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二つの太陽は僅かに高さが異なる。
東にあるセン王国の大火山から上るとき、南にある方が一つ分高い。日の出もそれに沿っている。
その一つ目の太陽が昇った頃、ドット・ネスコンの部屋に小橋絵里が突撃した。
「なんなんスか私に黙って! 余市サンだけおもしろそうなコトをっ!」
珍しく早朝出勤したドットは目を瞬かせた。今日、彼への来客は余市隆弥のはずで、一昨日渡した本の詳細と、第一段階へと進むつもりであった。
「あ、ええと、コバシさんでしたっけ」
三日前に一度だけ会った少女の名前をドットは呼ぶ。
「私にも魔法教えてください!」
標準よりも格段に露出の多い踊り子用の服装であられもなくわめき散らす絵里の後ろから、申し訳なさそうに隆弥が顔を出す。なぜ彼女がこのような派手な格好をしているのか理解に苦しむが、それよりも暴れているせいで帯紐から上着がずれ始めていた。このままではマズい。
馬を落ち着かせる要領であった。
「まずコバシさん、その服は普段着ではありませんので」
イスに座ったまま首を傾げる。後でメイドに問いたださねばならない。
「魔法をと仰いましたが、それでは私の魔力を見ることができますか」
ドットはわざと大げさに魔力を編み上げていく。隆弥の目が、紐のように紡がれていく魔力の先端を追った。果たして絵里はドットの目を見たまま、
「見えます」
十中八九見えていない。
「魔法は素質の問題です。これはもう、努力などでどうにかなるものではありません。運ですね」
「うぐ……で、でも余市サンから聞きましたよ。魔法って精霊の血が入ってるから使えるんッスよね。なんで日本から来た余市サンに才能があるんですか」
「それはわかりません。あるんですからしかたない」
「むぐ」
「あなたは魔法など使わずとも、その目で彼方を見ることができるでしょう」
その力については、シュミットに一行がつく前にノルオートのフラウスから知らされていたことだった。砂烈団掃討の際、逃がさない結界をはるために魔法士の一人が同行した。その女から通信を受けたのだ。魔法で可能な技術の一つである。とりあえず隆弥にはこれを教えるつもりであった。
「特殊能力と魔法は違うッス」
「特殊? おお、うまい表現ですね」
「あんま嬉しくないッス。それにまだ一回しか見えてないし、実はあの森のあそこしか見えないかもしれません」
「では魔法の代わりにそちらを訓練してみますか。カザマと全く同じとはいかないでしょうが、ある程度は自由に扱えるようになりますよ……それに、ヨイチの目もどうにかした方がよいでしょうし」
余市隆弥は、あまり自分の右目について触れたがらない。彼の越境能力は他の三人に比べてずいぶんと殺伐としているからだ。今のところ人を傷つけるより他に能がない。
「まあ今日は魔法の訓練ということで。どうです、見学して行かれますか」
「おもしろいッスか?」
「魔力が見えないので保証できかねますね」
「……じゃあいいッス」
と、あからさまに肩を落として出ていく。
「王には見つからないように」
一応忠告して、彼は隆弥に向き直った。どうせまだ起きてはいまい。
「ええと、それで……どうです、私には慣れていただけましたか」
「あ、ええと、は、はい」
「結構」
雷太抜きでこの部屋を訪れたのだから合格だ。雷太は城内の一通りの人間に顔を知られなければならないから、あまり隆弥ばかりにもかまってはいられない。それに越境能力の訓練もドットの役目だった。慣れてもらわねば困るのだ。
「それでは基本から参りましょう。ご承知の通り、人間が魔法を使うには紋章と詠唱が必要です。ただしある程度は、あらかじめ書き記したものがあれば省略することもできる」
いいながら袖をまくる。肩に彫り込まれた複雑な文様が隆弥の目に入る。
「これはゴエティ・ロソ、つまり小規模な防御結界を張るための魔法です。私は王のそばで御身をお守りすることが多いため、詠唱も二言でよいようにあらかじめ呪文も彫り込んでいます。この図の中にある文字がそうですね」
「彫るって、入れ墨ですか?」
「そのようなものです。ただしただ彫っただけではだめで、ある程度実力のある魔法士が魔力を込めながらという条件付きです」
それにこれは初心者に勧められることではない。ショートカットの代償は激しく、魔法陣を維持するため、常に微量の魔力が吸い取られる。体に紋章をねじ込んでいるので、他の魔法を行使するにも邪魔になる。ドット・ネスコンはそれでもなお複数の呪文を操れるが、一般的には彫り込んでしまったらその魔法しか使えなくなる。
「それではモノに描いたらどうか? まず対象となるモノに魔力が宿っている必要があります。やはり描いた紋章を維持するために魔力が必要だからですね。そしてよっぽどの一品でなければ、僅かに魔力をそそぎ込んだだけで崩壊します。なかなか難しいですね。シュミットにはそういったモノはありません」
だから、自らの指で紋章を描き、自らの口で呪文を唱える方がよい。
「手順としては、まず魔力を練り上げ、紋章を描き、呪文を唱える。構成はどの魔法でも同じです。あなたが一番作り上げやすい形にしてください。その構成した魔力の固まりをほぐし糸を作るイメージです。その糸で紋章を描き、声によって実体化させる。魔力を矢、紋章を弓、呪文を引き手と考えてくださればちょうどよい」
「あの、す、すみません。もう少しゆっくり」
「概要の段階なので、ある程度流れがわかれば結構です。どうせしばらくは構成で終わりますしね」
「あ、そ、そうですか」
「魔法というものは難しい。才能が第一段階、紋章と詠唱を覚えられるかが第二段階、それを実際に行使できるかが第三段階。忘れないかが第四段階。一つ覚えるだけでも手間がかかります。面倒くさいですよ」
「……やります。松凪君の役に立ちたい」
「あなたの能力を鍛えた方が手っ取り早いと思いますが」
「も、もちろん使いこなせるようになりたいと思ってます。でも、松凪君が僕のことを心配してるのがわかるんです。足手まといになってるんです。だから、できることがあるなら、な、なんでもやります。助けてもらったんです」
「では、目の訓練も行うということでよろしいですね」
「は、はい」
指摘された、指摘された。考えないようにしていたのに!
と絵里の心の中は羞恥心でいっぱいである。彼女もだいたい、隆弥と同じようなコンプレックスを抱えている。自身の越境能力について、フラウスとともに森の中に入ったとき以来、一回たりとも発動していない。むしろあれはなにかの間違いではないかとも思う。
雷太はそのときの様子から、一度見た景色をどこからでも見ることができるのではないか、と推測した。
「監視カメラみたいなもんだな」
わかりやすい。しかしその裏付けを取ろうにも見えないのだ。彼女がヴェリーペアに召喚されてから、すでに森、シュミット軍が陣を張っていた湖の近く、ノルオート城砦、シュミット場へ至る旅路と、城と門を結ぶ城下、そしてシュミット王城をその目に捉えている。しかしそれらのどこも、カメラのように見ることはできていない。
役立たずである。涼一がぶちあげたクラスメートを捜すという目標には十分以上に貢献できるはずの能力なのに、使えないのでは絵に描いた餅だ。今の瞬間にも、彼女が見た景色のどこかをクラスメートが歩いているかもしれないのに。
しかも同じような立場であった隆弥には魔法の才能があるという。
踏んだり蹴ったりであった。
そういえば涼一はどうしたのか。昨日の夕方にこそこそ帰ってきたときはごにょごにょと言い訳をしていたが、今日も起きたらすでにいなかった。朝一番に涼一の元を訪ねた絵里も絵里だが、隆弥では止められなかったのだから仕方がない。
ずんずんと廊下を歩くと、目の端に見覚えのあるメイド服が映った。
「リュリさん!」
「は、はい?」
テンションの高さに驚いたのか少々ヒキ気味に答えるメイド。シュミットについてからも日本三人組の世話約担当になっている。ひとえに隆弥が原因である。
「もらった服、普段着じゃないじゃないっスか! 余市サンに『こっちではこれが普通』とか言っちゃいましたよ、もう!」
「え、ええ? ヨイチ様にお見せに……そ、それであの、ヨイチ様はなんと」
「目のやり場に困ってました」
ショックを受けたようにリュリはよろめく。絵里のメガネが光る。
「ははあ? もしかしてイジワルッスか? 嫉妬ッスか?」
今更ながら補足しておくと、このくらいウザいのが絵里のスタンダードである。日本では猫をかぶっていてネット上でのみ発揮していた人格だし、最近は突然異世界に移った混乱と、血なまぐさい命のやりとりのショックで比較的おとなしかっただけだ。
絵里の名誉のために付け加えておくと、憂さ晴らしのために意地が悪くなっているのもあって若干ウザ度が高いのも事実であるが。
「看病してるうちに? だんだんと心を開いてくれた余市サンに? 手厚く接してきたために? 惚れてしまったと? それで同じところから来て? ちょっと仲がいい感じの私に? 恥をかかせようと思ってハレの服だけを渡したところ? 逆に余市サンを刺激してしまって、イマココ」
しかしウザい。
リュリにしてみれば図星も図星であるが、白状してしまったら何をされるかわからない。彼女は越境能力といったたぐいの情報は知らされていないが、涼一の悪魔のごとき再生能力は噂に聞いているし、なにより轟天大聖とタメ口らしいという点が致命的である。
ほんの乙女の焼き餅が身を滅ぼすかもしれぬとなれば、服を渡し、雷太の紹介を受けたリュリの数日間がいかに悲壮なものであったのかが偲ばれる。すでに晴れ着を普段着といって渡してしまっているから訂正するのも不自然すぎた。
「いいッスよ、いいッスよ、許してあげます。それより松凪サンがどこにいるか教えてもらえませんか」
悪魔だ。
リュリは涼一の服を洗濯するよう申しつけられている関係上、彼が昨日から近衛隊隊長の訓練を受けていることを知っており、さらに口止めされてもいる。絵里は絶対反対するから、という涼一の男ぶりに少しばかり感動し、あの貧相な体もよく見れば無駄のない引き締まりかたかも云々というように見直しかけていた。
ぶちこわしである。
涼一の秘密をばらさねば自分がバラされる。かといって涼一の秘密をばらせば彼の怒りを買うやもしれぬし、当然フラウスからも叱責を受けるだろう。おつきのメイドとして、申しつけられたことを破るのは許されぬ行為である。
ここで絵里が自分をバラすと本気で考えてしまっているあたりが、異常なまでの上下関係に支配されたヴェリーペアと絵里らが住んでいた日本の違いだといえる。
もちろんのこと絵里は気分を害してはいるが殺すつもりなどない。その力と権利はあるにせよ。そして害した気分よりも、おもしろいネタを見つけた喜びに満ちあふれている。
リュリの立場からみると、メイドと轟天大聖の従者というはなから身分違いの恋なのであって成就しようがないのだから、そもそも言及されること自体が傷口を抉る行為である。身分のことなどさっぱり知らぬ絵里は日本で同じようなノリだった場合に比べて数段タチが悪い。
これも常識の違いによるものであって、結局二人の食い違いはどう転んでもいい方に向かない。
結局彼女は折れた。今バラされるより後でバラされることを選んだのだった。涼一が兵士志願したことを知った絵里はあからさまに元気をなくして帰って行った。
その夕方彼女はグチグチと涼一に恨み言を連ねたが、もちろん涼一はリュリをバラしはしなかったし、懲罰をと憤るフラウスにも温情をかけるように頼んだ。ここまで来ると悪いのはどちらかと言えば絵里だ。
長いグチが終わり、やっと絵里は部屋に帰っていく。城の客室とは言え男の部屋にあのような扇情的な格好でくるのだから、絵里の羞恥心がどこで線引きされているのやらわからぬ。昨日はへそ出し、今日は胸元やら脇やら腰回りやらが妙に開いた見たこともない衣装だ。
毎朝毎晩王城の周りを走ってある程度昇華できてはいるが、思春期の男子たるもの、用足しの問題には常につきまとわれる。城のどこでも人はいるし(便所にも)この部屋は鍵がかからない。
ぶるぶると頭を振って、涼一は邪な考えを散らそうとする。自分にはやらねばならぬことがある。
そろそろ時間だった。昼間のシゴキで体がだるいが、ユラクの部屋に行かねばならない。昨日はユラクの性癖に驚きを隠せなかったが、どうやら涼一の勘違いだったようだ。装備一式を持ってくるように言われている。
まさかの可能性もないではないが。一応フラウスもいるし、最悪にはなるまい。たぶん。
部屋の場所は聞いていたが、城は思った以上に広い。初めての場所にたどり着けるはずもなく迷ってしまう。
誰かに偉そうな人間がそこらを歩いていて、声をかけるのもはばかられる。なんだか目つきの悪い悪人面も多い。しまった、最初からリュリに案内を頼めば良かった。
うろうろしていると、窓辺から景色を眺めている若者を見た。若者といっても涼一より一回り年上だと思われる。がちゃがちゃと派手な音をたてる涼一に気づいたのか、若者は振り返る。
「む、お前はナギか」
はて、見たことないが名前を知られている。確かに轟天大聖の子分であるから、興味を持てば名前を知ることは容易かろうが。
「あ、すいません。道に迷ってしまって」
「なぜ鎧など担いでるのだ」
偉そうである。だが城の人間は誰しも偉そうなものだ。積極的に話しかけてくれる分助かる。涼一も事情を話しやすいというものだ。
ユラクの部屋に呼び出されているのを説明すると、
「ああ、ユラクな。あいつはスキモノだからな」
「知ってるんですか?」
若者はニヤニヤ笑みを浮かべて、
「あいつは三将軍と同格だぞ。城中で知らん方がどうかしている。まあいい、連れていってやろう」
「あ、ありがとうございます」
若者につれられて、ユラクの部屋へと向かう。
「昼間の訓練を見てたが、お前、弱いな」
「はあ……まあ、素人なんで」
「この国の兵士として生きるつもりか? 轟天大聖の従者であれば、戦う必要はなかろう」
来た。雷太と話し合って決めたことだが、もちろんクラスメートを探すことは、できるだけ広めない方がよい。スパイ疑惑につながるおそれもあるし、余計な問題を生むやもしれぬ。すでに事情を知っているフラウス、ドット、ベンガラは仕方ないが、それ以外には適当な説明が必要だ。
「シュミットが制する手助けになるようカザマに言われたので」
「しかし戦力にならんぞ、お前じゃ」
ずけずけと物を言う男だった。間違ってはいないのだが。
「ここだ。しかしユラクに呼ばれたとは残念だな。ヤツは変態だからな」
なんだと。
急速に鳥肌が立っていく涼一の前で、若者は乱暴にドアを叩いた。
「おいユラク、きてやったぞ。さっさとあけろ」
やはり帰った方が……
「し、しばしお待ちをっ!」
と中から天変地異でも起こったかのようなユラクの声。様子がおかしい。
お待ちを、といった一秒後にドアが開いた。
「へっ、陛下! お申し付けくだされば参じまするに!」
「別に用はない。こいつが迷ってたから連れてきただけだ」
やはりユラクがおかしい。
「ん? へいか?」
「ななな、ナギ! 申し訳ありません! お手を煩わせるような……」
「かまわん、入るぞ」
ずいずいと入っていく『陛下』。かわりにユラクが出てきて、涼一の肩をつかんで廊下の隅へと押しやる。
「おう、ホワイト。お前もここにいるのか。邪魔するぞ」
「と、とんでもない。ナギがご無礼を」
「無礼だ無礼。だから久しぶりに俺にも見せろ」
中から不穏な会話が聞こえてくる。
「ナギ、あなたなんてことを……」
「あの、陛下ってまさか」
「知らなかったとは言わせませんよ!」
知らなかったのだ。悪いか。
いや、これはたぶん悪い。