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ブックマークからエンドまで

作者: 住吉あらん

 本の虫という言葉があるが、ああいう子がまさにそうなのだろう。自分の世界にこもってばかりいたら、いずれ周りの世界と繋がりが持てなくなってしまうのに。


「……怖くないのかな」

「え?何が?」


 12時46分。昼休みの教室。窓辺に座って本を開く少女を眺めながら気づけば呟いていた。


「あ、いやごめん。何でもない」

「なぁにそれ〜。……あ、もしかして久留米(くるめ)さんのこと?あの子いっつも本読んでるもんね」


 いつも本を読んでいる人。クラスの彼女への認識は総じてそんなものだ。本人に聞くまでもなく本好きなのが見て取れるが、それも高校3年生の夏ということを考えると褒められたことでもないのかもしれない。


「ていうかそんなことより!梨々香(りりか)こないだの私の投稿いいねしてくれてないでしょ!」

「あぁ、ごめんそうだっけ」

「も〜ちゃんとチェックしてよね〜」


 常に自分の投稿への反応を欲しがるこの友人は、SNSに取り憑かれた魔物とでも表現すべきだろうか。新しい投稿にはいいねをつけ、自分が特に気に入ったと思うものにはブックマーク、要するに自分のアカウントから見られるよう保存するように言われている。正直、めんどくさい。

 でも、私が生きている学校という鳥籠の中では不思議なことではない。私は群れるのが好きではないし、他人が何をしているのかあまり興味はないが、周りはそうでないらしく。……詰まるところ、()()()()()のは私ということだ。

 久留米さんの方を見ると、教室の時計を確認し本を閉じた。もうそんな時間か。

 

「あーでも、あの栞どこで買ったのかは教えて欲しいかも」

「栞?」


 久留米さんの手元をよくみると、まるでステンドグラスを、そこに差し込む光ごと閉じ込めたかのような。そんな美しい栞が握られていた。


「あれは写真映えしそうだよねー」

「確かに、綺麗だね」


 久留米さんらしいな。なんて、彼女のことを何も知らない私が思うのは失礼だろうか。でも、彼女の凛とした振る舞いから見える強かさに、とてもよく似合っている気がしたのだ。




 16時30分。太陽の光に照らされる校舎の西側。部活動が終わった私は、窓辺に佇む凛とした少女をグラウンドから眺めていた。

 位置的に、また図書室にいるのだろう。私も本は好きな方だが、あそこまでずっと読み続けられるのはもはや才能と言える。小説という名の小宇宙は、彼女にとってそれだけの魅力があるのだ。

 

「怖くないのかな」


 またこの言葉が口をついて出た。

 無論、私は怖い。外の世界との繋がりを絶たれるのがこんなにも恐ろしい。周りと同じでないだけで後ろ指を刺されるような世の中だ。誰だって怖いだろう。私だけではないはずだ。

 そう思った結果、私は自分の好きな世界を捨てることを選んだ。みんなの好きな世界で住むことにした。きっとみんな、そうやって生きている。だから、他人を羨んで妬んだり、恨んだりすることもしないと決めている。みんなそれぞれ何かを抱えて、何かを背負って生きているのだ。

 それなのに、あの少女は。

 孤独でいるのもどこ吹く風といった様子で、紙の上に佇む文字をゆっくり指でなぞる。まるで愛しい人の髪に指を通すように。

 私の生き方はきっと間違っていない。いや、間違っていてたまるか。息苦しさがマシになったのは確かだ。

 でも。

 生きている上での息苦しさは軽減されたが、たまに息の仕方を忘れることがある。

 ……一体、どちらの方が苦しいんだろうな。

 思い始めたら止まらなくなった。気がついたら図書室のある4階まで階段を登り始めていた。

 知りたい。あの子の中にある世界を。教えてもらえなくてもいい。あの子の世界に触れられるのなら。

 3階から4階の間の踊り場に差し掛かったあたり。ポケットの中に入れていたスマホのバイブレーションに足止めを食らった。取り出して確認する。……どうせSNSの通知だろうけど。

 案の定、友人のSNSの投稿を知らせるものだった。ため息を吐きながら投稿にいいねをつける。

 ……これでいいじゃないか。これが私のいる世界だ。急に、はたと我に返った。ここで彼女と話したところで、私に来る明日はきっと変わらない。多分、変に感傷に浸って終わるだけだ。

 ただ勢い任せに駆け上がってきたがためにすぐ戻ることもできず、いったんスマホをポケットにしまって、変にたかぶってしまった気持ちを深呼吸で整えた。大丈夫、戻ろう。踵を返そうとしたその時。


「あれ、九条さん帰っちゃうの」


 聞こえてきた声は紛れもなくあの少女のもので、確実に私の名前を呼んだ。


「……何で?」

「いや、階段のほうで随分大きい足音が聞こえたから誰かいるのかと思って」

「……何で」

「ふふっ。図書室ってね、結構綺麗にグラウンドが見えるんだよ」


 ころころと笑う彼女の手には、またしても本が握られていた。


「それで、どうしたの?随分急いでたみたいだけど。部活動の自主練とか?……もしかして、図書室に用事だったりして」

「……」


 変に微笑みながらそんなことを言うもんだから、自分の方が一枚上手(うわて)だと言われているようで気に食わない。とはいえ、ただただ突発的に登ってきたから、特に話すことを考えていなかった。

 もう一度彼女の手の方を見ると、握られた本に、またあの美しい栞が挟まっていることに気がついた。


「……ブックマークってさ」

「ん?」

「今からでも栞って言い換えた方がいいと思わない?あの機能。何でもカタカナ語にすればいいみたいな風潮あるけど、日本語で言った方が(おもむき)あっていいことだってあるよ」

「うん?……ごめん何の話?」

「SNSの、機能の話」

「あぁ、そうなんだ。ごめんね、そういうのやってないから分からなくて」

「……だろうね」


 私が吐き捨てるように言うと、目の前の少女は少し驚いたようだった。が、すぐにさっきと同じように笑った。


「私がそういうのに疎いこと、そんなに気に食わない?」

「いや、別に。ただ、不安にならないのかなって」

「不安?」

「周りの人は当たり前のように知ってるのに自分は知らないの、不安にならない?」

「……へぇ。九条さんは不安になるんだ」

「質問に答えて」

「そうだねぇ、人間ってそんなに完璧じゃないからね。期待してないだけだよ。そんなので首の皮一枚繋がったところで、すぐ壊れちゃいそうだし。分からないものは分からないし、興味ないものは興味ない」

「……そう」


 まぁ、想像していたような返答だった。お気に召さなかった?なんて言われてしまったら、もう返す言葉もない。


「でも、九条さんもどっちかっていうと私と同じなんじゃない?」

「何で、そう思うの」

「何となく。でも、九条さんはまだ人を信じたがってる」

「……そう見える?」

「うん、何となく」

「久留米さんは信じてないの」

「まぁ、ね。私は裏切られた青年の姿、ってところかな」

「……『津軽』?」


 そう言ったと同時に、目の前の少女の目が大きく見開いた。


「びっくりした。太宰治知ってるんだ」

「……自分は大人だって、そう言いたいの?」

「そういうふうに詰められちゃうとなぁ」


 そう言ってまた彼女はころころと笑った。やけに湿った空気が悪さして、首筋から背中にかけてじんわり汗ばんでくるのがわかる。


「そう考えると、九条さんの方がよっぽど大人かもね。みんなに合わせることができるのは並大抵のことじゃないよ」

「そんなことない。ただ臆病者で、八方美人なだけ」

「そんなことあるよ。愛嬌は武器だよ。柔らかい武器」

「……今度は夏目漱石気取り?」

「へぇすごい。『虞美人草(ぐびじんそう)』も知ってるんだ。本好きなの?」

「別に、聞いたことあるだけ。読んでないし」

「それは残念。ぜひ読んでみて。ちょっと難しいけど」

「『坊ちゃん』くらいは読んでみようと思ったんだけど、注釈多くて心折れたんだよね」

「ふふっ、トライはしたんだ」

「まぁ嫌いじゃないし。むしろ好きだから」

「……ふふっ」

「……あははっ」


 思いがけず和やかな雰囲気になってしまった。まぁ本望ではあるんだけど。


「……ごめんね」

「ん?何が?」

「いや。なんか九条さんのこと勘違いしちゃってたみたいだから」

「まぁ、だろうね。ああいう子たちと一緒にいたらね」

「ねぇ。私と友達になってくれない?」

「……え?」

「また話そうよ。すごく楽しかったから。もちろん九条さんがよかったらだけど」

「……ふっ、あははっ!」


 つい笑ってしまった私をみて、久留米さんは随分と戸惑っているようだった。結局久留米さんも、もちろん私も、不安で仕方がないのだ。みんながそれぞれ何かを抱えて生きている。それはきっと、どれだけ大人になっても変わらないのだろう。


「やっぱり、一人は怖い?」

「……うん。そうなのかも。きっと自分が思っているより怖いんだろうね」

「随分と他人ごとだね。……いいよ、話そう。でも条件がある」

「……条件?」

「その栞、どこで買ったか教えてよ」


 教室で見た時から、あの友人すら目を引いていた栞。久留米さんの雰囲気によく似合うと思った栞。教室で見た時と随分彼女の印象は変わったが、それでもなおこの栞は久留米さんにぴったりだと感じる。


「え、栞?これは自分で作ったやつだよ」

「えっそれ作ったの?」

「うん。家が小さい雑貨屋やってるから、材料とかもらってたまに作ったりしてるの。教会のステンドグラスみたいで綺麗でしょ」

「うん。教会の空気とか、光とか、音とかを全部丸ごと閉じ込めてるみたいで素敵」

「……なんか、いい表現だね。私が褒められてるみたいで照れちゃうな」

「褒めてるよ。栞のことも、久留米さんのことも」

「うん、ありがとう。……本当はもうちょっと本を読む予定だったんだけど、今日はもう帰ろうかな。よかったらうちの雑貨屋、寄ってく?」

「えっいいの?寄りたいかも」

「わかった。じゃあ、……一緒に帰ろっか」

「……うん」


 私がこうやって彼女と話したところで、私に来る明日はきっと変わらない。でも、少しは期待できるようになるかもしれないと思った。他人ではなく、自分に。








”人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。”

 ――太宰治『津軽』より


”「愛嬌と()うのはね、――自分より強いものを(たお)す柔らかい武器だよ。」”

 ――夏目漱石『虞美人草(ぐびじんそう)』より

はじめまして。名乗るほどのものではございません。よろしくお願いします。

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