも赤く染まっていることに気がついた。


「ゼルの毛並みも赤くなっているね」


 私の言葉にゼルは自分の前足をひょこっとみたあと、楽しそうに笑った。


『おお、ほんとだなー!シュビとお揃いだ!』


 その言葉に、涙が出るほど嬉しかった。

 突然無言で泣きだした私に、ゼルが慌てておろおろした。


『ど、どうした?なんか嫌だったのか?』


 違うの、違うんだ……。なんでだろうね。とても嬉しかったの。ゼルの当たり前にくれる優しさが嬉しくて嬉しくて、たまらなかったの。

 ゼルはおろおろとした後、私の頬をぺろぺろと舐める。

 涙や鼻を舐めてくれる。私が泣きやむまでずっと。労わってくれるようなその優しい仕草が大好きだ。

 ふと、私は至近距離で私を慰めてくれているゼルの瞳が金色なことに初めて気がついた。


「今気がついたわ……。ゼルの瞳って金色なんだわ。黄金ってわけじゃないけれど、薄い金色をしているの。どうして気付かなかったのかしら……」


 私がぼんやりと言うと、ゼルはそうなのか?と言った。


『なら、夕陽は俺とシュビの色でもあるんだな。金と赤で綺麗じゃないか』


 夕陽の色は私とゼルの色。

 とてもくすぐったくて、心地よい言葉だった。忌避されてきた赤色を、こんなに美しいと教えてくれたのはゼルなんだ。

 私はゼルほど美しい心の持ち主を知らないよ。

 私はそっと呟いた。


「ゼーノン・カルヴァス・ベイ・ヒューロ・トゥレール……意味は『我が人生の最上の幸福』なんだよ。ゼル」


 ゼルはやっぱり覚えられないからゼルでいいって言いそうだけれど。私にとってはそれほどの幸福なのよ。

 私が静かに言うと、ゼルはうーんと唸ってからぽそりと言った。


『そんな意味があったのか……。まぁ俺と出会ったことが最上の幸福なんてまだ早いぜ?これから二人でもっと色んな楽しいことを見つけるんだ。

 そうすればもっと幸せなことだってあるかもしれない。最上の幸せはそれまでとっとけよ。俺はいつだって隣にいてやるからただのゼルでもいいんだ』


 そっか。

 私の幸せは、名前で縛らなくたってそばにいてくれるらしい。

 幸せだなぁと思う。ゼルが私に与えてくれた名前と同じくらい大切な幸福だ。


 私とゼルは夕日に照らされたその場所で、日が沈むまで静かに寄り添いあっていた。



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