第一話/『雑種』
耳元を閃光が掠める。首筋に粘度のある汗が滲み出してきた。
その方向に拳銃を向けると、閃光の軌跡をなぞる様に眼前に迫る敵。ちょっと前までお前20メートルくらい後ろにいたろ、なんて文句を声にする間もなく鋭利なレイピアの切っ先が無防備な首元を襲う。
「解き束ねろ空鞠!!」
その代わりに口をついて出たのは馴染みある詠唱、詠唱を短縮させるまで使い込んだのはこの魔法だけだ。言葉と共に発生したのは剣先と喉の間に急速に凝結する大気の塊。
だが、直撃こそ避けられたものの疾走する剣士の勢いまでは殺しきれず、俺は圧縮した大気と剣先の間に凝縮された勢いをモロに喉に食らって後方に吹っ飛ばされた。
背中、後頭部、頭頂と衝撃が移っていき、受身も取れずにうつぶせに倒れた。
土の香りが呼吸困難な喉に染みて痛い。顔を上げると剣士の側も少なからず被害をこうむったらしく丁度ヨロヨロと立ち上がったところだった。急いで拳銃を構えようとするが、握り締めたのは自分の手のひら。吹き飛ばされた拍子に拳銃はどこかへ飛んで行ったようだ。
小賢しい、そう唾棄するように俺の睨み付ける剣士はレイピアを構えなおし、挑発するように首を鳴らした。人間離れした長さの垂れた犬耳が揺れる。五国の民の中でも随一の膂力を持つ獣人の特徴だ。
だが、俺を睨みすえているその瞳は左右で色が異なる。
五神が定めた種の境界を無作法に跨ぐ種族のなり損ない、典型的なハイブリッドの特徴。
「雑種が………」
俺は揶揄を込めて吐き捨てると、眼前の剣士の気迫が怒気を孕んだ。
世界を創りし主神がこの世界のあり方を記した最古の書物、『創世記』にも記されているように、四つの種族はそれぞれ尊重し合い、互いに互いの守護者たる神と、それら総ての父である主神に信仰心を捧げる事こそより良い生き方であると定められている。
だが、その定めに真っ向から反対する存在、それがハイブリッドだ。
我々純潔種と対比して雑種とも呼ばれる彼らは主神の定めた種の境界を踏みにじり、そのどちらでもない『外律者』として秩序を乱している。
雑種風情に遅れを取るわけにも行かないので、俺も急いで立ち上がろうとして、こけた。
「雷、雷、炎、禍! 焼け焼け燃やせ癇灼球!」
体勢を崩して膝立ちになった俺の元へ四分の一ほどに簡略化された詠唱と共に飛んできたのは赤みがかったビー球、よくよく見ればビー球の中に火炎を象った模様が浮かび上がっているのが確認できるだろう。
詠唱があれほど短かったのもうなずける。ガラスは火炎系魔法ではよく使われる魔符だ。
魔符とは術者の詠唱の簡略化の為に、魔法発動のための位置情報や発動条件、魔法陣の一部などを組み込んだ道具の総称で、魔力を内臓して詠唱のみで発動できる使いきりの物を魔卵、魔法陣のみを内臓した純粋に発動補助のための物を魔杖と呼ぶ。
今現在俺の目の前に飛んできているビー球は恐らく模様に火属性の意味を組み込み、ビー球そのものを媒介として火球を生み出す類の使い切りの魔晶だろう。
いくら魔法とはいえ無から有を生み出せるわけもなく、自分の魔力で全てを賄おうとすればたちまち燃料切れを起こす。ゆえに多くの魔法使いが魔力を内臓した魔晶を使用するのだ。
と、脳内麻薬で鋭敏になった感覚が記憶の中から必死で情報を並べ立てるものの、肝心の事を忘れている気がする。火属性ならば水属性の魔法を使えば良いと思ったのだが、それが悪手のように思えてならない。が、兎にも角にもこのまま行けばこんがりと炙られるのみ、俺は懐から小さな水晶型の魔符を引っ張り出して眼前に放り投げつつ叫ぶ。
「アクアリマグナ、リキマグナ、アスクトラクトラ、メタラリカ! 海色の絨毯!」
異文化の魔符は異なる言語を使わなければ反応しないが、何しろ単価が安く威力が大きいので若干精度に難があっても中級以下の魔法使いには根強い人気がある。
かくいう俺も先輩から安く譲り受けられるので重宝しているのだ。
水晶の輪郭が崩れ、パチャリという軽い音と共に爆ぜた。
中から透明な液体が絶えることなく流れ出し、空中に盾の形となって留まり、火炎となったビー球を受け止める。
ブルブルと震える水の盾がものすごい勢いで水蒸気に変わっていくが、その火球が水の壁を貫くことはない。が、しかし。
水蒸気の向こう側で微かに何かが光る。
(黄色のビー球? …………まずい!)
危険を察知して後方に大きく跳ぼうと足に力を入れるも、時すでに遅し。
「雷、雷、白、白、白閃棘網!」
雷属性の友好色である黄色のビー球から紡がれた魔法は電撃魔法。
通常直接電気で相手にダメージを与える電撃魔法は空気を伝導せず、直接触れなければ効果は無いのだが、辺り一面を覆う水蒸気が仇となりその電撃は威力を弱めながらも俺の体を直撃した。
頭蓋骨を直接シェイクされるかのような衝撃に意識を朦朧とさせながら俺は先刻の違和感の正体に気づく。
最初に奴が踏み込んできた初動の速さはいくら前衛の剣士であろうと明らかに体の構造を超えた初速で近づいてきた。その上、奴の詠唱には火属性の魔法であろうと必ず『雷』の単語が加味されていた。
つまり、最初の初動は雷属性の魔法を用いた神経伝達速度のパンプアップ、わざわざ魔卵を用い、雷属性の魔法で発火を行うような下手な火属性の魔法を使ったのはこちらの水属性の魔法への誘い水。
つまり、本命は自分の一番得意な電撃魔法での一撃。それに俺はまんまと引っかかったわけだ。
……なんて事に身体の自由が効かなくなった今気づいても仕方ない。
俺は鉄条網を飲み込んだかのような激痛に耐え切れず、膝を地面に付いた。
その様子を見た審判が旗を上げる、風に靡く様が妙に目に付いた。
「勝者…………」
審判が高らかに上げる声が妙にスローモーションに聞こえる。
悔しさも悲しみも追いつかず、ただ『負けた』という言葉で胸が満たされていく。
そんな中、視界にかかった靄の向こうから何かが高速で向かって来ている。
下段に構えた演習用の木刀、旗があがるのも構わず、その感情のまま向かってくるハイブリッドの剣士が身動きのとれない俺に疾風の勢いで向かって来ていた。
その瞳には、先ほどの俺の侮辱に対する怒りと、まだ若く荒々しい殺意が宿っている。
「……キカ…………」
木刀がつつっと上がり、無防備に晒された俺の首元を狙う。
(……やば)
危機感を感じてもがこうとするも、俺は首一つ動かすことが出来ずに的になったまま。
吸い込まれるような軌跡を描いて襲うその切っ先は嫌になまめかしく見えた。
「…………ククロ……!」
勝者の名が叫ばれるのと、俺の首元にその切っ先が到達するのはほぼ同時。
だが、木刀は俺の喉仏の辺りを軽く撫でただけだった。
「ケタケタケタ、また活きのいい新人が入ってきたもんだ」
豪快な笑い声を上げ、薄紫色の髪を陽光にきらめかせながら円状の演習場に入ってきたのは遠距離からの魔法ならばギルドでも一、二を争う実力者と名高い魔法使い、アニス・ノクターンその人。その豪放磊落な性格と年齢を感じさせない美貌、そして伝説じみた数々の武勇伝(?)からギルド内での知名度、発言力は高い。
ギルドの一人が彼女に年齢を聞いた瞬間に消え、五秒後に空から降ってきて全治二ヶ月の重傷を負ったという話はギルドの人間なら1度は聞いた事のある逸話だ(速攻で電撃を見舞って酒場一件潰した、鋼鉄の鎧を中の奴の骨格ごと拳で粉砕した、など他にも幾つかパターンがある)。
「しっかし、いきなり対戦相手を殺そうとするとはねえ。あたしも思わず加減を間違えたよ」
そう言って流し目をくれる彼女の足元にはうつぶせに倒れた雑種の剣士が横たわっている。
着ている衣類の端が焦げるほどの電撃を食らったらしく、時折小刻みに震えているのが痛々しい。
「スミマセン、私が居ながらこの様な事態が起こったことは一重に私の未熟さゆえでありますがしかしこれは一種の不可抗力でありまして審判としての私の領分を超えた……」
「あーあー、わかった。別にギルドに報告なんざしないよ。あたしが勝手にやったことだ。それより担架を持ってきな。そこのあんた、二人分いるかい?」
揉み手をしながら平身低頭近づいてきた審判を煩そうにいなしながら彼女は俺の方に手を差し伸べてきた。どうやら膝立ちの状態の俺を見て動けると思ったのだろう。指先すら動かせない俺は差し伸べられた手を取ることなくうつぶせに倒れこんだ。
惜しい事をしたいう思いが頭の隅をよぎったから多分それほど重傷ではないのだろう。
「電撃系の拘束魔法か。外傷はないけど動けないってことは神経が掻き乱されてるのね。てことは……」
頭上で杖を振る風きり音が一つ鳴ったかと思うと、この世のものと思えない歌声が聞こえてきた。
音階まで詠唱に組み込み、一つの唄として魔法を紡ぐ高等技術、その余りの難易度に現在ではごくわずかしか使い手しかいない至上の歌声だ。
「天上の織り成す安寧の繭よ、雷雲の機で紡ぎし糸で優艶なる癒やしを紡げ。『天帝の揺り籠』」
淡いオーロラのような光が俺の身体を包み込み、俺の身体を細部まで解きほぐしていく。
光が消えて立ち上がると、まだ微かな痺れは残るものの俺の身体は元に戻ったどころか絶好調と言って良い具合にまで回復していた。
「微細なプラズマによる神経系の最適化だから外傷までは治せないんだよ。後で治癒師のとこで治してもらいな」
「あ、ありがとうございます」
目を合わせられずにうつむいたままの俺。
なんというか、自分でも情けなくなるほどの有名人耐性の無さだ。
「別に良いさ。それより、なんだってこの剣士にぶっ殺されそうになったんだ?」
「僕はただ事実を彼に言っただけですよ。全くハイブリッドは野蛮で困りますよね。なんであんな連中が同じギルドにいるのか全く…………」
「うるさい」
アニス・ノクターンという伝説の魔法使いが自分の目の前にいて、自分に興味を持っているという事実に、我ながら舞い上がっていたのだろうと思う。俺は彼女の纏う空気がどんどん冷ややかになっていくのに気が付かなかった。
「あ~あ、あんたも純血至上主義者かよ。あたしはあんたみたいのが一番嫌いなんだよ。自分一人救われた気になって神をあがめちゃいるけど、あんた、その神の名において殺された人の数を数えてみた事があんのかい? あんたがこいつを差別するってんなら、」
これ以上なく冷めた口調に、激情を忍ばせて彼女はそう吐き捨てた。
「あたしは、あんたを差別する」
颯爽と、真直ぐに演習場を後にする彼女の背中を、俺は直視する事が出来ず。
担架を運んできたギルドの仲間が肩に置いた手を、俺は乱暴に振り払って演習場を後にした。
まだ痺れの残る指先を、手のひらに握り締めながら。