小説を書く意味
そんな弱音をどこかに吐き出したくて、
ふと開いたのがカクヨムの「創作エッセイ」カテゴリだった。
――こんなにも、同じ気持ちを抱えてる人がいるんだ。
閲覧数が伸びないと悩んでる人、シリーズが完結しないと自己嫌悪してる人、
推敲地獄に飲まれて抜け出せなくなった人……。
画面越しなのに、どこかで肩を並べて執筆しているような気がした。
気づけば、自分もエッセイを投稿していた。
タイトルは『執筆って、修行?拷問?それとも…中毒?』。
どこまでも冗談めかして、でも中身は割とガチで本音だった。
誰も見てないだろうと思ってたその投稿に、
「めっちゃわかります!」
「うちの子も寝てくれません…」
そんなコメントが届いたとき、なんだか、少しだけ泣きそうになった。
物語を書くのは孤独だ。
でも、孤独なままじゃない。
誰かの物語が、誰かの支えになって、
そして、その誰かがまた、次の誰かのために筆を取る。
自分の物語が、どこまで届くかなんてわからない。
けれど、今ここに「書いてる私」がいることが、
少なくとも“誰かの書きたい”を肯定してくれるなら――
そのためにでも、続けてみようと思った。
カクヨムの創作エッセイは、言ってみれば「心のログブック」だ。
創作の迷路を彷徨う私たちの、小さな航海日誌。
誰かの文章に共鳴して、自分の言葉がまた生まれていく。
それは、数字にならなくても、きっと、ちゃんと意味がある。
次の話が書けなくて悩んでいる。
キャラが言うこと聞かない。
自分だけ、足踏みしている気がする。
そんな気持ちを、あえて作品じゃなく、エッセイにする。
それも、立派な“創作”なんだ。
だから、今日もまた思う。
書くことが好きなだけじゃ、書き続けられない。
でも、好きでいられるなら、まだ終わらせなくていい。