闇より響く悪夢
闇の中に意識が浮かぶ。姿の見えない圧迫感が目の前に存在していた。前にも体験したことのある感覚に、相手を睨み付ける。
「全く無実の者が罰せられ処刑されるとは、世も末だな」
「あんたがおれに命じてそうさせたんだろうが」
声に向かってつばを吐き出す勢いで言い放つ。そのままぐっと身を乗り出した。
「なんで見に行かせた」
くってかかるかのような剣幕で迫っても、相手は動じない。こちらを見つめているのか、静かな視線を感じる。
「無実と知らず処刑し、それを見物させる奴らを見て、どう思った?」
「どうって……」
昼間の光景を思い出し、寸の間言いよどむ。声は嬉しそうに嗤った。
「愚かな連中だと、思っただろう?」
その言葉にどくんと心臓が跳ねる。心の内をわしづかみにされたのではないかと錯覚した。闇の向こうで嗤う声が腹立たしい。
「神も天使も、彼らを慕う人間も、大したことはない。我が命を受けたお前に騙され攪乱される、その程度の存在でしかないのだ」
ねっとりとした声が耳元で囁き、闇が寄り添ってくる。振り払おうともがいても、また迫ってくる。
「お前は奴らとは違う。そして、それは正しい」
思いの外優しげな声に、ぞくりと体が震えた。甘美な囁きがするすると頭の中に入っていく。振り払いたい気持ちと肯定したい気持ちとが交錯し、頭の中がぐらぐらする。
「憎んでいい。さげすんでいい。お前は奴らとは違う存在」
「やめろ」
「我とともに奴らに制裁を下し、陥れようではないか!」
「やめろ!」
声を張り上げて暴れた。何がおかしいのか、相手はくつくつと笑うだけ。
「良い働きを期待しているぞ」
それだけ言い残して、目の前の存在は消えた。はっとして目を開けると、見慣れた天井がそこにあった。うなされていたのか息は荒く、じっとりと全身が汗ばんでいる。
ゆっくりと上体を起こし、薄暗い自分の部屋を見回す。月は出ておらず、わずかな街灯が窓から差し込んでいた。目が慣れてくるにつれて、状況も理解できた。片手で顔を覆い、深々とため息を吐く。
「夢――か」
呼吸を整えながら、悪い夢を見ていたのだと自分に言い聞かせる。あの日から、いつもこんな風な夢を見る。いや、見せられているのだろう。闇の中に放り出され、じわじわと胸の内を侵食されるような、嫌な夢。それでも、夢と思えばまだ我慢できた。いっそのこと、ここ最近の出来事はみな悪い夢出会って欲しいとも思う。けれどそれは全て、夢よりも残酷な現実だ。やり直すことも、書き換えることもできない。失われたが最後、もう元に戻ることは――
控えめなノックの音が聞こえ、ファーロは顔を上げた。こんな時間に何の用だと顔をしかめる。
「誰だ」
「やはり起きておったか」
名乗らなかったが、そのしわがれた声で相手が誰なのかわかった。ドアを開けて入ってくるその人物は、予想通りの顔。赤を基調とした裾の長い服を着て、手には炎の宿るランプを持っている。ひげを蓄えた老人で、この教会の神父だった。神父は心配そうな顔をしてファーロに近づく。
「最近よくうなされているようだが、悪い夢でも見ておるのか? 辛かったら相談に乗ろう」
「放っておいてくれ」
ファーロは布団に潜り込み、神父に背を向けた。神父は驚いたが、ランプを机に置いてそっとファーロの肩に触れる。
「そう頑なになるでない。話せば楽になることもある」
「うるさいな、あんたには関係ないだろ」
ファーロは神父の好意を拒否し続けた。もう話すことはないとばかりに口を閉ざしてしまう。神父はしばらく粘っていたが、やがて酷く落ち込んだ顔で部屋を出て行った。
わかってたまるかと、ファーロは奥歯を噛む。正直に話せば、説教されるのは目に見えていた。神の偉大さがわからないのは異常なことだと、必死に説き伏せるだろう。ためにならない話を、必ず通じるとばかりに語られるのが嫌だった。だから、あの夢の内容は他人に話せない。命じられているのもあるが、余計なことは話したくなかった。