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狼のつがい  作者: 七草
11/13

言葉にならない言葉

遅くなりました。

次回の投稿は水曜日になります。

 狼がリンゴをくれるようになってから、私は段々と狼との距離を詰めていくようになった。

 狼は、決して自分からは私に近づいてこなくなった。自分が動くと、私が緊張すると察したのだろう。かわりに私から狼に毎日少しずつ近づいて行くようになった。

 狼は昨日より今日、今日より明日、少しずつ距離が近づいていることが嬉しいらしい。いつも尻尾を振り、目には柔らかい優しさを湛えているように感じた。

 狼からは毎日リンゴや、たまに野兎を贈られるようになった。リンゴはその場で食べると嬉しそうにぱたぱたと尻尾を振る。

 段々と距離が近づいて、ついに手を伸ばせば狼に触れられる距離まで来た。

 私は勇気を出して、そろそろと狼に手を伸ばしてみた。狼は怖がらせないようにだろうか、私に体の側面を向けて、私が触りやすいようにじっと伏せている。

 そろそろと伸ばした手が背中に触れた。ほんの一瞬触れてびっくりして手を引っ込めて、またもう一度そろそろと手を伸ばして今度はしっかりと毛並みを撫でる。

 私がおそるおそる背中を撫でるのを、狼は目を瞑って受け入れている。

 狼が特に反応しないので、段々おそるおそると撫でていた手から緊張が消え、柔らかな毛並みを堪能するように背中全体を撫でた。とても懐かしいような気がして、なんだか泣きそうになった。

 よくわからない感情だ。けれどこの行為が、なんだかとても大切なような気がしたのだ。

 背中を撫でて、そのままおそるおそる頭の方にも手を伸ばしてみた。狼が目を開けた瞬間びくりと手をとめて引っ込めようとしたけれど、狼がまた静かに目を瞑ったことが、まるで「続けろ」と言われているように感じたので、そのまま頭を撫でてみる。

 目を瞑り、耳をぺたりと寝かせて私の手を受け入れている狼の顔は、村で飼っている犬よりも精悍で高い知性をうかがわせるのに、穏やかな表情とぺたりと寝かせた耳が、私に対する親愛を示しているようで、こんなに怖い野生動物の顔をしているのにどこか可愛らしいと思った。


「狼さん、あなたは一体どこから来たのかしら?私、なんだかあなたを見ていると、とても懐かしい気分になるの……」


 独白のように呟けば、伏せていた狼が頭だけを持ちあげて、じっと私を見上げた。

 その薄い金色の瞳が、何かを伝えようとしているようにじっと私の顔を写し込んでいる。薄金の瞳に映る私は真っ白な髪で、困惑した表情を浮かべていた。


「……ごめんなさい。私あなたの言いたいことが分からないわ。私にあなたの声を聞く力でもあればよかったのにね……」


 私が笑ってそういうと、狼は撫でることをやめて膝の上においていた私の手に頭を優しくすりつけて、そして手の甲をぺろぺろと舐めた。

 まるで傷を舐めるようなその仕草に、不思議と胸の奥が痛んだような気がした。


「狼さん……?私は怪我なんてしていないわよ?」


 けれど、狼は私の手の甲をぺろぺろと労わる様に舐め続けた。

 どこも怪我なんてしていないけれど、なんとなく癒されるような心地がして、狼の気が済むまで見えない傷を優しく舐めてもらった。



「朱美は最近薬草詰みに行っては野兎を持って帰ってくるけれど、誰かからもらっとるんかい?」


 薬草詰みから帰って来て、野兎を渡すとお婆さんにそう言われた。


「そうね……野兎を仕留めるのが上手な人が、何も言わずに私にくれるの」

「ほっほ、そりゃあ朱美を好いとるんじゃろね。朱美はべっぴんさんやものねぇ」


 お婆さんは目を細めて楽しそうにしている。

 私はその言葉を柔らかく否定した。


「私なんてそんな……だって髪は艶もない真っ白だし、目だって薄い灰色なんですよね?もっと綺麗な黒髪の若い娘はこの村に他にいるわ」


 お婆さんはそう言った私の髪を柔らかく撫でて、穏やかな声で言った。


「髪や目の色なんて、私らくらいになればみんな白くなるさね。朱美は人より少しそれが早いだけじゃろねぇ。気にすることはないさね。私らから見れば、朱美は自慢の家族じゃからね」


 そう言って優しく笑うお婆さんの手は、ごつごつと節くれだって乾いた手だったけれど、私はこの手に優しく撫でてもらうのがとても好きだった。

 あの狼も撫でてもらうのが好きなようだったけれど、私の手を好きだと思ってくれているのかしら。そうだといいなと思った。



 ある日の薬草詰みをしたその帰りに、村の若者が背後から声をかけてきた。


「おう、朱美。今帰りか?」

佐彦さひこ?……はい。今から帰るところなの。佐彦も今帰りですか?」


 後ろから私に追い付いた佐彦は、にこやかな笑顔が印象的な、日によく焼けた背の高い若者で、竹を割ったような性格の村の若い者のまとめ役を務めるような人だ。私に歩調を合わせて一緒に歩く。


「朱美はしばらく見ない間に、また言葉が達者になったな。けどまだ相変わらず、時々混ざったような喋り方になるな。」

「本当?でもこれでもかなり成長したと思うのだけれど……。もう聞き取る分にはどんなに早くても大丈夫になったし」


 私がそういうと、佐彦はからりと笑って私を慰める。


「全く言葉が伝わらない状況から、ここまで話せるようになったんだ。朱美はよくやっていると思うぞ。あともう少ししたら、もっとうまくなるだろうな」

「お爺さんとお婆さん、それに佐彦をはじめとした村のみんなが、私に沢山話しかけてくれたおかげね。ありがとう」

「気にすんな。たいしたことはしてないしな」


 私の感謝の言葉に、少し照れたように鼻の下をかきながら、佐彦は笑って言った。

 お爺さんお婆さんの次に、私に根気強く話しかけてくれたのは佐彦だった。村の若者のまとめ役の彼が私を受け入れて、話しかけてくれていたからこそ、他の村の若者達も私を気にかけてくれたのだと思っている。

 私がお世話になっているお爺さん達の家と佐彦の家は少し離れているので、佐彦はどうやら仕事の合間に無理をして私のところへ通ってくれていたらしく、私が言葉を話せるようになりだしてからは少しずつ会う機会が減っていたのだが、今でも会えば会話をするし、彼に何かあれば出来る限り力になりたいと思うくらいには恩義を感じている。

 二人で夕暮れの中を他愛のない話をしながら歩く。

 佐彦は狩りの話や村の男衆の話を面白おかしくしてくれて、私はそれに相槌を打ったり笑ったりしていた。

 村に到着し入口で別れるときに、佐彦が山で獲ったらしい鳥をくれた。

 それは佐彦の狩りの仕事のものだからもらえないと断ると、「これは自分用にとった分だから、朱美にあげても構わない。じいさんばあさんに食べさせてやれ」と言ってくれたので、心からお礼を言って受け取った。

 家に持って帰って佐彦からだと渡すと、お婆さん達は「朱美に土産をくれる男は佐彦だったのか」と言われた。


「違うわ。佐彦は今日だけです。いつもくれるのは佐彦じゃないの。それに佐彦はお婆さん達に食べさせてやれと言っていたわ」


 私が言うと、お婆さん達はころころと笑って言った。


「そんなもんは方便じゃ。朱美が気にしないように言うただけじゃよ。若い男が若い娘に贈り物をするのは何かしら意味があることじゃ」

「朱美は人の心の機微に、少し疎いところがあるからねぇ。もっと言葉以外の言葉に耳を傾けてごらん。表情や仕草、まなざしひとつだって、たくさんの言葉をもってるもんさね」


 言われた言葉に私の中で浮かんだのは、佐彦ではなく、なぜか狼のことだった。


 贈り物には意味がある。

 言葉以外の言葉に耳を傾ける……。


 なぜかとても大切なことの様な気がした。


 あの狼が私にリンゴや野兎をくれる意味を、私は友情の証だと思っていた。

 もしかしたら、他に意味があるのだろうか……。

 語る言葉を持たない狼。

 私は安易に狼の言葉がわかる力が欲しいと願ったけれど、私はその力を願う前にもう一度、狼が語る言葉以外の言葉を見つめなければならないのだと思った。


 明日、狼に会いに行こう。


 彼が私に伝えたい言葉を、みつけてみよう。



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