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奈々子と歩いた日  作者: キョウシロウ
12/16

12 事件

丙午(ひのえうま)の女は男を食い殺すんだよ」

今から三〇年も前のことだ。奈々子はそういった。


正月の三日から奈々子は夜の勤めに出た。

いつまでもキャバクラにいてほしくはなかったから昼間の仕事を探すように勧めると、決まって不機嫌な顔をした。

働く場所がない、コネも学歴もない、経験・資格もない、ないないづくしだから無理に決まってる、どこも採用してくれる訳ない、などと投げやりな返事しか返ってこなかった。やってみなければわからないし、熱意や一生懸命さをアピールすれば結構どこだって採用してくれるさ。そんな僕の言葉には上の空となる。

選ばなければ社員募集なんていくらでもあるじゃないか。今は景気が上向いてる。だいたいお前はいったい何がしたいんだよ。いったいどうしたいんだよ。そんなに夜の仕事がいいのか。

だんだんと言い争いになり、険悪な空気が流れ出す。

都合が悪くなると奈々子は黙り込んだ。うすら笑いを浮かべて卑屈になって天井を見上げていた。

結局、安い給料でこつこつ昼間働くのが嫌なのだろう。人に指図をされるのが嫌なのだろう。派手な世界でちやほやされたい、遊びの延長のような夜の世界が性に合っているのだろう。

そんなふうに奈々子の胸の内を見透かすのが嫌で、また見透かしていると思われるのが嫌で、奈々子もまた僕を見透かしているだろうと思うことが嫌だった。

奈々子の両親は相変わらず顔を合わせるたびによろしくお願いします、頼みますと頭を下げるのだった。


正月明け六日からの仕事はじめは『初売りお年玉フェア』のイベントがあり、大変な忙しさだった。来場プレゼント品、お年玉くじ抽選会、オイル交換一〇〇〇円ポッキリ、無償点検サービスなどの特別企画目当てに多くの客が押し寄せた。

冬場、新車の販売は大きく落ちる。特に十二月は最悪だ。何しろ一ヶ月の差で年式が一年古くなるために買い控えが起きる。年が開けても、雪が多い冬場にわざわざ新車を買おうという人は少ない。事故や故障が多い時期だというのもあるからだろう。自動車業界はなんといっても三月、四月がかき入れ時だった。だから年明けのイベントといってもさほど集客は期待できないと思われたのだが、景気が上向いているせいなのだろうか、例年になく大盛況だった。

バブル景気の波は、確実にここ北海道にも押し寄せてきていた。

気付くと中島さんの姿が見えなかった。出社していない上になんの連絡もない。遊びには精通しているが、かといって仕事をおろそかにするような人ではなかったから、支店の全員が不思議に思った。事務員が連絡しても自宅の電話には出ないとのことだった。

こうなって初めてわかったのだが、誰も彼の私生活をよく知らなかった。うわさでは離婚して再婚したとか、子供がいて施設に預けているとか、親は末期癌だとか、うわさはあくまでうわさであり根も葉もあるのかないのかわからず、真相を知るものもいないようだった。

行方が知れたのは一週間ほど経ってからだ。

中島さんは、お客さんから集金したお金を持って飲み屋に勤める女性と駆け落ちをしたのだ。

衝撃の新事実だった。

使い込み、持ち逃げをしたお金はかなり以前からのものも発覚し、合計すると一千万円以上にものぼった。巧妙に誤魔化して横領していたのである。どうやらよく行っていた、すすきののスナックの女性と逃げたらしい。

最初は『ロンシャン』にいたホステスじゃないかとうわさされた。となると、真っ先に共犯を疑われたため、僕は思いきり憤慨した。

共犯ではないけれど、僕の中ではあの日、中島さんと話した言葉が蘇るのだった。


(恋愛にも安全なやつと危険なやつがあるんだよ。危険な方はやばいよ。身も心も持ってかれちゃってさ。骨の髄まで燃えカスになるまでいっちゃうから)


(不思議なことに恋愛ってさ、危険な方が何十倍も魅力的でさ、安全な恋愛はなぜかすぐに飽きちゃってね。わかってても火の中に飛び込むのが人間だから)


(もしかしたら、すでに燃えカスだったりしてね)


 今思うと、なんだか追い込まれたような雰囲気もあった。僕は背すじが凍るような悪寒を覚えた。

 中島さんは、それからさらに五日ほどして支店に姿を現した。げっそりと痩せていて、快活だったかつての面影は跡形もなく消え去っていた。損害金は年老いた親がなけなしの貯蓄をはたいて弁債したらしい。親が泣いて説得したことで中島さんは観念したのだった。

 僕らに軽く挨拶をしたあと、二階の休憩室で支店長とふたりで今後のことを長々と話していた。

 藤田係長はあっけらかんとしていた。まあ、こんなこともあろうかと思っていたよなどと話している。

最近、中島さんの成績が急激に伸びていて、自分の立場が脅かされる恐怖を感じていたんだよ。だからひとごとみたいに簡単に言えるのさ。というのが、藤田係長に対する佐伯さんの分析だった。佐伯さんは前から中島さんが、妙に金まわりがいいことを気にしていたらしい。

なるほど、僕の知らないところで様々な思惑や視線が、この支店の中で飛び交っていたということだ。そんなことは想像すらしていなかった僕は、まだまだ未熟なのだろう。だから誰に食い殺されても仕方がないのだ。

それから残した仕事の引き継ぎを終えると、中島さんは逃げるように会社を去っていった。

 僕は外に出て見送った。僕を見つけると、彼はひょうひょうと声を掛けてきた。

「やあ、すまないね。こんなことになっちまって。迷惑掛けたね。彼女とお子さんは元気かい」

「ええ、元気ですよ」

「そうか。良かった。やっぱ危険な恋愛はやめた方がいいよね。身にしみたよ。馬鹿だったよほんとうに。気を付けなよ。ほんとうにね。絶対だよ」

 みるみるうちに彼の顔はゆがんでしまい、真っ赤になっていって、僕の目を避けるかのように目頭を押さえて下を向いた。

 僕はかける言葉をなくしてしまった。

「あの、お元気で」ようやく絞り出すようにいった。

「ありがと。じゃあ」

歩き出した中島さんの背中は、どうしようもなくさびしげだった。

彼がそれからどこで何をしていたのかは知らない。駆け落ちした女性が丙午の女かどうかも、もちろんわからない。

 中島さんの事件から社内では会計処理が厳しくなったり、私生活の指導や勤怠状況の管理がよりいっそう重要視されるようになった。それはつまり、僕に対する監視の眼も、あちこちに潜むようになったということだ。



 続く


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