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確かに雷太から「若い」とは聞いていた。
どこからか取り出したパイプをくゆらせながら椅子にふんぞり返っているガシュイーンを、冷や汗まみれの涼一は直視することができない。
ここまで若いとは思わなかった。
「さっさと始めろ。どうせアレだろ。夕焼け時を選ぶとはまた酔狂な野郎だ」
「は、はっ。しかしナギめが」
「構わんつうとるだろが。口答えすると処刑するぞ」
ユラクが恐縮している。
しかし何をおっ始める気だ。なんだか予想していたこととは違いそうな気がする。相変わらずフラウスは甲冑を着ているし。
と思ったら脱ぎ始めた。
やはりエロいことか。
「ナギ、あなたも覚えなければなりませんよ」
何をだ。
銀色の甲冑を脱いだフラウスは、鎧立てに一つずつ飾っていく。
持参した兜、着けていた額当て喉当て肩当て、銅、二の腕、手甲、グローブ、腰、太股、膝、脛、そして足。
他巻いていたベルトに履いた長剣と短剣、やはり持参した盾。鎖帷子も別の場所にかけた。涼一も自分で着たときに思い知ったが、予想していた以上に多い。あれを十分足らずで着せたのだから、近衛兵の手馴れ具合が伺える。
フラウスは厚手の布でできたインナーだけになった。腰の部分で一度絞めており、そのまま太股の僅かに上まで延びる。下半身には同じ生地のズボンで、いつも鎧姿だったから違った印象を受ける。
特に脇の部分の深いスリットが、
「それでは」
と取り出したるは湿らせた布であった。
ゆっくりと飾られた鎧にあてがうと、優しい手つきで拭きだす。
「……」
ガシュイーンは座ったまま、そして本来そこに座っているはずであったユラクは立ったまま、涼一も呆気にとられて立ったまま、自らの鎧を手入れするフラウスを眺める。
これだけか。
いや、いや。
美しくも勇ましいフラウス・ホワイトが沈みゆく赤い日の差し込む中、自らを守っていた鎧に手をはわせる。これはマズい。
美しいのである。
息を忘れているのに気づかないまま涼一は見続ける。上から順番に鎧を拭いていくフラウスは、やがて中腰になり、太股のあたりからしゃがむ。一挙一投足が流れるようにつながり決して止まらぬ。
ずっと前からの日課なのだろう。迷いなく手入れを進めるフラウスの、その姿に完全に見入ってしまっていた。
揺れるブロンドに見え隠れする真剣な眼差し。鎧の裏側を拭くときには前屈みになる。インナーは立体裁断のようで、体のラインが美しいシルエットになっていて、まさしく名画といっても過言ではあるまい。
というような具体的な感想は涼一には浮かばなかったが、時間が経つのも忘れていたのは事実だ。
一連の作業を終えると、フラウスは一息ついて、
「お目汚しを」
ガシュイーンは満足げに笑うと、
「たまにはいいもんだ」
「は……」
「ウラバネスから聞いたかもしれんがマルドールにしかける。準備しておけ、穿天将軍。正規軍からも二隊だすからな」
「御意に」
「うむ」
パイプに火をつけて、のそりと立ち上がる。
「ユラク! 暇だからって妙なもんばっか研究してんじゃねぇぞ」
「も、申し訳ありませぬ」
豪快に笑いながら出て行く。それを見送るだけだった涼一は、
「ナギ、お前もやれ」
とのフラウスの声で正気に戻った。
「え?」
「お前を呼んだのは手入れのやり方を教えるためだ。私がやって見せたようにやってみろ」
ユラクを見る。彼はうなずくと、
「……え? な、なぜ私の部屋で?」
「私の部屋には異性を入れないようにと父から申しつけられている。詰め所では夕食時だしナギの部屋ではコバシに見つかる。ここしかない」
絵里にはさきほどバレてしまったが。
「そのために呼んだのだから、もう少し部屋を貸せ」
「……し、しかたないですね」
と、途中で食事を挟んだりなんだりで、結局かなり遅くまで手入れのレクチャーを受けることになった。
その間涼一がしみじみ思うに、ユラクの性癖の異常さは相当なものである。涼一をしごいているときはサディストで、そしてまたフラウスの鎧の手入れをわざわざ部屋に呼んでまで見ている。確かに目を見張るほど美しいが、それをなぜ発見したのか。
フラウスは自分がやっていることが、いかなる効果を及ぼしているのか全く気づいていない様子だった。恥ずかしがってもいない。全部わかっていてやっているのか、それともわかっていないのか。
手入れ終了後、二人からこってりと絞られた。もちろんガシュイーンの件だ。
これは涼一も反省せざるを得ない。結局おとがめなしだったとはいえ、ユラクとフラウスは肝を潰してしまったようだ。王をパシリに使ったとなると処刑台に直行してもおかしくない。
「陛下は気分屋なんですから注意してください。どんな一言が機嫌を損ねるか私にもわからないんですから」
詰め寄ってくるユラク。ド変態のくせにと思いつつも、彼の言うことには従っておいた方がよかろう。
公式の通達には原則、魔法は用いられない。発行元の印が添えられた書類にて行われる。
マルドールへ送られた勧告書にも、シュミット王家、そして聖ウィンドラム教の印が刻印されており、その強制力は計り知れない。
勧告書に書かれている文言は事務用のかしこまった言葉なのでわかりやすく書くと、
「拝啓、親愛なるマルドールのカウルセン坊ちゃんにお知らせします。
1.このたびあなたの国はめでたくシュミットの属国になることが決まりました。
2.それにあたり、シュミットへの忠誠を示すためにシィン王女をよこしなさい。
3.カウルセンは一応その城にいてもいいよ。ただし最高司令官をこっちで別に用意するから従うこと。
4.国土の半分をシュミットが再分配します。残りはそっちで好きに分けなさい。それがマルドールです。
5.一年の収穫の半分を献上すること。
6.国土が半分なら軍も半分でいいよね。
7.魔法士隊はシュミット直轄にします。
(中略)
24.届いて三日以内に返事がなかったら攻めます。
25.獣の予言を信じるなら以上を受け入れましょう。シュミットは轟天大聖に守られています。敬具」
となる。
恐ろしいのは、文章のニュアンスはそのままな点だ。
ひきつった笑みのドットからそれを聞いた雷太も戸惑いを隠せぬ。
これは完全に挑発ではないか。
恭順の意志確認もなにもない。こんな物を通達されたカウルセン王の決断などどんな素人でもわかる。
「陛下に押し切られてしまって」
なんということだ。こうなれば開戦は避けられぬところであるが、しかしこんなことをする必要がどこにあるのだ。
「決戦の時期を早めたいのですよ。本来であれば少しずつ諸将を切り取って行きたいところですが、バウステウスやガリオに比べてずいぶん遅れを取っているのが現状です。センはともかく、マルドールは南に進出するためには邪魔です。できるだけ早く倒しておきたいのが本音でしょう。おそらく属国にする意志も一切ないと思います」
「で、でもそれじゃあ、先にセンと同盟結んだりとか、」
「同盟はだめです。この北東域は吸収か、最低でも従属関係にしなければいけません。同宗教の国すらまとめられぬとなると、その後の展開に大きな影響がでる」
「攻めてくるかもしれないんだろ?」
「ノルオートとゼグオートの領主に援軍を派遣するようですね……まあマルドールに関しては、宣戦の代わりですが、するだけいいほうです。バウステウスは予告なく攻め込みましたからね」
なんということだ。
「もしかしたらマルドールが先制攻撃してくるやもしれません。カウルセン王も敬虔なウィンドラム教信者ですから、ウィン・ベネットの名前を出したところが特に効くでしょう」
「俺の力を見せれば解決するんじゃないか? おとなしく……」
「再度申し上げますが、マルドールは南の進出に邪魔です。全てをシュミット領としたい。カウルセン王にとってはウィン・ベネットが実在するとしても、収穫の五割は命に関わる。国民の生活がかかっていては勧告書は受け入れられません。交渉の余地がないことは、期限を三日にしていることで伝えていますし」
「……侵略、か。バウステウスからの自衛とはいえ」
「バウステウスが今の速さで拡大すれば三十年でシュミットに届きます。おそらく十年程度遅れると思いますが、それまでシュミットが今のままだと、太刀打ちできずに終わりですからね。それにバウステウスがことさらに予言を打ち出しているため、オリッシュなどもそれを根拠に拡大を始めました。ここで動かなければ終わりです」
ただし、この北東域は友好国同士である。宗教が同じという点も邪魔をする。滅多なことでは戦争を始められぬ。そのためギリギリまで仕掛けるのが遅れた。
そこに現れたのが風間雷太だった。彼をウィン・ベネットに担ぎ上げたため、シュミットはおなじ宗教であっても「従わぬは罪」という口実を得ることができた。
どうしても直轄領としたいマルドールに無茶苦茶な要求をしかけ、反逆の徒にしてしまうという方針だ。
「戦争は疲弊を生みます。避けられればよいにこしたことはありませんが、それもシュミットがある程度の国力を得ねば始まらない」
書状はすでにシュミットを経った。マルドールまでは一週間ほど。
「どういうことかわかりますね、カザマ」
後十日前後で戦争が始まる。
「次第に問題も出てくるでしょう。城中では気をつけてください。全員が全員、ホワイト将軍のような方ではありませんから」
町がにわかに騒がしくなったような気がする。
隆弥ら日本人は城から出ることを許可されていない。そのため隆弥はよく部屋の窓から外を眺めている。誰とも目があうおそれがないため、眼帯をはずせるからでもある。
昨日までより煙突から立ち上る煙が増え、城を出入りする人間が増えたように思える。以前よりここまで届く声が多くなったし、その中には軍隊のかけ声のようなものも増えた。
隆弥はドットから、魔力を練り上げる訓練をするように言われていた。
魔力は、やはり普段は見ることができない。そこに魔力があると意識する必要がある。ある程度熟達した魔法士であれば無意識のうちに集中しているようだが、隆弥の場合、自分の魔力ですら油断すると見えなくなる。
扉がノックされた。
「リュリです」
慌てる。なにより眼帯を着けねばならぬが、今でもリュリに会うと緊張する。他の人間に比べてなんとかなっているのは、彼女の小柄な体とメイドゆえの低姿勢であろう。それ以外の現地人はまだ怖い。ドットとフラウスでもまだ恐怖を感じる。
それもこれも彼がヴェリーペアに来てから一連の出来事がトラウマになっているせいだ。正直なところ人だけでなく、この異質な空間に一人でいるときもストレスがたまる。心から安心できるのは同じ日本人の三人といるときだけである。
ドアを開けると、着物を持ったリュリが立っている。
「お着替えをおもちしました」
「あ、ど、どうも」
なぜこんな時間に。毎朝換えているのに。そういえば今朝は来なかったが、だから今なのだろうか。
着替えを渡したリュリはまじまじと隆弥の顔を見て、なんと答えればいいか考えている間に去っていった。いつもは二言三言の会話があるがそれもない。
なんとなく身構えていた隆弥は肩すかしを食らって、首をひねった。
ということを夕食の席で効いた絵里は、
「ほほうほほう」
と嫌らしい笑みを浮かべている。
おそらくリュリが朝に隆弥の部屋に行かなかったのは、自分の秘めた心を絵里がチクっている可能性を恐れたからだろう。しかし世話役としてどうしても着替えを持って行かねばならぬから、心の準備をするのに夕方までかかったのだ。
絵里のダメな思考がブンブン回転している横では、涼一が肉を頬張っている。
涼一は兵士としての訓練のためか異様に食べるようになった。
「あの隊長、容赦ないんだホント。今日も顔とか腹とかすげえ殴られて」
という彼の顔にはもちろん傷一つない。
「ホンキですか松凪サン? って何回もきいてますけど」
「マルドールにも少なくとも二人いるんだ。シュミット軍には見分けられる人なんかいないからな」
「戦争ッスよ? ってこれも何回もきいてますけど」
何度言ったところで絵里は納得しまい。それは涼一にもわかっている。自分自身、腹がくくれているかはわからないのだ。
砂烈団の時に感じた、あの体がしびれるような緊張をまた味わうかもしれぬ。
そのときにもう一度踏み出せるのか、それとも今度こそ萎縮してしまうのか、自分でもわからぬ。
「それにまだ前線にでる資格はないって言われてるから、まあ平気だよ」
フラウスは戦場に慣れさせるという。もともと涼一は雷太の従者となっているから、のこのこ戦場についていっても文句を言う者はいない。
もっともそのままではただのお荷物なので、いずれは自分の足で立たねばならないだろう。
「そのクラスメートが、お前のように戦士として生きているかもしれん」
というフラウスの言葉には雷太も涼一も同意した。
なんのツテもない子供である。ただしずば抜けた身体能力がある。となれば、傭兵なりなんなり、とにかく戦うことで生計を立てるのがもっとも手っ取り早い。というより他に道はあまりない。雷太のような状況は希有であろう。
今、世界は戦士を渇望している。
それにノった一人が涼一である。
それから五日後。
フラウスについて涼一は城を出た。