第1話「AI.Lab」
ジリリリリ…、ジリリリリ…、
「う、ぅーん?」
けたたましく部屋にこだまするアラームで目を覚ます。
カチッ
ぼやけた視界の中で目覚まし時計のアラームを止めると、ベッドからのそのそと這い出る。おぼつかない足で立ち上がりカーテンを開けると、痛くなるほどの眩しい日差しが差し込み、強制的に目が覚めていく。
僕、佐田裕太はグーっと一つ伸びをすると、リビングへと通じるドアを開けた。
「ピピッ」
「…おはよう。リル」
「ピピッ!」
ドアの向こうで待っていたのはリル。唯一の家族だ。
たった一人の肉親である父が、突然連れてきたロボット。身体は少し大きいゴミ箱くらいの白い円柱型に4つの小さなタイヤがついている。その円柱の上に半球がついていて、カメラが1つ。自律思考AIが搭載されていて僕の言葉を認識するのだとか。当時の僕には難解で理解を諦めた。いずれ分かれば良いと。リルが来た2週間後に父は亡くなってしまったのだが。
いつもの挨拶を交わすと、僕はキッチンへと向かいコーヒーメーカーのスイッチを入れて洗面台へ向かった。ブーンという音とともに豆が挽かれていく。洗面所で顔を洗い、雑に寝癖を整えて、外に出る服装に着替え、2枚のトーストを焼き終えるまで、およそ7分。その頃にはちょうどコーヒーが落ちる計算だ。
コーヒーをマグカップに注ぎ、トーストにイチゴジャムを塗り、朝食の準備を整えるとニュースをつける。
「来月9日、ついに完成する国内最大規模の研究所、『日本人工知能研究所』、通称『AI.Lab』の所長である、風間鷹ノ介博士にお話を伺いました!」
「いやー、ようやく念願の研究ができるというものです。国内で初めてこれほどまでに人工知能の研究環境が整えられたのですから、我々も成果を出さなければいけませんな!」
ピッ
すかさずテレビを消す。せっかくの朝に気分の悪いものを流されたものだ。
「初めて…」
初めてじゃない。父のことは歴史の闇に葬り去られてしまったのか。
少し荒れた唇を噛む。世の中の不条理を呪うように。
——父、佐田真和は人工知能研究の第一人者だった。日本で初めて人工知能を開発に持っていき、現在の研究の足がかりを作った偉大な研究者だ。だが道行くそこそこの大人に彼の名前を尋ねれば怪訝な顔をすることだろう。15年前の事件をきっかけに、佐田真和の名は色つきで見られてしまうようになった。
当時の父は「エキスパートシステム」を研究していた。人工知能に専門家のように知識をルールとして教え込み、問題解決をさせる技術のことだ。だがこれは可能性を示唆してはいても、不完全だった。当時のコンピュータには自身で情報を集めることができなかったため、その知識を手動でコンピュータに記述するしかなかったのだ。その手間ゆえにあまり広がらず、父自身も当時の技術レベルに期待していなかったという。
しかしここで事件が起きる。名も知られていない小さな研究所が、父の研究所から技術の詳細を盗み出し、さらに勝手に実用化したロボットを販売するという暴挙に出たのだ。しかも明らかな誇大広告で。
『人間のように賢い!』『世界が変わる!』
無知な一般消費者は夢の機械を購入し、その性能差に落胆するという事件が20年前に起きた。その研究所はリコール対応を余儀なくされ、莫大な借金を抱えた。これで終わればまだ良かった。だがその所長は何を血迷ったのか、佐田真和の技術が悪いと逆恨みをし、彼を夜道で殺害するというショッキングな事件にまで発展したのだ。
この一連の事件を総称したのが「AIロボ事件」である。
この事件以降、人工知能自体に悪評がつき、しばらく人工知能研究は下火になったのだ——。
「…リル。君はどこから来たんだ?」
「ピ?」
「父さんの技術では、まだこんなロボットは作れなかったはずだ」
「ピー…」
「リル自身もわからないか」
裕太はリルにはにかむと立ち上がる。
「大学行くか」
***
「おはようございまーす」
「おー、裕太。おはようさん」
大量の書籍の山からひょこっと赤平先生は顔を出す。煙草の臭いがツンと刺さる。山の隙間から見える机の上には灰皿が置かれ、そこに大量の吸殻がまるで造型アートのように突き刺さっていた。
「先生…、流石に吸いすぎでは?もう良いお年なんですから…」
「いいのいいの。僕は犀川先生みたいになりたいんだから」
赤平先生は幼なげな笑顔で新たな煙草に火をつける。ベビースモーカーとは思えないほど先生は童顔だ。
「いや…、いっぱい煙草を吸えば犀川先生になれるわけじゃないですよ…」
犀川先生とは、赤平先生が好きなミステリ小説『すべてがFになる』に登場する大学教員だ。いつも煙草を吸っていて気怠げだが、頭が切れる。そのギャップに憧れる男はいるだろうなとは思う。
「いいじゃないか。彼の特徴を一つでも持っているだけで僕は幸せなんだよ」
「はいはい。わかりましたよ」
呆れた顔で首を横に振ると、ソファに鞄を置き、先生のデスクに向かう。
「それで先生。進捗はいかがですか」
「なし。上手くいくかもと思ったプログラムもエラー吐いてやり直し」
先生は足下の小型ロボットに目をやり、残念そうに眉を下げる。
「そうですか…」
この機体を見て、リルの姿を思い浮かぶ。なぜなら今所属している研究室での研究というのは、自律思考AIを搭載するロボットの研究だからだ。喜怒哀楽を自由に表現し、人間とのコミュニケーションを実現する。これによって主に病院・介護の現場での年配の方々の娯楽ロボとして活躍することを目標としている。年配の方々は時間がある一方で、自身の身体は老化によって自由に動くことが困難である。ゆえに話し好きが多くなるのだ。同年代で会話するだけなら良いのだが、仕事で忙しい職員を呼び止め、長話をする人もざらにいる。そこでお話ロボの開発に至った。
「裕太ー。なんか良い方法ないかな」
「…………さあ。先生で無理なら僕には到底思いつかないですよ」
嘘だ。良い方法ならある。リルを徹底的に調べれば良いのだ。僕に家にいるリルはまさしくこの研究室が目指すロボの完成形に近い。返ってくる答えが「ピピ」という意味を持たない音だけな所以外はコミュニケーションとして十分なロボットだ。
だが、僕は研究にリルを差し出すことはできないでいた。父の置き土産として残された唯一の家族。もしリルを差し出して、壊れでもしたら僕は家族を失ってしまう。そんな悲惨なことは想像もしたくない。先生もそれを分かってくれているから、リルのことは口に出さない。
「天才、佐田裕太君で無理なら僕には到底思いつかないな」
「よしてください。僕は天才なんかじゃないですよ。先生の方が何倍も優秀です」
僕は先生から離れ、ソファに置いた自分の鞄から学術書を取り出す。
「はぁー…。ここ数年結果出せてないし、研究費削られそうだなー…」
先生は背もたれに寄りかかる。年季の入った椅子がギシギシと音を立てた。
赤平先生も十分有名な研究者なのに。そんな人が結果を出せていないことに研究の世界の厳しさを感じる。
「あ!そうだ、忘れてた。裕太に一つ提案があるんだけど」
突然思い出したように人差し指を立てた先生は、立てた指をこちらに向ける。
「来週の火曜日、アイラボで勉強会が開かれるみたいなんだ。裕太行かない?」
「アイラボ…。『日本人工知能研究所』ですか」
今朝の小太りの所長を思い出し、虫唾が走る。
「そう!選ばれた数人しか行けないプラチナチケットだよ。行くでしょ?」
「行かないです」
「えぇ!?」
先生は野球ボールが一個丸々入りそうなほど口を開けた。そして唾が気管に入ったのか咽せる。日頃の煙草の影響か、それとも年のせいか、あるいは両方か、死にそうなくらい長時間咳き込んでいて心配になった。
しばらくして落ち着くと、目に涙を浮かべながら再び話し始める。
「ちょ、ちょっと嘘でしょ…!裕太なら絶対行くと思ったのに…」
「行かないですよ、あんなとこ。父の研究を蔑ろにしてきた国が、手のひら返して人工知能研究に多額の金をつぎ込んであんなバカでかい研究所作って…。しかも父の研究の功績をなかったことにしてるんです。そんなとこに行きたいと思います?」
「まぁ、気持ちはわからないこともないけど…」
先生は気づけばまた煙草に火をつけている。考え事をするときに、右手の人差し指と中指で煙草を挟んでいないと違和感があるらしい。
「でもね、真和先生の研究を蔑ろにしたり、なかったことにしているっていうのは大袈裟じゃない?」
「いやだって、今日のニュースで所長が言ってたんですよ。日本で《《初めて》》環境が整えられたって。父の時だって研究環境はちゃんとありました」
「それは言葉の綾でしょ。こんな大規模な環境は初めてってだけで。その一文で真和先生を馬鹿にしてるって判断するのは飛躍しすぎ」
「……。」
「裕太はほんと真和先生のことになると冷静さを欠く。気をつけなね。それに…」
「本当に真和先生をなかったことにしてるなら、あんなとこに研究所は作らない」
「あんなとこ?」
「えー…。裕太、ほんとに知らないんだね…。嫌うのはわかるけど、君も研究者の端くれなら、同じ研究事情はちゃんと調べなよ」
「………すみません」
先生は引き出しから冊子を取り出し、机の上に置く。
「これ、アイラボのパンフ」
近未来的なデザインの建物がでかでかと表紙を飾る。パラパラとめくると、設備や実験内容が書かれていた。
だが、これを見せて何を…?
「裕太、背表紙のところにアクセス書いてるから。それ見て」
言われたとおり背表紙を見ると、下の方に小さく所在地が書いてあった。
見覚えある地図に目を丸くする。
「…あ!」
「そう。あの研究所は真和先生の研究所の跡地だ。アイラボは真和先生をリスペクトして作られていると思うよ。迎えた結末なんかより、同業者はリスペクトを持ってると思う。僕もその1人」
先生はニコリと笑う。僕はどんな顔をすれば良いかわからなかった。勝手に馬鹿にされてると思い込んでいた恥ずかしさが全身に駆け巡る。
「…話をもどそうか。勉強会、行く?」
「………行きます」
「うん。その意気だね。じゃ、頑張ってきてね」
「え?先生も行くんじゃ…」
「ごめん。来週の火曜日はイギリスに出張なんだ。だから…」
「甲斐田くんと行ってきて」
えぇー…。
***
「………。」
「………。」
空気が重い。真夏で湿度が高いことも相まって、僕と甲斐田の車内は居心地が最悪だった。山道を駆け抜ける車の駆動音と後ろの荷物が揺れる音だけが聞こえる。
「甲斐田」
「なに」
「本当に来て良かったのか?」
「暇だったし。赤平先生の頼みなら行くよ」
甲斐田理梨音は横の助手席で流行の恋愛小説本を読みながら、感情のこもっていない声で答えた。
「……そう」
表情筋の機能してない顔からは予想がつかない本を読んでいるものだ。彼女も一人の女の子ということだろうか。
僕と甲斐田は同じ研究室だ。同じM2ということもあって赤平先生からはよく並べて語られたりもするが、僕たちは全くといって良いほど仲が良くなく、必要事項を話す程度だ。別に最初から仲が悪かったわけではない。というより昔はよく話していて、一番信頼できる人物といっても過言ではなかった。とある出来事を機に話すことが気まずくなり、現在の距離感になっている。
「ねぇ、あと何分?」
甲斐田は髪を指でクルクル回しながら聞いてきた。
「そうだな。あと15分くらいだと思う」
「わかった」
……。
こんな淡泊な会話で終わる。以前話せていたのが嘘だと思うほどに会話が思いつかない。人は日常にしなければ衰えるのは本当らしい。
誰も走っていない一直線に差し掛かり、僕は甲斐田の横顔をちらりと見た。つやのあるショートボブの黒髪、小さな顔、ぱっちりとした目。可愛らしい女性とは彼女のことを言うのだと思うほど整った容姿だ。圧倒的に男性比率が高い理系大学院の中での理系女子というだけでも希少なのに、芸能人と遜色ないルックスを持った「リケジョ」である甲斐田はうちの大学を超えて話題になるほどだ。
「…なに」
「あ、ごめん」
僕に対する冷淡な態度さえなければ…。
そんなことを考えながら運転をしていると、甲斐田が僕の肩をツンツンと叩く。
「え…、急にどうしたの」
「……ねぇ、今更だけど、なんでリルを連れてきたの?」
僕はバックミラーを見た。後ろのトランク、そこにはリルが積まれている。スリープモードにしているから動きはしないが。
僕は視線を前に向けたまま、胸ポケットからスマホを取り出し、器用にメールボックスを開く。
「これ見て」
甲斐田に一つのメール画面を見せた。甲斐田はそれをまじまじと見る。
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日本人工知能研究所へお越しになる佐田裕太さん。あなたが家族としてともに暮らすリルというロボット。それを持ってきていただきたい。持ってこなければ非情な結末を迎えるかもしれません。
e-mo
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「…イーモ?何これ」
「わからない。一昨日、差出人不明のメアドから送られてきた」
「大丈夫なの?これ結構怪しくない?」
「もちろん怪しい。でもいたずらにしては個人情報が多く含まれている気がする。だから本気でリルを狙っている人からのメールだと僕は思ってる」
「……じゃあなんでなおさら素直に連れてくるわけ」
甲斐田は僕を睨む。今日初めて感情を表した顔だ。彼女はリルのことになると厳しい。
「保険だよ。連れてこないで大惨事になるよりかは、連れてきて僕の目の届く範囲に置いておく方が良いと思ったんだ」
「……ふーん」
甲斐田は不満そうだ。どうやら僕の考えに共感できないらしい。
「赤平先生には?」
「もちろん相談したよ。先生はリルのことを分かってくれてる人だから」
「…………。」
「……あと甲斐田も…」
「だよね」
リルのことを知っているのは赤平先生と甲斐田の2人だけだ。そして今日、アイラボの職員にもお披露目することになるだろう。公の前にリルを晒すことに抵抗はあるが、父に敬意を持つ研究所職員ならば、僕の家族を手放したくないという思いを聞き入れ、研究対象にはしないでくれると踏んだ。
僕は緊張感を持ってグッとハンドルを握る。
『まもなく目的地周辺です』
カーナビが無機質な声を発する。
その言葉が合図かのように、今まで景色のほとんどを占めていた林が一気に開け、目の前に複数の巨大な建物がそびえ立つ。
全身ガラス張りのものから、ドームのようなどでかいものまで。
ここが日本人工知能研究所。日本最高峰の研究施設。どんな世界が広がっているのか。