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戦乱学級 ~ヴェリーペア戦記~  作者: 栗原寛樹
二つの太陽の下
2/22

-2

 ホームルームも終わり、それぞれが思い思いに行動する中、涼一は荷物をまとめながら時計を見た。十時半。まだメモの時間には一時間半ある。先に部活に出てもよいだろう。どうせ彼ら三年生は最後の挨拶をするだけだ。


 炎条寺陽之と女子陸上部の波田野由香里に声をかけて、彼らは教室を後にする。


「今日の挨拶な、キャプテンの望田のあと、全国優勝のおまえ、やるから」

 相変わらずの大声で陽之。

「はあ?」

 と、涼一は寝耳に水だ。

「当たり前だろ。てかおまえがやんなくてどうすんだよ」

「そーよぉ。ウチの子たち、松凪君がなにもしなかったらブーイングだからね、きっと」

 逃げ出したいがそうもいかない。


 途中、宗久太郎と岸巻春子のカップルを冷やかし、水野冷子が颯爽と専門校舎に歩くのを見送る。おそらくいつも通り図書館だろう。


 適当にスピーチして、後輩たちに寄せ書きなどもらい、どうにもこうにも、まだ卒業自体は先なのだから中途半端な気分である。今の時期にやっておかないと、入試に落ちた場合に素直に送別できないのだから仕方ないと言えばそうなのだけれど。


 後輩と一緒に泣いている由香里ら女子を横目に、彼ら男子陸上部はそこまで感慨深くもなくダベりあう。

「炎条寺、今何時?」

「あ? ええと、十一時半だな」

 声がデカい。その恐るべき肺活量は長距離に関しての強力な武器だったが、いかんせんペース配分がいつまでたってもうまくならなかったのが炎条寺陽之の高校陸上であった。


 最初から全力、というのもまた彼らしくはある。最後まで全力で走れればこの上なく理想だったが。


「ちょっと出てくる」

「ああ、いーよ。つかもう解散でいいだろ。俺走ってこよ」

 マジか。後輩を何人か連れてグラウンドに飛び出していく陽之。それを見送りながら、涼一は思わず苦笑した。走ることへのひたむきさにかけては及ぶべくもない。あとは努力の方向性さえあえば劇的に成績が延びるはずだった。


「ちょっと待って、松凪君」

 部室を出た涼一の元に、涙を拭いながら由香里が駆け寄ってくる。

「校舎に戻るなら、私も行く。運動着忘れちゃった」

「もしかして波田野も走る?」

「うん。大学までになまっちゃいけないものね」

 由香里は他の大部分の部員と同様、大学でも走るつもりのようだった。

 


 由香里と別れ、屋上への階段を上がる。校舎内は今までと比べて騒がしい。おそらく、これからは受験を迎える生徒たちの自習室として機能するのだろう。教室の中には数人の生徒……森部綱吉、寿奈津のガリベンコンビと、乱堂忍、余市隆弥、鳴島鳥夫のオタク連中が何事か話していた。


 十分前だったが、扉の前にはすでに越知がいた。キザったらしく指で挨拶すると、彼は涼一のために道をあける。


「邪魔が入っちゃ台無しだから。見張ってるの」

 用があるのは越知ではなかったのか。

「俺ぁね、せっかくだからイイコトしようと思って」

 そのイイコトが涼一を呼び出すことのようである。意味不明だ。


 扉を開けて屋上にでる。


 今日は風が冷たい。暖冬と言われているが、夏に比べて寒いことにはかわりない。

 抜けるような空の下、フェンスの前に、女子が立っていた。


 同じクラスの秋月有希。


「げっ」

 と心の中で思い、振り返る。越知がニヤニヤ笑いながら扉を閉めるところだった。

 ハメられた。


 秋月有希は……クラスの中でも比較的おとなしい部類に属す。

 メインストリームの騒がしい女子の端っこに位置する、上位ではないが下位でもない、比較的無難な立場の目立たない生徒だった。涼一との接点は越知以上にない。


 しかし、二人きりの場所に呼び出され、その用件に思案を巡らすほど彼は鈍感ではなかった。有希の思い詰めたような顔が痛々しい。


 松凪涼一、この手の空気は苦手だった。


 有希は涼一に気がつくと、哀れなほどに狼狽した。

「あっ」

 とだけ。確かに何か言おうとしたが、それ以上が詰まって出ない様子だ。

 かたや涼一は涼一で、なんと声をかけるべきか迷っている。「なんの用」とはストレートに過ぎるし、天気の話題はあまりにも不自然だった。クラスメイトが屋上で交わす挨拶ではない。


 越知を呪いながら、しかし黙っていてはいられない。一歩近づくと、有希の体が硬直するのが見て取れる。

「お、おす、秋月」

 もはや涼一の頭も混乱しつつある。このような状況に放り込まれたのも初めてだから、丸く納める方法も知らない。


 うまい具合になにか話題がないかと頭を空回りさせていると、

「あっ、あの、その」

 と、声を押し出すように有希が話し出す。長い髪の毛が風で揺れているのを左手で押さえつけながら、

「私、松凪君のことが……」

 いきなり核心だった。


 心の準備もできていなかった涼一が反射的に遮ろうとしたとき。

「す、」


 確か、その後だ。




 体が痙攣し、走り抜けた痛みに悶絶する。

 目を開ければ、先ほどとかわらず森の中だ。姿勢も変わっていない。仰向けに倒れ込んだまま、満身創痍のまま。


 そう。

 あの時、なにかが起こった。

 涼一の両手が有希に触れるか触れないか、その瞬間に有希が消えた。


 それどころか屋上も、町並みも、空もすべて消えて、

 気がつけば森の中だ。


 そうだ。

 わけもわからずさまよっていると、急に男たちが現れて。

 日本人とは思えぬ顔立ちと体格、そして傍目にも異常なボロに身をまとい、異形の刃物を持った男三人。


 そいつらに追いかけられて、今。

 泣きたくなってきた。

「なんか、悪いことしたかよ」


 しかしながら、泣いている訳にもいかなかった。


 ギシギシと、まるでそれぞれのパーツが別物のような有様になってしまった体をどうにか動かし、とにかく起きあがる。どこか動かす度に全身が痛む。むしろこの痛みに涙が出そうだった。


 あたりは静かだ。

 転がり落ちてきた崖を見上げる。戻れそうにない急勾配だし、戻る気も起きない。あの連中がまだいたら、今度こそ命がないだろう。


「殺される……ねえ」


 そんな風に感じたことなど、これまで生きてきて一度もなかったはずなのに。

 逃げている間はずっと確信していた。それを思い出して、今更ながら悪寒を覚える。


 あまりにも痛かったので、移動する前に体を点検した。詰め襟とシャツを脱いだらかなり快適だ。幸い、骨折などの致命的なものはなく、ほとんどは打撲だった。あとは頬の擦り傷と本当に軽傷だ。崖は二十メートルほどもあることを考えると出来過ぎである。


 上半身裸のまま歩き出す……どうせ誰も見ていない……まずは、ここがどこかを確かめねばなるまい。先ほど見た景色は夢か幻か、それとも現実なのか。考えるのはそれからだ。


 森は鬱蒼としており、草むらやツタなどで非常に歩きづらかった。聞き慣れぬ鳥の声、獣の声が遠くに聞こえ、もしや熊など出やしないかと焦る。

 

 崖を背にすれば、どれほど時間がかかるのかはわからないが、いつかは出られるはずだった。日はまだ高い。




「好き、です」

 脇道いっさいなし、直球の告白。考えてみれば、秋月有希に変化球を求めるのは酷であるように思えた。


 有希とは、確か一年から同じクラスだったはずだ。はずだ、というのは前述の通りで、ただ同じクラスだっただけだからだ。挨拶以上の会話に覚えがない。


 さればこそ、なにも浮かばなかった。決して経験豊富ではない涼一である。中学のころ、ませた同級生とお遊びのようなつきあいをしたのがそれで、休日にサッカーができなくなったのがイヤで一ヶ月で終わった。高校で陸上部に入ってからはつねに走っていたし、誰かに惚れるような余裕は持っていなかった。


 その点でを補足すると、涼一は明らかに走ることに惚れていたと言える。走り続けたことは、全国で最も早く200メートルを駆け抜けた要因の一つであっただろう。20秒77は歴代の覇者に比べても遜色ない。


 だから、有希の放った四文字は、彼を混乱に陥れるには十分だった。加えて言えば、やっとのことで思いを告げた有希は顔を真っ赤にしてうつむいている。反則である。


 なにか喋らなければならぬ。ではなにを? なにを言えば、この恥ずかしくも気まずい状況をほぐすことができる? 


 涼一が困っていると、背後で机の崩れるような音がした。踊り場のあたりに積んでいたものが崩壊したのか知らないが、彼がそれに気を取られると、せきがきれたように有希がまくし立て始める。曰く、


「あ、あの。急にごめんね。でも、その、一年の頃からずっと……走ってるのを見てて、えと、すごくかっこいいなって思ってたの。最初は本当に、ただかっこいいなって。朝、私が登校する時間、いつもグラウンドで練習してたから、それ見てたの」


 人にほめられるのはいつも恥ずかしい。だが今はそれよりも、この空気のフォローをさせてしまっていることの方が問題であるように思える。とはいってもやはり、なんと返答すればいいのか皆目見当つかぬ。


「私、運動とか苦手で、だから私にできないことをがんばってるのがすごくかっこよくて。走ることが大好きなんだろうなって、お話とかしたかったんだけど、私ってこんなのだから、男子とお話しなんてできなかったし、松凪君、いろんな人と仲良くて、私なんか地味だし、それで、だからずっと見てたのが、あれ、な、なんかストーカーみたい」

「いや」

 と、思わず遮ってしまい、後悔する。しかし有希が自分を卑下するのは止めねばならないような気がしたのだ。話すのが苦手なのは彼も同じだった。


 正直いって、自分のことを誰かが見ていたことなど気づきもしなかった。三年間ずっとだ。が、そういえばたまに藤堂が意味深なことを言っていた気がする。あんたのファンがいるとかなんとか。あのころは何のことかわからなかったが、もしかすると有希のことだったのだろうか。


「なんていうか、ストーカーなんて言うなよ」


 絞り出たのがこれだから情けない。告白に対してフォローを入れてどうするのだ。そもそも……期待をもたせてしまうことを言うのは……


「俺、そんなに俺のこと見てくれてる人がいるなんて思ってなかった。だから、なんつーか、その、ちょっと嬉しいんだけど」


 これに続く甲斐性のないせりふは、運がいいのか悪いのか、結局は言わずにすんでいる。


 異変はこの瞬間に起きた。


 涼一の知らないところで、時計の針が正午を指した、この瞬間。




 

 腹が鳴った。そういえば昼飯を食べていない。


 ガサガサと森を歩きながら、己の運命を呪う。なにが起きたにしろロクなことではない。

 体の痛みは、歩いているうちに薄れてきていた。強烈なショックを受けた場合、脳が痛みを勘違いすることがあるときく。ケガの少なさからも、おそらくほとんど無傷に近かったのだ。もう少し早く行動開始してもよかった。


 森はまだ続いているようだった。

 できるかぎり周囲への警戒は怠らないよう努めた。山で迷った経験などないから、どこまで通じるかは博打の領域だ。獣が襲ってきたような場合は、どの程度の早さで気づけるのだろうか。


 そのせいで時間がかかっているのか、もしくはあまりに広大なせいか、いつまで歩いても森を抜けることは叶わなかった。もしや同じところをぐるぐる回っているのではないかと思い始める。


 せめて誰かに会いたい。先ほどのような蛮族ではなく文明の通った、とにかくまともな人間と出会いたい。一人で危険におびえながら見知らぬ土地を歩くことの辛さといったら、これ以上のものはない。明るいのはいいが、時折木の間から見える太陽はやはり、間違いなく二つだった。意味がわからない。


 暑いし寂しいし、しかものどが渇いている。思ったより気絶していた時間は長かったのではないか。もし水分が足りなかった場合、どれほど歩き続けられるだろうか。


 恐怖。

 そんな予想はすべきではない。が、いやでも頭をもたげてくる。


 このまま森をさまよっていたら?


 のたれ死んで、誰にも見つからなかったら?


 そんな予想はすべきではない。


 しかし。


 涼一はいつしか震えていた。もちろん寒いからではない。

 気がつけば、もはや蛮族でも構わなくなっていた。日本語だった気がするのだ。日本であれば当たり前だろうが、ここが日本かどうかも疑わしい今の状況では、たとえ自分を殺そうとしている連中でも出てきて欲しかった。もしかしたら話せばわかるかもしれないのだ。


 そもそも、先ほど追われた時点で、白旗をあげておくべきではなかったのか。混乱していたから仕方なかったとは言え……いや、やはりそれはあり得ない。あのときは太陽が二つあるなどとは思いもしなかったのだから。


 このとき、涼一はこのように、思考の循環に陥っていた。


 その結果、怠らないよう努めていたはずの周囲の警戒が疎かになっていたのは間違いない事実である。幸福なことに彼を襲おうとするものはいなかったが、代わりに響いた悲鳴に、彼は哀れなほどビビった。


 悲鳴。


 思わず木にすがりついて硬直した涼一の耳に飛び込んだ悲鳴。


 女性の悲鳴だ。





 直下型大地震である。

 一瞬前に涼一は気づいた。なんの前触れもなかったにも関わらず、本能とも言うべき警戒機構が彼を焚きつけた。


「秋月さん!」


 不思議なことに、この未曾有の大地震を気象庁は記録していない。いや、ほとんどの人間は、地面が揺れたなどとは露とも思っていない。

 しかしこのとき、涼一は確かに感じたのだった。


 体が浮いてしまうほどの強烈な縦揺れが校舎を襲った。


 叫んでいた涼一は危うく舌を噛むところだったが……そして秋月有希は体勢を崩し、倒れ込むのは避けられないところだと思われたが……とにかく、涼一は半分跳ね跳びながら、有希の元へ駆け寄った。

 有希が悲鳴を上げた。


「ま、松凪君!」


 華奢な体を抱き留めようと涼一が手を伸ばし、万が一にも外側に倒れまいと有希は賢明にうつ伏せになろうと努力し、


 その二人を、闇が覆った。


 涼一の目に信じられないものがうつった。澄み渡っていた青い空が、急速に赤く染まっていった。


 太陽があまりにも速くビルの向こうに沈み、あっという間に夜が訪れた。いや、前述の通り、それは闇だった。月も出ない、星も瞬かない、まるで墨汁でもぶちまけたかのように、視界が奪われてゆく。


 なにが起こっているかなど考えている暇はなかった。手を取らなければ、目の前の有希すらも見えなくなりつつあった。


 なにかを叫んだ気がする。


 思い出せない。

 しかし、彼の記憶ではおそらくこのときに何かが起こったのだった。


 なにかが起きて、そして彼は森に立っていた。


 覚えているすべてだ。


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