第4章 運命
どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。気が付いたら日差しが照りついていた。奴はもういなかった。またどこかへ旅立っていったのだろうか。
その時だった。
「なんだよ、こんなとこにゴキブリがいやがった。」
子供の声だ。
「マジで?」
もう一人いる。
「マジマジ、うえっ気色わりっ!」
「ほんとだ!野生ゴキブリ。捕獲しとく?」
「する訳ないだろ!」
「ひゃっひゃっ、冗談冗談。」
「あったりめーだ。カブトムシ様にしか興味はねえ。」
「もっといねーかな?カブト君。」
少年たちの話はほとんど耳に入っていなかった。オレの目は少年たちの持っている透明な箱の中にくぎ付けになっていた。1匹のカブトムシがいる。
それは間違いなく奴だった。
奴は揺れ動く箱の中で微動だにせず、じっとオレの方を見ていた。こんな屈辱的な状況でも奴の尊厳は失われることはなく、だがその眼は悲しみで色を失っていた。
「ぎゃっ!何だよ、こいつ!」
気が付くとオレは少年の顔めがけて飛んでいた。とにかく許せなかった。とにかく必死だった。とにかく何とかしたかった。
「ひゃっ!なんだよこいつ変な汁飛ばしやがった。きたね!あっちいけよ、なんだよもうチクショー!」
「何やってんだよ。大事な虫かご落とすんじゃねーよ。」
「だってこいつ、半端ね~動きしやがって。」
「たかがゴキブリじゃねーか!」
「いや、こいつ信じられねー動きすんだって!」
「わあったよ、もういいよ、行こうぜ。昼飯も食ってねーし。
早くこいつだけでも売りとばそーぜ。こんな立派なカブトムシ見たことないからな。」
そう言うと、少年たちは町の方に戻っていく。ゴキブリのオレは非力だった。
仲間を助けることも出来ない。だが、まだ希望を捨ててはいなかった。どうにかして奴を助けたい。オレは、少年の服におしゃれブローチのごとくへばりついていた。
少年の来ているパーカーのフードにハンモックのごとく揺られていたら、また眠ってしまったようだ。どうもオレの神経は図太く出来ているらしい。さすがにばれるとヤバいので、するりと地面へ滑り落ちた。少年たちは気づかずに奴の入った箱を持って店内へ入っていった。オレはとりあえず店の外から様子をうかがう。店内は所狭しと乱雑に箱が積み上げられ、今にも倒れそうだ。辛うじて店の奥まで続く通路があり、少年たちは奥のレジにいる店の主人と話していた。ここから奴の様子は見えないが無事であることを祈るばかりだった。
しばらくすると少年たちが出てきた。不服そうに話している。
「ちっ!200円だってしけてんな。」
「あの親父、絶対ぼったくりだ。」
どうやら奴は200円で売られたらしい。オレは隙を窺って店内へ侵入した。
オレは店の主人にみつからないように通路わきをそろりそろりと進んでいった。
途中、見たこともないオオトカゲや立派な角をふりかざしたクワガタがいたが、とにかく目を合わさないようヘイコラしながら進んでいく。奥まで到達すると、レジの上に奴の入った透明な箱が置かれていた。なんと5千円の値札がついている。ぼったくりだ。一瞬5千円を何とか用意しようと思ったが、ゴキブリにカブトムシを5千円で売ってくれるはずがなかった。
オレはひとまず腹ごしらえすることにした。
建物の中は危険に満ちているし、とにかく戦闘準備が必要だ。空腹は限界でオレにはガソリンが必要だった。ひとまず腐った匂いのペットのえさでも食べようとさまよっていると店の主人がカランカランと店の外へ出て行った。
チャンス到来だ。
オレは食事をあきらめ、このチャンスを逃すまいとレジ台へよじ登った。無事登り切ると目の前に透明な箱があった。上質な土のふかふかベッド、右側には蜜たっぷりの小枝があり、高級昆虫ゼリーまで添えられていた。オレの空腹が悲鳴をあげる。さすがカブトムシ様は好待遇だ。その箱の真ん中に奴はいた。驚いたようにオレを見つめている。オレはニカっと奴に笑いかけるとするするとすべらないよう気をつけながら透明な箱を登っていった。ふたの隙間から中を除くと奴がオレを見上げていた。
「やあ!」とオレ。
「どうして?」
「仮は返す主義なんだ。」
「でも、一体どうやって?」
「ゴキブリ根性も捨てたもんじゃないだろ?」
オレは奴を助けられる喜びで満ち溢れていた。
「ハハハ、大したもんだな。」
彼は優しく笑った後、小さくつぶやいた。
「だが・・俺はもうだめだ。」
意外な言葉を言われ、オレは戸惑った。
「え?何言ってんだ。朝の元気はどうしたんだ?」
「元気ぶってただけさ。俺はもうじき死ぬ。」
___最悪な展開はいつも突然やってくるのはなぜだろうか・・。
「な、何言ってるんだよ。さ!早くこんなところから出ようぜ。オレが今蓋をあけて見せるから。」
オレはありったけの言葉で励ましたが、奴みたいに上手くはいかなかった。
「いいんだ。」
「何がいいんだ!」
「寿命なんだ。」
「え?」
「もう飛ぶ力も残っちゃいない。」
「そんな」
「せっかく来てくれたのに悪かったな。」
「そんな、うそだろ?」
「でも・・・嬉しかったよ。最後に君に会えて・・・良かった。」
そう言うと奴は弱々しく微笑んで見せた。
そして・・ゆっくりと旅立っていった。
オレは泣きながら「なんでだよ~」と「やだよう~」を繰り返していた。
しばらくすると店の主人が戻ってきて「ちっ!死んだか。ゲ、ゴキブリ」とぶつぶつ言いながら、死んだカブトムシと泣いているゴキブリを店の裏手に捨てた。オレはおいおい泣きながら店の裏手に生えている木の根元まで奴を運ぶと、木に開いていた穴に奴を投げ入れてやった。それが奴との最後だった。
奴はオレなんか助けなければ、あんな場所にいることもなく人間につかまらずにすんだのだろうか?そしたらあんな場所で終期を迎えることもなかったのだろうか?
オレは泣きながら、もしも?たら?れば?を繰り返していた。




