始まり
雷太の話を、三人は馬車に揺られながら聞いていた。
言葉もない。彼らも現れたあとは命の危機に瀕していたが、雷太も同様であったのだ。
「……それで、かけられた術ってのは?」
雷太は無言で詰め襟の前を開けると、シャツをめくる。
左胸に複雑な文様が描かれていた。
「一種の呪いみたいなもんでさ。ベンガラがキーワードを唱えると、俺は死ぬ」
愕然とするほか無い。
「お、お前、そこまでして……」
「しかたなかった。どうにか生きようとしてこれだ」
馬車の中を重い沈黙が流れた。
雷太がノルオートを訪れて二日。完全とは言わないが回復した余市隆弥の要望もあって、彼らはシュミット王城に出発している。
四人は馬車で、そして護衛としてフラウスホワイト率いる十名の騎士と、周辺警戒要員としてレンジェ。まだ現地の人間を怖がっている余市が、おびえながらも唯一受け答えできるメイドのリュリが同行していた。
バウィエはノルオートの地方軍に、正規軍援軍の指揮官という形で残っている。砂烈団を殲滅したため、周辺の賊バランスが崩壊した。その後始末のためだ。
「でもそれ、ホワイト将軍は風間君のこと、あまりこころよく思ってなさそうだけど」
「そりゃ、そうだろうな。でも表向きはさ、俺轟天大聖だし。それに王を騙したとかで暫く口きいてくれなかったけど、根は優しそうだから。松凪たちにもそうだったろ?」
戦場に放り込むのが優しいかどうかはさておき、彼女は混乱、激高した涼一の話を辛抱強く聞いていた。雷太の前例があるとはいえ、彼らの話も信じた。
「確かに」
「よし、ここからは質問タイムな。一応一ヶ月いるから、ドットとかフラウス将軍からある程度のことは教えてもらってる。わかんないことあったら答えるぜ」
「ま、魔法ッス。魔法ってどんなんなんすか」
絵里の反応は異常。見れば、隆弥も心なしか目を輝かせている。
「どんなんっても、魔法だよ。ゲームとかの」
「メラッスか」
「そんなもん。ドットに頼めば見せてくれると思うよ。三人のことで連絡受けたときも妙にはしゃいでたし」
「私にも使えるッスかね」
雷太は苦笑して、
「ドットが言うには人の魔力が見えれば才能はある。まあ、才能があっても紋章や呪文や組み立て方を覚えなきゃいけないから、できるにしても簡単じゃないな」
「風間の様子だと、一ヶ月の間に他の生徒には会ってないってことだよな」
「ああ。でも二十日前に、隣国マルドールで光の柱が二本、確認された」
「光の柱?」
「松凪たちが出てきたときに将軍が見たのと同じだ」
涼一は思わず身を乗り出した。
「それって」
「最初は俺もなんのことかわからなかった。自分が出たときは見えなかったし、俺以外の生徒が来てるとも思わなかった。でも今なら、あれはたぶん誰かが来た、その光だと思う」
「遠いのか?」
「遠いし、俺はシュミット領を離れられない。というより今は開戦間近で簡単に国境を越えることはできない。特に俺たちみたいな風体だとね。スパイに用心してるんだ」
「その戦争ってなにが原因なんだ?」
雷太はため息をつくと、
「俺からはなすのは気が乗らないな」
馬車のドアを開けて、
「将軍、ホワイト将軍」
と呼ぶと、羽の生えた馬が一頭、下がってくる。乗っているのはもちろんフラウス・ホワイトだ。
「なんだ、カザマ」
「予言の話、しちゃってもいいですか」
「しちゃってもって……いい、今夜私からしようと思っていたところだ。どちらにしろシュミットにつくまでには知って貰わなければならん」
「どうも」
ドアを閉める。
「予言?」
「そう、予言。世界を巻き込む大戦争は、予言が原因だ」
蓮華史の終わり、彼方より獣あり。
獣のゆくところ、ことごとく命なし。
大王は剣を手に、人を束ねこれにあらがう。
大王のもとに人は栄えよう。
大王に従わぬものは、ことごとく命なし。
二十の光、また彼方よりあり。
獣を討ち滅ぼすものどもなり。
「……ん? それだけ?」
「そう、これが戦争の原因」
と雷太は言うが、意味が分からない。
「この、獣ってなんだ」
「わからない。北の魔族かもしれないし、違うかもしれない。とにかく二行目から、危険なものだっていうのがわかる」
「……ああ、なるほど」
隆弥が頷いた。
「生き残れるのは、大王に従う人たちだけなんだ」
「余市君、正解」
涼一にはまだわからぬ。絵里は得心がいったようないかないような、複雑な表情だった。
「三行目、大王は剣をとり、人を束ねてこれにあらがう。つまりどこかの王が獣に対して戦いをしかけ、その結果、繁栄する。それ以外はやっぱり滅ぶ。つまりこの予言の通りだと、世界中で一国を除いて滅亡するんだ」
それでどうして戦争の話になるというのだ。
「一国がどこか、大王が誰か、それは明言されていない。だからつまり、他の国をあらかじめ滅ぼせば、自分とこの国がそうなる確率は高いだろ?」
その理屈はおかしいだろう。涼一は考える。そもそも大王が一国の王だと明言sあれているわけでないし、
「なんでそんな予言信じるんだ? 眉唾じゃないのか」
「この予言を正当なものとして、大国バウステウスが周辺諸国に侵攻した。もしかしたら予言っていうのはただの理由付けかもしれないが、バウステウスは小国を吸収して、今は大陸の四分の一を占めている。そして、まだ止まらない」
大陸の四分の一。
大陸の大きさを知らないのでどれほどの規模なのかはわからない。
「その予言、誰が言ったんスか?」
「始祖のイズニア。三百年くらい前の人だ。彼女が書いた創世神話の最後にこの予言がある。未来を示した文章はこれ一つで、他はすべて世界が作られる課程を書いたものだから、なぜこの予言だけが書かれているのかが今も論争の的」
「……それで、シュミットもそれを信じて?」
「というより、バウステウスの侵攻に対して、といった方がいい。巨大化するバウステウスに対抗するため、版図と軍事力を拡大しようって魂胆だよ。やってることはバウステウスとあんま変わらない」
「……それじゃあ」
レンジェの言葉を思い出す。マルドールとセン、という国だったはずだ。
その国を吸収するために、戦争が始まるというのか。
「そんな、あんまりだ」
「そんなもんだ。ここから本題に入るけど、俺はそれに協力しなきゃいけない」
涼一にもそれはわかる。ウィン・ベネットに祭り上げられた雷太の役割とは、すなわちシュミットに大儀を与えることである。精霊ウィン・ベネットが選んだシュミットこそ、大王たるにふさわしいと。
精霊はあと三人いるが、ウィンを信奉するシュミットではこの上ない理由になるだろう。
あやふやな予言に振り回される戦争で、国民の不満を極力抑えようというろくでもない計画だ。
「一ヶ月前はそれでもいいと思ったけど、今は事情が違う。俺たちの他にもこっちに来てる仲間がいるかもしれない。その可能性は高いと思ってる。けど……つまり、俺はなにもできないんだ。探しに行くことも」
「じゃ、じゃあ僕たちが探すよ」
隆弥の言葉に雷太は首を振った。
「たぶん無理だ」
「そんな、僕だってやれば……」
「違う、そういう意味じゃない。三人とも俺と同じところから来たってこと、忘れるな」
雷太の言葉は……三人に、確信めいた嫌な予感を与えるのに十分なものだ。
「ベンガラや王がどう考えるかはわからないけど、自由に大陸をうろつけるようにはさせてくれないと思う」
宿屋で夜を明かすという。
「寝る前に、私の部屋へ来てくれ。四人ともだ」
フラウス・ホワイトに言われ、食事をとった後にフラウスを尋ねる。
「カザマから話は聞いたな」
言いたいことは山ほどあった。フラウスをにらむ涼一を見やり、
「命の保証はする。カザマと同じだ。これは私の名において必ず守る」
「だけど、風間は命を握られてるじゃないか」
「松凪、そりゃ仕方ない。松凪たちと事情が違った」
フラウスはため息をついて、
「カザマにはしてやられた。ドットにもな。こうなっては嘘を貫き通すしかない」
「俺たちの仲間が世界中に散らばってるかもしれないんだ」
「やはり四人だけではないのだな。光の柱をみて、お前たちを拾ってからずっとそんな気はしていた。二十人か」
「いや……なんで二十人なんだ?」
「松凪サン、予言ッス、きっと」
昼間の予言。
二十の光、また彼方よりあり。
「光……俺たちのことって、そういうのか?」
「わからん。だが蓮華史、というのは現在の魔導後期と前期をあわせて解釈するものが多い。それが終わる、大国が動く、となると……光の柱とともに現れたお前たちは、二十の光」
「だけど、もし一クラス全員だったら三十六人だ。全員じゃないのか?」
「落ち着け、お前たちが予言の光だと決まったわけではない。しかし、三十六もいるのか」
押し黙るフラウス。雷太も、絵里も、隆弥もなにも言わない。
「なにか問題があるのか?」
「二つある。まず、自分のことを思い出せ。お前たちの仲間は、来たとたんに死んでいてもおかしくない」
胸を刺されたような痛み。
考えないようにしていたことだ。自分が、絵里が、隆弥が生き残れたのだから、他のクラスメートが死ぬことはないと、決めつけていた。
自分は死にかけたというのに。
特に涼一は運がよかったのだ。偶然にも、事態に柔軟にたいおうできるフラウスが近くにいた。そして自分の力に助けられた。今にして思えば崖から落ちてあの程度のケガですむはずはない。骨の一本折れていそうなものだったが、あれは越境能力による超回復によるものだったのだ。その後も、肩を刺され、腹を抉られ、本来なら何度も死んでいるはずだった。
運がよかっただけなのだと、痛感する。
「そして……運良く生き延びたところで、国が自由を許さないだろう。お前たちの力は有用だ。すくなくとも敵にはしたくない」
その越境能力は、ほかのクラスメートにもあるのだろう。ここにいる四人全員に起きている変化だ。
「つまり……カザマのように命を握られ戦力として扱われるか、刃向かわないように押し込められるか、とにかくなにかしら管理されるのは間違いない。お前たちと同様にな」
命の保証はするが自由はない。
「探したいんだ。見捨てられない。友達なんだ」
「許可は降りないだろう。シュミットもまた同じように、お前たちが万が一にも敵になることを恐れている」
「そんな、俺は帰りたいだけなんだ! 小橋も、余市も、風間もそうだろ?」
頷く、がフラウスはやはり首を振り、
「カザマはすでに大儀のために現れたとなっている。同じ場所から来たというお前たちも、そう判断されるに難くない。無理だ」
「じゃあ、みんなが死ぬかもしれないのに黙って見てろっていうのかよ!」
「軍人であれば、領外へ派兵されることもある」
フラウスは至極真面目な顔で言った。意図をはかりかねて、涼一は思わず言葉をなくす。
「私たちとお前の利益が一致する。私たちは戦力がほしい。お前は仲間を捜すために外に出たい。となれば、ナギ、兵士になれ」
「そんなのないッス!」
絵里が激昂した。
「あんな危ない目に、また松凪サンを……! あのときだって、生き残るっていったのに、死にかけたじゃないッスか!」
「生き残っただろう」
「保護してくれるって約束じゃなかったッスか!」
「間違っていない。ナギは軍人にならず、シュミット内で暮らすこともできる」
「そんな、そんなクラスメートを人質にするような真似……」
「この世界で生き抜くならそれで十分だ。ナギ、お前の望みは、今の情勢で叶えるのは無理だ。私から出せる案はこれだけだ。他にいい手があるならそれでもよかろう。考えておけ。それからコバシ、ヨイチ。お前たちもその力を扱えるようになれば、同じ提案があるかもしれん」
解散とあいなる。
部屋に戻った涼一は、怒りのあまりドアを殴りつけ……ようとしたところを、雷太に止められた。
「ぶっこわれるぞ。やめておけ」
「ちくしょう……ちくしょう、あんなのあれで最後だと思ってたんだ」
「あんなのってなんだ?」
涼一は、自分が少なくとも二人を殺していることを告白する。
雷太は一連の話をだまって聞き、しばしの沈黙のあと、笑った。
「将軍の言うとおりだ。お前、小橋さんと余市を守ったんだろ。少なくともその点は胸をはれよ」
そして……返事をしない涼一を見て、笑う。
「お前、そんな正義感のある奴っだったんだな。知らなかった」
「なんだよ、急に」
「いやさ、同じクラスにいても案外知らないもんだなって。結構話してたつもりだったのに」
「……かもな。風間は、なんかイメージ通りだったけど。でも目が悪かったのは知らなかった」
「ああ……そうだ。さっきの兵士の話なんだけど、正直将軍があんな提案してくるとは思ってなかった。急に悪かった」
「風間が謝ってどうするんだよ」
「いや、まあ確かに。でも……でも、うん。お前、兵士やった方がいいと思う」
落ち着いた雷太の声。一瞬、なにを言われたかがわからなかった。
雷太は窓の外を見ながら、独り言のように呟いた。
「ていうか、今の話聞いて思ったんだ。小橋さんも余市も、お前がいなきゃたぶん死んでた。二人には黙ってろよ」
「……」
「他に3-3が来てて、そして死にかけてるんなら、助けるのはお前しかいない」
「俺に、また人を殺せっていうのか」
「一度、余市のためにその決心をしたろ」
「風間、お前……!」
雷太はなにかに気づいたように涼一を向く。
「……あ、悪い。ごめん、考え事してたら、とんでもないこと言っちまった」
平謝りしてくる。涼一は首を傾げると、
「考え事? こんな時にか」
「こんな時だからな。麻尋が……」
「まひろ?」
「い、いや、違う。式家さん」
慌てふためく雷太を見て、涼一は頭をかき、頬をかき、気が抜けたように。ベッドに倒れ込んだ。
「なんだよノロケかよ」
「うるさい。ってことはなんだ、松凪も知ってたのか」
「知らない奴の方が珍しいぜ」
「え、マジで?」
なるほど。クラス全員が来ているのであれば……式家麻尋もきていることになる。心配でたまらないのだ。しかし雷太は自由に動くことができない。万が一を考えると戦場にもあまり出まい。主ミットから動けないのだ。
だから、涼一なのだった。
本来であれば自分が行きたいのは間違いないのだ。
「……そうか、兵士になれば。戦争だもんな、違う国にも行くよな」
「忘れてくれって、俺、そんなつもりじゃなかったんだ」
「なるかはわかんね。でも他に手がなかったら、最終手段だ」
体を起こすと、涼一は雷太を見た。
「絶対に帰る。こっちに来てるヤツがいるなら、全員無事に連れて帰る。できると思うか」
「できるかはさておき、全員てお前、なんでそんな熱血漢なの? 仲悪いヤツとかいたろ」
「そんなの今は関係ないだろ。一人の時、すげえ不安だったんだ。小橋に会ってすげえ安心できたけど、向こうも同じだった。クラスメートが一人でいるかもしれないんだ。放っておけない」
雷太はそれを聞いて、あろうことか笑った。バカにされたようで涼一は憮然とする。
「松凪、それ似合ってるな。マンガの主人公みたいだ」
「ふざけんな」
「ふざけてなんかいない。正直な感想。お前、やっぱすごいな」
そして、右手を挙げてくる。
「ノった。やろう。俺も手伝う」
十秒ほど機嫌を悪くしたまま、しかし涼一は最後には笑い、
「轟天大聖が味方なら大丈夫だろ、きっと」
と、自分の掌を打ち付ける。ハイタッチ。
同時に、ドアが開いて絵里と隆弥がなだれ込んできた。
「ちょ、さっきから聞いてれば二人して、なに勝手なことを……」
「なにを盗み聞きしてたんだ」
「それはもちろん松凪サンを慰める風間サン……じゃなくて。私もやるッスよそれ。都合のいいことに、私の越境だか能力は一度見た景色をどこからでも監視できる便利なヤツッス。探すのに苦労はしません」
「ぼ、ぼくのは役に立たないかもしれないけど、僕も探すの手伝うよ。松凪君に助けてもらったんだ。できることがあるなら」
ともあれ。
異世界に迷い込んだ四人の、これが、本当の意味での始まりである。
同時刻。
シュミットから南、マルドール帝国を間に挟んだ小国、ガリオ。
そこで行われていた儀式がようやく身を結ぼうとしていた。
城の地下にある怪しげな祭壇の回りで魔法士がぶつぶつと何事か唱え、すでに一週間になる。
いい加減我慢の限界に達した国王が怒鳴り込んできたのと、祭壇に光が満ちたのがほぼ同時であった。
驚き慌てる人々の前、召喚は完了する。ネニギの巫女。この国の主神であり、守子。
神を降臨させるべく行われていた儀式が、ついに実を結んだのだ。
光の後、祭壇には女が立っていた。
紺色の衣服に身を包み、伝説上の巫女とはずいぶん異なれど……召喚の儀式に答えたのだから、間違いはない。
戸惑う女の前に王跪いて、感謝の言葉を述べる。
女は言った。
「あの……ここ、どこですか?」
その女は、もちろんネニギの巫女などではなく、
式家麻尋という。
長くなりました。一章終了です。