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7.転校生の心ははかれない

「私のこと……覚えて、いませんか?」


 勇気を振り絞ったであろう御堂さんの言葉。

 階段の踊り場で、風が吹くはずもないのに彼女の長い金髪が揺れて、キラキラときらめいたかのように見えた。


「……」


 俺は、すぐに返事できなかった。

 喉が引きつったみたいに動かない……。

 わかっている……こうなった以上、俺も知らないフリを続けるなんてできるわけがないのだから。


「覚えて……るよ」


 俺は観念して、御堂さんの言葉を肯定した。

 心臓がバクバクと激しく鼓動する。

 あの時のことを思い出して……とてつもない緊張が身体を強張らせる。

 忘れるわけがない……忘れられるはずがない。

 だって今朝のことなんだから。そんなにすぐ忘れられるわけがないじゃないか!


 俺と御堂さんが初めて会ったのは満員電車だ。

 そこで不可抗力の密着をしてしまい、電車が目的地に辿り着く間……俺たちはずっと身体をくっつけていた。

 これが背中同士とかなら問題はなかったかもしれないのに、よりにもよって正面から密着してしまった。俺は両手を吊革に掴むためだけに使っていたので、神に誓って何もしていないつもりなのだが、満員で押されたとはいえ俺の身体に身を預けるはめになってしまった御堂さんがどう思うかはまた別の話だろう。


「え、覚えてるの!? ほ、本当にっ!?」


 あれ、御堂さん驚いてる?

 いやいや、さすがに今朝のことなんだから忘れるはずがない。不可抗力とはいえ、女子と密着してしまったら記憶に強く刻まれるに決まっている。

 あっ、そうか。

 電車を降りる時に声をかけられたけど、俺はもう二度と会わないだろうと思って無視をした。

 そのせいで、きっと金魚並みの記憶力だと思われたのかもしれない。だから驚いているのか。

 じゃないと、今朝の出来事を覚えていただけで、こんなにも驚いたりしないだろうし。


「そっか……そうなんだ。嬉しいな……」


 え、喜んでるの!?

 女子が見知らぬ男子と密着していたなんて、不快感が限界に達していてもおかしくないと思っていたのに……。「嬉しい」とはどういうことだ!?

 いや待て。御堂さんの表情をよく観察しろ。

 僅かに変化して、笑っているように見えなくもないが……それは本当に嬉しさからくる笑顔なのか?

 実は怒りが限界に達しているのでは? 「嬉しい」というのは、罪を自覚していて「嬉しい」ということか? 償わせるためには罪を覚えていないと意味がないだろ、ということなのか?


「私ね、細川くん……ううん、レオくんと初めて会って……胸がドキドキするほど衝撃的だったんだよ」


 ドキドキか……。そりゃあ見知らぬ男子と密着していたら緊張するもんね。俺もすごくドキドキしていたし。主に痴漢に間違われないかという意味で。

 ていうか呼び方が「細川くん」から「レオくん」になってる? しかも言葉遣いが砕けているような……。

 どうしていきなり親しげになったんだ? 急な態度の変化について行けない。

 いや、そうか……痴漢の被害者と加害者として、上下関係をハッキリさせようといったところか。それならわからなくもない……か?

 きっと何か要求があるに違いない。

 それで御堂さんの気が晴れるなら、俺にできることならなんでもしよう。

 自分にやましいことがなかったとしても。

 あれが不可抗力だったとしても。

 不快感を与えてしまったのは事実で、俺の責任だ。


「それで、その……あ、あの時の約束……覚えてる?」

「え?」


 え? 約束って何?

 あの電車の中で約束なんかしたっけ?

 あの時は身体が触れて、お互いに謝り合って……それからは無言だったと思うんだけど。

 いや、待てよ……俺が電車を降りる時に御堂さんが何か言っていたけど、もしかしてその内容のことなのか?

 まずい……あの場から早く離れなければという考えでいっぱいになっていて、まったく聞いていなかった。

 そもそも約束って、どちらか一方じゃなくてお互いが納得してするものじゃ……いや、言い訳はよそう。


「ごめん。そこまでは覚えていないんだ……」


 というか聞いてすらないんだ……なんて言うと、さすがに失礼すぎるか。


「そっか……そうだよね」


 表情に変化はなさそうなのに、今のはしゅんとしたのがわかった。

 俺は全然聞こえてすらなかったけど、御堂さんにとっては大切な約束をしたつもりだったのかもしれない。


「本当にごめん! 良かったら、その約束が何だったのか教えてくれないかな?」

「ううん、いいの。またいつか……その時になったら、ね」


 え、何その意味深な言葉。それ、結局良いのか悪いのかわからないって!

 だけど無理やり聞き出すわけにもいかないし……。

 またいつか教えてくれるつもりがあるのなら、その時を待つしかないか。

 御堂さんがすぅと息を吸って、何かを決意したみたいな雰囲気をかもし出す。

 ついに審判の時か……。俺はどんな罰でも受ける覚悟で耳を傾ける。


「あの時は短い時間しかなくて……レオくんに伝えられなくて、ずっともやもやしていたんだけど……今更になるけど、言わせてほしいの……」


 たどたどしくも、必死に伝えようとしているのは感じ取れた。

 だから御堂さんを急かさないように、俺は黙って続きを待った。

 琥珀色の瞳が真っ直ぐ向けられる。絶対に逸らさないという意思が伝わってくるほどの眼差しだ。


「ありがとう……私は、レオくんのおかげで救われました……」

「……え?」


 あれ? 今……お礼を言われなかったか?

 罵声を浴びせられる覚悟をしていたというのに、なぜ感謝されているんだ? 身体を密着してしまったのに、なぜ……?

 わからない……わからないよ御堂さんっ! 「ありがとう」って何が!? 「救われました」ってどういう意味!?

 半ばパニックになる。

 人は予想外の事態に陥ると混乱するのだと、身を以て思い知った。

 そんな状態だからか、ポケットから急に軽快なメロディが流れてきてびっくりしてしまった。


「着信……レオくんの?」

「あ、ああ……電話だ。城戸さんから」


 城戸さんのタイミングの良さに感謝せずにはいられない。

 あのままだったらパニックで変なことを口走ってしまいそうだったからな。危うく墓穴を掘るところだった気がする。


「もしもし、城戸さん?」

『細川くん、御堂さんは無事なの?』

「うん。逃げ切れて今は二人で避難しているところ」

『それなら良かったわ。御堂さん目当ての人たちは解散させたから、安心して戻ってきていいからねー』


 さすがは城戸さん。頼りになる女子である。

 電話を切って御堂さんに向き直る。


「城戸さんがみんなを追い払ってくれたから、もう帰れると思うよ」

「そ、そうなんだ……」

「俺は教室に鞄を置きっぱなしだから先に行くよ。じゃあね、御堂さんは気をつけて帰るんだよ」

「あ……」


 俺はそそくさと階段を下りた。

 まだ頭が整理できていない。

 だけど、このまま御堂さんと一緒にいるのはいけないと思ったのだ。


「でも、怒っては……なかったよな?」


 とりあえず御堂さんを怒らせていないのなら良かった。と、自分に言い聞かせる。


 御堂さんが転校してきた初日。

 俺は彼女の言葉で、心にとてつもないもやもやを抱えるはめになってしまったのだった。



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