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戦乱学級 ~ヴェリーペア戦記~  作者: 栗原寛樹
二つの太陽の下
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-1

 松凪涼一は走っている。


 すでに足の筋肉は悲鳴を上げていて、腕を振る気力も萎えつつある。

 見知らぬ山奥で、道なき木々の隙間を、顔中にひっかき傷を作りながら、それでも走っている。


 追っ手は迫っていた。男が三人だ。理由はわからないが、混乱する中で聞き取れた「殺せ」という言葉が彼を突き動かしている。


 ……どうしてこんなことに!


 膝ほどもある草を蹴りながら、今まで何の疑いもなく抱いていた自信が崩れていくのを感じる。


 陸上部のホープ。短距離のエース。日本一。

 悪路ではこんなものだ。薄汚れた男たちを引き離すこともできやしない。


 息切れも間近だった。ペースコントロールなどしていたらあっという間に追いつかれていただろうから全力疾走しかなかった。おかげであと数秒で足が動かなくなる。

 そして……殺されてしまう。今朝まではニュースの向こう側だった事態が、しかし今の涼一にはひどく生々しい。


 あの男たちは自分を殺す。間違いない。ちらりと見えた刃物は、護身用というにはあまりにも巨大で、使い込まれていて、禍々しかった。不良だのヤクザだの、そんなレベルを遙かに超えた暴力の臭いをまとっていた。


 まるで……まるで、そうだ。山賊のような……




 ふと、足が宙を踏んだ。


「っ!?」


 急に眼前に広がった景色が、彼を絶望させた。あまりにも広大な森。おそらくこの山からずっと続いているのだろう。その向こうにそびえ立つ巨大な山が、左手に広がる湖が一気に視界へ飛び込んできた。


 前のめりに倒れながら、涼一は目を疑う。


 山を挟むようにして浮かぶ二つの太陽。


 その意味を深く考えるまもなく、彼は崖を転がり落ちた。

 



戦乱学級




 始業式が終わった。


 小学校、中学校、そして高校、一年で三回ずつ繰り返されてきた行事。

 三年生の彼にしてみれば、一月の始業式は人生で最後の始業式であるはずだった。進学予定の大学にはないと聞いている。


 始業式にいつも心躍るのは、久しぶりに級友と会えるからだろうか。それとも、退屈だった朝から晩までの塾通いから解放されるからだろうか。とにかくすぐにセンター試験がある。浮かれてばかりはいられない。


「松凪、陸上の推薦でいいとこ行けたんでしょ? もったいない」


 講堂から教室へ戻る道すがら、藤堂美子に話しかけられた。


「あたしだったら絶対飛びつくのになぁ」

「いや、まあ、俺もそうは思ってたんだけど。家庭のジジョーだよ家庭の」


 実際はそこまで重い事情でもないし、推薦可能枠になんとなく満足いく大学がなかっただけの話ではある。というより、藤堂美子も弓道部でそれなりの成績を残していたはずだが。


「ダメダメ、全国で優勝しなきゃ。それにあたし、弓道は高校までだし」


 ひらひらと手を振る美子は、ぴったり全国平均身長の涼一から頭一つ低い。


「彼氏できなかったもんなぁ。やってる間は楽しかったけど、その結果があれじゃ、どんと後悔」

「彼氏、できなかった? 越知はどうした」

「ダメだよ松凪君、それ禁句」


 後ろから背中を叩かれた。久住栄一、涼一の後ろの席の、確か帰宅部だ。

 見れば美子はむっつりフクレている。


「越知君、あんな人でしょ」


 と言われ、想像するだにたやすい。なるほど、美子も勘違いしてしまった生徒の一人であった。だが一時期の越知は、涼一から見てもそう思えるほどにアプローチが激しかったはずだった。まさかあれが素か。


「うおおい、松凪ッチ! ちょっとちょっと!」


 この声は噂をすればなんとやらだ。クラスメートをかき分けて越知知治が逆行してきた。


「おまえ、なんか用があるなら教室でいいだろ」

「いけねぇよ忘れちまうもん俺。ほれ、これ! いいか、誰にも見られないように開けろよ」


 ノートの切れ端を押しつけてくる。軽いノリと端正なマスクで騙した女生徒は手足の指ではきかない。さらにバスケ部ともなれば誰も放ってはおかないだろう。

 美子への仕打ちと似たようなことを三年も続けて、未だに被害者が絶えないのだから相当のものだった。


「おお、美子ちゃんじゃないの。髪の毛おろしたの?」


 次の瞬間、張り手がとんだ。




「越知が悪い」との全会一致を得て、美子の暴力は不問に。涼一らは、もうほとんど来ることのなくなる教室へと戻る。


 これから短いホームルームがあって、後は帰るなり塾へ行くなり、教室で自習してもよい。一応進学校であるから、たいていは塾に行くか、自習するかだ。


 窓際の自席に座った涼一は、先ほどねじ込まれたメモに目を通した。普段越知知治とはあまり交流がなく、したがって基本的にはお互いに用もない。


 十二時に屋上


「おお、なんスかそれ」


 前の席から、小橋絵里が振り向く。なにを感じ取ったのやら、とにかく何かにつけ臭いをかぎ取ることには長けている女子だ。だてにメガネではない。


「見てわかるだろ。呼び出しだよ呼び出し」

「これは男の字……というより、越知サンの字ですね」


 恐ろしい女だった。


「まさか、越知サンが今まで特定の女子をパートナーにしなかったのって……」

「やめろバカ、寒気がする」

「お、越知君が松凪君を!?」


 隣で悲鳴を上げたのが佐伯いつなである。机を挟んで藤堂美子と進路について話していたはずだった。その美子は苦い顔をしている。


「ダメだよ! そ、そんな不潔なこと!」

「こら、本気にしたじゃないか」


 ため息をつきながら涼一。暇だからいいが、すごくウザい。


「まあまあ。男同士だから不潔って考えには賛成できませんね、いつなん」

「違ぇだろそこは!」


 それで被害が増えなくなるならいいけど、と毒づく美子を後目に、いつなはかなりショックを受けているようだった。隣の席になった初めはまともに口をきかなかったほどウブな女子だ。そっち方面にも疎いというか、潔癖そうである。




「松凪ー、おい、松凪!」


 強烈な大声。顔は見えずとも一発でわかるのが炎条寺陽之の特徴であった。加えるなら、涼一と同じ陸上部だ。


「ホームルームのあと、いっかい部室集合な! 挨拶あるから!」


 手を振って答える。

 絵里がずいと身を乗り出してきた。


「で、行くんスか?」

「え? いや、どうしよう」


 なにか用があるなら教室で言えばいいのだ、と先ほども直接言った。わざわざ呼び出して内緒話をするような仲ではないし、呼び出してリンチするような仲でもない。


「襲われるかもしんないですよ。写真撮っていいですか」


 心なしか、ギラギラ目が輝いている。太陽がメガネに反射しているのだろうか。


「おまえ、変な趣味あるよな……」

 



 越知を問いつめても「内緒だよナ・イ・ショ」の一点張りで、ならば行かぬというとそれでも構わないとのことである。


「しかし行かぬは一生の恥と言うでしょ、松凪っち。俺だったら行くね」


 用件もわからずに恥がどうのと言われたくはない。


「どうした、松凪。越知の言うことを真に受けてどうする」


 美男美女の多いといわれる三年三組だが、男のトップは間違いなく風間雷太であろう。女子のトップは、今は教室にいない柊雪子だというのが世間一般の噂である。ただし女子に関してはランキングがあまり一定しない。


 その風間雷太、弁護士の親にあやかり有名私立大の法学部を受験するというインテリぶりだが、性格自体は一本気で正義感に溢れているため、男女問わず人気が高い。

 にも関わらず浮ついた話がないのは、彼が幼なじみの式家麻尋にベタボレであるという公然の秘密による。なんと幼稚園の頃から片思い中であるというのだから恐れ入る。


 本人は誰にも気づかれていないと思っているようだが、麻尋本人ですら知っている。彼女は彼女でずっと雷太の告白を待っている状態で、実は両思いであることを知らないのは雷太だけという、聞いている方がイライラしてくる純な関係であった。

 とりあえず今は関係ない。


「八割が嘘でできている奴だぞ」

「大事なのは残りの二割だぜよ。信じろ松凪っち」


 越知の口の回りっぷりにはある種の敬意を表する。そこまで秘密にしておきたい用事がなんなのかはさっぱりわからないが。


「そういえば松凪」と雷太。「大学でも陸上はやるのか。推薦蹴ったんだろ」


 涼一は曖昧に頷くと、そのつもりではある旨を伝える。


「まあ、プロ目指してるわけじゃないし。自分が一番になれそうなレベルのところに行く」

「朝から晩まで走ってたもんなぁ松凪っち。だから彼女とかできなかったんよ」


 越知に言われると少しムカつく。部活と遊びを高レベルに両立する彼ほどに、涼一は器用ではなかった。


 越知、雷太の二人から離れ、席に戻る。それと同時に担任が入ってきた。

 級長栃木樹木の号令。

 また一日がすぎてゆく。




 とんでもない激痛で、うめくと同時に目が覚めた。開眼一番、自分が遙かな上空から転がり落ちたのだと思い出す。土の匂いが鼻をくすぐり、草木のすれる音が静かな森を占める。


 起きあがろうにも、どこかに力を入れるとどこかが痛むという有様だった。いや、かすかにしか覚えていないが、死を覚悟するほどの高さだった。痛むだけマシと考えられないだろうか。


 動きようがないので耳を澄ましていると、どうやら男たちは追いかけてこないようだった。もしかしたら迂回しているのかもしれないが、涼一がそこまで魅力的な獲物かと考えると可能性は低そうだ。


 体が動かないついでに頭を動かす。ここがどこなのか、自分がどうしてこんなところにいるのか、自分はいかにしてこんなところにいるのか。


 なぜなら、彼は学校の屋上にいたはずだからだ。


 ほんの十数分前のことである。


 都市部にある彼の母校には、当然こんな森も、山も、先ほど見えた湖などもない。だいいち、太陽は二つも存在しない。

 追ってきた男たちのように屈強で薄汚れた人間は珍しいし、あんな刃渡りの長い凶器などそれこそあり得ない。見たことがない。


 ないない尽くしで全く答えが出そうになく、ぐるぐると同じ考えが脳裏を走る。

 学校の近くではない。

 日本でもない。こんな絶景、あれば何かでお目にかかっていてよさそうだ。

 というより……見間違い出なければ太陽が二つ。


 地球ですらない?


「バカか」


 声に出して否定せねば、どうにも不安だった。

 彼が十数分前にいた場所が地球であれば、そこからわずかな時間で地球以外のどこに移動してしまうというのだ。意味がわからない。

 しかしながら、今の涼一には、自分のおかれた異常事態を過不足なく説明することができない。


「あっつ……」


 森の中は大部分が陰になっているとはいえ、蒸すような暑さだった。すくなくとも一月ではありえない。走っている間は気づかなかったが、詰め襟の内側が汗でびしょ濡れだ。気持ち悪い。


 不快に感じながらも、四肢が動かせないのでは脱ぐこともできない。しかも最悪なことに、また意識がなくなりつつあった。

 やはりどこか頭を打ってしまったのか。強烈な眠気の中で、そういえば、と彼は思い出す。


 秋月有希は無事だろうか。何事もなければよいが。


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