そらの、むこうへ
「きみには合っていると思うけどなあ」
薄茶色の老狸が、土まみれの古い藁の中に埋もれながらそんなことを言う。
せっかくの綺麗な床に、わざわざ汚い藁を持ち込まなくても。などと思っても指摘してはいけない。これでもこの老狸はチャガマ市防衛隊の総司令なのだ。
「意識干渉能力は未成熟……そういう評価だったかな。これでは、すぐに殺されてしまうよ。前線には行かせられない」
僕如きが総司令に会わせてもらえているのは、先日発令された緊急事態宣言のためだ。同時に始まった前線防衛部隊員の募集に臨んだら、つまり転属を希望したら、却下の知らせが来た。それで抗議に来たらここに通されたというわけだ。思ったより早かったのは、庁舎で見かけた狸が少なかったことも関係あるかもしれない。
それで戦いへの意気込みをぶつけたのであったが、総司令の方はと言えば深いため息をついている。
「それに、そのせいで街の存在を教えてしまうことさえあるんだ。ブンブク市のことは知っているよね?」
意識干渉能力の低い者は下がるようにとの知らせがあったのは、陥落の知らせと同時だった。そういうことだったのか。
だが今となっては関係ない。敵はもう眼前に迫っているのだから。なんならブンブク市よりも近所にある狐の街が敵に見つかったとの情報もある。一刻の猶予もない。
口を開いたのは総司令の方が先だった。
「クロくん、きみは感情が強すぎるよ。それでは化かすことなどできない。せいぜい数拍の間、気配を消せる程度だよ」
……事実であるため反論はできない。だがここで後方にとどまるなどあり得ない。そもそも僕は、奴らを殺すために防衛隊に志願したのだから。
あの燃え盛る故郷を、真っ黒に燃え落ちた残骸を、避難しながら振り返ったあの光景を、今でもありありと思い出せる。幼心に抱いた怒りは、あの街を焼いた炎のように猛々しく、今もなお燃え続けている。
しかし、抗議しようと口を開いた時には総司令が喋り始めていた。
「翼の扱いは一流だと聞いているが、それだけでは駄目だ。化かすことができなければ、いかにきみと言えど前線に送るわけにはいかないよ。奴らを倒すことはできないのだから」
倒すことはできない。総司令はそう言うが、僕はそうは思っていなかった。
「お言葉ですが! こちらも命を差し出せば、そのくらいの覚悟があれば、道連れくらいにはできるはずです!」
全力で叫んでいた。
「敵が上昇し切った頃に襲い掛かれば、確実な死をもたらせるはずです! あの高度から墜ちれば……!」
総司令の目が鋭くなって、思わず黙ってしまった。灰色の瞳が僕を見据え、一歩でも動こうものなら狩るとでも言わんばかりの圧力をかけてくる。
「それでは、本当に死んでしまうじゃないか。敵の総数だってわからないんだ。出撃のたびに滑空士を失い続けたら、いずれ立ち行かなくなるよ」
「その『いずれ』はもう無いんです! だから僕は……っ」
全身が震えている。突かれただけでも倒れてしまいそうだ。口の中が乾いて、毛も尻尾もだらりと垂れて、全身が死を受け入れようとしている。それでも総司令の目から視線を逸らすことができない。
無限のような一瞬が通り過ぎ、僕は解放された。
総司令の視線は緩んでいた。
「それにさ、クロくん。きみだっただろう? 敵の残骸から簡易翼を復元したの」
良くない流れだ。このままでは前線に行かせてもらえない。
恐怖を押し込め、勢いに任せて口を開いた。
「あれは復元とは言えません! あれだけでは飛べませんし、推進機構に至っては解析すらできませんでした。あるいは爬虫類でないと適合しない技術が……ではなくて、あんなことは誰でもできることです」
そう、あんなのは誰にでもできる。だから!
「だが、あれを元に機械翼を相当改善してくれたと聞いたぞ」
「抵抗を減らして、その分面積を広げました……あ、いえ、それだけのことです」
取り繕っても遅かった。
「これだけ理解している狸はそうそう居ないよ。それにきみ、機械翼の話になると目が輝くじゃないか。私からすればね、復讐戦士の目よりもずっといいと思うけれど」
反論しようと口を開くが、言葉が出てこない。
そうこうしていたら、背後から大声が聞こえた。
「失礼します! 緊急です!」
伝令のようだった。
緊急という言葉に、僕は全身が硬直してしまった。総司令の表情も硬い。まさか……。
彼は僕の横に立つと、首を深く垂れて敬礼をした。
総司令は目を軽く瞑って返礼すると、口を開いた。
「どうしたんだい?」
静かな声だった。
伝令は顔を上げ、声を張り上げる。
「爬虫類拠点潜入班より報告! 狐の最終都市クズノハに対して攻撃が開始された模様!」
硬直が解けた。ひとまず、この街ではなかったようだ。
しかし、緊急には違いないが、伝令が焦っている理由はなんだろうか。
「出撃部隊数は報告時点で五、いずれも未帰還であり、またその全てが爆撃部隊に間違いないとのこと!」
総司令の目が見開かれ、僕もまた衝撃を受けていた。爆撃部隊の後はかならず地上部隊が出てくる。そのはずだったのだ。
「地上部隊が出ていない……つまり、クズノハ市は未だ健在である可能性が出てきたと。よし、引き続き調査を頼むと伝えてくれ」
「はっ!」
伝令は首を垂れ、走り去った。
沈黙が流れる。
「……さて、きみの話だが」
「調査に行かせて下さい!」
自分でも驚くほどの大声が出た。
叫んでしまってから、必死に頭を回転させる。
「調査って、何の調査だい?」
「クズノハ市です!」
総司令の返答を待つ必要はない。一気に畳み掛けた。
「クズノハ市は、あの飛行爬虫類の爆撃部隊を退けました。いえ、殲滅したはずです。その力があれば、どれほど有利になれるでしょうか! しかしこの街に動ける狸はほとんどいません。ですからこのままでは調査隊を送るのはずっと先になってしまうでしょう。ですから僕が行きます! 行かせて下さい!」
殲滅は言い過ぎかもしれない。けれど、帰還させていないのは事実だ。それも一回や二回ではない。
総司令はしばらく考え込むようなそぶりを見せてから、小さくため息をついた。
「……まあ、死にに行かれるよりはいいか。うん、わかった。クズノハ市の調査を命ずる。都市が健在であるか、そして健在であるならその理由を探ってくるように。そして、それが技術であるなら、交渉もしてもらって構わない。こちらが差し出せるのは機械翼と……そうだな、情報網の参照権だ」
調査に行くだけのはずが、なにやらとんでもないことを言われてしまった。
しかし冗談かと思って覗き込んだ総司令の瞳は鋭かった。
「きみの技術を見る目を信じての話だ。正直に言えば、本当に奴らを葬れるというならどんなものでも差し出したいくらいなのだよ。きみもわかっていると思うが」
何も言えない。
「ただ、くれぐれも命の危険は冒さないこと。これだけは絶対だ。では、頼むよ」
僕は深く首を垂れた。
「ああ、それと」
顔を上げると、総司令は少し楽しそうな顔をしていた。
「きみの設計した次世代型だが、試作品の評価依頼が来ている。試験ついでに、今回の調査でもひとつ持っていきなさい」
防衛隊本部を後にして、僕は技術開発局に来ていた。
街の隅にあるその区画は、高い塀で囲まれているうえ一般の住民は立ち入り禁止だ。そのためそこにあるものを皆は知らないし、防衛隊に志願するまでの僕にとっては憧れのひとつであった。
門番に声をかけ、首にかけた枝細工を見せる。
彼は頷き、小さな入口を開けた。
そこを通れば、一般狸の知らない世界が視界いっぱいに広がる。
初めて来た時、僕はまずびっくりして、それからがっかりした。そこに並んでいたのは薄い幌をかけただけの簡素な建物ばかりだったためだ。
資源不足なのではなく、こうしないと細かい作業をするのに必要な光が得られないためだ、と聞いている。実際細かい作業には光が必要で、それも一理あると感じるこの頃だ。
この光景ももうすぐ消えてしまうのだろうか。
ふとそんなことが頭をよぎって、首を振る。そうならないために、僕は調査に志願したのだ。
機械翼部門の作業場に向かっていると、背後から荷車の音が追いかけてきた。
「クロ、探したぞ!」
振り向くと、濃い緑色の毛並みの狸が荷車とともに全力疾走で迫ってくるのが見えた。
危うくぶつかりそうになって回避して、相手の方は荷車に追突されながらもどうにか止まった。
年甲斐もなく激しい運動をしているこの狸は、こう見えて機械翼部門の部門長であり、僕にとっては大先輩のフカミドリさんだった。いつものことだが、その黒に近い緑色の瞳が、太陽よりも明るく輝いているように見える。
「総司令から話は聞いているよ。これが君の提案した次世代型の試作機、その四号だ!」
荷車に乗っていたのが試作機だったようだ。さっきぶつかっていたら無事では済まなかったのではないだろうか。
そんなことを思いつつ荷車の上を確認すると、小綺麗に折り畳まれた木と布の塊がちょこんと乗っていて、固定紐で丁寧に括り付けられていた。こういうところは本当に几帳面な先輩だ。
ちなみに、一号から三号は分解されて修正と再組立てを待っている――と言ったところだろう。彼はいつもそういう作り方をする。再現性を上げるためだとか。
固定紐を解き、持ち上げてみると、想像よりも少し軽くなっているのに気づいた。
「設計、変えました?」
するとフカミドリさんは得意そうに笑って胸を張る。
「設計は変えていない。無駄なく作れるようになったのさ」
布の筒の中に体を通して装着し、試しに翼を展開してみた。
大きな翼が上に伸びて、それから開いた。さらに後ろに向けて補助翼が伸びた。確かにこの辺りの機構は問題なさそうだ。それどころか、これまではあった補助翼延長時の引っかかりも感じない。
僕の様子を見ながら、フカミドリさんは満足そうに言う。
「試作を三台作って目安はわかった。主要部品は調整代の下限まで切り詰めても問題ない。そういうわけだから早速飛んでほしい。地上でできる試験は全て通過しているから問題ないぞ」
一気に試験飛行まで決まってしまった。だが僕自身が飛んでみたかったのでそれは問題ない。
「それでは、飛んでみましょう。準備をお願いします」
フカミドリさんは頷くと声を張り上げた。
「二重振り子式投射装置準備! クロ考案の次世代機、試験飛行だ!」
わらわらと技術者や防衛隊関係者が集まってきて、建物のひとつから大きな幌が外された。
現れたのは、木製の巨大な腕。フカミドリさんが同期と共同開発したという、超長射程の投射装置だ。
敵にも届く投石装置として設計された代物だが、効果を発揮できるほどの量産が見込めないことから滑空士たちの発進用途への転用が検討されている。僕はそれに携わる形で、翼の試験そして開発へと進んできた。
「錘の装着を確認! 待機位置へ!」
投射装置の準備に遅れないよう、僕の方も投げられる準備を進める。翼を畳み、緊急用装備も装着した。
ちょうど腕が降りてきたので、僕はその中間くらいにある投射籠へと飛び込む。
「緊急用落下傘は着けているな。それじゃあ行くぞ!」
フカミドリさんが周りに声をかけると、皆が投射装置から離れた。いよいよだ。
「クロ! 準備はいいか?」
機械翼の展開紐が前脚にかかっているのを確認して、僕は叫んだ。
「いつでもどうぞ!」
フカミドリさんは頷くと、大声を張り上げた。
「よーし、発射!」
次の瞬間。
強い力で籠へと押し付けられ、それから籠がいなくなった。
猛る風しか聞こえない。ぐるぐると回転しているのがわかる。回転が速すぎて風景は見えないが、空気が冷たくなってきているので、高度は上がっているはずだ。
いつものように呼吸を止めたまま二〇拍数えて、展開紐を引く。
背中に向けて強く引っ張られたあと、回転が止まった。
眼前にはどこまでも続く青空と、立ち上る雲。
振り返ればチャガマ市はずっと後方に見えた。そして眼下には街を囲む山々の頂が迫っていた。
冷たい空気を切り裂く鼻先はあっという間に乾いてしまい、匂いは感じられなくなる。この速度域では仕方ない。
経過時間と風景の変化から、過去最高速度で投射されたらしいことがわかり、内心ため息をついてしまう。フカミドリさんはいつもこうだ。
ただ、角度については調整の余地がある。高度はもう少し欲しい。
そして、ここまでの様子を見るに、翼の調子は問題なさそうだ。木の骨はしなやかに湾曲し、膨らんだ布の膜が空気を掴んでいる。緊急用落下傘の出番はなさそうだ。
山頂を越えると、山を駆け上がってきた風を受けて、ゆっくりと高度が上がり始めた。このあたりも問題ないだろう。出来は上々と言ったところか。
『奴らを倒すことはできないのだから』
ふと総司令の言葉がよぎった。
凍てつく風が、僕の毛並みを乱している。鼻先が痛み、口は乾いていく。
わかっている。
翼で敵は殺せない。滑空するだけの翼など、何の役にも立たない。
あの空の向こうにいる敵どもに、この翼は届かない。
「せめて再加速する方法だけでもあれば……」
ふと漏らした独り言に、ため息をついてしまう。それがないから、僕は相討ちの覚悟がいると考えていたのだ。
この投射装置と機械翼の開発を進めていたのもそれが理由だった。確実に敵を仕留める唯一の方法だと思えたからだ。
総司令は言わないが、本当は万策尽きている。どんなに努力しても、工夫しても、先にあるのは絶滅という宿命。
ただ、そこに今は一筋の希望がある。
クズノハ市が健在である可能性。もしもそれが本当ならば。
眼前の空は、傾き始めた日に照らされた雲が輝き、僕を誘っている。
今はただ、その可能性に縋るしかない。どんなにわずかな希望であったとしても。
ふと、高度が落ち始めているのに気づいた。気流から外れてしまったらしい。
この翼では、これ以上進むことができないということだ。
体を捻り、翼を傾ける。
これは旋回性能試験だ。旋回性能を見ているだけなんだ。
チャガマ市を正面に捉える。山の影が、街を覆い始めていた。
僕らは結局、地面から離れられない。
でも、それでも、本当は。
僕は行きたかった。
空の、向こうへ。




