特別な季節の一光景 2
手ごたえのない相手、という言葉がある。
あまりに弱く、相手にならないという程度の意味合いだ。
俺は今、感じていた。今、相手取っている存在は、手ごたえが感じられないと。
だが今、俺がそう思った理由は、その「相手にもならない」というものとは少し意味合いが異なった。
「くそっ……本当に効いているのかっ」
まるで素振りでもしているかのような手ごたえに、つい愚痴が出る。実際、切りつけている相手は見えているし、そこに刃が通ってはいるが、一向に何かを切りつけた感覚が手に伝わってこないのだった。
「それはわたくしの魔法に対する侮辱ですの?」
そんな俺の愚痴に、間髪入れずに突っ込みが飛んできた。混じりっけの無い純粋な金属で精製した鈴が鳴り響くがごとき、聞く者の心を慰撫しうる玲瓏な声は、聞き間違えようはずもない。レンジャー隊紅一点、メアリである。
「わたくしの魔法が掛かった剣なら! 相手がゴーストと言えど、刃は通じるようになってますわ。グダグダと口を動かす前に、手と剣を動かしなさいな」
はいはい、分かりましたよお嬢様。
そんな風に言えば何倍にもなって返ってくることは分かり切っているのに、戦闘の苛つきからついそう言おうとした俺を救ってくれたのは、アンソニーだった。
「よく言いますですよ。だったらご自分はどうなのですか」
「あーら、わたくしは魔術師、口を動かすのが仕事ですわ。貴方たちとは違いましてよ」
「……はぁそーですか。はいはい、私が悪うございました」
「その軽い頭でも理解できましたのなら、さっさとその死に損ないを片付けなさいな」
「……ほんっと、いい性格してますねぇ」
言いつつアンソニーは、短剣を手に相手の前へと再び出る。アンソニーの得物は短いので、本来ならばこういった狭い場所では本領を発揮する筈であるが、相手が突こうが切ろうが手ごたえのまるでないゴーストときては、本領を発揮するしない以前の問題だった。
しかし、そんな攻防も終わりの時がやってきた。
「どうやらこれで……」
俺とアンソニー、二人と敵の攻防を見守り、隙を探していたエリックが、常日頃の穏やかな彼からは想像もつかぬ、剣呑でしかも楽しそうな表情で戦斧の柄を強く握る。
「戦闘、終了だっ!」
空を切り裂く音が、室内に響く。エリックの戦斧によって巻き起こされた風に吹き消されるかのように、相手はゆっくりとではあるが、霧散していった。
「勝った……か……」
その様子を見て、俺は安堵の溜め息をついた。
今回のこの戦いは任務ではない。言うなれば、私闘である。
そんな戦いで隊員から怪我人でも出していたら、上層部から何を言われるか分かったものではない。減俸処分で済めば御の字、といったところであろう。
本当に、怪我人なく勝ったのはありがたかった。
「とにもかくにも、今日はもう、このゴースト相手だけで大変な重労働。超過勤務もいいところですわ。さらなる詳しい調査は後日のこととして、今日はもう切り上げましょう」
メアリにしては珍しく、撤退の提案を告げてくる。しかしちょっと考えてみれば、対ゴースト戦用にと全員の武器に魔力を込めたことでメアリの体力は限界まで落ち込んでいる筈である。常ならぬ弱音も、仕方のないところだろう。
「門番として突っ立っているだけじゃあ暇だとぼやき、ゴースト相手に忙しきゃ大変だって愚痴るなら、じゃあどうすれば満足するですか?」
しかしそこに、いつものごとくアンソニーが突っ込みを入れる。頼むから火薬の方向を向いて火遊びするような真似は止めてくれ、と俺は言いたくて仕方なかった。
ていか言う。今度言う。近々、アンソニーとはゆっくり話し合うと心に決めた。
「……少なくとも、貴方の余計な一言がなくなることが大前提ですわね。ご自分で口が閉じれないというなら、わたくしが誠心誠意、真心を込めて手伝ってさしあげましてよ?」
「誠心誠意、真心を込めてご辞退申し上げますでーす」
アンソニーとメアリのやり取りを見て、やれやれ案の定と内心で溜め息をついた。
だが、実のところ真剣に憂慮してのことでもない。
外部の者にであればともかく、レンジャー隊員へのメアリの刺々しい態度は、犬猫の甘噛み同様、一種のコミュニケーションのようなものであるということが、最近俺にも分かってきていたからだった。
しかし、それでも「そもそもこれは個人行動なんだから、超過勤務だと怒るのは筋違いだぞ」とメアリに指摘する蛮勇まで振るおうとは思わなかった。したが最後、甘噛みどころか噛み殺されかねない。そのような役はアンソニー一人で十分であろう。少なくとも俺はごめんこうむる。
などと、アンソニーに知られたらあまりの情の厚さに泣かれそうなことを考えていた俺に、エリックが話しかけてきた。
「アーサー。今回は、メアリに賛成だ」
「エリック?」
「こんな状態で緊急呼応が掛かったら、俺らは戦力にならない。レンジャー隊員として、あるまじき失態を犯すことになるぞ」
「それは……その通りだ」
先にも述べたように、今回のこの地下倉庫探索は、レンジャー隊員としての活動ではない。あくまで、酒場の看板娘・マーゴットの頼みを聞き入れ、各自が一個人として動いただけのことだ。
私用で疲れ果てて、結果特殊部隊隊員としての働きが満足にできないとなったら、それはレンジャー隊員としての自覚に欠ける、と指摘されても文句は言えない。
実際に、杓子定規的にそう指摘する者はいなかったとしても、リーダー自らそのような指摘を受けかねないことを、進んで決定して良い筈はなかった。
俺はエリックの発言に感謝しつつ、皆に告げた。
「皆、メアリやエリックの言うとおり、今日のところはこれで引き上げよう。戻って休み、体力の回復に専念してくれ」
俺の言葉に、一同は一様に頷いた。
第二糧食倉庫の地下でそんなことがあってから、数日の時が経過した。
その間、マーゴットの依頼を受けたレンジャー隊員中俺を含めた四人は、ゴーストの出現した地下倉庫をしっかりと調査した。
そして、ひとつの事実が発覚した。
「前酒場の店主、だったとはね」
俺以下、リチャードを除いたレンジャー隊員は、地下倉庫の探索を切り上げ、雪見亭に腰を据えていた。
ここ数日での探索によって、俺たちは隠された扉と、その奥の隠し部屋。そしてそこにあった白骨化した死体と、その傍らに転がる酒場用の台帳と、インクとペンを発見した。
台帳の後ろには、こう書かれていた――
『あの部屋。あの通路の先には何があったのだろう。いや、何があったとしても、餓死よりはマシな未来があったと、今にして思う。飛べば良かった。たとえその底が見えず、飛び切れなければ死が確実なものであったとしても、餓死よりは転落死の方がマシであったと、今にして思う。私のなんと、勇気の足りなかったことか。引くこと、躊躇すること、諦めることで、安全が得られるなどとは幻想だ。心残りだ。同じ死ぬなら、あのクレバスを飛んで、転落して死にたかった。そうすれば、苦しみは一瞬で済んでいたのに。勇気が足りなかったために、私は今、長い苦しみの末に死んで行く……』
と。
その後は、台帳が尽きるまで『無念だ』という単語が、延々と書き綴られていた。
昔スノーフィールドであった地震の際に、たまたまそのとき第二倉庫に入っていた以前の店主が、土砂や何やらで出入り口が埋まってしまったため、閉じ込められてしまったのだ。
地下倉庫での戦闘で、ゴーストはしきりに「飛べば良かった」と呪詛を繰り返していたのだが、その事情が、以上のようなことがあったからなのだと俺たちは知り、いささかやるせない気持ちに襲われた。
俺たちが地下倉庫を探索した際、隠し部屋の中には確かに、崩れたか何かで巨大なクレバスが床を穿ち、結果として行き止まりになっている部屋が存在した。そしてそのクレバスの先には、まだ崩れていない通路が奥の方へと続いていた。
その部屋を見た時、ゴーストが「飛べばよかった」と呻いていたのは、このクレバスのことだと誰もがその場で理解した。
未知への挑戦、しかもその挑戦に死の危険が伴うならば、静かに救援を待つべき――
閉じ込められた人間がそう判断を下したからとて、どうしてそれを愚かと笑うことができるだろう。もし仮に救援活動が間に合っていたならば、クレバスに飛んで転落死していた方が、後悔したに違いないのだ。
つまるところ、今から何を言おうともそれは全て結果論であり、以前の酒場の店主であったゴーストを馬鹿にする資格もつもりも、俺たちにはないのだった。
「ところで、私たちが調べてきた地下倉庫には、結局なにを置いていたですか?」
「フフ、気になる? じゃあ見せてあげるね。これよ」
俺が、先のゴースト戦を思い出しつつそんならちもない考えから我に返ると、そんなアンソニーとマーゴットの会話が聞こえて来た。
そちらに俺がそちらに視線を向けると、マーゴットはこの質問あるを予測して取り分けておいたのであろう、小さな袋から黒みがかった豆をザラザラと音を立てながら机の上に広げた。豆によってできた黒い池を見て、マーゴットはにこやかに告げた。
「これ、コーヒーっていうの。この豆を煎って、煮るとね。色は真っ黒なんだけど、なんとも香しい飲み物ができるのよ」
「これは飲み物でありますか?」
「うん。とっても苦いんだけど、後味はスッキリしてるわ。仕入れ先で聞いたら、お砂糖とミルクを使えば、苦いのが苦手な人でもおいしく飲めるはずだって。でも、それよりも」
アンソニーに向けて、会心の笑みを浮かべるマーゴット。
「このコーヒー、カレーと食べながら飲むと、とってもおいしく感じるの。これは是非とも、アンソニーさんたちに食べてもらわなきゃって、そう思って仕入れたの」
「わざわざ、自腹を切ってかい? 随分と大胆なことをしたもんだな。人気が出ず、売れ残ったら事だろうに」
エリックが、驚きとも呆れとも取れる声でマーゴットと黒豆を見比べた。
一つの食材を袋買いするなど、個人には計り知れない金額の筈である。もしそれが売れ残りでもしたら、マーゴットは膨大な借金を背負うかも知れない。それと承知で、マーゴットはあえて売れるかどうかも分からぬ“新食材”を購入し、客に出すというのだ。考えようによっては、恐るべき胆力と言える。
エリックの感想はごく自然のものだ。が、雪見亭の看板娘はにこやかに微笑むだけだった。
「いつも雪見亭で食事してくれてるお得意様のためだもの。それくらいしたって、バチは当たらないなと思って。それに何よりアンソニーさんたちも大好きだもんね、カレー?」
「ま、マーゴット……」
屈託のない笑顔でそう告げるマーゴットに、アンソニーは感無量、といった様子。
「さ! 皆、おなか空いてるでしょ? 約束よ、私が奢るから、何でも好きなもの、食べてね」
「私は遠慮しますわ。俺やエリックも、特別おなかは空いていないのではなくって? アンソニーだけ、いただいてはいかが。私たちは、そろそろ失礼しますわ」
「え? 空いてないってことは……」
「いや、そこまでしてマーゴーットが買ったコーヒーってのが、どんなものか……」
俺が、次いでエリックが、それぞれにメアリの言葉を否定しようとするが、
「空・い・て・ま・せ・ん・わ・よ・ね!?」
『……はい、空いてません』
俺とエリックは美しい暴君に凄まれ、同時に頭をうつむかせて諦観の籠った溜め息をついた。
……コーヒー、興味あったんだけどな……
「あのゴースト、どうして今頃になって化けて出たのかな」
アンソニー一人を雪見亭に残し、警備隊の詰め所に向かう俺、エリック、メアリの三人。その道中、俺が天を見上げてそのような疑問を口にした。
「今頃、と言いますと?」
「まがりなりにも、酒場の第二倉庫な訳だろ? いくら普段は使ってなかったからと言って、出入りがまったくなかった訳でもないと思う。今の店主が、いやそれよりももっと前の店主の時にだって、掃除や片付けに訪れた時に出現していておかしくなかったと思うんだ」
俺の疑問にメアリは、やれやれ、と目をつむり、首を斜めに傾げてため息をついた。それは、不肖の生徒が簡単な問題を解けないことに呆れた教師のしぐさに似ていたかも知れない。
「あのゴーストの心残りが、自分の勇気が足りなかったことだったとしたら、おおよその検討はつくではありませんか」
「検討が? そいつは俺も聞きたいな。どんな理由なんだ?」
エリックも、興味深そうにメアリに尋ねる。だがメアリは、その答えを言うことはなかった。
「まあ、あのゴーストがいなくなってしまった今となっては、私の推測以上のものでないですけれどね」
つまらなそうにそう言って会話を打ち切ると、メアリは全身を軽くほぐすようにして手を組んで両腕を上に伸ばした。
「さ、過ぎたことはもういいですわ。さっさと戻って、さっさと退屈な仕事を終わらせて、さっさと帰りますわよ」
「おいメアリ、それはないだろう」
メアリにはこういった意地悪なところがある。俺は悲鳴にも似た声で呼びかけた。
「教えてくれたって、バチは当たらんのじゃないか」
エリックも俺を援護するように助け舟をだしてくれたが、
「宿題ですわ。お二人とも、ご自分でお考えあそばせ」
と、当のメアリお嬢様は大変つれない返事でさっさと歩き出す。本気で意地悪な女だ……
「……マーゴットの、自身の破産も顧みずにコーヒー豆を買った蛮勇に、クレバスを飛ぶことすら出来なかった臆病な霊が嫉妬した。……まあ、そんなところだろう」
と、突然、第四の声が俺たちの間に入ってきた。
鈍い光沢の金色をした髪の男が、紫水晶を思わせる綺麗ながらも無機質な印象を抱かせる瞳で俺たちの方をつまらなそうに見つめてきていた。
「リチャード!」
俺やエリックの分もついでに代弁するかのような驚きようで、メアリが声の主の名前を叫ぶ。
「どこに行ってましたの? 人がせっかく、スノーフィールドの平穏のため、住民の安寧のため時間外労働をしてきたと申しますのに。まったく薄情もここに極まれり、ですわね」
「貴様らが酒場の地下でのうのうと遊んでいられた時間を作ってやった恩人に対して、また随分とご挨拶だな」
「……え?」
リチャードの声に、メアリはきょとんとした。俺やエリックも同様である。
「貴様らがここ何日間か、ゆっくりと酒場の第二倉庫を捜索している間。スノーレンジャー本来の仕事が一つとして入ってこなかったと思うのか」
「……あ」
………………来てたのか。マズイなそれは。
「俺一人で山賊を壊滅させるのは、流石に骨が折れたがな。……メアリやエリックは構わんが、アーサー、貴様は曲がりなりにも俺たちのリーダーだ。報告書はまとめておいたから、せめて目くらいは通しておけよ」
そう告げて、さっさと歩き出すリチャード。
俺たちは、罰の悪そうな顔を見合わせつつ、取り残されぬよう早足でリチャードの後を追うのだった。
「特別な季節の一光景」・了