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 風間雷太はそのとき、カフェ・ボヘミアンにいた。

 向かいには野乃上恭平。二人してセンター試験の過去問題集を開いている。学年で上位の成績を誇る二人は、よく一緒に喫茶店で受験勉強をする仲だ。家が極端に近かったのが主な理由であった。


 二年から同クラスの野乃上恭平は、しかし一年からの知り合いである。入学初日の下校時に、ほとんど同じ道を歩いていたのにお互いで気づいた。俺の家ここ、俺はそこ、というのが初めての会話で、思い返せば妙な内容であった。


 現在、二人はセンター試験に向けての最終調整に入っている。この時期になると塾の自習室は満員御礼で、落ち着いて勉強もできやしない。平日の昼間の喫茶店は人も少なく、また常連の二人には店長も協力的で何時間いても文句を言わない。何より二人の家から徒歩十分の場所にあるのがよい。


 実際のところ、雷太も恭平も、センターの過去問などやり尽くしている。であるから今の時間は、お互いの認識を確かめ合う一種の儀式のようなものだった。


「問題ないと思うよ、俺は」


 雷太はコーヒーをすすりながら言った。砂糖三個の甘党用。


「俺はやっぱ世界史だなぁ。日本史にしとけばよかった。なんとかヌスなんとかウス多すぎて、一年からわかんね」

「そりゃ日本史も似たようなもんだろ」

「漢字とカタカナは違ぇっすよダンナ」


 二人ともホームルームが終わり次第、このカフェに来た。恭平などは彼女の誘いを断ってきたのだから、二人の友情というか妙な仲間意識の強さがあらわれている。特に約束もしていなかったのに。


「でも雷太、法学部なんだからさ。余裕ぶっこいてると痛い目見るかもよ。森部、この前の模試で半分泣いてたし」

「いや、森部は俺よりいいとこだから、確か」

「法学部のいい悪いってそんな変わんねーべ」

「ていうかそんな不吉なこというなよ、こんな時期に」

「滑る、fail。落ちる、fail。こける、fail。つまずく、fail」

「やめろバカ」

「単語の確認ッスよ」

「失敗の意味でそんな単語ださねえよバカ」


 悪い悪い、と恭平は笑う。タチの悪い冗談を言うくらいには、恭平も余裕があるようだった。

 それを指摘すると、


「いや、実際のところそんなに。なんかこれで高校も終わりかーって夢心地でさ。まる子とも別れるだろうし」

「なんで? ケンカしたのか?」

「いや、あいつ九州行くからさ。半分が留学生のとこ」


 遠距離は嫌なのだそうだ。まる子とは外丸順子のあだ名で、恭平が誘いを断った彼女のことだ。


「お前もさ、どうすんの」

「なにが」

「いや、式家さんのこと。京都だろ?」


 内心ギクリとするが、感情を悟られないように平静を装うのが雷太の特技だった。


「ほら、その顔。式家さんの話がでるといつもそうなる」


 特技だと思っていたのは本人だけのようだ。


「なんでまひ、式家の話になるんだよ」

「ええー、この流れでそれっておかしくないスかダンナ。何年やってんスかダンナ」

「いやいやいや、式家がでるのがおかしいだろ」


 風間雷太が幼なじみの式家麻尋に恋いこがれているのは彼だけの秘密であり、実際は万人の知るところとなっているのは前述のとおりだ。雷太本人は自信の胸の内に秘めているものと思いこんでいるので、あっさりと看破されたことにうろたえている。


「今のうちにツバつけとかないと、京都は誘惑多いッスよ。たしか式家さん、今まで彼氏いなかったから。誰かのせいで。耐性ないでしょ」

「お、俺になんの関係が」

「告白しときなさいって言ってんの。オーケー出るよ。二人とも受験生だからね。あんま直前はどうかと思うけど、センター終わった後にでもさ」


 京都ならそんなにかからないし、と付け足す。


「まる子が探り入れたことあるんだけど、式家さん、遠距離もとくに気にしないらしいし。風間とならお互い浮気もしないしで万々歳」

「いやそのな、なんで俺が麻尋のことをす」


 ドン、と地面がはねた。


「きっ!?」


 舌を噛んだ。


 雷太の頭は、即座に麻尋の安否について思考を巡らせる。目の前で、やはり恭平が仰天したようにコーヒーをこぼした。


 地震だ。しかも並大抵の物ではない、直下型の。

 同時に、空が急速に暗くなっていく。激しく揺れるテーブルにしがみつきながら、どうして携帯電話の緊急地震速報が鳴らなかったのか、式家麻尋はどこにいるのか、父親は、母親は、妹は、大丈夫か、それよりも自分が大丈夫なのか。


 なぜ空が暗くなる。


 思わず、雷太はテーブルから腰を浮かせた。





 そして、彼は見知らぬ場所に立っていた。


「……あれ?」


 気がつけば地面は揺れていない。いや、と雷太は素早く状況把握につとめる。恭平がいない。ボヘミアンの店主もいない。どころか、ここはボヘミアンでもない。


 あの狭苦しい、今時珍しくタバコの臭いが流れる喫茶店ではない。


 地面は石。大理石の用で、だだっ広い。色彩に満ちた、さながらヨーロッパに建てられた宮殿のような場所だった。天井は高く、装飾は華美で、高級さをウリにしたショッピングモールを思い出す。


「な、何者だっ!」


 叫び声が響いた。音響がよいのかよく響いている。見れば、冗談としか思えない格好の男が二人、巨大な門扉の前にいた。金属の甲冑に身を包み、手には物々しい槍を持っている。


 なんのイベントだろう、と雷太は考えた。しかしそんなことをしている場合ではないはずだ。地震が起きて、今は収まっているようだが、避難にしろ警戒にしろ、とりあえずコスプレだとして、そんな長物を持っているのは危ない。


 ばたばたと足音がする。がちゃがちゃと金属音もする。雷太はあっという間に、似たような連中に取り囲まれた。


 ここはどこだ。


「貴様、どうやって入り込んだ!」

「魔法士かもしれん、気をつけろ!」

「王城に単身乗り込むとは愚かな奴め!」


 騒ぎ立てる男たち。とりあえず、雷太は彼らを『兵士』と考えた。どうみてもなりきっている。


「いや、その、気がついたらここにいたんですけど。もしかしたら避難してきたのかも」


 と、歯切れが悪いのは自分でもよくわかっていないせいだ。逃げてくる間の記憶が飛んでいる可能性もないではない。そう思うと、恭平を見捨ててしまったのかと情けなくなる。


「ほざくな!」


 兵士たちは叫ぶが、近づいては来なかった。槍を構えたまま次々に声を上げている。

 弁解するにしても、一刻も早く恭平や麻尋の安否を確認したい。ポケットに入れていた携帯電話に思い当たった雷太は、とりあえず確認してみることにした。この状況をすぐさまどうにかできないのなら、せめてメールにしろ着信にしろないかを確認したい。


 デジタル時計は、正午ちょうどをさしている。受信メールも着信もない。


 圏外だった。


「う、動くなっ!」


 やかましい。もしかしたらガードマンかもしれない。であれば雷太は怪しまれていることになり、どうにも本意ではなかった。


「あの、すいません。さっきの地震のこと、詳しく聞きたいんですけど」

「黙れっ!」


 とりつく島もない。歓迎されていないのは明らかなので、とりあえず外に出ることにした。ここがどこかはわからないが、人間の足だ。そう遠くないはずだった。


「動くなと言っているっ!」


 うるさい。

 雷太が無視して踵を返すと、おもむろに背後に立っていた兵士が動いた。


「っ!?」


 かわせたのは奇跡と言うほかない。一直線に突かれてきた槍は、ややもすれば腹部を貫きかねなかった。


 恐ろしいことに、本気で殺すつもりのようだ。


「あ、頭イカレてんのか!」


 詰め襟がわずかに切れている。この槍、もしや本物か。戸惑う雷太に、続けて兵士が槍を突いてきた。

 これもかわす。損なえば死ぬと思うと、刃物を前におびえる余裕もない。


「ち、ちくしょうっ!」


 思わず脇をかすめた槍の、柄の部分を掴む。兵士は槍を戻そうと引っ張ったが、それでは困る。思い切り力を込めて、右手で引き抜いた。


「うおっ」


 と兵士はうめいて、予想以上に簡単に槍を手放す。やはり格好だけで力はないようだ。槍も張りぼてのように軽い。先だけ研いでいるのだろうか。


「警察呼ぶぞこの野郎!」


 刑法第203条、殺人の未遂は罰するのだ。

 しかし兵士たちは変わらず槍を構えている。心なしか、だんだんと包囲を狭めてきているようだ。

 携帯電話をしまい、雷太は兵士を見回した。


「見た目に騙されるなっ! 馬鹿力だぞ!」

「武器を奪われた、油断するな!」


 なんだこいつら。本格的におかしい。


 と、そのとき、門扉が音を立ててゆっくりと開いた。

 こんな巨大な門がどのようにすれば開くのか。機械式だろうか。雷太が見とれていると、わずかに開いたところで音は止み、その隙間に壮年の男が立っていた。


「御前ぞ。なにを騒いでおるか!」


 その男は……短い白髪に顔の下半分を覆う白髭。いかめしい皺の寄った顔のごつい騎士であった。騎士、というのはそれっぽい格好をしているという意味だ。


「ウ、ウラバネス騎士将軍! くせ者にございます!」

「なんだと」


 コスプレ一味の中でも、ずいぶん偉そうだ。しかし騎士将軍とは、また奇妙な階級である。

 ここにきて、雷太の思考はまた動き始めた。なんだかこいつら、ふざけているようにもイカレているようにも見えぬ。いや、イカレているのは確かなはずだが……


「小童ではないか。ひっ捕らえろ」

「し、しかし尋常ではない力で、もしや魔族ではないかと」

「ひっ捕らえろ!」


 一喝。大砲が鳴ったかのような一声であった。雷太は思わず怯んだが、兵士たちは奮い立ったようで、


「うおおっ!」


 と叫び、一斉に突進してきた!


 雷太の心中に絶望の二文字が浮かぶ。逃げ場はない。いや、先ほど得物を奪った兵士のいる方は、ほかに比べて幾分か安全だ。だがその兵士の後ろからも新たに湧いてきている。突破したところで状況は変わらない。


 しかしこのままでは死んでしまうではないか!


 手の槍をどうにか使うしかなかった。軽すぎて頼りないが、ないよりマシのような気がする。

 どこに行くべきかと考えると、やはり無手の兵士しかなかった。


 ほとんど一瞬で決断すると、雷太は床を蹴った。

 雷太のいたところを槍衾が襲う。

 無手の兵士は驚愕したように目を剥いていた。雷太は姿勢を低くして、右肩から思い切りぶつかる。確かな手応え。これで兵士は吹っ飛び、とりあえずの安全が……


 本来なら雷太は逃げるべきであった。兵士たちも追うべきであった。誰もそれをしなかった。

 雷太にショルダータックルを食らわされた兵士が、浮いていた。いや正しくない。正確には、大きな弧を描いて吹っ飛んでいる!


 誰もが見とれた。駆けつけてきていた新手の頭上を越し、がしゃん、と墜落する兵士。


「……あ、あれ?」


 雷太が一番、状況をはかりかねていた。


「や、やはり魔族か! 化け物め!」


 騒ぎ立てる兵士たち。


「魔法士を呼べ!」

「今来ている!」


 意味が分からぬ。しかし、意味が分からぬまま死んでしまうのはもっとごめんだ。

 構えたことなどないが、雷太は槍を両手に、どうにか格好を付けてみた。これで相手が力量を勘違いし、見逃してはくれないだろうか。そう、先ほど騎士将軍と呼ばれたそこのオッサンだ。


 しかし、騎士将軍の顔は変わらぬ。いかめしい面で雷太を見据えたままである。


「槍は素人だ、かかれっ!」


 一瞬にして見抜かれた。壁を背に立つと、自分を囲もうと十を越える兵士が突っかかってくる。


 これはまずい。本気で死ぬかもしれない。

 

 逃げるところが今度こそない。このままでは無数の槍が、いともたやすく彼の命を奪う。

 式家麻尋が頭に浮かんだ。なぜこのときに、家族よりも先に麻尋が浮かぶのか。その意味を深く考えようと

せずに、雷太はやぶれかぶれ、手の槍を思い切り振り、どうにかなることを祈った。


 突風が巻き起こった。


 危うく体が浮きそうなほどの風だった。台風でもこれほどの強風の経験はない。というか、今は台風のたの字もない。いったいどこから吹き込んできたのか。

 兵士たちが悲鳴を上げて、吹き飛んだ。


「う、うお……」


 と呻いたのは雷太である。見ようによっては、自分の一振りが風を起こしたかのように見える。

 自分の回りを吹きすさぶ強風が敵を飛ばした。


 なんだこれは。


 兵士たちに囲まれているにも関わらず、雷太は壁や床を見た。風の入り込むような穴はない。ではこの、自分を守るように包み込む風はなんだ。


「魔法士、到着!」

「束縛しろ!」


 号令。雷太は注意を戻す。いつの間にか右手のほう、扉の近くに、フード付きのローブを着た人間が一人立っている。


 男が腕を前につきだし、指を何かをなぞるように動かすと……その軌跡に光の線が生まれる。


 危険だ。その技術がいかなるものか見当もつかなかったが、束縛しろとの命令をうけてのものだ。ろくなことにならないはずだ。


 しかしなにがおこるかわからないのに、対処のしようがあるのか?


 何でもいい、どうにかしろ。自分で自分を奮い立たせる。さきほど、風が兵士たちを蹴散らしたのを思い出す。


 届くか。

 ほかに手段はない。雷太は構えた槍を、すでに何らかの図形を描きつつある男に向かってつきだした。届かぬのは当たり前だ。だが、兵士たちは届かぬ槍から巻き起こった風に舞った。


「届け!」


 叫んだ。そうすれば届くと信じた。


 だが、


「ラウブ!」


 と男が叫び、描かれた図形から光の筋が走る!


 風が起きていない。いや、相も変わらず雷太の回りは暴風だが、相手まで届いていない。

 光の筋は一直線に雷太まで飛んできて、四つに別れた。両手、両足に巻き付く。


 熱さを感じた。これだけ発行していれば熱もすごそうだった。しかし感じたのは熱ではなく、極端な重さ。


 重力がとたんに増したようだった。


 悲鳴を上げた雷太は、四つん這いになって伏せる。この腕を、足を縛る光輪が元凶のようだった。


「ど、どうしてこんなことに……!」


 あくまでも話し合いで解決すべきだったっだろうか。いや、有無をいわさず殺そうとしたのは向こうだ。


 いやいやいや、もっと根本的な問題がある。


 これはなんだ?


 この兵士たちも、手の槍も、風も、光輪も、およそ現実とは思えぬ。


 自分にいったいなにが起きた。


 あの地震の後、いったいなにが起きた?


「捕らえました!」


 すぐ近くで、兵士の声が上がった。

 重さに苦しみながら顔を上げると、五つの槍が、首筋を狙って光っていた。  

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