2
人のいない真っ暗な中を、そっとうかがう。足音を潜め、息を殺して進んでいく。綺麗に磨かれた廊下を歩き、頑丈な扉の前にたどり着いた。分厚い鋼鉄でできており、重そうな雰囲気がある。取っ手はなく、傍の壁に操作用のパネルがついている。だがパネルは鍵がかかっており、容易には触れることはできない。それを一瞥し、扉の真ん中まで歩く。真ん中に入った切れ目を、手袋越しにそっとなぞった。すると、扉は真ん中が割れ、横に引っ張られて開き始めた。ゆっくりと裂け目が広がっていく。やがて人が一人通れるほどの幅になって止まった。扉の中へそっと足を踏み入れる。
そこには様々な物が整然と並べられていた。きちんと掃除されているため埃っぽさもない。ぐるりと見回してから、ひとつひとつ物色する。穀物や木の実などの収穫物、薬や機械などの技術品、壺や絵画などの芸術品などまである。暗いためはっきりしないが、どれもこれも一等品だろう。その中で丸く艶やかな品を見つけ、そっと手に取る。片方の手のひらでつかめるよりやや大きく、芳醇な香りを漂わせている。それを二、三個ほど、持ってきたかごに優しく入れた。
もう用はない。素速く踵を返し、部屋を出る。扉は開け放ったままになっていた。最後に操作パネルの外につけられた鍵をたたき壊し、闇の中へと消えた。
ほどよい木陰の中にあるベンチに二人は座る。それぞれ弁当を広げ、おかずを頬張っていた。と、思い出したようにファーロはカバンを漁り出す。ストリグの見ている傍で、丸い果物が取り出された。青い果皮はハリがあり、甘い香りは食欲をそそる。
「食べるか?」
ファーロはその果物を差し出した。驚きつつも、ストリグは受け取る。だが食べることはせず、注意深く丸い果実を眺めていた。
「こんなに綺麗なマシマト、いったいどこで……?」
戸惑いながらそう尋ねる。その声色に疑念の色はなく、ただ純粋に驚いているだけのようだ。ファーロは一口かじってから答えた。
「通販だ」
「へえ……! 使ってみたことなかったから全然知らなかったなあ」
ストリグは目を丸くしてファーロを見た。やがて視線を果物、マシマトに移す。じっくりと観察してから、一口食べた。皮が切れ、果汁が飛ぶ音が聞こえてくる。口に含むごとに甘い果汁があふれ出す極上の逸品。二人はすぐに食べ終えてしまった。
食後のお茶を含んでいたところで、草を踏みしめる足音が近づいた。数人の女子が二人の前に立つ。彼女らの先頭にいたのは、黒髪を結った女子生徒、アディだ。
「ファーロさん、あなた、重い罪を犯したばかりだというのに何食わぬ顔で登校してくるなんて、ずいぶんと大胆じゃない」
勝ち誇ったように彼女は笑う。ストリグは困惑して目を見開いた。
「罪? アディさん、それはどういうことです?」
「そこの教会で、ロカメア様へのお供え物が盗まれたんです」
ストリグの問いに、アディの傍にいた女子の一人が答える。ストリグは驚きのあまり言葉を失った。対して、ファーロは不機嫌そうに眉間にしわを寄せただけである。アディは腕を組んで胸を張った。
「犯人のめどは立ってないって話だけど――――そんなことしでかすのは一人しかいないでしょう? ねえ、ロカメア様への感謝を忘れた、ファーロさん?」
確信があるとばかりに、語尾を上げて言う。形のいい眉が挑戦的につり上がっている。ファーロはギロリとアディを見据えた。
「証拠は?」
「無いわ。でも、お供え物を盗むなんて非常識で罰当たりなこと、あなたくらいしかしないでしょう? だいたい、事件の内容を聞いた今だって変に落ち着いてるじゃない。普通なら、隣にいるストリグ君みたいな反応をするはずよ」
言い逃れはできないのだとばかりにアディは言葉を連ねる。だが、ファーロは憮然とした態度をとるだけだった。
「くだらん」
興味は無いと吐き捨てる。素っ気ない返事に、アディの顔はみるみる赤くなっていった。
「なんですって!?」
「くだらないと言ったんだ。確かにおれはロカメアも嫌いだが、だからといってわざわざ信者達全員を敵に回そうとは思わん。関わらない方がずっと楽だ」
「“様”をつけなさい!」
激昂したアディがファーロの胸倉を掴む。今にも殴りかからんばかりの剣幕で睨み付けた。
「ロカメア様は偉大な神様なのよ!? なのに呼び捨てにして――」
「おれにとっては偉大な存在でもなければ、崇めるべき存在でもない。神なんて気まぐれで理不尽な輩を信じ続けて、おれに何がある?」
「ロカメア様を信じ続ければ、いずれ救われるわ」
「本気でそう思っているとしたら、おめでたい奴だな」
あざけるようなファーロの言葉。そこに自嘲の響きが込められていたことに気付いたかどうか、アディは彼女を突き飛ばした。盛大な音を立てて、ベンチにぶつかる。アディは踵を返すと、苛立った足どりで立ち去った。後にはファーロとストリグの二人だけが取り残される。
「ファーロ、ロカメア様のお供え物を盗んだって――?」
おどおどとストリグが尋ねた。ファーロはゆっくりと立ち上がってその目を見返す。
「なんだ、お前もおれがやったって疑うのか?」
尋ね返され、ストリグは慌てて首を横に振った。
「まさか! 違うって信じてるさ」
「……そういうことだ」
それだけ言って、ファーロは服の砂を払った。