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うつ伏せに二人。
高いところから茂みに隠れ、戦闘を見守っている。
涼一は先ほどから気が気でない。あたりの警戒はもちろん、まさかフラウス率いる正規軍が負けやしないか、クラスメートはどうなっているかなど、なにから心配すればいいのかというありさまである。
「まだか……まだか」
小声で呟いていることに自分でも気づいていなかった。その隣でレンジェは、冷静に経過を眺めているようだった。彼らの潜んでいる坂の下に、木造の粗末な建物がある。おそらく根城の一部分で、ほかは山を掘って作られているようだ。
「あと少しですわ。我慢してください。ヘタうつと出てきた連中とかちあう」
わかっている。見えない入り口からは、断続的に賊が出てきているのがわかった。数人規模ですでに三回、森の中を器用に走っていった。
「用意のできたヤツから参加しているようですわ。能なしっちゃこのことだ……さあ、そろそろだ。心の準備はできてますかい」
「いくのか?」
「さっきの連中が出てからしばらくたっている。二十数えましょう。その間に気をしっかり持つんですな。手が震えているの、気づいてますか」
言われて、反射的に右手を押さえた。気づいてしまえば、震えているのは手だけではない。足も肩も、立ち上がるのが困難なほど。
「それじゃダメですわ。深呼吸深呼吸。さっきも言いましたが、あっしは戦闘向きじゃない。なかで敵に会えば余裕はありません。自分のことは自分でどうにか、やってください」
「わかってる」
深呼吸。どうにかみっともない震えは収まる。息を忘れていたため酸欠になっていたのだった。あまりにも……あまりにも情けない。
「立って。行きます」
こわごわと立ち上がる。しっかり立っているのを見て、レンジェは笑った。一瞬だけ。涼一の肩をたたくと、
「その意気ですわ」
音を立ててはいけない。辺り一面が草や砂利などでそれは難しい。苦労しながら坂を下ると、砂烈団の根城のすぐ脇、入り口から死角になるところで様子を見ているレンジェに追いつく。
ここからは喋ってもいけない。
レンジェは驚くほど静かに、入り口まで移動する。建物の影に隠れて、涼一は彼を見送る。賊が戻ってくればすぐに見つかる。それを見張るのが涼一の仕事だった。
レンジェが中を確認している間、とくに動きらしいものはなかった。西の方では相変わらず剣戟の音が響いている。まだ戦闘は終わっていない。
合図。
涼一は、今度は全力で入り口まで走った。ここでのらりくらりしている暇は無かった。飛び込んでも安全なことを、レンジェが確認しているからできる行動だ。
根城の中に入って、二人で扉を閉める。ギィ、と軋んで、涼一は全身に冷や汗をかいた。気づかれはしなかったか。
レンジェの後に続き、静かに進む。入り口はホールのようになっていて、いろいろな物が乱雑に放り出されてある。教室ほどの広さの向こうに通路が続いていた。
足下は地面のまま、板と丸太を組み合わせた簡素な小屋で、すぐに洞窟になっているようだ。
あるいは、元からある天然の洞窟の入り口に建物をこしらえたのかもしれない。
洞窟のままの方が見つかりにくいと思うのだが。疑問を胸に、涼一は歩いた。腰の剣が音を立てないように右手で抑えながら。
わずかに進んだ先、やはり開けた場所にでる。ここは四方に通路が延びていた。
太陽の光はもう届かないが、たいまつのおかげで闇ではない。薄暗い中、壁に沿って右手の通路へ近寄る。
先は暗い。ぼんやりと火のないたいまつが見える。おそらく使わないときは明かりをつけていないのだろう。
レンジェを振り返ると、彼はゆっくりと腕を回した。
ぐるりと、一度すべての通路覗くつもりなのだ。明かりの漏れているところもある。
そのとき、どやどやと数人が走ってくる音がして、涼一は戦慄した。
ぐらり、と絵里の体が傾いだ。素早く兵士たちが彼女を囲み、あらゆる包囲からの盾となる。奇襲と判断しての所作だった。
あらかじめ下知されたフラウスの指示であり、言葉とは裏腹に、彼女は異邦人を気にかけている様子である。
絵里が体勢を崩したのはしかし、矢で入られたからではない。両手で抱えた盾が地面へと刺さる。それに寄りかかりながら、彼女は混乱している。
言葉で表すのが難しい。あえて言うなら、彼女の目の前に突然、未知の光景が広がったのだ。
より詳細に書くのなら、今見えているはずの景色とは別の、木の上から森を俯瞰しているような構図が、突如目の前に現れた。思わず落下の危険を感じ、体を硬直させて、これだ。
周囲を見回しながら、フラウスは剣を構える。
「コバシ、怪我は」
「い、いえ、どうもないッス。いやなんていうか……」
今、彼女は盾を杖のようにし、かがんだ状態で地面を見ているはずだった。だが目の前はやはり違う。森の中にわずかに開いた広場を、見下ろしている。
なにがなんだかわからぬ。
「す、すいません、立ちくらみが」
「警戒を続けろ」
フラウスは剣を鞘に戻し、絵里の顔をのぞき込んだ。もちろん絵里には見えない。
「どうした」
「え、ええと。説明しにくいんスけど」
その時、気づく。動きがあった。
定点カメラのように森の光景を移している彼女の視界、その左隅に、兵士が写っている。出で立ちに見覚えがあり……たしか、この兵士はすぐ目の前を歩いているはずの……
右側に、人影が現れた。
知らず、背筋に悪寒が走る。人影は、兵士に比べて非常に大きい。というよりカメラに近い。となると木の上にいる。その人影はゆっくりと弓を構えると、矢を、
「上ッス! 木の上に!」
反射的に、絵里は叫んだ。
迅速だった。素早く反応したフラウスは、兵士たちの影からあたりを見回す。
向かう先の木、その上に二人の山賊が潜んでいるのを見て取った。汚れとメイクでほとんど背景と同化していたが、わかれば見逃さぬ。
「オロス! 貴様の前方だ、やれっ!」
そう叫んだとき、すでに彼女は部下の背中から短弓を引き抜いている。同じく部下の腰の矢筒から一本を抜き、迅速に射た。
砂烈団の射手より速かったのは、絵里の大声に狼狽したからだ。
目の前の集団は二人に気づいていないカモだ。見られた様子はない。それなのに、うずくまった一人が急に自分たちの場所を叫んだ。意味不明のことに、反応が遅れた。
一人の肩に矢が突き刺さり、バランスを崩して落ちる。
残った方は急速に思考する。どうすればここを逃れられるか。奇襲して大将首を取り兵士たちがうろたえている間に逃げ出すはずが、あっという間に臨戦態勢である。
程なく、先頭を進んでいたオロスが木を伝って逃げようとした山賊を撃ち落とした。
兵士たちが山賊をふんじばっている間に、絵里の視界は正常に戻りつつある。瞬きしたり手で覆ったりしながら、絵里はしきりに首を傾げていた。
「なにがあった、コバシ」
「いえ、その、なんか、突然へんな光景が……あそこから下を見下ろしているような」
フラウスは山賊が潜んでいた木の上を見る。
「コバシ、お前はここに覚えはないか」
「は、覚え? どこも同じに見えるッスけど」
「見ろ」
所々に見える、赤い染みを示す。赤と言うよりほとんど黒い。
血の後だと思われる。
「ここはお前とナギがドレマンに襲われた場所だ。なにか関係があるかもしれん」
足音が遠ざかった後、レンジェが顔を出した。涼一の心臓は早鐘を打っている。
先ほど、急にレンジェに突き飛ばされ、最初にのぞき込んだ暗い通路に押し込まれた。
暗いとはいっても扉などがあるわけでなく、山賊たちが注意をこらせばあっという間に見つかってしまったはずだ。
だが山賊たちは二人に気づかず、そのまま入り口へと走っていった。照らされた中で見たのは五人。尻餅をついたときの大きめの音は、どうやら彼ら自身が出していた騒音で聞こえなかったようだった。
もし見つかっていたら五人と戦わねばならなかった。
今までとは違う、ただ暑いだけではない汗が背中を濡らしている。
立ち上がろうとしたとき、涼一の耳に何かが飛び込んできた。先に行こうとするレンジェの肩を掴む。
耳をそばだてる。泣き声のような、うめき声のような、かすかな声。この暗い通路の向こう側からだ。声の元を指さすと、
「よく気づいたもんですわ。明かりはつけないで行きます。手を離さないように」
ほとんど息だけで、レンジェは言った。涼一はうなずくと、ゆっくりと歩き出すレンジェの肩に手をおいたまま、ついていく。
途中で曲がった。通路自体が左に折れていて、十メートルほど先でさらに右に折れている。その向こうから明かりが漏れてきている。
角に到達し、レンジェがのぞき込む。
「動きがない。誰もいませんわ。入って扉を閉めましょう」
ドアを閉める。
「ここに一つドア。見てください、結構広い。ドアが六つ。おそらく倉庫ですわ。鍵とかついてるところを見ると、普段は奪った物やらを入れてるんですわな。二手に分かれましょう。あんたは鍵のついてない、奥のからお願いします」
「わかった」
一番奥の扉は、鍵どころかドアも開きっぱなしだ。おそらくなにも入っていないのだろう。
という涼一の予想は、とんでもない形で裏切られた。
のぞき込んだ涼一の目に、どういうわけか死体が目に入った。
でかい図体に半裸の薄汚い男、これは山賊の一人だろうが、なぜこんなところで死んでいる?
それに、その奥の小さな……小さな、少年は……
涼一は慌てて駆け寄った。自分のクラスメートだと祈りながら、そして全く動かない彼が、まだ生きていることを祈りながら。
途中で血だまりを踏みつけ、よろける。倒れ込むように飛びついた少年の、ズボンも下着も脱がされているのを見て、彼は慌てた。この部屋でなにが行われていたのか想像もしたくない。
とにかく生きていることを確認したい。黒い髪に、明かりが松明なためわかりにくいが、色白。シャツの作りがよい。それにこの脱がされたズボンは詰め襟のもののようだ。
涼一は確信した。クラスメートに違いない。そうすると、泥だらけで頬の痩けた顔が、見覚えのあるもののように思えてくる。
いた。確かにいたぞ。印象は薄いが、わかりやすいオタクたる乱堂忍と遊んでいる、そうだ、余市隆弥!
「よ、余市、余市君だろ! おいっ!」
頬をたたく。肩を揺する。彼もこの世界に来ていた。そして砂烈団につかまり、もしかして……性的な乱暴までも受けているかもしれぬ。
「生きてるよな! 目開けろよ、余市、余市!」
「いたんですか、ナギ」
「ああ、こっちだ!」
入り口に向かって叫ぶ。そしてまた余市に視線を戻し、
彼の目が開いていて、
そして、右目が目映いほどに光っていて、
閉じる。
その瞬間、涼一は背後に気配を感じた。レンジェではない。彼よりももっと荒々しい、野蛮な息づかい。
振り向いた。
入り口に、どこかで見たような巨体。というより、この山賊どもの見分けが、涼一にはあまりつかない。
そいつがナイフを抜いて、笑っている。
レンジェはどうした!
殴りかかったが、避けられた。小部屋から飛び出すと、涼一は腰から剣を抜く。
練習などしていないが、もしも殺すことになったなら。
手に残るあの感触はもう味わいたくなかった。
山賊の背後で、レンジェが驚愕に目を見開いているのが見える。
涼一は舌打ちした。さんざんえらそうな口をたたいて、気づきもしない!
あの筋力を信じろ。ロッツを投げ飛ばしたときの、ドレマンを殴り飛ばした時の。
その力で相手を突けば、どうにでもなる。
「おおっ!」
と叫んで、涼一は構えた剣を、両手で、山賊に突き刺した。
悲鳴。
そして、腹部に鋭い痛み。
なぜそうなったのかが涼一にはわからぬ。確かに自分の剣は山賊を貫いている。自分に向かって、なにものも凶器を向けていない。
にも関わらず、刃物で刺されたようなこの痛みは何だ?
じわり、と腹部から血が染み出した。山賊ではなく、自分の腹だ。
涼一の視界が、徐々に書き換わっていった。
山賊が煙のように消え、その向こうで惚けた顔のレンジェが突っ立っていた。
突きだしていたはずの両腕は、なぜか剣を逆手に持ってた。しかも右手は刃の途中、左手は柄を握りしめているため、右手から血が滴っている。
そうしないと剣が長すぎたのだろう。
理由は全くわからぬ。だが、厳然とした事実がある。
涼一は、自分で自分の腹に剣を突き立てている。
「コバシ、お前に起きた出来事はあとで話そう。さっきの二人はおそらく、先発隊をやり過ごし、私だけを狙ったものだ」
フラウスと絵里が砂烈団の拠点に着いたとき、掃討はほとんど終了していた。この拠点さえ抑えれば、砂烈団はしばらく大規模な活動ができなくなる。
あとは結界を解き、地元の地方軍に任せるという。
「将軍」
中からバウィエが出てきた。
「レンジェとナギを見つけました。レンジェは無事です」
「ま、松凪サンは……」
バウィエの言い方が、絵里に不安を抱かせる。
「重傷です」
そのとたん、いてもたってもいられず、絵里は走り出す。
「おい、待て!」
フラウスの声も無視。とにかく突き進む、驚く兵士たちの間をくぐり、かきわけ、涼一の名前を叫びながら絵里は走る。
途中、暗いせいでなんども転びながら、ほとんど迷いかけていると、
「こっちですわ」
と、男が顔をだしてきた。精悍な顔つきの、若い男。ほかの兵士に比べて軽装だった。
「速く来てください。保つかわからん」
なにが保たないというのだ。
若者に引っ張られ、倉庫に飛び込む。
同時に、目に入る血だまり。
「松凪サン!」
上半身裸で奥の方に寝かされている涼一に駆け寄る。
その腹部にざっくりと穴が開いているのを見て、危うく失神しかけた。
隣にうずくまって、若者は言った。
「この部屋に入ったあと、急に剣で自分の腹を刺しました。わからんが、幻でも見ていたみたいですわ……一応手当てはしてますが、剣は貫通していた。命の約束はできませんわ」
だから止めたのだ。
ただの高校生が、こんな戦場にのこのこと立ち入って、無事にすむわけがなかったのだ。
手を取ると、ほとんど冷たくなっている。
「松凪サン、松凪サン!」
「もう一人、あんたたちの仲間がいる」
今はそんなもの、どうでもいい。涼一が死んでしまう。
そこまで仲がよかったわけではない。ただ席が並んでいただけだ。
だが、同じクラスで半年を過ごした。
このわけのわからない世界に来て、最初に出会った。
命も救われた。
彼が目覚めるまで気が気でなかった。
どれだけ彼に依存していたか。
「死んじゃダメです! そんなの、そんなの」
こんなところで、まさか死ぬなど、あってはならないことなのだ。
「おい、レンジェ」
フラウスの声が聞こえた。
「ナギはどうなのだ」
「死ぬかもしれませんわ」
「砂烈団か」
「いや、賊じゃない。理由はわかりませんが、自分でやりました」
その時だった。
絵里の握っていた手が、わずかに動いた。
瞼と唇が痙攣したように見えた。
そして、絵里は瞬きを忘れた。
彼女の目の前で、腹部に開いていた穴が、急速に閉じてゆく。
まるで逆再生のように、めくれていた肉がつなぎ合わさり、継ぎ目もなくなり、何事もなかったかのように綺麗になり、
「ぐっ」
体全体がビクリとはねた。
口から、ごぼりと血が吹き出た。
「げっ、げっ!」
呆気にとられていると、レンジェが絵里を押しのけ、涼一の体を横に転がす。
血を吐きながら、しかし涼一は両腕を動かした。地面をついて、顔をしかめながら。
レンジェも、声も出ない。
「いてえ……」
腹部を押さえながら、涼一。
「ま……松凪サン」
メガネがおかしくなったか。
絵里は、真っ赤に彩られた涼一の顔へ、手を伸ばす。
「こ、小橋、そこ、よ、よいちが」
「よい……ち」
「気をつけ……目を、見るな」
小部屋を振り返る。むせかえる血のにおい、その中に、大男と、小柄な少年が倒れている。
絵里が歩み寄ると、フラウスが後ろからついてきた。
少年は気絶していた。ああ、余市隆弥だ。同じクラスの、もやしっこの余市隆弥。
彼も来ていたのか。
「目を隠せ、コバシ」
フラウスが反対側に座り込み、手で隆弥の目を覆う。そのまま口元に耳をあて、
「生きているな。弱っているが、見たところ致命的な怪我もない。ただ全身に打撲痕がある。レンジェ、ナギはどうだ」
「意味がわかりませんわ。傷が完全にふさがってます」
その後のことはよく覚えていない。
気がつけば元のキャンプに戻ってきて、出された水を飲んでいる。
テントの中にはクラスメート。依然と同じように松凪涼一と、以前とは違いもう一人、余市隆弥。
「落ち着いたか」
座り込んで惚けている絵里の側に、フラウスが座った。
「戦いは終わりだ。これから結界を解いて、我らは城に戻る」
「城?」
「ノルオートだ。二日の距離だな」
「……あの、二人は」
何度も言われたが、それでも気がかりである。
「わからん……あ、いや、命に別状はない。ナギはよくわからんが、傷は完治している。おそらく貧血で、しばらくは安静にする必要があるが。もう一人はかなり衰弱しているが、目が覚め次第、なにか食わせてやれ」
「……」
「少なくとも、彼らが完調に戻るまでは城で過ごすがいい。その後の話はそれからだな」
絵里は最後まで聞いていなかった。
緊張の糸が切れたのか、この恐ろしい世界から逃れようとしたのか。
とにかく、水の入った椀を落とし、フラウスに寄りかかるように、彼女もまた気絶してしまった。