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死ぬ。これは間違いなく死んでしまう。
光る刃は本物のそれだ。
この連中は……興奮したように見下ろしてくる兵士たちは……本気だ。なんの冗談でもない、本気の兵士たちだ。
日本にこんな前時代的な場所があるというのか。
靴音が鳴った。
気がつけば、雷太がまとった風の他にはその音しかしなくなっている。兵士たちは静まりかえり、雷太の命を狙っている五つの槍の持ち主も、口を一文字に引き結んで動かない。
緊張しているようだ。
「槍を引け」
「は、はっ!」
重苦しい声が発せられた。
満足に見上げることもできぬ。雷太がうなだれると、そのとたんに髪を捕まれ、強引に引き上げられた。
間近にムサい顔がある。騎士将軍と呼ばれた、壮年の男。
近くで見るとなお恐ろしい。なんの甘さも見えない冷徹な瞳が、雷太を見据えている。
「ここまで入り込んだのは褒めてやろう。ずいぶんな腕だな。しかし、開戦間近とはいえそれを許す我らではない」
「……な、なんのことだか」
「いい度胸だ。後でゆっくり調べたいところだが、お前のその力、危険だな」
腰から物々しい剣を引き抜く。
「お待ちください、騎士将軍殿」
別の声が聞こえた。若い。目だけで声の方を見ると、先ほど雷太に不可思議な術をかけた、ローブの男だ。
「魔族ですぞ。殺しては不戦の大約定が」
「先に仕掛けてきたのはあちらだろう」
「しかし魔族は約定締結後、シバから一人たりとも出てきておりません。理屈に合いませぬ」
「見つからないからこそここまで入り込めたのだろう。危険なことに変わりなし」
「先に確認をとってからでもよいでしょう。ご心配とあらば眠らせていてもよい」
「魔法でか。魔族にそれが効くのか」
「今くせ者を拘束しているのは私の光輪ではありませんか」
話している内容はさっぱりだが、雷太は若者を応援した。どうやら殺さないように説得しているようだ。
「もしや、この男、自ら話すやもしれませぬ。魔法を封じてみましょう」
騎士将軍は鼻を鳴らすと、剣を雷太の首に当てた。同時に若者が何事かをつぶやき始め、先ほどと同じように指先で空中に図形を描く。
「貴様、シバからのものだな」
シバ、とはどこだろう。近くにそれらしき地名はない。
「ち、違います……神奈川の太江崎市の」
「カナガワ?」
「こ、ここ、神奈川じゃないんですか。い、いや、どこなんだ、ここ」
「貴様が問われておるのだ」
と言い、騎士将軍はにらみつけてくる。
だがそれ以上の追求はない。しばらく黙ったまま睨まれ、雷太は身震いする。なにをたくらんでいるのだ。
「貴様、自分が忍び込んだ場所もわからぬというのか」
ギラリと刃が光った。
「……お、お待ちください騎士将軍、魔法ではありませぬ」
それは雷太の決断と同じだった。
若者の慌てた声に、ほんのわずか、騎士将軍の注意がそれた。
この時を逃しては他にない、四肢の光輪は彼の動きをほとんど制限していたが、それも構わぬ。
死んでたまるか!
「死んでたまるか!」
心と口で同時に叫ぶと、雷太は全身に力を込めた。こんな小さな両輪で縛れるものか。ただ重いだけのはずだ。
にわかに、彼のまとっていた風が強まった。
理屈ではなく、雷太は直感する。この風は雷太の思考とシンクロしている。彼の意のままに動くのではないか。
彼は信じた。信じるしか道はなかった。
目の前の騎士将軍にむけ、精一杯の意思表示を行う。
襲え!
「むっ」
雷太の叫びに顔を戻した騎士将軍が、巨大な見えないハンマーで横殴りにされたかのようによろけた。事実、それほどの突風が騎士将軍を襲ったのだ。
うめきながら、しかしなんということだろうか。騎士将軍は腰を深く落とし、雷太の髪の毛を掴んだまま踏ん張っているではないか!
「小童めがっ」
だが右手は風にあおられ、持っていた剣は弾き飛ばされている。小規模な嵐の中、空になった掌で、雷太の顔を鷲掴みにした。
万力で締め付けられるような激痛。
後悔する。風は期待通りの威力を発揮したが、この男、人外のごとき膂力だ。車でも飛びかねぬ風速のはずが、なぜ腰を落とすだけで耐えられるのだ。
「貴様が死ぬか俺が手を離すか、勝負といくか」
騎士将軍は笑わぬ。それどころか、これまでちいとも表情が変わらぬ。雷太の全力を受けてなお、焦りも戸惑いも見られぬ。
雷太は痛感した。勝てない。他の連中とは訳が違う。
同時にあれほど渦巻いていた風が、霧散した。
あれから妙な術を使った若者がさらに制止に入り、騎士将軍は渋々ながら、雷太を牢に放り込むことで妥協した。光輪を四肢だけでなく頭や首や胴にもまかれ、もはや雷太の体は一寸も持ち上がらぬ。だから彼は冷たい石の上で寝ているしかない。
殺されなかったのは不幸中の幸いであった。あれほど暴れた上でなお温情を求めてくれた若者のおかげだ。若者と言っても、雷太より一回りは老けているが。
しかし先はない。
死という処罰が少し長引いただけの話だ。
どれくらい仰向けになっていただろうか。尿意を感じないのだからそれほど長くあるまい。その間に、雷太は悪足掻きのように思考を回転させた。それしかできなかった。
わずか五分足らずに起きたことが、常軌を逸していた。
流れのまま暴れ回ったのは確かだった。だが正直な話、雷太にそこまでの力量がないのは明白だ。
ここはどこだ。
自分になにが起きた。
地震のあとになにが起きた。
繰り返し繰り返し自問するが、答えなど出るはずもない。なにせ、地震でつぶれてしまった骸の見る夢か、そうでなくたってなにかのショックで気絶している間の夢であるという結論が一番ありそうである。妄想妄想。だがこんなにも痛みを感じる妄想などあるのだろうか。
いつの間にやら、雷太を風が覆っていた。
この風はなんだろうか。突如としてあらわれた風。
雷太を守るように包み込み、ある程度意のままに動かせる風。
目を閉じると、どこか見晴らしのよい草原に立っているように感じられた。
頬をなで髪を揺らし、耳に囁く。それが程良い気持ちよさで……
「お目覚めください」
ふと、目の前で声がした。
驚いた雷太が目を開けると、見慣れた景色が目に入る。
座り心地のよいソファ。テーブルに開かれた赤本やノート。湯気を立てているコーヒー。鼻をくすぐる煙の臭い。視界の隅に観葉植物。洒落た洋楽の流れるここは……カフェ・ボヘミアンだ。
外は車が走り、通りの向こうには住宅街が広がっている。
雷太はため息をついた。同時に胸をなで下ろす。
よかった。やはり夢だったか。
おそらく地震の衝撃で気絶してしまったのだろう。その間にみた、キテレツな夢。当たり前だ、あるわけがない。
しかし雷太の頭は、すぐに逃避をやめた。わかっている。この声は恭平のものではない。
つい先ほど聞いた。雷太を拘束した光輪、それを生み出した若者。
恭平のいた、向かいの席に座っている。
「あなたに危害を加えるつもりはない……とはいえ、あなたの力は危険なのも事実。そのため、失礼ながら頭の中に入り込ませていただきました。先にお詫びします」
フードをとると、淡い紫色の髪の毛が流れた。平たい顔で、目は細い。右耳にピアスのような物が三つついている。
「ドット・ネスコンと言います」
雷太は安易に答えない。危害を加えるつもりがないとは言うが、信用しろと言う方が無理だ。それに頭の中だと?
「先にあなたの意志を伺いたい。いかなる目的で王城に入り込んだのか」
雷太が黙っていると、ドットは回りを見渡して、
「ここはあなたの記憶にある風景です。様式はともかく、見たことないものだらけ。正直なところ戸惑っているのです。あなたが何者か。とにかく、魔族ではなさそうだ」
魔族。兵士たちも言っていた。それは彼のよく知るところのモンスターだと考えてよいものか。
「私はあなたを見極めるためにわずかの時間を与えられた。このままではあなたは死罪になる。悪意がないのであれば、お聞かせください」
「さっきから聞いてれば」
雷太はため息をつく。
「意味の分からないことだらけだ」
「立場をご理解いただきたい。あなたはシュミット王城に侵入し、衛兵らを傷つけた。昨今は物騒になってきている。中には王を狙ってのことだと主張する者もいる」
「理解できないから答えようがない。俺はただの高校生で、シュミットなんて国は聞いたこともない。さっき相手にした兵士は、俺を殺そうとしたから自分を守っただけだ」
言いながら、それが無意味な主張であることはわかっていた。ドットという男が自分をからかっているのでなければ……ここは、今までの常識が通用しない別世界だ。
普段であれば笑いとばすところだった。日本語を話しているのに、ここが日本でないと言う。
しかし、先ほどの数分間で起きたことを考えると……
「なにが起きたかわからない。俺の方こそ説明してほしいくらいなんだ。ここはどこで、あんたたちは何者で、どうすれば帰れるのか」
「そう、問題はそこです。私は少なくとも、あなたは魔族ではないかと思った。だからシバに連絡をとり、あなたと話す時間を請うた。ですが今、驚きを隠せないでいる。あなたは魔族ではないし、この景色だけでも、私の理解の範疇外にある……ですから、知りたいのです。あなたがどこから来たのか」
「頭の中に入って記憶を映し出せるなら、説明なんかいらないんじゃないか」
「できないことはない。しかし記憶を覗かれることを好む者はいない。あなたを力で蹂躙しないという、その証明だと思っていただきたいのです」
表情は変わらぬ。だが雷太は再びため息をつく。冷静になれと自分に言い聞かせる。このままでは状況は変わらない。変わらなければ死罪。どう変わるにしろ、これ以上悪くはならない。
「見てくれ。話すより早いし、伝えるなら余計な疑問は残らないようにしたい」
「よろしいのですか」
「でも、理解できるかどうかは保証しない」
ドットは手を組んで、身を乗り出した。
「ありがとうございます」
「全部見てほしい。俺の記憶の隅から隅まで」
「はい」
黙り込むと、ドットはただでさえ細い目を完全に閉じる。耳の飾りが鳴った。
「……これは」
しばしの瞑目のあと、ドットの額に汗が浮かぶ。
「なんとも……信じがたい」
雷太は黙ったまま、ドットを見ている。
「これがあなたの生きる世界ですか」
「信じるのか」
「頭を覗く、とはそういうことです。記憶は嘘をつかない」
「なにかわかったか」
「あなたの記憶がおかしくなっていないのであれば、嘘をついていないことがわかりました。しかし一つ、腑に落ちぬ点がある」
ドットは目を開くと、
「あなたは高校生という身分。まともな訓練も受けていないし、先ほど見せたような力も持たない。どういうことでしょうか」
「わからない」
「そうでしょうね。人並みはずれた力も、風を操る力も、あなたが王城に『現れる』まではなかった。いや、あなたが『現れる』直前に起きた異変によって覚醒したと考えたらどうです」
「どうといっても、それはフィクションの話だ」
「しかし私は魔法を使える」
「俺の常識では、それはやっぱりフィクションだ」
「そう、ですね。むしろ、あなたがヴェリーペアに来たが故に発現したと考える方がよいかもしれません。いえ、申し訳ありません。あなたのことはよくわかりました。どこまで理解できているかはわかりませんが」
「それで、俺はどうなる」
「やはり一つの問題があります。あなたの無実はわかりましたが、同時にあなたが宮中で争いを起こしたのも事実。そして、私が説明したとして、他の者を納得させることができるかどうか」
「全員に俺の記憶を見せてもいい」
「無理です。これは魔法によるものですが、宮中では私しか使えない。他の者では見ることができない」
三度、ため息。
それでは見せた意味がない。いや、それも半ばわかっていたことだ。騎士将軍と呼ばれた男はドットほどに優しくはなさそうだった。こんな便利な方法があるのにわざわざ問いかけて来たのは、それが使えないからだ。そして厄介なのは、記憶が嘘をつかないとはいえ、それは見たものにしかわからない。
この男はただ一人、この魔法が使えるという。ずいぶんと偉そうだった騎士将軍にもの申し、雷太を取り調べているのだから見た目に寄らず権力はあるのだろう。だからといって、雷太の現状を考えるに、それだけで押し通せるかといえば、否である。
雷太が今いる世界を信じられないのと同様に、異なる世界から迷い込んだという主張もまた、信じられないのだ。
「なにか方法はないか。帰りたいんだ」
「私に考えがあることはあります。しかし、もしかするとあなたの立場を危うくしてしまうかもしれない」
「わかった。話してくれ。ただその前に質問したい」
「なんでしょう」
「俺がその、魔族でないならもういいだろ。さっきからどうも、協力的だけど。理由は?」
「単純な知識欲、と申し上げてよいですか。いや、これは欺瞞ですね。私も嘘はつかない。私はあなたを利用しようとしている。そのためには死なれたら困るのです」
「利用価値が俺にあるのか」
「あります。あなたが風の力を持っていてよかった」