世界を見守る系悪魔な私
告白しよう。私は生まれ変わりなど信じていなかった。
死んだらそれまでハイお終い。人は仏にはならず、天国にも地獄にも逝かず、地縛霊として漂わず、ただただ人生の幕が閉じて、私の人格も歴史も記憶も想いも、何もかもが真っ黒く塗り替えられてしまう。人間の一生なんてそんなものなのだと私は確証もなく死ぬまでそう思っていた。
死んで悪魔に転生するまでは。
「キミの担当は小世界ストーンフォレストだ。そこで暮らす『人間』どもを活かさず殺さず、適度に己の役目をこなすようにね。経過報告はレポートを作成し月末に提出すること。では私はこれで失礼するよ」
私の直属の上司である上級悪魔はそう言い放ち、私にはもう用はないと言わんばかりに背を向けると、唖然とする私を置き去りにしてスタスタと部屋を出ていった。私のものとは比較にならないほどに大きく黒い皮膜翼と槍のように鋭い尻尾を誇示するようにゆらゆらと揺らしながら。
部屋の扉くらい閉めて行ってほしいものだ。私は両開きの扉を丁寧に閉めると、それにもたれ掛かるようにして背を預けた。部屋の中心部に置かれた身の丈ほどの大きな水晶を冷ややかに眺める。
「はぁ……くだらない」
扉越しに伝わる上級悪魔が放つ特徴的な靴音が完全に聞こえなくなってから私は大きくため息を付いた。何が悲しくて人間の成長なんぞを見守らなければならないのか。
生前なんぞ、自分自身の成長すら客観視できなかった私に一体何ができるというのか。心の中で悪態と嘆きと諦めがブレンドされていく。
ああ、やりたくない。
しかし、やらねばなるまい。なぜならそれが下級悪魔に与えられた義務だからだ。あの上級悪魔に怒られるのが怖いからとかそんな理由では決してない。想像しただけでも心が……何だかポカポカしてきた。
小世界ストーンフォレスト、名は体を表すというがまさしくその世界は全てが石で構成されていた。名前が先か、世界が先かは知る由もないが、この世界を名付けた奴はそうとう素直な性格をしていたのだろうな。
動物も植物も、何もかもが、石、石、石だ。
生前の記憶や知識からするとそれらが生命体としてどうやって生きて、どのように暮らしているのかと多少は気にならなくもない。がしかし、それとこれとは話は別である。石の森、石の草、石の豚、石の猿、その中に混じって生きている『石人間』たちを私は職務として見守らなければならないわけだ。
ハッキリ答えよう。非常に面倒である。
彼らを小世界水晶を通して観察し、行動や生活様式、文化、文明といったあれこれをレポートにまとめ、上司に報告する。ご丁寧に職務用の机と椅子も用意されており、生活必需品としてベッドや調理場なども一部屋にまとめて置かれていた。レポート作成のための資料としてか本棚も充実している。
職場と衣食住が一体化とかマジ勘弁してほしい。
人の一生を終えて労働やら納税義務から解放されたかと思えば、なぜに悪魔に転生してまで真面目に働かなくてはならないのか。おかしいな、生前に悪魔を信仰していた記憶はないぞ。邪教の教えを有り難く思ったこともない。……まあ、悪魔っ娘は好きだけど。ついでに吸血鬼や妖怪娘も嫌いじゃない。
しっかし、レポート作成と定期報告とはね。それ自体は面倒な業務ではあるものの、石人間の文明や生態の観察作業は暇つぶし程度には面白みがあった。
石の肉体を持つくせに柔軟性に富んでおり、石猪の突進をぐんにゃりと躱しながらアクロバティックに踵落としを華麗に決めた姿にはつい拍手を送ってしまったほどである。
ただの石コロではないことは間違いないだろう。いわゆる生前にあったその辺の道端に転がっている小石と同じ成分ではないことだけは理解できた。いや、待て。それは早計かもしれない。全く同質ながらもこの世界特有の法則か何かが働いている可能性もなきにしもあらずだ。
石人間は意外とカラーバリエーションが結構豊富だった。ストーンフォレストという名前の印象から、最初は灰色の世界を想像していた。しかし、真っ赤なやつもいれば青いやつもいるし、半透明なやつもいれば黒銀のように煌めく漆黒の肌を持つ石人間もいた。
石というよりも鉱石か宝石人間かもしれない。ってどっちも石がついてるやないかーい。と一人でツッコミを入れてみる。まあ、色がついているのは石人間だけなので、ストーンフォレストが灰色の世界というのはそう間違ってはいなかった。
ストーンフォレストの観察業務を任されてから十日、二十日、一ヶ月。更に更に、時間は無情にも矢の如く経過して、十年目を迎えた今の私の素直な気持ちはというとだ。
「秋田な」
意図的誤字というやつだ。脳内で秋田産のお米で炊いた白飯を食べる妄想にふけながら横目でストーンフォレストを眺めた。実に穏やかな世界が水晶に映し出されている。ここしばらく大きな変化が起こっていないので私としては少々退屈だった。
そんなわけで、そろそろ次の章へと進んでみようかとテーブルに置かれた書物を手にしたとき、珍しく部屋の外からコツコツと特徴的な足音が聞こえてきた。
報告書を上げるたびに、赤ペンで「こことここの表現は稚拙だね」とか「恐ろしく文才がないね、キミは」などと、チクチクと私の心にダメージを与えてくる上司のものだ。
いったい私に何の用があるというのか。……まさか、あの件に感付かれたのだろうか。それともあっちのか。何れにせよこの部屋には見られたくないものが山ほどある。
上級悪魔がこの部屋を訪れるのは私が最初に任務を命じられたとき以来だ。報告書は数ヶ月に一度、こちらから手渡しに行くのが現在の規定となっている。最初は月に一度だったが、業務改善の提案と申請を試しにしてみたらあっさりと「それ採用ね」と受理されたのだ。
つい先日、報告書を提出したばかりなので、次の期限はまだ遠いはずである。手渡した際、報告書に軽く目を通していた上司の態度もそれほど悪くはなかった。不出来な点があれば悪魔の首を取ったように助走を付けてぶん殴る勢いでそれを指摘してくる。なので報告書自体に問題はないはずだ。
いっそのことクビを宣告してくれれば助かるのに。しかし仮にそうなったとしても結局は新たな任務を押し付けられることになるだろう。他所の悪魔との交友から得た情報である。まず間違いあるまい。
下級、中級、上級と、この十年で色んな悪魔と交流を重ねたが、現状どの悪魔も私の職務と似たようなことをさせられていた。中には、直接世界に赴いて現場監督に勤しむ悪魔もいるという噂も聞いたことがある。
ならばやはり適度な報告と適度なサボりを獲得した私にはこの仕事を続けるほうが得なのかもしれない。などと考えているうちに。
「やあ、順調かな?」
ノックもせずに入ってきた我が上司様は肌の露出など気にも留めていないようで、あるところはゆっさゆっさと、またあるところは色気をふんだんに振りまきながら、一人用の柔らかソファで現実逃避していた私の元までやってきた。
私は慌てて起立し、だらけていた被膜翼をシャキッと畳んだ。だいぶ太く長く伸びてきた尻尾をスルスルと腰へ巻きつける。目の前に佇む悪魔は私よりも背は低いが、上級悪魔としての威圧感は凄い。彼女は私を威嚇するように皮膜翼をバサッと広げた。尻尾も見せつけるように先っぽをこちらに向けた。
こうなると私はいつものように視線を一点に固定せずにはいられなくなる。
「キミは相変わらず私の顔が好きなようだね。まあいいよ、好きなだけ見つめるがいいさ」
上級悪魔は私がそのチャーミングな巻き角が生えた可愛らしい顔を見つめるのを横目に、ふっと微笑みながら小世界水晶を覗き込んだ。
「ふむ、……なかなか、いや、とても面白いことになっているね。いやはや、キミのレポートを読んで理解していた気ではいたけれど、これほどとは思わなかったよ。小世界に多少、手を加えただけとは思えないほどの変化だ。そうだな、キミの口から直接詳細を聞きたいところだ、構わないね?」
上級悪魔は満足げに頷きながらも私に対して視線を促した。椅子に座っても良いという合図だ。ちなみに私の椅子は他所から掻っ払ってきた高級ふわふわ一人用ソファである。一つしかない。部屋に残されているのは最初に支給された簡素な椅子だけだ。
どうする。「ささ、こちらにお掛けください」とへりくだって譲るべきだろうか。しかし、柔らかソファに慣れ親しんだ私の尻はもはや部屋の片隅にほっぽり出されたパイプ椅子を拒むだろう。むぅ、実に困った。
「ああ、私のことは気にしなくてもいいよ。しばらくストーンフォレストを眺めていたいからね。このままで構わないよ」
ということらしいが、目の前に立たれたままでも正直困る。なにが困るって、まあ色々と困るのだ。なので素直にソファに腰を下ろしつつも、視線だけはやはり上級悪魔の煌めく瞳に固定した。話すときは相手の目を見ろと教わったし別によかろうなのだ。
彼女の視線を受け止めつつ淡々と私は話した。まあ、レポートで記載した内容の繰り返しだ。
「まずは火を与えてみました。石人間の文明にはかつて火が当たり前のように存在していたことを観察を通して知ったからです。失われた火が蘇り石人間たちは踊り狂ったように喜んでいました。次に私は――」
正直に白状すると、私の暇つぶしだった。説明した内容は私の後付けである。彼らの生活を観察しながら私は趣味で魔法のお勉強をしていたのだ。
火を操る魔法を習得して適当に目標物はないかと部屋を見渡して唯一ぶち当てても困らないのがこの小世界水晶というわけだ。ベッドや本棚に炎の塊をぶつけるわけにもいくまい。
なにせ世界を観測する水晶だ。私が行使する魔法程度で壊れる代物とは微塵にも思わなかった。私は特に何にも考えずに自らの手の平に生み出した炎を放ってみた。
あら不思議。炎は小世界水晶に吸い込まれ、見事にストーンフォレストにそびえる山の一つに命中。石で構成されているのもなんのそのと燃え広がり、一瞬にしてそこは火の山となった。
悪魔が生み出した炎が滅多なことでは消えないと知ったのはその数週間後であり、火の山は見事にストーンフォレストの有名観光地の一つとして爆誕してしまったのだった。ちなみに現在も燃え続けている。
……石人間たちはどうなった。
恐る恐る覗き込んでみるとお祭り騒ぎのどんちゃん祭りである。もうわけがわからない。石人間たちは炎の山を見て「太古の火だ」「命の炎が蘇った」などと意味不明な供述を繰り返しており、私はとりあえずどうにかなりそうだなと安堵の吐息をこぼしてお茶を啜った。
というのが事の経緯だ。しかもまだ序章に過ぎない。
当時、どうせすぐに消えるだろうと思っていた炎が中々消えないことに焦りを覚えていた私はとりあえず消すかという単純な思考に支配された。これが大間違いな選択だったことに私は気づくわけもなく、水の章で覚えた水魔法を水晶に向かって「そいやっ」と振りかけたのである。
「ふふふ」
そのあとに起こったことを思い出してつい笑ってしまった。おっと……しまった。
「ん、何が面白いんだい? 私の顔に何かついているのかな?」
私の瞳を覗き込むように上級悪魔は屈み込んだ。色々と困るものが困ったことになり、私はさらに困った。赤紫の宝石のように輝く瞳に私の姿が映る。十年ほど見慣れた瞳ではあるが、未だに見慣れることができない瞳でもあった。
「い、いえ。申し訳ありません、当時の石人間たちの様子を思い出してしまい、つい」
「ふーん。それで? 続きを話してごらん」
なぜか上級悪魔は私の前に豪華で柔らかそうな二人掛けソファを創造した。それに足を組んで座ると、膝に肘を乗っけるようにして身を預け、ぐいっと前かがみになって私に話を促した。
視線を下げると非常に困る姿勢だ。なので私もなぜか同様に前かがみにならざるを得なくなり、ついでに上級悪魔の瞳に視線を釘付けにしておかなければならなくなった。
「水を与えてみたところ、これもまた石人間たちは喜びました」
嘘ではない。喜ぶ前に大惨事があったことはレポートには記していなかった。なんせ大半の石人間たちが爆発で吹き飛んだからだ。私は焦った。私に与えられた命令を思い出してみよう。
活かさず殺さずに人間たちを見守ること。
私は何をした? 火を与え、喜ばれ、水を与え、大爆発。殆どの石人間は石に帰った。全滅ではないことだけが救いだった。いわゆる色付きたち。灰色のノーマルな石人間は衝撃波によってそれはもう木っ端微塵に砕け散ったのだが、色のついた石人間はなんと大爆発に耐えたのである。凄まじい勢いの土石流にもだ。
ちなみに面白いのはここからだ。流石の私も石人間が吹き飛ぶ場面で笑いはしなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいである。反省もした。
ふふふ。
また思い出し笑いしそうになるのをこらえるため、私はキッと表情を正して上級悪魔の瞳を見つめた。上級悪魔はなぜか私の視線にたじろき、ほんの少しだけ身を引いたが、向こうも負けず劣らずキリとした表情で余裕のある笑みを浮かべて頷いた。おそらく相槌だろう。
我ながら不謹慎極まりないと思う。しかし、これは不可抗力なのだ。木っ端微塵になった石人間たちが土石流の落ち着いた大地からにょきにょきッと生えてきたのである。
一つ、また一つと。ぽこ、ぽこぽこっ、ぽここここここっ。連鎖するように、あちらこちらでぽぽぽぽぽぽこっと無数の石人間が生えてくる様は本当に筆舌に尽くしがたい光景だった。
しかも色付きでだ。炎のような鮮やかな紅色、水がそのまま石になったかのような煌めくブルー。魅惑のエメラルドグリーン、可憐なピーチ。まあ中にはドロドロの泥人間やぬめぬめっとした石人間もいたけれど。
石の世界に咲いた鮮やかなお花畑のようだった。
私はそれを見てホッコリした気持ちになったのを今でも憶えている。ちなみに生えてきた石人間と爆発で吹き飛んだ石人間とが同一個体であったことは後になってから判明した。
石人間は、というか石動植物は砕けると大地に帰り、同個体として再生する性質があったのだ。
石人間たちの無事にホッとひと息安堵したところで、私の放った炎がまだしぶとく燃え続いていたことに気づいた。おそらくだが私の魔法適性が水よりも炎の方が高かったことが要因かもしれない。
などとしたり顔で考察していたら水の方も炎の山を縫うようにして流れ続けていた。悪魔が創造した水は流れ続けるという特性があるらしい。ちなみに現時点でも水は流れ続けていた。観光名所どころか聖地として崇められている。
さて困ったことに、いや私自身は別に困っていないが、当時の石人間たちにとってはさぞ困った展開になったはずだ。これらの事象に恩恵? を受けたのは何も石人間たちだけではなかったのだ。
「ストーンフォレストには様々な石動植物が存在していますが、石人間以外にも炎と水の影響と衝撃は大きかったようです」
「だろうね、チラッと眺めただけでもあの有り様だ。いやはや本当に面白いよ」
そう、ストーンフォレストは石動大戦争時代に突入したのだ。誰と誰との争いかって? 石人間とそれ以外の全てとである。上級悪魔が評したように私としても面白かった。
炎と水を巡った熾烈な争い。
砕き、砕かれ、大地に帰っては生えを繰り返していくストーンフォレストの生命体たち。理由は定かではないが蘇るたびに彼らは強くなっていった。強個体の出現、集団戦闘の進歩、石動植物側の知性の獲得などなど。
「なぁにこれ?」とレポートにまとめるのも面倒なほどに変化が激しい。まさにストーンフォレスト史に刻まれた激動の時代だった。
そして、大戦から5年が経つ。つまり現在はというと。
「で、なんやかんや色々とありまして石人間と石動植物は仲良く暮らし始めましたとさ、めでたしめでたし。と、いうわけであります。報告は以上です!」
正直に白状すると、変化の速さがあまりにも激しくて詳細は把握しきれなかった。知性の芽生えた石動植物たちの大連合軍と色とりどりの石人間たちがずらりと向かい合って立ち並び、真正面に対峙していたところまでは覚えている。
けれど、そこから先があやふやだ。
さらに言うと、この五年間、私は三章の風の魔法と四章の土の魔法を覚えるのに夢中でストーンフォレストをあまり見守っている暇がなかったのだ。……まあ実際は、風の魔法を扱うのが難しくて部屋中を荒らしてしまい、それを片付けるのに手間取っていただけとも言う。
ふと気づくと、いつの間にか戦争が終わってストーンフォレストは平和な時代を迎えていた。皆、仲睦まじく暮らしているので特筆すべき点もなかった。石人間と石動植物が交わって新種の石生命体が生まれた程度だ。
そんなわけで、今日も観察は程々にして五章の光の魔法と六章の闇の魔法でも勉強しようかなと思っていたところに我らが上級悪魔が現れたのである。
まったく、今日の予定が大幅に狂ってしまった。読書に勤しみながら優雅に紅茶とケーキを洒落込もうと思っていたのに。ちなみに、悪魔は飲食を必要としない。これってトリビアになりますか?
じゃあなんで職務室に調理場なんてついているのだろうと疑問に思い、食料を調達するついでに他の悪魔たちに尋ねたことがある。彼らから返ってきた言葉は一様に「知らない」であった。各種の部屋に初めから付いていたんだとか。
食事をしない悪魔たちから、いらないのならと何故か備蓄されている食材を引き受けた。謎に満ち溢れる食材ではあるが、死んでも別に構いやしないと私は食べ続けた。
そんな風に他の悪魔にとって必要がない物や必要な物であっても、交渉したり黙って頂戴したりした。その結果、私の住居を兼ねた職場であるこの部屋には色々な物が雑多と溢れかえっている。
特に目に付くのは水晶の隣に設置された高級ウッドテーブルだろう。テーブル上には一人分の紅茶セット一式とチョコレートケーキが用意されていた。
用意したのは当然、私だ。ケーキに至っては私の手作りである。上級悪魔は一度ケーキに注視してから、呆れるように部屋を見渡した。
「ふむ、まあもう少し詳細を聞きたかったのだけれどね。まあいいよ。とにかくキミの報告書は我々上級悪魔にとって大変価値のあるものだったよ。キミの些細な拾い物が見逃されるくらいには、ね?」
どうも私以外の悪魔たちは、他の悪魔に対して興味関心が薄い。なので、私の部屋になんかどうせ誰も来やしないだろうと思ってあちらこちらから盗ん……借りてきたのだが、流石にやり過ぎたようである。
私もそれらを横目で見つつも、ハハハと乾いた笑いをこぼして相槌を打った。このときばかりはストーンフォレストの連中に土下座で感謝したい気持ちでいっぱいである。
「キミの昇級が決まったよ。それと同じくして……昇格もね」
まじか、昇級だ! いやっほーいとは喜べない。下級悪魔が中級悪魔になったところで大して差はないだろうし、昇格も……いや、昇級との違いはよくわからない。
「まさか、たったの十年で上級悪魔へと昇級するなんて驚きだよ。……私でも500年はかかったのにな。こほんっ。キミ、悪魔の才能があったようだね。もとは人間なんだろう?」
なんと、まさかの飛び級である。中級をすっ飛ばして上級悪魔になってしまったようだ。
「はあ、あまり実感は湧きませんが。私自身の能力というよりも運の要素が強かったように思います」
「悪魔が謙遜するものではないよ。自らの成果はしっかりと誇示しなければ他の上級悪魔たちにナメられてしまう。キミも上級悪魔の一員となったからには気をつけたまえよ」
実際問題、全てが偶然なのだから他に言いようがないが。ついでにストーンフォレストの現状が上級悪魔たちにとってどう都合がいいのかもさっぱりわからない。
「あの、ところで昇格とはいったい?」
「役職の変更さ。今までキミは下級悪魔として小世界の観察と報告をしてきたわけだが、上級悪魔ともなると比べ物にならないほどに重要で大切な役割を担うのさ。……私は下級悪魔の管理と監督なんてつまらない役どころを担っていたわけだけれどね。まあ、そのおかげでキミという逸材に出会えたわけだし、キミのおかげで私も昇格できた。キミには大きな借りができてしまったというわけさ」
ここにきて上級悪魔は表情を崩し、先程までの上司ぶった微笑みではなく本人自身の感情が込められた笑みが浮かんでいた。借りと言われてもな、返せと言えない借りに何の意味があるのだろうか。それとも悪魔にとっての貸し借りというのは思いの外大きいものなのだろうか。
わからない。悪魔になってまだ十年。この十年で学んだことといえば、報告書の書き方と上司に対する言葉遣い、ちょっとした魔法の使い方だけだ。あとはえっちな上級悪魔との接し方くらいか。
「借りだなんてとんでもない。今の私があるのはあなたのおかげです。感謝しております」
スッと頭を下げた。視線は上級悪魔の足元を意識する。でないと困ったことになる。
「あ、頭を上げたまえ。べ、べつに私はそこまで感謝されるようなことはしていないよ?」
なんだろう。十年の付き合いになるというのに、こんな姿は初めてみた。こちらが同じ上級悪魔となったことであちらも何か思うところがあるのだろうか。
「あの、急かすようで申し訳ないのですが。肝心の、私が担う役職とはいったい?」
「あ、ああ、すまないね。私としたことがつい私心を優先してしまった。思いの外、動揺していたようだ」
上級悪魔はこほんと軽く咳払いをして私に向き直った。
「キミの新たな役職は上位大世界主任管理官さ。上級悪魔二柱を副官とし、中級悪魔十三柱、低級悪魔三十九柱をキミが従えることになる。正式な任命と詳細は後日にまた。今回は私が上司として先んじてキミに伝えにきたというわけだよ」
断りたい。断固として断りたい。
ようやくこの観察日記的な仕事にも慣れてきたというのに。他の上級悪魔やらを従えて大世界を管理? 無理だよ。絶対さぼれないじゃないか。というか、そんなものを新人の上級悪魔に任せないでくれ。嫌だよ、あんまりだ。誰か、助けて。
とはおくびにも出さず。
「承ります」
「いいね。相変わらず良い目をしている」
あなたの瞳くらいしかまともに見れないからだよ。
「キミには期待しているよ? なぜなら私の上司となるのだからね。しっかりと働いてせいぜい私を楽にさせてくれたまえ。キミが私に利をもたらしてくれるのなら、私もキミにそれ相応のモノを返そうじゃないか」
上級悪魔はその豊かな胸を大きく突き出し、抱えるように腕を組みながら言い放った。困ったことに私の視線はそれに釘付けにされてしまい、つい適当な返事を返してしまった。
「なら、あなたのそれをください。話はそれからお願いします」
あからさまに動揺する上級悪魔を前に、私はただおっぱいだけを見つめていた。もうどうにでもなってくれ。