花畑にて出逢う
俺はとぼとぼと見慣れた森の中を歩いていた。
この森にも、もぅいられないな…。
俺は群れのリーダーになるための争いに負けた。みじめな負け犬だ…。いや、狼なんだけど。
元仲間達に追い回される前にさっさと縄張りからでなくては。だが最後にお気に入りの場所にお別れするくらいは許されるだろう。
お気に入りの花畑に向かう。あそこの花の匂いが好きで、獲物探しの間の休憩場所に選んだりする。
最後だし堪能しようと思っていたら、花畑の方向から血の匂いが漂ってきた。
花の匂いを嗅ごうと思ってきたのに……まぁ、いいや。ちょっと気になるからのぞいてみよう。仲間達の匂いはしないので、別の狐か何かが獲物を食べてるのかもしれない。
すたすたと花畑に到着すると、花畑に倒れている生き物がいた。
うわぁ…ヒトだ。
袋をかぶったような格好の…何と言ったっけ、出てこない。衣でいいか。衣をかぶって倒れたヒトがいた。怪我をしている。血の匂いはこいつのようだ。
呼吸する音が聞こえるのでまだ生きているのだろう。近寄って、うつぶせに倒れているのを鼻面を差し込んでごろんと仰向けた。長い鮮やかな赤い髪が広がった。珍しい色の髪だな。見たことがない。
あ、メスだ。髪が長いし胸が膨らんでいるし、全体的に柔らかそうだ。肩と足に怪我をしていた。結構な血が出ているが大丈夫なんだろうか。
とりあえずじっと様子をうかがう。
「うぅん……。」
仰向けた衝撃で意識を取り戻したらしい。ゆっくりと開かれた瞳が俺の瞳と光を交わした。目も赤いな。
「お、おかみ……?」
そうだけど。
「そ、う…私……ここで、死ぬのね…」
このまま放っておけばそうなるかもな。
「食べるのなら……ひと、思いに…殺してちょうだい……」
え?別に俺が殺したわけじゃないし……どうしよう…食べようかなぁ…。喉笛を数回噛みつけば息の音はすぐに止めてやれるけど。死にたいのか?
そんなことを考えていると、メスは鼻をすすり始めた。
「……いやだぁ…死にだぐないぃ……」
ぐっちゃぐちゃに泣きだした。なんだよ。死にたくないのなら生きればいいじゃないか。
「うぅ…ひっく、ふん…生ぎる…」
……さっきから思ってたんだが、お前もしかして俺の思ってることが分かるのか?
メスはこくりと頷いた。
マジか。
そんなヒトがいるんだな。
「わだじ…魔女……」
なにそれ?ヒトと違うのか?
「知らない……でも見つかると追い回される」
ヒトがヒトを追い回すのか…。縄張り争いか何か……。
「ずっと、ひとり……もうやだ…。ひとりはやだ…誰かと一緒がいい…」
んなこと俺に言われても知らん。誰かと一緒にいればいいんじゃないのか。
そしてさっきから気になっていたんだが、怪我が治ってないか?舐めれば治るとかそんな速度じゃないぞ。血が止まったと思ったら、恐ろしい速度で肉がふさがっている。
なんだこれ。
「この力を…人間は気持ち悪いっていうの……」
気持ち悪いか?便利でずるいとは思うがな。
こうして話している間にも、魔女の体の怪我はみるみると回復していった。魔女はぐちゃぐちゃの顔を衣で拭いて、鼻をかんだ。
元気になったようでなによりだ。出来ればさっさと移動してくれ。俺はここに花を堪能しに来たんだ。お前がいると血の匂いで花の香りが楽しめない。
「ご、ごめん…。あの、こうすればいい?血の匂いを消すからここにいてもいい…?」
魔女がふわりと片手をあげると、淡い光と共に服が綺麗になった。近くで嗅いでも血の匂いがしない。
なんだこれ、すごいな!
不思議で仕方ないので魔女に体を近づけて腰をおろし、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
え?マジで血の匂いがしない。拭いても多少は残るものなのに…。初めからなかったみたいだな。あと花に埋もれていたから花の香りが少しするな。いいにおいだ。
「ふふっ…くすぐったいな。でも…ありがと。私を怖がらない相手は久しぶり」
そう言って魔女は控えめに笑う。こいつが怖い?何を言ってるんだろうか。
俺でも一撃で殺せそうな弱い見た目なのに、怖がる理由がわからない。
「不思議な…力を使えるから」
なるほど、さっきのやつを攻撃にも使えるのか。
魔女はこくんとうなずいた。
まぁ俺に敵対してないみたいだから、俺は気にせんよ。敵対するなら容赦なく攻撃するけどな。
するとメスは、千切れるんじゃないかと思うほどぶんぶんと首を横に振った。
「攻撃しない。しないけど…そう言っても誰も聞いてくれなかったの」
ふぅん、あっそ。
「この髪と目の色が悪いんだって。穢れた魔女の色だって」
魔女って赤いのか?
「わからない。私は他の魔女に会ったことなんかないし、自分と同じ赤い色の髪や目をみたことがないから。」
ほーん。ヒトって馬鹿なのか?たかだかちょっと色が違うだけだろ?なんで赤は駄目なんだ?
「血の色だから…みたい」
赤い色はみんな血の色の見えるんだろうか。ヒトは不思議な目をしているな。リンゴだって赤いのに。
「あと私は赤い髪と目で、そして不思議な力がつかえたから魔女だって言われた」
不思議な力がつかえるヒトが魔女なら、お前は魔女だな。
で?だからどうした。
「気味の悪い魔女だから、殺されそうになった」
よくわからんな。まぁいいや。生きててよかったな。
俺はそろそろ花を堪能したし、この森を出て行くから。じゃあな。
よっこらせと俺が立ち上がると、魔女も慌てて立ちあがった。
「一緒にいく!私も一緒に連れて行って?」
え……なんで?
「ひとりはもう嫌だから。狼さんと一緒がいい。ね?連れてって」
つーか、当てがないんだよ…。俺はこの森から出ていかなきゃならないからな。
「それなら私の住んでる森にくればいい!ほら、あの山。あそこに住んでるの」
魔女が指さす方向の山を見た。高くて黒くて妙な存在感がある。はっきりいっておどろおどろしい感じの空気を放つ山だな。あそこに俺の食べれる動物いるのか……?
俺がどうしよう困ったなーと首を傾けていると、魔女は必死で山をアピールしてきた。
「あそこの山には人間はめったに立ち寄らないの。だから人間に追い回される心配もないわ!それに熊はいるけど、狼を見たことは私は一度もない。他に狐とウサギと、シカとかヤギみたいな動物をみたことがあるわ。食べ物には困らないんじゃないかしら」
それはいいなぁ…悪くない。行ってみたい。
あれ?そもそもお前なんでここにいるんだ?お前のすみかの山からここまで結構な距離があるんだが。
俺が疑問に思うと、魔女がついと目をそらしながらぼそぼそと言った。
「誰かに会いたかったの。会って会話して、仲良くなりたかった。……だから髪を隠してこっそりこの近くの村にまぎれ込んでみたの」
ははぁん。そんでなにかのはずみで魔女とばれて追い回されたのか。
そりゃ、仕方ないな。お前が悪い。
縄張りによそのやつが入り込んできたら警戒するのは狼も同じだ。
魔女はしゅんとうなだれた。
仕方ないな…。
俺は軽く覚悟を決めた。
よし!お前と一緒にあの山に行こう。
途端に魔女がきらきらと顔を輝かせた。
「ほ、本当!?一緒にきてくれるの?嬉しい、嬉しいっ!!」
また泣きそうになっている。
めんどくさいから早く行こう。距離があるから早く出発しないとな。日が暮れる前に到着したい。
「あ、待って。私の力で家にすぐに帰れるから」
すげぇ!便利だな。魔女すげぇな。
魔女は俺の素直な称賛にくすぐったそうに笑った。
「じゃあ…えっと、今から行くけど、狼さんの体に触ってもいい?どこかが触れていないと一緒に連れていけないの」
おお、そうか。じゃあこれでいいか。
俺は魔女の衣の裾を、ぱくりと咥えた。
魔女は微妙に落胆しながらも「あぁ、うん。大丈夫…」と言っていた。
撫でてみたかったのかも知れん。
魔女がふわりと両手を上げると、くわんと周りの景色が歪んだ気がした。
え?気持ち悪い!視界と頭がぐるぐるして、耳と鼻が効かなくなったような感覚がすごく気持ち悪い。脚もふわふわと浮いているようで覚束ない!
俺が必死で耐えていると、すぐに地面に脚をつけている感触が戻って来て、耳と鼻が機能したのに安堵した。だがすぐに周りの索敵を始めた。
どうやら本当にあの黒い山にきたようで、周りの木々は近くで見ても黒い緑色だった。
俺は少しひらけた場所にいるようで、近くに小屋と畑と水場があった。ここが魔女の住処なのだろう。
「ようこそ。私の家へ旦那さま」
魔女は照れながら俺を歓迎した。
……ん?その旦那さまってなんだ?
魔女はきょとんと小首をかしげて答えた。
「一緒に暮らしてくれるから旦那さまかなって……。ほら、私が奥さんで」
なぜそうなる。
俺は呆れて肩の力が抜けてしまった。
魔女、俺は狼だ。お前は魔女だが…まぁヒトだ。
「うん……」
魔女は神妙な顔で俺の話を聞いている。
あのな…狼とヒトはつがいになれない。
俺の冷静な言葉に、がーん!と言わんばかりの表情でショックを受けた魔女が、それでも食い下がってくる。
「で、でも…オスとメスだよ…?性別的には何も問題ないわ!意思の疎通だって可能だし、わ、私はこう見えて結構美しい外見だと思うの。
料理だって掃除だって、食べ物を育てるところから出来るわ!なかなか悪くない奥さんになれると思うの…」
お前がヒトとして美人かどうかなんて俺がわかるわけないだろう。狼的に美しいならともかく。
そしてな。
俺がつがいに求めるのは相性と優秀な個体であること、あと一番大事なのが優秀な子供を産めるかどうかだ。
「わ、私は…優秀な個体だと思うし、狼さんともうまくやっていけると思うわ…」
子供は産めるのか?
「さ、さすがに無理だと思う……」
じゃあつがいは無理だな。諦めろ。
「えぇー…」
魔女は不満げだ。
だが、こればかりは譲らない。つがいとは狼にとって一生のパートナーなんだ。そんなほいほいと決めるものじゃない。
だいたいなんでつがいになりたがるのかわからんが、とりあえず一人じゃなくなったんだからいいじゃないか。
俺の考えに、魔女はハッとしてからしゅんと反省した。
「ごめんなさい。嬉しくて高望してしまった。……そうよね。これからは狼さんが一緒にいてくれるのだものね」
ふふっと照れくさそうに笑った魔女は、俺に手を差し伸べた。
「これからよろしくお願いします。仲良くしてね、狼さん」
俺はその手に前足をひょこっと乗せて答えてやった。
あぁ、よろしくな、魔女。
こうして俺と魔女の奇妙な二人暮らしが始まった。