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二万。
これがシュミット王国の有する軍の規模である。このうち王家直轄の騎士隊は四千で、あとは各地の豪族が提供する地方軍にあたる。地方軍はほとんどが農耕兵であり、同時に動かせる人数はたかがしれている。
実際のところ戦争になれば、他国からの守りも苦慮すれば、実際に攻めいることができるのは多く見積もって一万。
これでもシュミットは恵まれている方である。北は不可侵大協定が結ばれ、現在は全くと言っていいほど人の出入りがない魔族の住むシバ領。そして西は、大陸を東西に分断する大山脈ヤスタンガルタがある。魔族が侵攻してくるのであれば話は別だが、守りに関しては他国と比べるべくもない。
規模としては列強に及ぶべくもなかったシュミットが、その立場を維持し続けていた理由二つのうち、聖ウィンドラム教でないもう一つがこれだった。脅かされることのない国土とはそれ自体に価値がある。
南東のセン王国、南のマルドール王国が実質的な隣国にあたり、国力は同程度かわずかながら両国が上。どちらも聖ウィンドラム教の信奉国であり、その点がシュミットの強みとなる。
大司ベンガラ、そして国王ガシュイーン・ネロ=シュミットは、豪族の並ぶ中、上座から言を発した。
「西のバウステウス、南のガリオ。これらの増長が目に余る。我らは小国なれど大儀あり。この北東域をまとめ上げ、轟天大聖の下に鉄槌を下さねばならぬ」
風間雷太は針のむしろの中にいる。特に騎士将軍ウラバネスの目が痛い。
彼は恐れ多くも国王と大司と同等の上座に座っていた。今は眼鏡も外しており、代わりといってはなんだが薄衣を幾重にも重ねたようなゆったりした服を着せられていた。青と緑を基調とした肌触りのよい布だ。金の刺繍が全面に施されていて、これを手で施したのなら職人芸である。
黒い髪の毛とはどうにもアンマッチだが、これは轟天大聖ウィン・ベネットの聖衣である。
「この子どもが?」
と、豪族たちの目は言っている。隠しもしていない。
豪族たちはすでに「ウィン・ベネットが降臨した」旨の通達を受け取っているから、これから国が軍事行動にでることの予測はついているはずである。シュミット中枢部がなにより欲しがっていた侵略の免罪符なのだ。
「我が傍らにこそ轟天大聖あり。予言にありし獣を駆逐し、大王となるには我らしかおらぬ。まずはカウルセンに恭順の意志を問う。断ることあらば実力行使だ。ここからは止まることあいならん。各々心せよ」
張りつめた空気が流れる。最初の目標はマルドール。ここに並ぶ者のうち何人かは、目と鼻の先に国境がある。
言いたいことがあるだろう。そもそも上座にふんぞり返っている若造をよりにもよって轟天大聖などとは片腹痛い者もいるはずである。それでも何も言わないのは、国のトップである国王とは独立した権力を持つ大司ベンガラの太鼓判が押されているからに他ならぬ。
王と大司が認めたのであれば、表だって反抗するのは難しい。
とはいえ、このまま疑心を抱えて帰られるのも困るわけで、各地方の代表者を集めたもう一つの理由が轟天大聖の力を披露することであった。
静まりかえった大部屋に、突如、空気の流れが発生した。窓を開けた者もいなければ、動く者もいなかったにも関わらず。
初めは穏やかだったその流れは強さを増し、風となり、やがては嵐になるだろう。そこまではしない。
彼らがその流れを追えば、そこに風間雷太がいるのに気づく。それで十分だ。
唖然とする豪族たちを前に、しかし雷太は冷や汗ものでだった。己が隠し事や嘘が下手くそなのは思い知らされている。しかし権力者の承認を含め、魔法以外の力は駄目押しだろう。
「轟天大聖は獣から我らをお守りくださる。しかしその前に国が消えてしまってはなにもならぬ」
「ううん、そうッスねぇ」
席替え翌日の昼休み、小橋絵里の周りに三人の女子。佐伯いつな、秋月有希、そして岸巻春子である。いつなはただ席が近いだけだが、有紀と春子の二人は明確な目的を持って絵里のところまで来ていた。
曰く、松凪涼一の反応はどうだったか。
「私もそんな、グイって突っ込んだ訳じゃないからなんとも……」
「でもコバッチ、有希ちゃんの名前出したんでしょ?」
「ちょっと脈絡なさすぎたっスね。今度機会があったらまた」
「好きな人がいるかだけ聞けばいいのにっ」
春子は世話焼きである。自分は宗久太郎とつきあっているのだから、リア充はリア充同士いちゃいちゃしていればよいのに。そして爆ぜるがよい。
とはいえ、秋月有希の話も興味深かった。地味ィな立場を堅守していたようにも見える有希から、まさか涼一に想い人がいるかを調べるよう頼まれるとは考えもしなかった。
どうせ春子のおせっかいによるものだろう。いつなは顔を真っ赤にさせ、自分の弁当に箸を刺したまま聞き入っている。
「あの調子じゃあ、好きな人なんかいなさそうスけど」
ちなみに涼一本人は、炎条寺陽之の席で飯を食っていた。それをちらりと見ると、
「というか、つきあうどうのって考えてもないっスね。次の県大会終わらないと、どうにもなんないぽい」
「あー、うん……そういうところあるかも」
「ちょ、ちょっと春子ちゃん。もういいから。好きな人いないなら、今はいいから」
有希にしてみれば、涼一本人には万が一にも聞かれたくない話題であった。
このとき五月の初め。ちょうどゴールデンウィーク明けの頃である。
ここから実際の告白まで半年以上開いているわけで、有希の恋心はよくも冷めなかったものだ。
話によると一年のときに一目惚れしているとのことで、それも春子から聞いた絵里がまた顔を赤くした。足かけ三年。風間雷太にはかなわぬが、あれらはすでに両思いの勝手にしてくれ状態なので例外とする。
「ま、マジッスか。かわいい……」
「や、やややめてよ小橋さん!」
「でもそれなら、きっとゆかりんに訊いた方が詳しいんじゃないッスか。陸上部なんだから」
「いや波田野の言うことってあんま宛にならないし、まあ」
と春子は言葉を濁す。波田野由香里のことであるが、そんなイメージはなかったと絵里は思う。
「いつなんはどう思うッスか。さっきから聞いてるだけッスけど」
「え、えええ? いや、だってその、あの、私男子苦手だし」
そういえばいつなは、まだ涼一と一言も話していない。男子と接すると緊張して赤面するというウブな娘であることを失念していた。
「じゃあまあ、了解ッス。松凪サンから具体的にきいとくッス」
「むう」
自分のうなり声で目が覚めた。いつの間にか寝てしまっていたらしい。
こんな真っ昼間、臨戦態勢にある城で寝てしまうとは不覚だった。眼鏡をかけて、そういえばこちらにくる直前、秋月有紀が涼一に告白していたことを思い出す。正確には屋上の入り口で陣取っていた越知から聞き出したのだった。
その話はどうなったのだろう。有希もまた、こちらに来ている可能性がある。
リュリから渡された服に着替えてあてがわれた部屋を出る。さすが首都シュミットの王城ということで贅沢な客間、贅沢な服である。フラウスは自分たちの制服を超技術によるものと言っていたが、渡された服に限っては勝るとも劣らない縫製具合であった。派手だし。暑い気候にあわせて妙に露出が多いのが難点だが、その分風通しはよかった。
事実、冬用の制服では身が持たない。一着しかないことも含めて我慢の限界であった。捨てる気にはなれないので部屋に飾っている。
廊下に出る。隣が余市隆弥、そのさらに隣が松凪涼一の部屋だ。風間雷太の部屋はまた特別な場所にあり、自分たちと違う立場にいることを示している。
涼一の部屋の前に立つ。
ノックしようとして、どう切り出せばよいのか思案した。浮ついた話をする場合ではないような気もするし、今だからしておかねばならないような気もする。というより気になる。
だが話をするにしても、単刀直入に尋ねてもよいものだろうか。断っていたら微妙な空気になりそうだ。自分がなぜそれを知っているかも説明せねばならぬ。
「……?」
ふと、頭に引っかかったことがある。
地震の際、涼一は屋上に、絵里は屋上に続く踊り場に、そして隆弥は教室にいた。
場所が近かったのは、ヴェリーペアに召喚された後、近くにいたことと関係があるのだろうか。
いや、それはない。場所が関係しているのであれば涼一と有希は一緒にいなければならないだろうし、自分と越知知治も一緒にいなければならぬ。隆弥と雷太も、召喚直前に同じ場所にクラスメートがいたと聞く。関係ない。雷太にいたってはこちらに来た日も違う。彼が報告を受けた二本の光の柱がクラスメートであれば、彼らもバラバラだ。
ではなぜ絵里と涼一と隆弥は、同日に、近い場所に召喚されたのだろう?
というより、だ。
問題があるのではないか?
ノックした。とりあえず考えなければいけないことができた。
誰も出てこない。
留守か?
とりあえず、誰かと話したかった。胸にわいた疑問。
涼一の部屋をはずれて、隆弥の部屋のドアをノックする。
「誰?」
「小橋ッス」
どうぞ、とドアが開く。右目の眼帯が痛々しい。
隆弥がドアを開けたまま動かないので、絵里は顔をのぞき込んだ。
「どうしたッスか」
「あ、いや、な、なんでもない」
両手と首を振る隆弥。心なしか頬が染まっているようで、
「……」
自分の格好を再確認する。へそが出ている。よく見たらスカートは布地が薄すぎて、生足が透けている。
「そんな欲情するような体じゃねーでしょ」
「よ、よくっ……違うってそんなんじゃなくて!」
おもしろかったので少しからかった。
フラウスの後について歩く。涼一の顔は真剣だ。
「誘っておいてなんだが、いいのか。コバシが怒るぞ」
「ドットさんにも相談したけど、いい案はなかった。兵士になるしか、国外で仲間を捜す方法がないんだ」
「出奔する手もある」
「風間を人質に取られているようなもんだ。それに小橋さんも余市も、置いていきたくない」
実際、涼一が国の管理下を抜け出したところで風間雷太が死ぬことはなかろう。シュミットにとって一番大事なのは雷太だ。だから涼一にとっては残り二人の比重が大きい。
「お前が戦力になるのは願ったり叶ったりだ。その力、寝かせておくにはもったいない」
「でも戦いは素人だ」
「わかっている。だからこれから鍛えるしかあるまい」
どれくらい歩いただろうか。兵士が出入りしている扉を抜けて、屋外に出た。
数十人の兵士が、各々得物を手にとって訓練している。
「練習場みたいなものだ。ここで訓練するか、城の警備に回るか。これが近衛の仕事だな」
そのうちの一人を呼ぶ。ほかの者よりも質のいい鎧の男だった。
「将軍、どうしました」
「紹介しよう。近衛隊隊長のユラク・サヴィネズ。こっちは轟天大聖の従者、ナギ・リョーイチ」
ということになっている。ユラクは兜を脱ぐと、さわやかな笑顔で握手を求めてきた。
「あなたが。お話はレンジェから伺っています。ずいぶんとお強いそうで」
「力だけだ。だからお前に鍛えてもらう」
「私が?」
「暇なのはお前だけだ」
いやはや、とユラクは頭をかく。
「私に鍛えさせて、ホワイト将軍の隊に編入でしょう。いつも人使いが荒い……ま、ウィン・ベネットの従者となれば私も興味がある。いいでしょう。彼にあう鎧と、剣、盾を。サイズありますかね」
「よ、よろしくお願いします」
「戦いの経験はほとんどないと伺っていますが」
涼一は自分がズブの素人であることを話す。
「力は人並み以上、ふむ。妙なことですが、とりあえず武具を身につけてください。私が判断します」
「判断って……どうやって?」
「真剣で一試合」
涼一はフラウスを見た。
「ヤツのやり方だ。全力でやってやれ」
マジか。