No.1「夢渡り」
未来の科学力ならいざ知らず、この世界で知られている所の範囲では精神的な病を直接の開頭手術で治すと言う事例はまだ聞かれない。飽くまで精神薬頼み、それの服用でどうにか不調を誤魔化し、場合によっては寛解と言うケースも有るだろうが再発の恐怖も有り完璧とは言えない。完璧、つまり別人レベルでの精神の安定を確保すると言う事。人の体験出来る別人ライクな現象としては夢見がある。精神の安定面での欠落、それはここでは広い意味での生命存続の危うさも含めて言うが、この世界は科学がそこに手を付けられる段階に到達するより前に精神の個々人間による補完を可能にする機構が秘密裏に存在した。満月の日、人の夢見はただの夢見では無い。ある限られた人だけは人の夢見にまるでその事象の外科手術でもするかの様に介入出来、その被介入者の人生に影や光を差し込む事が出来た。ただ、無自覚さはどうしても先立つのでその限られた介入者側でさえ他人の夢に入り込んだ事実に気付く事が出来ないまま、何事も無かったかの様に起床しまたその被介入者とは別の自分の生を歩むのだが、ここで大きく事の天秤が揺らぐ様な予感めいた出来事がこの世界には近付きつつあった。先述の、精神的な病を直接の開頭手術で治すこのフェーズへの科学力の到達である。
この段階に至るまでにも兆候として昏睡者の増加、と言う現象が一つにあった。昏睡者はバランスとして夢で過ごす事の方が一般的な人間と比べて強い。それ故自分の夢だけでは足りず人の夢を渡り歩くと言う夢渡り人としての存在の色は濃くなる。人の夢を喰らう獏のイメージが差し挟まるかも知れないがあれが動物的なイメージなのと比べるとこちらは知性を携えた人類サイドなのでもう少しイメージとしてはその夢喰いへの純粋で愚直な絵面が抑えられるだろうか。ただ傾向として被介入者の魂を自身の居る昏睡の沼地に引っ張り込もうと言うその束縛力は強い、そして昏睡している介入者に魂を揺さぶられた被介入者は大概がその束縛にやられリアルな人生に割ける時間の少ない、昏睡を日々のサイクルの中に置く病を獲得してしまう。精神的な不調を不可逆的に治し得る時代の到来を目の前にしてその未来を一日千秋の思いで待つ患者数は指数関数的に増え始めていた、と言う構図だ。
シンプルな介入者の夢渡りを他人の精神への施術と呼んでいいとするなら昏睡者のそれは施術とは言い辛かった。時により光と影を差し挟む場合がある、というよりは正に影を増長させ光を根こそぎ奪う夜の狩人としての立ち位置が色濃かった。特に夢を渡る際に満月を待たずとも良い狩人達の満月の夜における蹂躙具合は力強く、運悪く介入されてしまった場合元の人格、人生を完全にそのままにしておける精神の強度を持つ者などまず居なかった。




