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三年三組には女子弓道部に所属する生徒が二人いる。
藤堂美子と月ノ瀬加代で、二人とも高校生活最後の大会にレギュラーとして参戦することになっている。あまりぱっとしない弓道部だが、絵里は弓道場に響く音が好きだった。
射る際の弦が弾ける音、矢がみごとに的を射た時の弾ける音、それに続く部員たちのかけ声。
敷地の隅の静かな空間に、断続的に響く。
夏も徐々に厳しくなりつつあるころ、漫研からの帰り。同部の友人と駐輪場へ向かって弓道部を横目に歩く。追い込みか調整か、とにかく大会は目の前だった。
弓道部には、矢があらぬ方へ飛んだ際の防壁として申し訳程度に背の高い植え込みがあった。その隙間から道場をのぞく男子二人。
越知知治と久住栄一である。帰宅部の栄一がこんな時間に学校にいるのも珍しいが、越知はバスケ部のユニフォームであった。目立つことこの上ない。
「うおお、すげー」
と感嘆の声。
「なにやってるッスか」
「お、絵里ちゃん」
「こんな時間にどうしたの」
「部活終わりッス。久住サンこそなんでこんな遅くまで」
「いや越知がね」
パァン。
「美子ちゃん、やった」
越知の目的は藤堂美子だった。最近カマをかけているというが、これも応援のつもりなのか、ただの覗きか。呆れながら、絵里ものぞき込む。
「弓道着はいいッスねぇ」
「わかる? やっぱわかる?」
「越知サンより早く気づいてましたし」
張り合うところではない。今しがた矢を放った美子は下がり、次に月ノ瀬加代が進み出る。
弓道は急がない。速さは要求されず、集中の途切れぬほうが肝要である、と絵里なりの素人見解である。
「つ、月ノ瀬さん……」
と小さな声で栄一がつぶやいたのを聞き逃す絵里ではない。なるほど越知が誘ったのも、誘いにノったのもこれが原因か。しかし栄一は去年も加代と同じクラスだったはずだ。今頃か。
「黙ってろ、加代ちゃんの邪魔になるぞ」
どの口が言うか。
弓を引き絞る加代。美子にきいたところ、だいたい十キロ後半の張力であるという。あの細腕でよくも引っ張れると思うが、
「引き分けはこうね、腕の力じゃなくて胸を開くって言うか、伸びるって言うか」
と本人の言だ。理屈はわからんが言いたいことはわかる。
美子は標準的な体型だが、加代は大柄でスタイルも良い。他の部員より頭一つ背が高く、和弓が大きいこともあって非常に見栄えが良い。
手が離れた。
放たれた矢が、見事に的を射た。
がばりと跳ね起きる。
しまった、今何時だ。学校に、ではなかった、出立に遅れてしまう。
人は寝起きで慌てると現状把握が困難になるという、まさに今の絵里がその体現だった。寝間着を脱ぎながらありもしない時計を探してがさごそ。メガネを着けていないとほとんど見えないのも災いしている。
「……」
目の端に影。見知ったような気がするが誰だったか。だんだんと意識の焦点があってくると、それが余市隆弥であることを思い出す。
「あ、おはようございます」
「……え、えと、あの」
「もしかして松凪サン、出ちゃいました? まだなら起こしに来てくれてありがとうございます。急いで……」
違和感。
確かぼんやりとした記憶の中で、非常によろしくないことをしたような。
……寝間着を脱いで……
「ご、ごごごめんっ!」
ドタドタと部屋を出ていく隆弥。絵里が事態を把握するまでもうしばらくかかる。
轟天大聖ウィン・ベネットは、青と緑の色で表される。これは他の四精霊も同じで、アクアは白と青、フレイは赤と白、エイシアントは赤と緑、と円環になっているのが特徴である。
対になっているウィンとフレイ、アクアとエイシアントが互いを補い、隣り合ったものに対しては害をなし得る。四精霊を絵画で表す場合、その構図がよく使われる。
火は風を生み風は火を煽る。水は大地に恵みをもたらし、大地は水を浄化する。無限に勢いを増さぬよう、四精霊はそれぞれ干渉し均衡を保つのが世界の基本的な構造だ。
涼一に与えられたのは青の鎧であった。正確には青と緑を混ぜたようなもので、日本の色では浅葱が一番近い。目を瞬かせる涼一に対し、
「お前は一応轟天大聖の従者だからな。相応のものを身につけねばならん」
とフラウスは特段感慨もなく言う。事実を知っているのだから当たり前である。
聞けばこの鎧は五日で突貫させたものだという。リュリに起こされた涼一が寝ぼけ眼でユラクの部屋を訪れたら、ムサいオヤジがサワヤカな汗を迸らせていた。少し前に体のサイズを測られたのはこれか。
それよりも大変なのは他のメンツで、フラウス、ユラクはともかくドット、雷太、見知らぬ男が二人、それになぜかガシュイーンまでいた。
「初めて会うのはウラバネス騎士将軍、それにインディーゴ飛天将軍だな。お二方、カザマ・ライタの従者ナギです」
厳つい大男二人だった。
ウラバネス騎士将軍といえば、雷太を下した件のシュミット正規軍最高司令官だ。
思った以上に皺の深い顔で髪も白く染まっているが、放たれる凄みがひしひしと伝わってくる。まるで怒っているような視線が彼を串刺しに……いや、これは怒っているぞ。
慌てて目をそらし、今度はインディーゴに。飛天将軍となれば、穿天将軍フラウスと同格の三将軍であろう。
こちらはウラバネスよりも大きく、年も若そうだ。筋骨隆々の肉体が鎧の隙間から見え隠れしている。
「初めまして、ナギといいます」
ウラバネスの怒りに戸惑いながらも頭を下げる。ここにいる人間ではフラウスとドット、そして雷太と涼一が真実を知っている。
「お前、弱いから戦いには出るな」
とはガシュイーンの言であった。偉いからと好きなことを。
「だがこれで士気の向上には役に立ってもらう」
この青い鎧こそは轟天大聖に連なるものの証、とマルドール軍が信じるかははなはだ怪しいが、シュミットが本気で宗教に基づいた戦いを仕掛けているのだと示すことができる。
もちろん本来であれば雷太を連れて行った方がよい。が、この緒戦も緒戦で万が一があれば取り返しのつかないことになる。臆病なくらいがちょうどよいと思われる。
涼一が死ににくい体質であるのも理由の一つだ。せめて目立ってもらおうという策略であった。
しかし派手な鎧である。これ着るのかよ。鍛冶屋のオヤジはいつの間にか倒れておりどうにも精魂尽き果てた様子で、この鎧を作るために魂を削ったのだと思われる。なにせ五日だ。
フラウスとユラクに手伝ってもらい、がちゃがちゃと鎧を身につける。確かにオーダーメイドである。訓練の時に来ていた雑兵用の量産鎧とは比べものにならぬほど収まりがよい。
新品のピカピカで、しかも体全体が絞められてメリハリがついた感じだ。
「馬子にも衣装だな」
「うるせえ」
顔を赤くして雷太を小突く。まさか自分がこんな衣装を身につけるとは生まれてこのかた考えたこともなかったのだ。
姿見に写る全身を直視するのも恥ずかしい。鎧負けというか、とにかく恥ずかしい。
「今回は二千を連れて行け。魔法士は二人、それぞれ一人ずつが配属。轟天大聖の従者は」
ウラバネス騎士将軍の声は重厚で、体の芯に響く。
「とりあえずホワイト将軍についていろ」
今度はドット・ネスコンが進み出て、
「すでにバロアオートのロージャ・ダンジィ卿には使いを出しております。行軍予定は12日前後で、戦いは始まっているでしょう。予定では東からマルーン卿が攻め行っているはずです。おそらくマルドール軍とは国境より南に二日ほど、湿原のあたりが戦場になると思われます。進むにも戻るにも辛い地形ですが、マルーン卿は我が国最多の軍を誇る。マルドールに遅れは取らないでしょう。順調に進めば、イズィレェキのあたりを落とした頃に合流できますので、四軍をもってジナレェキを攻略してください」
単語がさっぱりわからん。とりあえず人名と地名であることはなんとか理解したが、覚えられる気がしない。
「と、レグホーンが言ってました」
誰だ。
「なんで来てないんだあのヤロウ。来いって伝えただろ」
「正式な御前会議ではないからだとのことです」
「不敬罪でぶち殺してくる」
慌ててガシュイーンを止める将軍連中。若いといっても三十代であるのに、なんと子供じみた男なのだろう。
どうにかなだめてすかして、涼一達は部屋を出た。涼一は城にいることはいる。が、訓練漬けだったこともあってフラウスとユラク以外の高官をほとんど知らない。話に出たレグホーンもその一人だった。
「レグホーンはいわゆる軍師だよ」
横を歩きながら雷太が言う。窓から朝日が射し込んできて眩しい。
「戦略面の最高責任者。大局的な戦略はレグホーンが立案して、それに基づいてそれぞれの将軍が現場対処するのがシュミットの戦い方だ」
「会ったことあるのか?」
「めんどい奴だな。いろんな意味で」
廊下を曲がりいくつか扉を抜けると、巨大なホールに出る。風間雷太が現れた場所だ。大きな扉を抜けると玉座があるらしいが、涼一はまだ見ていない。
そこに数人の、きらびやかなドレスに身をまとった女性達がいた。
「お兄さま」
そのうちの一人、ちょうど立ち位置では中心にいる赤毛の少女が、顔を輝かせる。
「エマ。お前、なにしてんだ。こんな時間に」
「昨晩、お部屋にいらっしゃらなかったからです……あら、みなさまお揃いで。となるとお兄さま、また約束をお忘れになりましたね」
「約束ぅ?」
「父上がいらっしゃったときは、戦いの前には家族全員で食事をと」
会話を聞くに、ガシュイーンの妹らしい。
「イジェマ・ハトーヴァ・シュミット王女だ。名前間違えるなよ」
と雷太が囁いてくる。それに気づいたのか、
「カザマ! あなたもゆかれるのですか?」
「いいえ、王女。私の代わりにこのナギがゆきます」
「ナギ? ああ、お話されていた従者の方ですね」
「ちょっとまった待て待て。エマ、今から出陣なんだから控えてろ」
ガシュイーンに押しのけられてぶすくれるイジェマ。それでも礼をしながら過ぎゆく諸将に言葉をかけていたが、
「カザマ、また後でお話してくださいね」
と、思わせぶりに。
「風間、まさか」
「バカ言うなバカ。子守だよ」
絶対に聞かれてはならぬ言葉だった。
途中で雷太とドットは別の道を行った。ドットは残って、余市隆弥と小橋絵里の能力開発にあたるそうだ。しかし雷太はパフォーマンスなどをしなければならないのでは。
城の前にはすでに兵士達が揃っていた。
圧巻である。
二千人が一同に会する場所に居合わせることはあるが、見下ろすのは初めてだった。しかも全員が武装しているとなれば、日本ではこれからもなかろう。
「では、それがしから行こう」
とインディーゴが歩きだす。
「インディーゴ、まだ一歩目だ。暴走して死んだりすんなよ」
「承知しております」
「ホワイトもだ。お前らには死なれたら困る」
「……もったいないお言葉」
と返すフラウスは、しかしどことなくためらいも混じっているような表情だった。涼一たちの秘密を王に隠しているという負い目だろうか。
ふと、
「なんだ、あれは?」
と、集まっている兵士の一人が叫んだ。
急にざわざわとやかましくなる。涼一は窓から身を乗り出して、彼らが見ている方……空を見上げた。
人がいた。正確には風間雷太だったが、どういうわけか空中に浮いているではないか。
「なに、やってんだ?」
雷太が両腕を広げると、周りを竜巻のような風が覆った。地上のざわめきが大きくなる。
「お披露目だ。我らが轟天大聖のな」
涼一の後ろから、今度はガシュイーンが身を乗り出してきた。腕に潰される涼一。他の窓から見ればよいのに、なぜわざわざ。
下敷きになった涼一には見えていなかったが、雷太のまとった竜巻はどんどん強さを増し、兵士達にも感じ取れるほどになった。
そのころには雷太の着ている青と緑の衣装を含めて、
「ま、まさか轟天大聖!」
と気づく者が出てくる。
「おお、話には聞いていたが」
「降臨されたとは真だったのか!」
「我らには精霊の加護ぞある!」
と興奮し出す者も出てくる。いやおうにも士気もあがると言うものだ。
なるほど、雷太はこのパフォーマンスのために上階へあがったのだった。
雷太本人としては、この土壇場で眼鏡をかけたままだったことに激しく動揺している。地上からは顔などよくわからないから大丈夫だろうとはわかっているが、今までの演技は基本的にバレているのだから信頼がおけない。
このままでは兵士達が勝手に走っていきかねないので、涼一たちは王の見送りを受けて外へ出た。彼らを迎える大歓声は、その勢いだけで涼一の体を押すほどに強い。
びりびりと体に震えを感じながら、涼一は初体験だらけの異世界にいることを何度目か思い知る。全国大会でもオリンピックでも、ここまで人が熱狂的になったのは見たことがなかった。
この中に入っていくのだ。
「……ぎサン! ま……サン!」
その中で聞き覚えのある声が僅かにあった。
振り返ると、ホールの入り口から絵里が顔を出している。
「すいません、ちょっと」
フラウスにことわり、絵里の方にいく。後ろには隆弥もいた。
「行くときは見送るって言ったッスよ」
「ああ、ありがと」
「これ持ってってください」
涼一の手を取り、何か小さなものを握らせてきた。
手を開く。
「小橋、これ……」
「松凪サン、絶対無茶しないでください。絶対絶対、私たちがここで待ってること忘れないでくださいね」
「僕、まだぜんぜんだけど、助けられるようになるから。だから、風間君とも話して、これって」
手のひらに、三つ。
高校の校章だ。
「これが私、これが風間サン、それで余市サンのです。なくしちゃイヤですよ」
「……ありがとう」
ピンバッジになっているそれらを、鎧の下から首を覆うアンダーの襟に付ける。
「私たちだと思ってくださいね」
その絵里の言葉に、涼一は不覚にも涙を流しそうになった。
「もしクラスの誰かに会ったら、お願いします」
「わかってる。絶対連れて帰るからな」
期待してます、と絵里。
あの夜雷太としたように、三人で手を合わせた。
いよいよ始まるのだ。
戦いではない。
クラスメートを探し、日本へ帰る方法も探すという、涼一達の目的。
そのための行動が。