作家顔して東京へ
この作品は、仲間うちで出している信州文芸賞を頂いたものです。
僕の作品を読んでくださった方に会いに行くため、上京して話です。
暗闇に照らし出されたコンビニ前のバス停に立ち、純三は東京に向かう高速バスの発車の時間を確かめた。発車時間の午前六時までは、あと一時間以上余裕がある。純三はバス停をから離れて、終日営業しているスーパーへ向かった。
いよいよ会うんだな、純三は街灯でところどころ明るい歩道を歩きながら思った。
今日、長野から東京まで会いに行く相手は、ネット上の名前を青汁と名乗る六十代の男性と、青汁の友人のタンポポと呼ばせている成人女性だ。彼らとの繋がりは、こんないきさつがある。
純三が、登録したネットの交流サイトの自己紹介欄に、趣味で小説書いてます、と書いておいた。そこへ青汁が純三宛てに電子メールを送ったことに彼らの交流は始まる。青汁のメールには、小説を書く人に今まであったことがないので、作品を読んでみたいと書いてあった。素人の面白くもない、純三のネット小説を読んでくれる人は、稀少であるので、純三は青汁に自分のサイトのアドレスを教えた。このサイト、十数年前に立ち上げ、当初は頻繁に更新していたものの、最近では小説の新規の公開もなく、掲示板の最新書き込みは、五年前の日付のままだ。閑古鳥だけ盛んに鳴いている。
純三は、同人誌の仲間以外で自身の作品を読んでくれた方には、感謝の意味で出来るだけジュース等をプレゼントするようにしている。その感じで、機会があれば何かご馳走させて下さい、と青汁にメールしたところ、今回会うようになった。
交流サイトの青汁の自己紹介欄には、六十代で仕事はリタイヤして、趣味は読書とある。好きな作家を数名挙げてあるが、純三は名前のみ知っている程度で、自分の書く物とは縁遠い気がした。しかし、ショボい小説に興味を持ってくれたことに感謝はしている。
もう一人のタンポポと名乗る人物は、五十代くらいの女性らしく、青汁のネット上の知人だ。タンポポ最初のうち青汁を介して純三と交流していたが、しばらくして直接メールのやりとりをするようになった。純三にとってネットの文芸関係の友人は年配の男性ばかりで、同世代の女性は希なのだ。そのせいもありタンポポに会ってみたくて、東京に行くことにした。
もっともタンポポに会ったところで、彼女との関係がどうにか変化すると、純三は思ってもないのだが。
スーパーでおにぎり三個と缶ビールを買い、純三は携帯で時間を確かめ、近くのネットカフェに入った。真っ暗闇でおにぎりをほおばるのは、幾らケチな純三にしても心がしぼんでしまうのだ。こういう店には久しぶりに利用する彼は、最初はパソコンの立ち上げに戸惑ったが、どうにかインターネットを見ることが出来た。そこで東京駅での待ち合わせ場所である銀の鈴の位置確認や、ニュースなどを見ながら、飲み放題のコーンスープやコーヒーをすすり、おにぎりを食った。
バス停に戻ると、少し大きめのバッグを持った男女が数人いた。皆知人ではないらしく、黙ったまま立っている。やがてバスが姿を見せバス停に止まった。運転手がバスから降りてきて、
「本日はご利用ありがとうございます。乗車券の確認をお願いします」と言った。
純三は、印刷しておいた乗車予約のメールを運転手に見せ、小山です、と言う。
「小山さんねどうぞ乗って下さい、お席は(あ)の四です」
と運転手が応えたので、純三は、バスに乗り込み指定された座席を探し、そこに座った。
このバスは運賃が一千五百円であり、通常の東京までの高速バスの半値で済む。そのせいでよほどボロのバスか、トイレ付きの車両とネット上で表示していたのだが実はトイレがないとか、内心、純三は何かまずい点があるんじゃないかと、邪推していたのだが、そんなことは全くなかった。半額で同じようなサービスが受けられるのなら、次に東京に行くときも利用したいと思った。ただし格安なので早めに予約しないと、このバスには乗れないのだが。
バスが動き出すと、純三はタブレットを取り出し、――バスに乗りました。今日はよろしくお願いします。と青汁にLINEで送った。数分後、青汁から、――お会いできるのを楽しみにしています。タンポポさんと一緒に、待ち合わせ場所の銀の鈴でお待ちしています。と青汁からLINEが帰ってきた。
青汁は東京に住んでいて、タンポポは神奈川らしい。彼らがどんな付き合いなのか、純三は大いに興味はあったが、そのことを聞く立場にはないことを彼自身、よく理解しているつもりだ。
バスに揺られながら動く風景を見つつ、純三は、俺のつまらない小説を頼んでもいないのに読み、感想までメールしてくれた青汁とは、どんな人物なんだろうと思った。またタンポポについてもいろいろ想像した。彼女の交流サイトの自己紹介には、読書が好きとかは書いてなかったので、純三の書いた物など本当に読んでくれたのだろうかと首をひねりたくなる。きっと青汁に誘われ、素人物書きという変人見たさに会うんじゃないか。そんな風に思えてくる。するとタンポポは青汁に飽きて、他の男性を探すべく会うんじゃないか。俺は既婚者であることを交流サイトで明かして、女性と知り合いたいとは書いてないけど。しかしタンポポに気に入られ、次回は二人だけで会いたいとか、長野に行くので案内して欲しいと言われたらどうしよう、などとしょうもない妄想が浮かんでくる。
純三にも若い頃はあって、文章を書き始めた時分は、野望があり上手く書こうと努力をしたつもりだ。だが、三十年近く経ち自分の身の丈を知った数年前からは、出来を良くしようとか思わなくなってきた。しかし文芸好きは変わりなく、同人誌に加わらせていただいてるから、何も書かないのは手持ち無沙汰なので、時たまは同人誌に文章を書かせて頂いている。
実際には青汁たちは来ない、それもまた一興だと純三は思った。何でもありのバーチャルな世界での交流だから、すっぽかされても怒る相手も不明だから。純三には久しぶりに、ひとりで大都会へ来るための家族への言い訳として、貴重な読者に会うというのは、ちょうど良い方便だったとも考えられる。すると青汁が来ない方がありがたいようにも思えてくる。小説を読んで貰ったお礼として、奢ると言ってしまっているので、青汁に高い店に連れて行かれて、純三だけで全額持つようになっては困るのだ。すると青汁たちは来なくて、ひとり東京でしか味わえないことを体験する方が、楽しくさえ思えてくる。
純三は、スーパーで買った缶ビールを飲みながら、高速道路の表示板でバスの現在地を確かめようとしたが、読み取れなかった。
バスは途中、二回サービスエリアで休憩を取り、予定通り都内に入った。ところが高速を降りると渋滞にはまりノロノロとしか進まなくなった。晩秋の街路樹の剪定だか落ち葉の掃除だかで、作業車があり車の流れを悪くしている。純三は、青汁にLINEで、――遅くなると思います。済みません。と送った。すると程なく、――慌てなくて良いです。そう青汁からLINEが返信されてきた。この時、純三は青汁が間違いなく待っていてくれるだろうと安堵した。
ある程度遅くだろうと予想はしていたものの、あまりにも遅くなり過ぎると思い、東京駅まで乗るのをやめ、途中のバスタ新宿で降りた。純三は、バスタ新宿が出来て初めて利用するので、この施設を見てみたい気持ちもあった。バスタ新宿に着くと通りを挟んで向かい側に新宿駅が見えた。彼は、駅からバスタまで分かりづらかったら困るなあと心配していたが、そんなことはないなと思った。
――ところがこれが大きな間違いであることを、帰りに思い知らせれるのだ。
バスから降りると、小走りで新宿駅に入り山手線に乗った。この時、中央線で行こうという発想は、慌てていたせいもあり田舎者の純三にはなかった。
東京駅に着いて、二十分遅れで待ち合わせ場所の銀の鈴まで急いで行くと、
「ジュンさんですか」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、白髪で丸顔の男が笑顔で立っている。その横には面長の中年らしき女性がいて、純三と目が合うと軽く会釈した。
「青汁さん、ですか。初めまして。タンポポさんですね。どうも」
「LINEで教えて頂いたとおり、紺のジーンズに紺のジャッケト、黒い靴と眼鏡だから、そうだろうと声をかけました。良かった」
青汁と純三は、待ち合わせに便利なように、今日の互いの服装を教えあっていたのだ。
「さてと、ジュンさんに会えたことだし――、僕はこれを我慢していたんで、失礼して良いですか。喫煙所の場所は確かめておきました」
青汁は、少し笑顔になりタバコを見せて、
「癖になっていて吸わないと落ち着かないんです。すみません。ジュンさんは吸われないんでしたよね」
「ええ、じゃ喫煙所に行きましょう。その前で待っていますよ。タンポポさんは吸われるんだっけ」
「いえ、わたしは」タンポポは軽く手を振り、
「喫煙所の外で待っていますよ」と続ける。
青汁は、早足で歩き出すと喫煙所に迷いなく入った。タンポポと純三は、ゆっくり喫煙所に近づき壁を背にして並んで立ち止まった。しばらく沈黙があり、純三が、
「あのう、だいぶ待せましたか。済みません」と口を開く。
「いえ、そんなに。青汁さんからジュンさんが遅れると聞いていたし。気になりませんでしたよ」タンポポが笑顔を作る。
純三は、何を言えば良いのか戸惑ったまま、タンポポを見ている。ベージュのスカートに同色のジャケット。面長の肩までかかる髪で、目は大きい方。化粧は薄くしているようだが、純三には確かなところは分からない。真珠のイヤリングをしていて、シルバーのネックレスが色白の胸元に光っている。純三は、こんな女性と二人だけで、ワインでも飲んでみたいなあ、と思っていると、
「ジュンさんのサイトの『朝焼け』、タイトルだけで作品がないんですけど」突然、タンポポがこう言ったので、純三は一瞬、何を言われたのか分からなかったが、
「――ああ、あれ、ね。あの『朝焼け』は、一度はサイトで公開したんですけど、当時、勤めていたところの上司からクレームが来て、削除しました。ちょっと精神的に弱っていた状態から抜け出した時のことを、書いてあって、全体を読み通せば、そういう状況から治ったから書けたんだと、分かるようにしたつもりなんですけど、その一部だけ気にするとヤバい感じです。まあ、そんなこと説明してまで公開したくないし、小説を読み慣れてない人に言っても無駄だろうな、と思い削除しました。タイトルは消し忘れたのかな。小説に限らず音楽だって絵だって同じように――」と純三が続けようとしていると、
「お待たせしました」青汁が喫煙所から出てきた。続けて、
「さてと、どこ行きましょうね」
「俺はどこでも酒が飲めるなら」純三はそう言い、タンポポを見ると、
「私は、どこでも。お酒はそんなに飲めないし、お二人が決めて下さい」
「どこにしましょう。この昼前時に落ち着いて飲める店となると、限られてくるしね」
「俺、ネットで調べてみたんですけど、東京駅の近くにリカーズヘブンって居酒屋があって、そこは昼間から気兼ねなく飲めるみたいですよ」
「良いねえ。そこ行こうか。タバコは吸えるかな」
「さあ、そこまでは知りませんが」
「この際、タバコはおいといて。どうかな」青汁は、タンポポを見る。
「私は、どこでも」
「じゃ、リカーズなんとかで決まり。それどこにあるんですか」
「さあ、詳しくは俺も」
「私、探してみますね。リカーズヘブンですね――」タンポポは、スマートフォンを取り出し、検索し始めて、
「あっちみたいですねえ」スマートフォンの画面から、目を離さずに歩き始めた。
青汁と純三は、タンポポの後について歩き出す。五十メートルほど進むと、タンポポは、
「こっちじゃないか」と独り言のようにつぶやき、反対方向へ歩き出した。男二人はタンポポについて黙ったまま歩くのみ。しばらく歩くと、違う、と言いつつタンポポは戻ったりしている。こんな感じで東京駅の通路を歩き回り、数分過ぎて、わかんないなあ、と言い壁の構内案合図を見て、えっとここがそうだから、とか小声でつぶやく。
純三は、このおばちゃん、よほど機械音痴か方向音痴なんだろうなあ、俺の方が早く探せると思ったものの、表情は変えなかった。――と、この時は自身の低脳加減を知らない彼なのだ。
「分かりにくいですか」青汁が声をかけると、タンポポは、ええ、と青汁に顔をちょっと向けまた案内図とスマートフォンを見比べている。
「ぜひそのリカーズじゃなくても、酒が飲めれば良いんじゃないですか」純三がタンポポに声をかけると、
「いえ、わたし、探してみせます」
「僕は、都内だけど東京駅は普段利用しないし、よく分からないもんでね」
「わたし横浜だからあまりこっちには来ないし、この道案内のアプリは使ったことないんです。ごめんなさいね、手間取って」
「いえ」純三は、長野の何倍もの人の流れと駅の広さに圧倒され、とにかくどこかに座り、何か飲みたい気分だったが、タンポポの真剣な表情にかける言葉が出てこない。
やがて彼女は、スマートフォンを見ながら歩き出すと、
また構内を巡りだし、立ち止まっている中年男性に声をかけたりした。するとその男性は、
「リカーズヘブンね――」自分のスマートフォンを取り出し、調べてくれる。純三は、都会にも親切な人がいるもんだなあと思った。
「ちょっと分からないなあ。とにかく駅から出てみた方がいいかも」
「ありがとうございます。そうします」タンポポは、軽く男性に会釈すると歩き始め、青汁と純三は後に続いた。
三人が駅から出ると、見渡す限りに何棟もの背の高いビルがそびえている。純三は、押しつぶされる感覚がして、こんなところで生きている人って、よほどタフなんだろうなと思った。
タンポポは、スマートフォンの画面から目を離さずに歩き始め、数分の後、リカーズヘブンに着いた。
店内では、いろいろな酒を飲んでいる客が数人いて、純三たちは待つこともなく席を取れた。だがタバコを吸っている人は見えず、店員に聞くと、昼間は禁煙タイムで、他に喫煙所が設けてあるとのことだった。
オーダーを告げ、間もなく飲みのもだけが運ばれてきた。
「とりあえず乾杯しましょう」青汁がビールの生を持ち上げる。純三も生ジョッキ、タンポポはレモン杯だ。
「乾杯!」三人は杯を合わせる。カチン、と音がして純三はジョッキビールを飲み始め半分ほど空け、パァハーと大きな息を吐く。ややあって青汁は、ほぼジョッキを空にしてフゥと大声を出した。タンポポはちょっと杯を舐めた程度で二人を見ている。
「いやあ、無事にジュンさんと会えて良かったです。わざわざ東京まで来て下さるんですから、ホントに来てくれるかどうか。――早朝に家を出られたんですね」青汁は笑顔で言う。
「四時前には家を出ました。寝過ごしてバスに遅れてもいけないし。今日のバス、初めて利用したのでバス停とか確かめたくてね。もちろん貴重な読者さんに会えるんですから、来るに決まっていますよ」とは言ったものの、奢る約束があるとは続けない純三だった。
「そんなに早く出たんですか。眠くないですか」タンポポが口を挟む。
「バスの中でウトウトしてたし。そんなには。緊張しているせいかな」
「お待たせしました。ソーセージの盛り合わせ。漬け物。
明太子ピザでございます」そう言いながら、店員が皿をテーブルに置き、
「ご注文は、これで全てでしょうか」
「そうだね。あっ,ビールをおかわりね。ジュンさんはどうする」
「俺はまだ、良いです」
「そう、じゃビールを一つ追加ね」
「ありがとうございます」店員は店の奥に消える。
「ジュンさんは、いつ小説書いてんですか。あなたの書いたの読んでると、ご自身の経験したことを元に書いてる気がしたんだけど、それって体験した事とか。そうそう書き始めた動機とかは何ですか」青汁は、漬け物を噛みながら言う。
「それ、私も聞きたいわ」
「書き始めたきっかけですか。――高校の終わり頃、進路が定まらなくてね。モヤモヤした気持ちで学校サボって電車に乗ったんですよ。そん時のことを書いたのが最初です。未完ですがね」
「へえ、そんな若い頃から書いているんですか」青汁は、ソーセージをかじる。タンポポは明太子ピザを切り分け、ひとつ頬張った。
「まあ長くは書いているんですけど、全然、文章は上手くなりませんね。ああいうのって、やっぱり才能ですからねえ」
「そうなんだ」明太子ピザを食べ終え、タンポポはレモン杯にちょっと口を付ける。続けて、
「最近はサイトを更新してないみたいですけど、書いてないんですか」
「そうだ、なんで更新しないんですか」
「書いてもねえ、読んでくれるのは同人誌の仲間だけだし。書く事への情熱みたいなもんが、萎んできたのかなあ」
「そんなこと言わないで、僕やタンポポさんみたいな読者もいるんですから書いて下さいよ」
「わたし、ネットで公開しているの全て読みましたよ」 「そりゃありがとうございます」と言い純三はビール杯を空にし、店の奥に向かって済みません、と声をかける。
「それじゃ書いてみようかな。でもね――」
純三は、続ける言葉を探すように黙っている。やがて口を開こうとすると、店員が来る。
「白ワインひとつお願いします」と告げた。そして、
「でもね、同人誌の批評会とかネットの小説の交流サイトで感じるんですがね、自分の書いた物の感想とか聞くと、なんか作品の意図しているのと違う読み方されてんだなって思うときがあるんです。こっちは素人だから、下手なのは分かっていますが、明らかに読み手の感性が鈍いなあと思っちゃうときがある。でもせっかく読んで頂いているんだから、それをあからさまには言えないし。ひどいときは、人格を否定するような発言があったりして」
「人格の否定か。それはちょっとねえ」青汁は、苦笑いを浮かべビールを一口飲む。
「俺だって傷つくし、何のために書くんだろうって思うんです」
「でも、わたしたちのような読者もいるんだし」タンポポは、ソーセージをかじる。
「ありがとうございます。俺、前ね、ネットの小説サークルで、人が朝に出す排泄物の写真をネット上で公開して批評し合うって設定の掌編を書いたんです」
「へえ、そんな自分の出したの見せ合うサークルなんて実在すんの」青汁はニヤニヤしながら言い、
「済みません、麦焼酎、ロックでひとつ」と近くにいた店員に声をかける。
「もちろん俺の創作ですよ。何でも撮影してネットに公開したがる世相を風刺したつもりで書いたんです。でね、朝の排泄物を書くのもアレかなって思い、その名詞を出さずに、文章を読んでいけばそれがイメージ出来るようにしたつもりなんです。俺はね」純三は、白ワインを空ける。
へーえそれでと言い、青汁はビールを飲み干し、店員から麦焼酎を受け取った。
「そしたら、爆笑して読みましたって感想を貰いました。でもその物の名詞を出してないせいか、何度か説明してやっと理解しくれる人も多くてね。それじゃあその作品の面白さは消されちゃうでしょ」
「そうねえ」タンポポは、軽くサワーに口を付ける。
「俺なんか下手なド素人なんだし、読んでくれる人はホントにいないし。あえて新作を書く必要もない気がするんです。ネットとかの自己紹介というか名詞代わりとしては、今のサイトで十分かなって」
「でも、書くのって楽しいんでしょ。苦労もあると思うけど」青汁は、グッと麦焼酎を飲む。
「それはあるんですよ。先ず構想を練っていろいろ考えるのが面白いんです。で、書くときは構想を頭に置きながらも、浮かんできた言葉をパソコンに打ち込んでいく。こん時の気持ちの高揚感というかは、何ものにも代えがたいんです。それで感想を聞くときは、時代劇の裁きのお白砂に座らされた緊張感があるんです。このキリッと感がまたいい。なんか素っ裸を見られている以上に内蔵まで見られているみたいで。何言われるかわかんないし、当たり障りのない褒め言葉より、作者も見落としていた観点から感想を言われるのが良いですよね。さっき、作者の人格を否定する感想があるって言ったけど、その作品は読者を激昂させたくらいな内容な訳で、それはある意味、何かしらの価値があるんじゃないかと思うんです。ひどいこという読者は、その作品が気に入らないだけで、作者自身をどうこう言ってんじゃない、そこを勘違いしちゃいけないと思いますねえ」
「なるほど、面白いなあ。すみません、僕ちょっと失礼してこれを。アルコールが入るとどうしても、吸いたくなるんです」青汁は、タバコをちらっと見せて席から離れた。
「あの、私、アイスクリーム頼んで良いかしら。久しぶりにお酒飲んだら、火照って冷ましたいんです」
「いいですよ」すみません、と純三は奥に声をかけて、
「俺もしゃべりすぎて、なんだかお酒以外を飲みたくなってきました。あのぅ――」
純三は、以前から疑問だったことを酔った勢い任せにタンポポに聞いてみようと思った。
「あのね、タンポポさんと青汁さんて、どういうご関係なんですか」
「はっ」掌で顔を扇いでいたタンポポは、手を止めて改めて純三を見る。
「いえその、なんか親しそうな感じだし、ずっと前からの知り合いかなって」
「ジュンさんと同じメール友達ですよ。半年くらい前にあのサイトで知り合って、いい方だなとは思いますけど」
そこへ店員が来た。
「俺、ウーロン茶。アイスクリームは何種類かあるんですか」純三が言う。
「バニラ、チョコ、ストロベリーがあります」
「じゃ、チョコをお願いします」タンポポは、一本指を立てる。
「ウーロン茶ひとつに、チョコ味のアイスクリームひとつですね。ありがとうございます」店員は、奥に消えた。
「青汁さんのサイトの自己紹介には、読書が好きとあったけど、タンポポさんのそれには本とかのことは書いてなかった気がしたんで、どうして俺に会うのかなって」
「私の自己紹介に本とか好きって書いてないだけで、読書とかするし、ジュンさんのサイトの作品も全て読んだんです。で、最近は更新してないからどうしてか聞いてみたいと思って」
「そりゃ、ありがとうございます。タンポポさんみたいなきれいな女性とメール友の青汁さんが、羨ましくてつい余計なことを。失礼しました」
「私なんか、ただのおばちゃんですよ。――私、半年くらい前に離婚したんです。その時、悩んでいたらサイトで青汁さんと知り合って、いろいろ話して貰ったんですよ。そのうちにジュンさんの事を教えて頂いて」
「そうなんですか」純三は、その後に続ける言葉を見つけようとしたが、出てこなかった。
しばしの沈黙の後、店員がアイスクリームとウーロン茶を運んできた。茶色いアイスがタンポポのややピンクがかった唇に吸い込まれていく。それを見ながら純三は、以前、エッチなビデオでこんな場面を観た記憶があるなあと思っていると、
「あの、ジュンさんもアイス食べますか」タンポポが、アイスを食べている手を止めて言う。
「いえ、俺にはウーロン茶があるし」
「私の口元をじっと見つめているから、アイスを欲しいのかなって」
「あっ、そうですか。タンポポさんがおいしそうにアイスを食べているなあと思ってつい。ごめんなさい」
「良いんですよ。――あの、もう書く気はないんですか」
「そう決めた訳じゃないんですがね」純三は、ウーロン茶をひとくち飲み、
「なんかきっかけがあれば、書けるかもしれない」
「今日のこと書いたらどうです。私、読んでみたいな」
タンポポは最後のアイスのひと匙を口に運ぶ。
「そうですね。タンポポさんみたいに美人に頼まれたら書かなきゃいけない」
「上手いこと言って。何も出ませんよ」タンポポは、軽く笑った。
そこへ青汁が戻ってきて、
「タバコの後、トイレに寄ってきました。なんかタンポポさんが笑っていたようだけど、何か楽しい話でもしてたかな」
「私が今日のこと書いたらいかがですか、って言ったら、ジュンさんが、美人の頼みだから書こうかなって」
「それ面白そうですね。今日のこと書いてくださいよ」
「そうですか。書いてみようかな」
「ぜひそうして下さい。読ませて頂きますよ。ねえ」青汁は、タンポポを見る。
「私も楽しみにしています」
「そうですか、じゃ書いてみようかな。今日のこと、そのまま書くんじゃなくて、創作を入れますけどね」
「期待していますよ。――さて、そろそろ出ますか」
青汁はそう言うと、テーブルの上を改めて見た。食べ物や飲み物はほぼ空になっている。
「出ますかね。――あっ、そうだ」純三はこう言うと、リュックから本を二冊と缶ビールを二本取り出し、
「これ、長野の地ビールと、俺が尊敬する尾崎一雄さんの本と、熊谷守一さんの『へたも絵のうち』です。良かったらどうぞ」
「すみませんね、良いんですか」
「ありがとうございます」
青汁は、尾崎さんの本と地ビール、タンポポは熊谷さんの本と地ビールを受け取った。
「じゃ、出ますか」青汁は、素早く注文表を取ると、レジに向かう。そして、一括でお願いします、とカードと注文票を差し出した。決済を済ませ店を出て受け取ったレシートを見て青汁は、
「ジュンさん、二千円貰えますか」
「俺、そんなんで良いですか」
「私はいくらお支払いすれば良いかしら」タンポポは、財布を取り出し青汁を見る。
「タンポポさんは後で精算しましょう。ジュンさんにはお土産を貰ったし、早朝にバスで信州からおいで頂いたんですから、自分の分だけで結構ですよ」
「奢るとかメールで書いちゃたっし。俺」
ここで初めて奢ることを口にする純三だ。
「いや良いですよ。実はね、ジュンさんが本当に来てくれるかどうか不安だったんです。実際に会えた、それだけで十分です。それに、前々からタンポポさんとお会いしたいなと思っていたんですが、なかなかきっかけがなくてね。ジュンさんの小説をタンポポさんに話したら、サイトの作品を全部読んだみたいで、正直ビックリしているんですよ」青汁は、笑顔で言う。
それから青汁とタンポポは、ジュンのお土産買いに付き合った。、
「さてと、これからどうしますか」青汁は、ジュンに向かって言う。
「俺は、高速バスで長野に帰りたいんで、電車で新宿に行きます」
「ちょうど良かった。僕たちもJRで移動しようと思っていたんですよ」
三人で山手線に乗った。あまりの人の多さに黙ってつり革に捕まりながら純三は、こういう環境で生活している人間って俺とは人種が違うんだろうと思い、たまに遊びに来て刺激を受けるくらいが、俺なんかにはちょうど良いんだろうなと納得した。
列車は五反田に止まり、青汁が、
「僕たちはここで。また飲みましょう」
「新作、書いて下さいね」タンポポは軽く手を振る。
「お元気で。ありがとうございました」二人を見送りながら純三は、五反田に何の用事があるんだろうと思った。
新宿駅に着くと、純三はバスタ新宿を探して歩き出した。新宿みたいな大きな駅には、天井に案内表示がしてあるので、それに沿って行けば簡単にバスタ新宿に着けるだろうと思った。しかし酔いが残っているせいか、天井の標識でバスタ新宿の文字が、純三には見つけられない。彼は、タブレットを取り出し道案内のアプリを立ち上げる。それの指示通りに行けば、新宿バスタに行けると思い、タブレットの画像を見ながら歩き出す。するとなんだか機械の向きが逆のような気がして、それを逆さにして同じ方向に向かうと、だんだん目的地から離れていく。こりゃまずいと思い、もと来た方向に戻ってみる。するとまた、バスタ新宿から離れていくような気がして、数時間前、東京駅でスマホを見ながら右往左往したタンポポを笑えないなと苦笑いした。
彼は、壁の構内案内図を見たがバスタ新宿は見当たらなかった。バスタ新宿バスタ新宿、ふらついた頭の中で呟きなら、近くで掃除の作業中の女性に、
「すみません。バスタ新宿はどっちに行けば良いんでしょうか」
「バスタ新宿なら、あの出口を登ってまっすぐ行けば着けると思いますよ」女性は、ちょっと手を止め向こうの出口を指さしてくれた。
「ありがとうございます」
純三は指示された出口を登ると、そこには私鉄のデパートがあり、バスタ新宿らしきビルは遠くにも見えなかった。彼は構内に戻って、同じ場所をさまよったり構内案内図を見たり人に聞いたりしたが、ちっともにバスタ新宿に近づく気配は感じられなかった。
彼は、このまま目的地に着けないで新宿駅を出られないんじゃないかと心配になってきて、心細くなり涙まで出てきそうな気分になってくる。すると、純真な女子中生じゃあるまいに、涙を流す田舎オヤジを想像すると、笑えるなあと思いつつも、笑顔になる余裕はなかった。こんな風にふらふら歩いて遅くなって、バスがなくなっても困るし、駅で夜明けを待てるのかどうか知識もない。最後の手段は、東京駅に戻り新幹線に乗る。これだと乗車時間は短いし確実だ。しかし、せっかくここまで少ないお金で済んでいるのに、最後になってバスの倍以上の運賃の新幹線は、何とか避けたいものだと、半ばやけになり、近くにいた男性にバスタ新宿への道を尋ねると、
「それなら、あの出口を登り、ずっと真っ直ぐに行くと大きな交差点がある。そこを渡るとバスタ新宿だよ」
「どうも」純三は、言われた出口を登った。あたりはすでに薄暗く、誰もが足早に歩いている感じだ。彼もその流れに乗って直進していくと、大きな通りに出た。信号待ちをしながら向こう側を見ると、はす向かいにバスタ新宿の文字を掲げたビルを見つけた。
彼は、やれやれこれで長野に帰れると思い、急に疲れを感じる。バスタ新宿に入り券売機で切符を買った。二九〇〇円だ。これでも新幹線の半額以下だ。忙しいときとか雪で時間が読めないとき以外は、俺みたいな貧乏人は、バスで十分だろうと思った。発車まで一時間あるので、途中で見つけた牛丼屋へ向かい、腹ごしらえをしようと考えた。
「牛丼、大盛り、汁だくで。あと温かいお茶をお願いします」と彼は、いつも牛丼屋で注文するように言う。汁だくとは、牛丼の汁を多めにかけたものだ。ややあって出された牛丼をひとくち食べた純三は、殆ど汁がかかっていないパサパサした飯に、こんなの長野ではつゆだくじゃないなあ、と思いつつも黙って都会のパサパサ汁だく牛丼をかっ込む。すると以前、横浜で食べたパサパサ汁だく牛丼を思い出し、なぜか、横浜の歩道橋の踊り場に敷いてあった布団や、横断歩道を渡るとき大声で訳分からない歌を歌うオッサン、そしてオッサンに目もくれず淡々と歩く人たち、それらが頭に浮かんで、様々な想いを牛丼と共に咀嚼し、熱いお茶で腹に流し込んだ。
バスタ新宿に戻ると、構内のコンビニで缶酎ハイを買った。待合所の椅子に座りそれを飲みながら、青汁へお礼のLINEを送らなきゃと思い、タブレットを立ち上げると青汁から数分前にラインが入っていて、――今日はありがとうございました。楽しかったです。先ほど、タンポポさんと別れて列車の中です。新作、楽しみにしてますよ。またね。と送られていた。
純三は酔った頭でしばし考え、余計を書いちゃいけないと思い――今日はありがとうございました。新作、書きます。読んで下さいね。とだけ書いて送信した。
純三は、ちびりちびり缶酎ハイをやりながら、小説の構想を練り始める。――まず、目障りな青汁には出演拒否をお願いして、タンポポとジュンの二人をメインに据えて話を進める。そして文芸がどうのこうのも面倒臭いので、ピュアな恋愛物に仕立てる。タンポポは雪のない地方に住んでいて、ネットで知り合ったジュンに雪遊びをしたいと言う。ジュンはタンポポの願いを叶えるべく、湯田中か白馬の温泉旅館に昼会席の予約を入れる。その部屋には露天風呂が付いているのだが、その事はタンポポには伏せてあり、一緒に露天に浸かることを楽しみにしつつも、そこまでは親しくない二人にもどかしさがある。そんな設定をして話を進めれば、面白いんじゃないかと思った。しかし下心と露天風呂の事ばかり書けば、薄っぺらなエロ小説になるしなあ、頭でぶつぶつ言っていると、雪の積もった露天風呂に浸かり、微笑んでいるタンポポが浮かんできて、にやけた顔になる純三だった。
バス発車の十分程前になり発着所に移動する。長野県の他の場所に向かうバスが出た後、長野行きのバスが来た。純三はそのバスを見たとき、体中の力が抜けていくような錯覚を感じた。そしてまた東京に来たいなあと思った。
バスに乗り指定された席に座ると、予定より帰る時間が遅れることを家族にメールしようと、タブレットを取り出す。するとタンポポからLINEが入っているのに気付いた。――今日はありがとうございました。新作を書いて下さいね。と送られていて、純三は、ありがとうございました。新作の構成練り始めました。完成したら読んで下さいね。とLINEを送った。
バスが動き出すと、程なく彼は眠りに落ちた。夢をみて、タンポポがおいしそうにアイスクリームを食べている。それをじっと見つめていると、彼女はその匙でアイスクリームをジュンに差し出し、一口どうですか、と微笑んでいる。
そんな夢をみている純三は、口を半開きにし、よだれが見えそうなあんばいだ。
読んでくださり、ありがとうございました。
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