義妹に婚約者に奪われた私は崖っぷちで死神に求婚されるようです
「お姉様より私の方が似合うでしょう?」
レアンドロ様から贈られたドレスを纏い、勝ち誇ったように妹のサリーシェが言います。
眩い金色の髪をハーフアップにして美しく整えられ、翠の瞳が宝石のように煌めく美貌の妹────
そしてその隣には淡い金髪に透き通る水色の瞳のレアンドロ様。整った顔立ちの二人が並ぶととてもお似合いで、私など出る幕も無いように思います。
いえずっと、そう思っていましたが……
私は亜麻色の髪に蒼い目の凡庸な容姿です。
誰の目から見ても私よりサリーシェの方が良いだろうと、分かってはいても考えれば悲しくなりますから、思い詰めないようにしてきました。
そもそも私とレアンドロ様の婚約は政略なのです。
私一人が悩んだところで解決など出来ません。
ずっとそう思っていた事でした。
だから私は今、目の前の光景に愕然としています。
まさかこんな事になるなんて……一体何が悪かったのでしょうか……
レアンドロ様はサリーシェの腰に手を回し、愛おしそうに見つめてから、冷たい眼差しで私を振り返りました。
「お前のような性悪女がこの国の高位貴族の仲間入りするなど、私の矜持が許さない。そもそも先代リーバ子爵の話もどこまで本当なのか……何の確証もないそんな話より、私は真実の愛を信じる。お前のような女と縁付くより、サリーシェのような心の清らかな人を迎える方が国の為にも、侯爵家の為にもなるに決まっているからな」
その言葉に私は絶句します。
真実の愛……? それでこの政略結婚を覆そうと? 性悪とは私の事でしょうか? 別に自分の性格が良いとは思っていませんが、まさかそこまで酷く思われているとは思っていませんでした。
そして二人から感じる圧力に私の本能が反応します。
ここはレアンドロ様のウォッズ侯爵領の端……明日王家主催の夜会へ行くにあたり、王都に近いこちらの別邸に一泊してから向かう予定だったのです。
そして月夜に散歩に行こうなどと、珍しくレアンドロ様が私に声を掛けて下さった事に驚きつつも、大した警戒心も持たずにほいほいと着いて来てしまいました。サリーシェは一日遅れで家族と王城に着く予定でしたから、まさかここにいるとは、こんな事を考えているとは思ってもみなかったのです。
……ああ、私はなんて愚かなのでしょう……
後ろに下がりたくとも、もうそこに足場はありません。暗がりに気付かず、私はいつの間にやら崖に追い詰められておりました。
「さようなら、お姉様────いえ、サリーシェ……かしら? これからは私がアリアとして生きていくのだから……」
そう言って綺麗に弧を描いたサリーシェの口元と、冷たい眼差しのまま私の身体を強く押し出すレアンドロ様。そして不思議な浮遊感と不快な落下の感覚の中、私の意識は遠のいていきました。
────どうやら私は死んでしまったようです。
乾いた土にポツリと一本だけ木が立っているような殺風景な場所で、私は一人佇んでおりました。
あの後の記憶がありませんが、私は高い崖の上から突き落とされたのです。生きている筈がありません。
ここは死後の世界、なのでしょうか? 死んだらどうなるかなんて考えたことがあっても知る術などある筈もなく……
殺された挙句にこんなところにぞんざいに放られて、何だか自分の存在が虚しくなります。
悔しいやら悲しいやらで顔を俯ければ、誰かの足が見えました。
私は勢いよく顔を上げます。
するとそこには驚いた様子の男性が目の前に立っており……というか、突然現れました?
首を捻って悩んでしまいます。
ここには木が一本しか生えていませんし、隠れる場所も無いですから、いつからどこにいたのかと、つい訝しんでしまいました。
でも、ここが死後の世界なら、そんな考えは意味が無いかもしれませんから……お迎えでしょうか?
私は改めて男性を見ます。
改めて見るとこの方……黒いですね。
何が、というと。
服装から始まり黒髪に黒目……タイも黒です。服はきっちりとした礼装ですが、喪服……なのでしょうか?
私が首を傾げると男性はくしゃりと顔を歪めました。
「良かった」
「良かった?」
死んだんですけど……
「君がここに来てくれて」
「?」
「いや……」
困った風に眉を下げる男性は、よく見ると整った顔立ちをした方で、何故かドキリとしてしまいます。……私はこんな時に一体何を考えているんでしょう。急に恥ずかしくなってきます。
そして私の内心を知ってか知らずか男性は照れ臭そうに話し始めます。
「薄々気付いているかもしれないけれど、君は死んでしまったんだ」
ああ……やはりそうでしたか……私は落ち込みます。
「あ! でも落ち込まないで! だけどあまりにも状況が不遇だからって、生き返れる条件が議決されたんだ。だから君はまだ仮死の状態だ」
「?」
何やら分からない話が出てきました。
議決? 仮死? それにこの人は……
「あの、失礼ながら、あなたは私のお迎えでは無いのですか?」
私の言葉に男性は一瞬虚を突かれたような顔をしてから、嬉しそうに、うん、と口にしました。
「俺は確かに君の担当の死神だよ。でもさ……君の短い人生に何があるのかと調べてみたら、なんて言うか同情してちゃってね。チャンスを貰えるように上と掛け合って来たんだ」
死神は……縦社会なんでしょうか……
ってそこじゃ無いですね。
担当の死神? チャンス?
死神さんは私の目を覗き込むように屈んでくるので、私は思わず身体を逸らします。何だかこの方先程から距離が近い気がするのは何でしょうね、種族|(?)の違いでしょうか……
「君が死んだ三日以内に君の死を悼んでくれる人が三人いれば、君は生き返れる事に決まったんだ。君の役目はその人たちに礼を返す事だけ。ね、簡単だろう?」
「???」
「じゃあ時間も無いから行ってらっしゃい」
そう言って死神さんが私に手を振ると、突如空間が引き攣れ渦を描き出し、私の身体はそれに飲み込まれるように引き寄せられます。
何これ、怖いんですけど!?
「あの!」
私は慌てて死神さんに振り返れば、死神さんは口元に片手を当てて、「俺の名前はアレンだよ」と、呑気に自己紹介をしてくれます。
そうじゃなくてですね!
「アレンさん!」
名前を呼べばアレンさんは何故か恥ずかしそうに顔を赤らめます。先程からよく赤くなっていますが、恥ずかしがり屋さんなんでしょうか。
どうでもいい事に気を取られている内に、私の身体は渦に巻き込まれるように傾ぎ、そのままそこに飲み込まれていきました。
ぐるぐる渦を描く空間の中、私は自分も回っているのかそうで無いのかが次第によく分からなくなっていき、再び意識を失ってしまいました。
◇
「アリア! どうしてお前はいつもサリーシェを虐めるんだ!」
婚約者であるレアンドロ様が私の部屋の扉を荒々しく開け踏み入って来ました。
「……」
「何とか言ったらどうなんだ!」
「……」
(あら、これは……)
これは確か私が殺される三日程前のやりとり。
ですが状況が違います。
(私が、二人……)
レアンドロ様に責められている「私」と、第三者としてそれを眺めている私と、二人います。
(あの死神さんが言っていたのは、こういう事なんでしょうか?)
私の死を悼む人────
(いるのかしら……)
ともかくそれを第三者の視点で探してみろと言われているような気がします。
今の私の存在は、「私」にもレアンドロ様にも認識されていないようですし。
私は過去の「私」を振り返ります。
怒りを露わにするレアンドロ様を前にその顔は暗く伏せられ、表情も変えず何も話さない様は不遜にも見えます。ですが……
言える筈がありません。
だってレアンドロ様は一度だって私の言葉を信じてくれた事なんてありませんでした。
サリーシェが私から虐められてると言えば信じ、私が違うと訴えても嘘吐き呼ばわりの上に態度が悪いと責めたてます。
「反抗的な態度を変えて今度はだんまりか! お前は本当に汚い! お前などの妹に産まれ、サリーシェが可哀想だ!」
私はその後レアンドロ様に散々に怒鳴られ、部屋の物を壊され、彼が帰って行くまで黙ってそれに耐えていました。
荒々しく彼が部屋から出て行く様を見送り、それから暫く様子を見ます。
窓の外から馬車の音が聞こえ、レアンドロ様はご帰宅されたようです。
「……」
でもまだ気は抜けません。
窓の外を眺めて待てば、今度は妹のサリーシェが部屋に入って来ました。
「お姉様ったら」
サリーシェは数人の侍女を従えて、子供でも窘めるように小さく息を漏らします。
「レアンドロ様はお帰りになってよ。全く、折角遊びに来てくれた婚約者を出迎えも見送りもしないなんて、同じ身内として恥ずかしいわ」
「……」
私は何も言いません。
言ったところで真っ当な返事などないのですから。
けれど返事をしようとしまいと、妹もまた、いつもと変わりませんでした。
「っ全く! どうしてあなたみたいな人がこの家の……血を継いでいるのかしら! 何の取り柄もない上にただの厄介者のくせに!」
サリーシェは手近にあった棚に手を伸ばし、中の物を放り憂さを晴らしていきます。
しかしどれほど部屋を散らかそうと、私を貶めようと、私たちの立場が変わる事はありません。
それが分かっているからこそ、こんな事をするのでしょうが……
私がレアンドロ様の婚約者となったのは、王命によるものです。我がリーバ子爵家とレアンドロ様のウォッズ侯爵家。ここで血縁関係を作り、リーバ家の血筋を高位貴族に取り込む事が目的です。
なぜならリーバ子爵家は他国の王族────ルェイン王家の子孫だから。
私のお母様は内乱に巻き込まれぬようルェインから逃がされたルェイン王国の王女。伝手を頼り何とかこの地に平民として紛れ込み、生き延びたのだそうです。
しかしそれを知ったリーバ子爵家の先代であるお祖父様は、他国とはいえ王族をそのように扱えない。と、遠縁と称してこっそり邸に迎え入れたのです。
そして彼の国ルェイン王国では熾烈な王位継承争いの末に、昨年お母様の弟の第六王子が王位を継ぎ、戴冠の儀を終えました。
それを受けお祖父様は処罰される事を覚悟の上で、国王陛下にルェイン王家の血を継ぐ者がリーバ子爵家にいる事を告げたのです。
それが、私。
私だけなのです。
妹のサリーシェは父と義母の娘です。
私のお母様は数年前に他界し、すでにおりませんから……
父は母が亡くなった後直ぐに再婚をし、義母と義妹が出来ました。……二人は可哀想なのだそうです。
先代の決定でお母様を守る為、お父様はお母様と結婚する事になりました。その為恋人関係にあったお父様とお義母様は離れ離れになってしまったそうなのです。
ですからお祖父様が陛下から罰を受け隠居の身となり、お父様が子爵家を継ぐと、お父様は直ぐにお義母様とサリーシェを邸に呼び寄せました。
サリーシェは私と同じ歳です。
お父様はずっとお義母様を愛していたのでしょう。だからこそ私の存在を疎ましく思い、それが家人に影響し私への態度となって現れます。
レアンドロ様が荒らした部屋も、サリーシェが散らかした後も、誰も私の部屋を片付けません。
それが私への罰、なのだそうです。
お祖父様は邸を出て行く時、私にすまないと何度も謝っておられました。
どこかでお父様の思いを知ってしまったのでしょう。けれど嫁ぐまでの辛抱だから……それまで耐えてくれ、と。
固く握られた骨張った手に、悔恨を滲ませる顔に、私は分かりましたと笑ってみせる事しか出来ませんでした。
嫁ぐ事は変えられません。
どう頑張っても血を入れ替える事は出来ませんし、レアンドロ様がサリーシェを気に入っていても、お父様がサリーシェを可愛がっていても、サリーシェがどれほどレアンドロ様に嫁ぎたいと願っていても……
そればかりは私でなければならないのです。
いっそ逃げてしまいたいと思った事が何度もあります。ですがそんな事をすれば、遠くの領地で静かに過ごすお祖父様に、もっと重い罰が課されるかもしれません。それは……優しかった祖父の顔がチラつき、私には出来ないと思ってしまうのです。
「きゃあ!」
そこでサリーシェが上げる悲鳴に私の意識が戻ります。
「クロ!」
そこでは黒猫のクロがサリーシェに飛び掛かり威嚇しておりました。私は急いでクロを抱き上げサリーシェから距離を取ります。
サリーシェは以前クロを抱き上げようと手を出して思い切り引っ掻かれ傷が残り、それ以来クロが大嫌いなのです。使用人に命じて見つけ次第追い払おうとしていましたが、クロの黒い容姿に縁起の悪さを覚える使用人たちは嫌がって近寄りません。
クロはこの邸で容認されておりませんが、見逃されている存在。そして私の唯一の友達なのです。
フワフワした身体を抱きしめてホッと息を吐いていると、それを見てサリーシェは忌々しげに舌打ちをしてから侍女たちを引き連れ出ていきました。
「ああ! 嫌だわ動物臭い! もう! こんな事をしてても疲れるだけだわ! 戻るわよ!」
バタバタと立ち去る足音に耳を澄ませてから、クロに小さくお礼を言えば、にゃあと返されます。ほっこりと温まる胸にクロを抱え直し、改めて部屋の中を見渡せば、サリーシェやレアンドロ様が荒らしたこの部屋には一つだけ手付かずのものがあります。
それは三日後の夜会に来て行く私のドレス。
レアンドロ様が、サリーシェが着たら似合うだろう物をわざわざ選び、贈って下さったのです。
それを傷つける事は出来ません。
何故なら私は他に夜会用のドレスを持っていませんから。
ドレスが無いから夜会に出られない、では済まないのです。舞台は我がサザー王国の王家主催の夜会であり、そこはルェイン国の王が親族を匿ってくれた我が国へ表敬訪問をする場でもあるのです。
そこに私が出席をしないなどありえません。
そんな事になればリーバ子爵家も事情説明を求められるでしょう。
ドレスが無いから、などと話せばリーバ子爵家だけでなく、婚約者であるレアンドロ様も、何故婚約者にドレスを贈らないのか、と叱責されるでしょうね。
それでも────ルェイン国王はまだ地盤固めの時期。いつ政権が揺らぐか分かりません。
お祖父様が罰を受けたのも、表向きは血脈を偽り、自国の子爵家に他国の高貴な血を勝手に混ぜた事。
ですが、ルェインの現政権が上手く軌道に乗るかもしれなあという考えもあり、我が国は恩を売っておきたいのでしょう。
これが吉と出るか凶と出るかはまだ分かりません。今後ルェインが飛躍していくか衰退していくかまだ見極めが難しいこの時期に、私の扱いも同じように難しい。
(皆きっとそう思っているのでしょうね)
ルェイン国とて私の事など自国の整備で忙しい時期に現れた、邪魔な存在なのかもしれません。
けれどそんな事を考えて向かった王城に辿り着ける事もなく、私は殺されてしまったのです。
確かに私の顔なんて国王陛下や他の王都の方々は知らないでしょう。
邸の人間たちも私が王族である事は知りません。
よく言い聞かせれば、使用人たちは迂闊に家に不利益になりそうな事は喋らないでしょうし、元々私の味方などあの家にはいないのです。
そうして私はウォッズ侯爵家の別邸で殺され魂だけの存在となりました。誰にも見える事も触れられる事も無く、私の魂は引き寄せられるようにサリーシェとレアンドロ様の後に続き、王城へと向かいます。
アレンさんは言いました。
『君の死を悼む人が三人いたら』
……そんな人いるのでしょうか。
ですがアレンさんの話を思い出せば、それは私の死後から三日の話。それまで私は恐らくこのままなのでしょう。
それなら見てみようかと思いました。
私が生きていたら歩んでいたであろう人生の続きを────
◇
王城に着けばルェインの国王陛下は私との邂逅を喜んでくれました。
まあそれは私ではありませんが……
私に成り代わりレアンドロ様と並び陛下に挨拶しているのは、妹のサリーシェ。
二人……いえ、リーバ子爵家に、もしかしたらウォッズ侯爵家もグルなのかもしれませんね。きっと誰もが私よりサリーシェの方が良かったのと思ったのでしょうから……
「君がアリアか! 会えて嬉しいよ! 私は子供の頃君の母上と仲が良くて、逃がされて国外へ出たと知ってずっと心配してたんだ……姉上の事は残念だったが、君が無事で本当に良かった」
ルェイン国王陛下はまだ若い男性で、金髪に碧眼と、絵に描いた王子様のような素敵な方です。こんな方が私の身内だったんですね……私に会えたととても喜んでおりますし、良い方なのでしょう。
「私もとても嬉しいです、ルェイン国王陛下……」
一方のサリーシェは陛下の容姿に気を取られてポーッと挨拶をしています。その様を嬉しそうに見つめながら陛下はサリーシェに小声で二人で話そうと誘いを掛けます。
期待に瞳を潤ませて頷くサリーシェをレアンドロ様はどことなく面白く無さそうに見ておりますが、他国の王族とその家族の会話を断る事は出来ないようで。
二人は庭に出て会話を楽しみ、最後は口付けをして会場へ戻って行きました。
「私の事はルアジェと呼んで欲しい」
熱っぽく話すルアジェ陛下に嬉しそうに顔を赤らめ、二人は夜会の最中、終始寄り添い過ごしていました。
それから陛下がサザー王国にいる間、サリーシェは何度も呼び出しを受け王城へ行き、二人は直ぐに深い仲となりました。
そうしてサリーシェはルアジェ陛下に見染められる形でルェイン国王へ行く事となったのです。
……真実の愛を見つけたのだそうです。
サザー国も、ルェイン国からの要望に応じる事にしました。私が好手となる保障が無い以上、手放した方が摩擦が少ないと判断したのでしょう。金銭的な話もあったようですが、表向きはルェイン国に戻りたいというアリア王女の意思を尊重する、と発表されたようです。
勿論レアンドロ様とサリーシェは大揉めです。
ですがこの二人は私を亡き者とし、手を汚した共犯者。
ただ今はルアジェ陛下を味方に付けたサリーシェの方がルェイン国の権力を使い、いくらでも虚像を作り出す事が出来ますから、状況はレアンドロ様の方が不利、かもしれませんが……
「君は────君がそんな女だったなんて思いもしなかった!」
……私もレアンドロ様が邪魔な婚約者を殺してその妹を成り代わらせた挙句国家をも欺く大罪を犯すような方だとは思っていませんでした。
「何よ! 仕方が無いでしょう! 私をルェイン国の王族に仕立てるって話はあなたも同意した事だったでしょう!?」
「そうじゃない! 懐妊だって? どうかしている! 未婚の令嬢が!!」
「それだって仕方が無い話だわ! 相手は王族なのよ! 断れる筈が無いわ! ────でも安心して頂戴? 時期的にあなたの子では無いんだから……ふふ、心置きなく隣国へ……私は王妃になるのよ!」
両手を組みうっとりと表情を緩めるサリーシェに、レアンドロ様は怒りを露わにして口元を戦慄かせます。
「こんな事ならアリアの方がましだった!」
死んでも嫌です……
何言い出すんでしょうこの人。
「ふん、今更何を言っても無駄よ! あなたも婚約者がいなくなったんだから、他の相手を探せばいいじゃない!」
「ああ! 勿論そうさせて貰うさ!」
こうして二人の間にあったらしい真実の愛は儚くも終わってしまいました。真実の愛に一生に何度も巡り会えるかは分かりませんが、サリーシェは「今度こそ本当の!」と息巻いているのでその通りなのでしょう。こればかりは本人にしか分かりませんからね。
レアンドロ様の今後も気になりましたが、私は私に代わりルェイン国に行くサリーシェはどうなるのだろうと気になります。
私は……私だったら陛下は声を掛けて下さら無かったかもしれません。そうしたらルェインに行く事も無かった……だったら少しだけ見に行って見ましょうか?
私はルェイン王国へ向かう馬車の屋根に座り、サザー国の盛大な見送りを眺めながら故郷への道程を楽しみにします。
「えっ? クロ?」
すると気まぐれな黒猫クロが私に擦り寄る仕草をして着いてきます。……いつの間にこんなところに来たのでしょう? すり抜けるのが怖くてクロの毛並みを堪能する事は出来ませんが……
「クロ、一緒に行ってくれるの?」
恐る恐る問いかければクロは、にゃあと鳴き、耳を後ろ足で器用に掻いてからお腹を見せてくれました。
「撫でてあげられなくてごめんね」
お腹の辺りを触る仕草をすれば満足そうに目を細めるクロに心を和ませ、私たち一人と一匹は、ルェイン国への旅路に混ざりました。
ですが次の日の晩、ルアジェ陛下の寝室でサリーシェは殺されてしまいました。
冷たい瞳で刃物を向けるルアジェ陛下に、サリーシェは涙ながらに訴えます。
「どうして……どうしてこんな事をするのよ! ルアジェ!」
「……どうしてだって? 君は母親から何も聞いていないんだな。君の母がルェイン国から出たのは私から逃げる為だった。彼女の家族も、使用人も、婚約者も全て私が殺した。彼女が国民人気の高い女性だったからだ。ルェインにはまだ女王制度は無かったが、それすら時間の問題な程に……あの人が姉で無ければ結婚して私の横に置いて置きたいと思う程、良い女だったよ」
……そうなんですか、私もお母様から何も聞いておりません。お母様は急死でしたし、そもそもそんな話、怖くて出来なかったのかもしれません。
「なのにお前を見てガッカリした」
「えっ、えっ?」
ルアジェ陛下の目が冷たく眇まります。
「男の誘いに簡単に乗り、全てを捧げるのにも時間が掛からなかったな。加えて未通でも無かった。私の子だと? 本当は誰の子だ!?」
えっ?
「そ、そんな……あなたの子でしょう? 私、私は……」
「……覚えがあるのは私だけでは無いという事だ」
「何よそれ! 横暴だわ!」
そうでしょうか……
「私はお前を知れば知るほど余りにも姉上とかけ離れている事に失望していった」
「そ、そんなの仕方がない、じゃない」
サリーシェの声が引き攣ります。
流石に激昂しているルアジェ殿下に、命乞いの為に本物に成り代わったと言う気は無いのでしょう。ルアジェ陛下は愛より血を重んじていたようですから、罪が深まるばかりです。
「そうだな、お前は偽物だものな」
あ、知っていましたか……
「外見だけならず、内面も姉上とそこまで違えば疑いもするさ」
ルアジェ陛下の怒気を孕む言葉にサリーシェはヒッと悲鳴を上げて後退ります。
「お前は私を謀ったばかりでなく、私と姉上の子の邂逅をも邪魔をした……よくも私にどこの馬の骨とも知れない女の身体などに触れさせてくれたな!」
「いやあ! 許して! 許して下さい!!」
サリーシェの声を無視し、陛下は逃げようと身を捩るサリーシェに剣を振るい黙らせました。
動かなくなった彼女を部下に命じて処分を言い渡し、陛下は血濡れた寝室を後にします。
私は陛下に会わなくて良かったと思いました。
会ったところでサリーシェと同じように因縁をつけられて殺されていたのかもしれませんしね。
私の人生の岐路は死亡フラグばかり転がっていたようです。
それにしてもサリーシェが死んでしまった今、私は何処へ行きましょうか。もうルアジェ陛下に着いてルェイン国へ行く気は無くなってしまいました。
「アリア……」
名を呼ばれて振り返ります。
ルアジェ陛下は月を見上げて私への冥福を祈っているように見えました。
ごめんなさい陛下……文化や法律の違いはあるかもしれませんが、正直姪と関係を持つことを厭わない人に少しばかり嫌悪感を抱いておりました。
でも私が死んで初めて祈りを捧げてくれたのは、ルアジェ陛下なんですよね。────ありがとうございます。そしてさようなら陛下。
私は陛下に向かい丁寧にカーテシーを取りました。
そして顔を上げるとそこは見知らぬ場所……いえ、知っています。そこはレアンドロ様の邸、ウォッズ侯爵邸でありました。
どうしてここへと思うものの、深く考える事に意味は無いとも思います。死後の世界や体験なんて、人知を越えていてもおかしくないのですから。
ついでにクロもいます。なんて自由な猫なんでしょう。……もう突っ込むのは止めておきましょう。
それにしてもどこか騒がしいのは何故でしょうか? もう夜も更けているというのに……
確証はありませんが先程サリーシェたちのいた宿から、時刻も日にちも同じのように思います。
邸内を歩き、取り敢えず人の声のする玄関ホールへと足を運びます。するとそこには騎士達に取り囲まれて床に臥せるレアンドロ様と、ご両親がその近くに座り込み震え上がっておりました。
周りに立ちそびえる騎士を率いているのは夜会でもお見かけした宰相閣下のようです。
「まさかルェイン国の王族を殺して成り代わろうなどと……なんと愚かな!」
ああ、私を殺したの、もうバレたんですか。
────というか、ルアジェ陛下がご存知でしたし、もしかしてそこから情報が行ったのかもしれませんね。
「斬首と家の取り潰しくらいで事は収まらぬわ!」
ウォッズ侯爵夫人は平伏し咽び泣き、侯爵は宰相閣下と倒れ伏しているレアンドロ様を交互に見ては呆然とし、信じられないといった風です。
私はレアンドロ様に近付きました。
まさか亡くなっているのでしょうか……
少し屈んで覗き込めばその顔は随分と手酷くやられており、自慢の美貌は大きく腫れ上がって目も当てられません。涙と洟水が留めどなく流れ、床までぐしょぐしょです。
レアンドロ様……例え私が王族で無くとも貴族令嬢であったなら罪に問われていましたよ。真実の愛の為にそんな事も気付かなかったのでしょうか。それとも真実の愛の前では人殺しすら許容されるものなのでしょうか……
ああ、どうやらここにも私の居場所は無いようです。もう見るべき未来は無くなりました。
私は再び意識が溶けるような錯覚を覚えます。
「アリア……」
ふと小さな呟きを耳が拾いました。
振り返れば臥したままこちらを見るレアンドロ様と目があったような気がします。
「すまなかった」
「……」
それは間違いなく私への言葉だったのでしょうが、果たしてレアンドロ様が私があの場にいたと認識していたのかは分かりません。
さようなら、レアンドロ様。
あなたの望むような婚約者で無くてごめんなさい。
私はその場を後にしました。
目を開ければ再びあの殺風景な場所に立っていました。
アレンさんが言っていた三日が経ってしまいましたのでしょう。私の死を悼む人、三人もいませんでしたね……
ふと俯けば、前に足が見える。これは……
「クロ!?」
こんなところまで!?
……というか、もしかしてクロは……クロもあの時私と一緒に崖を落ちていたのでしょうか? だから私に着いてくるのでしょうか?
恐る恐る手を伸ばせば思った通り、クロのフワフワにに触れられます。
「見つけたみたいだね」
クロを抱き上げた私に背後から声が掛かりました。
「アレンさん」
そこには三日前に会ったアレンさんが相変わらずの黒ずくめで佇んでいました。
「ごめんなさい、あの、私……三人……いませんでした……折角チャンスを貰ったのに……」
落ち込む私にアレンさんは吹き出します。
「いるよ、そこに」
アレンさんが指差した先にいるのはクロ。
「え、クロ?」
「にゃあ」
じわり、と目に涙が滲みます。
クロは私が死んで悲しいと思ってくれてたんですね。
ルアジェ陛下より、レアンドロ様より、誰よりも嬉しいです。
「ありがとうクロ」
ぎゅうっとフワフワを抱き締めればクロは焦るように踠き、私の腕の中なら逃げ出しアレンさんの後ろに隠れてしまいました。
……私の事が好きなんじゃ無いんですか……ちょっと凹むんですが……
アレンさんも咎めるように私を見るものですから、もしかしてクロの分、取り消されるんでしょうか……
「ごめんなさいクロ」
落ち込みながら謝ればクロは尻尾を立てて、いいよ! と言ってくれているようで、ホッとします。
「まあとにかく、君の存命が決まって良かった」
「え……でも……」
私は躊躇います。
実は薄々勘付いていましたが、私を殺したとしてリーバ子爵家もウォッズ侯爵家もお取り潰しになり、きっと帰る家はもう無いのです。
実は生きてました〜♪とか現れて、怒られた挙句に結局斬首とかされたら今度こそ死にますよね。
正直こんな短期間で二回も死にたくありません……
「大丈夫だよ」
私の考えを見透かしているようにアレンさんは優しく笑って見せます。
「君の面倒は俺が見るから、何も心配しなくていい……担当だからね」
「そ、そうですか」
死神とは死者に随分と手厚いのですね。
私は感動に打ち震えましたが、クロが何となく不憫な子を見る目を向けているように見えるのは気のせいでしょうか。
それより私は今後どう生きていくのでしょう。平民になるのでしょうか。働いた事はありませんから少し不安ですが、ずっと一人でおりましたし、普通の貴族令嬢よりやれる事は多いです。何とかなるかもしれません。
それに面倒を見ると言ってくれたアレンさんの言葉が心強くて、何だか頑張れそうです。
「分かりました、アレンさん。これからよろしくお願いします」
私の返事にアレンさんは目に見えて安堵したようです。にっこりと笑い、差し出される手を私もそっと握り返しました。
「良かった、これで契約は成立したよ。じゃあこれからよろしくね────死神として」
「……えっ?」
「あれ? 言って無かったっけ?」
目を丸くする私を見てアレンさんはクスクスと笑い出します。
「俺、別に君を人の世に生き返らせるなんて言って無いんだけど?」
えっ……と……あれ? 何か思ってたのと、違う……ような……?
言葉に詰まる私にアレンさんは握ったままの手に力を込めて私を引き寄せます。
「君はこれから死神として、俺の……まずは部下になって生きるんだよ?」
「そ、そうなんですか? ごめんなさい、よく分かっていませんでした」
「いや、いいよ。死神の文化なんて人間には分からないだろうからね……これから俺が教えて行くから心配しないで」
そう言ってアレンさんは嬉しそうに笑います。
もしかして私はアレンさんの初めての部下なのかもしれませんね。
確かに思っていたのと違いますが、やり直しという意味では違わない……のかな? それに救って貰った恩もありますし、よし、これから頑張りましょう。
むんっと気合いを入れ直せば、クロの、にゃーんという、どこか呆れたような鳴き声が響いたのでした。
◇
「────ご主人様、結婚して下さいにゃ」
「はっ? なんだフィラ急に」
従僕の猫娘であるフィラが真剣な眼差して告げてくるのは、俺の結婚話だ。
別にフィラが俺に求婚しているのではなく、ただ身を固めろとせっついているだけ……なんだが、どうしたんだ急に?
胡乱気な眼差しを向ければフィラは得意気に一枚の書状を掲げて見せた。
「昇級通知……」
「はい! 私この度、下級の使い魔から中級に位が上がりましてにゃ! 引いてはご主人様の従僕を卒業させて頂きたいのですにゃ!」
なんだそんな事か……
つまりそろそろ雑用を辞めたいという事だ。
で、嫁。
結婚をした死神にはもれなく邸と使用人が付いてくる。数年前に死神界でワークライフバランスが騒がれてそんな特権が付与されたんだっけ。
死神は数が少ないし、働きすぎで、お金はあっても使う時間も遊ぶ時間も無いとか何とかいうストもあり創設された制度だ。
結局あまり人材不足に対応した制度とはならなかったのだが、一部の死神を味方に付けたこの制度は死神界で空前の結婚ブームを呼び起こしている。
────まあ、権利は行使してなんぼだからな。
でも俺結婚とか興味ないし……
「死神は使い魔との行動が原則だからなあ……」
正直新しい使用人なんて面倒臭い。
フィラには悪いがもう暫くこの役を頼まれて貰いたいところだ。ちらりと目を向ければフィラは口元をにんまりと引き上げて自身の胸をどんと叩いた。
「ご心配なくにゃ! ちゃんとご主人様の好きそうな女性を見つけておきましたにゃ!」
「何を言ってんだお前は……」
そんな女あの世にいない。
死に携わる女性の質の悪い事ったら無いんだぞ。たまに詐欺まがいの事までして魂取って帰ってくる奴とか見てると怖くて一緒に暮らそうなんて思えねーよ。
思わず顔を顰めればフィラは得意顔でもう一枚の書状を渡してくる。それを見れば……
「人間じゃないか!」
思わず声を張り上げる。何を馬鹿な事を言い出すんだ。
人間は死んでからじゃないと、こっちに来られない。そもそも魂の在り方が違うから共に生きるなど出来る筈もない。
「いやいやいや、それがですにゃ、ご主人様。見て下さいよその娘。不遇数値が二百を越えたレアケースなんですにゃ」
その言葉に俺はぴくりと反応する。
レアケース────
とは……神に慈悲を掛けられる存在の事だ。
その神には俺たち死神も含まれる。背負った運命が過酷過ぎる為、その分補助を受けられる……別名、神の愛子。
一般的な人間のそれらの数字は二十〜三十程度だ。これを人間自身がどう感じるのかは俺たちには分からないが……
「しかも運のいい事にご主人様の担当地区に住む娘でにゃして……私も一度見に行って見たのですが、不幸指数もかなり高めでヨダレが出そうでしたにゃ?」
そう言って舌舐めずりをする様は妖怪が本性を現したようにしか見えない。それを横目で見てから俺はフィラが持ってきた書面をなんとなしに眺めて呟く。
「……その手の人間は破滅に落ちていくもんだ……」
人間は不遇や不幸に耐えられる生き物では無い。
悪に手を染め、あっという間に破滅への道を転がり落ちる。
そう言った汚れた魂は死神の好物でもあるのだけど……そうなるとその娘を敢えて破滅に導こうとする死神に目をつけられてもおかしくない。昇進よりも己の欲を優先する下級の死神もいるのだから……
俺の担当地区にいるレアケースの魂を穢すのを見過ごせば、後から天界のうるさい神達の小言に付き合う事になるだろう。それも面倒臭い……
いずれにしても様子を少し見ておいた方がいいか。
「まあ、見るくらいならいいか。どのみち俺の獲物だからな」
上手く魂を刈り取れば死神の格上げにも繋がるし。
そう言えばフィラは嬉々として黒猫の姿に模し、案内役を買って出た。
そうして俺はアリアに出会ったんだ。
アリアは綺麗な魂をしていた。
家族や使用人たちにどれ程疎まれようとも、自身を闇に落とす事なく過ごす姿がとても気高くて……悲しみに暮れる表情にこちらの胸が痛んだ。
「……フィラ、お前……ちょっと行って慰めてこい」
「えええ? あの子をですかあ? ご主人……じゃあ無理か。仕方がないにゃあ」
フィラは猫の姿でひょいと生垣を越え、邸に入り込み、驚いた娘の膝に乗りモフモフと慰めた。
毛玉に埋もれさせた瞳は涙に濡れていたのだろう。
戻ったフィラは体毛がびっしょりと湿っており迷惑そうに顔を顰めていた。
しかしそれを見て俺は何故猫又に生まれなかったんだろうと悔やまれる。
フィラは俺の視線に顔を引き攣らせ後退りしているが……あの娘の涙を受け止めた黒猫の身体がひたすら羨ましかった。
そして俺はしばらくの間、娘────アリアから目を逸らせず、邸に通い詰める日々を送った。
「ご主人様ーお仕事しましょうにゃー」
茂みに隠れてリーバ子爵家の様子を伺う俺に、フィラはごろりと横になりながら自分の尻尾を目で追いかけて遊んでいる。
「……確かに結婚して欲しいとは言いましたがにゃ、なんかちょっと行動がおかしく無いですかにゃ?」
「うるっさい少し待て。っ何なんだ本当に! あの婚約者の目は節穴か!? 優しいアリアに性悪だと!? 性悪は妹の方だ気付け馬鹿!」
「……ご主人様ー、その双眼鏡はどこから持ってきたんですかにゃー」
「こないだ隣領の魔伯爵から五十万GGで買った」
「ボラれてますにゃん」
「ああ、くそ! こんなところで騒いでいても何も解決しない! フィラ! 魔公爵のところに行くぞ!」
「あ、やっと気付きまし……って魔公爵??!」
彼女の境遇にも、この先に訪れる未来にも納得がいかなくて、気付けば俺はアリアの不遇を改善すべく魔公爵閣下の元へ異議申し立てをしに行っていた。
「……アレン、何を言い出すのかと思ったら……人間に干渉して人生を変えるのは大罪だ」
「しかしですね!」
驚いた様子の公爵の発言に納得出来ずに反発すると、公爵はそんな俺に興味を抱いたようだった。
「たまーにいるぞ、お前のような変わり者の死神が」
「……何の事です?」
俺は苛立たしげに公爵を睨む。
今は俺の話では無く、アリアの話をしているのだ。
「人間を妻にする術は……あるぞ、アレン」
「!?」
つつつ妻!?
「お、俺は別にアリアの不幸が納得行かないのであって!」
「まあいいから聞きなさい」
そうして魔公爵からアリアをこちらに連れてくる方法を聞き、俺は────それで全てが収まる気がした。
「俺の方が……あの婚約者よりアリアを幸せに出来る」
「怖いにゃ、ストーカーが何か言ってるにゃ」
フィラが何やらぶつぶつと言いながら着いて来た。
婚約者と妹に崖から突き落とされ、空中で意識を失ったアリアを抱き留める。そのまま不死の川を渡り、彼岸の花でアリアを飾り、仮死の状態であの世へ導いた。
「綺麗な魂だな」
珍しそうに顎を摩る魔公爵を睨みつけ、アリアを姉の黒水姫に渡した。黒水は物珍しそうにアリアを見てから自分の邸に連れ帰った。
黒水はアリアが死神に……神となる資格があるかの検問をする役人だ。
どうか、どうかと両手を組み死人の砂漠で待つこと数時間。
気付けば彼女が目の前で途方に暮れた様子で立っていて、嬉しさに胸が高鳴った。
急いで駆け寄って抱き締めたくなるのを何とか堪え、出来るだけ人好きのする顔で笑いかけた。
その後に彼女に適当な理由をつけて人の世に戻したのは、出来れば彼方での未練を断って貰いたかったからだった。
「ご主人様……囲い込み方が怖いですにゃ」
「いいからお前はアリアに着いていけ。大丈夫だとは思うけれど、それ以上にこれからの事はアリアに見せたく無いからな」
「はいはい、職権濫用もほどほどに。死神の格が落ちますにゃん……大帝陛下」
渋るフィラに命じてアリアの供を任せ、俺は俺の仕事に向かった。
こちらに向かう忌まわしい魂が二つ……
これからまだ増えそうだが、その時はまたアリアを遠ざければ良い話だ。
取り敢えずあの愚か者共は惨めな死よりも終わらぬ苦痛を授けてやろう。俺の……神の愛子を散々痛ぶってくれた礼をしなければならないからな。
肉体の苦痛から解き放たれ、死という安らぎを享受している二つの魂に、俺は心の底から込み上げる笑いに口の端を吊り上げた。
「アレン様!」
邸の窓からこちらに向かって手を振るアリアに頬が緩む。
急いで邸に入りそこへ行こうとすれば、アリアが出迎えに階段を降りてくるところだった。
「アリア、どうした? 何か問題でもあったのか?」
こっそりと申請した婚姻届は黒水姫に差し戻された。
アリアのサインを偽造したのがバレたらしい。
あの時の思いっ切り呆れ返った顔をしたフィラと黒水の顔は忘れられないので、いつか覚えてろと思っている。
アリアは多分、俺が求婚すれば断らない……筈だ。
だからいつ言おうと構わないんだが、一応もう少しお互いを良く知ってからでもいいかなーとも思うので、まだ気持ちは伝えず上司と部下として日々を過ごしている。
フィラが、思春期の子供か! と突っ込んで来たが、どうしたらいいのか分からないのだから仕方がないだろう。周囲からニヤニヤと見守られているのも知っているので、誰かに相談もしにくい……
ついでにフィラが昇級の為に使用人でなくなるとアリアに告げれば泣きそうな顔をしたので、給金三割増で雇用契約を継続した。「何せ自分、中級なんで」とか売り込みを掛けて人の足元を見やがったあの時の顔も忘れずに覚えておく。
……いや、それより猫に変化する術でも学んだ方が良いのではないだろうか。そうすれば俺がモフモフとアリアを癒やしてあげられるし……
「────ここの法の解釈が難しくて」
すっと差し出される分厚い法典に現実に引き戻される。
幸せ過ぎる妄想はなんとなくアリアに知られたくなくて、慌てて表情を取り繕い、アリアの示した法典の、印のついている箇所を確認する。
「ああ、これはこの時代特有の裁判規定で……でも今では恩赦の時の指標に使っているだけで────」
「……成る程、ありがとうございます。アレン様は教え方も丁寧なのですね」
にっこりと笑うアリアに胸がほっこりと温まる。
子爵家を覗いていた時にはこんな表情は見られなかった。
やっぱりここに連れてきて良かった。
「私も次の試験を受けてみようと思うんです。受かればアレン様と一緒に他のお仕事が出来る様になるってフィラさんに教えて貰いました」
「そ、そうか……別にそんなに急がなくても……いいよ?」
いつも一緒にいられるのもいいけれど、邸に居てくれるだけでも充分幸せなのだし……
「いいえ! 折角こうして第二の人生を歩むきっかけを作って下さったのです。絶対にアレン様のお役に立ってみせます!」
「うん……まあ、ありがとう……」
(……どうやって伝えよう……)
いつでも求婚出来るように庭に薔薇園を作り、指輪のサイズもこっそりと調べてあるんだけれど……肝心の伝え方が分からない。言い淀む俺にアリアが悲しそうに眉を下げる。
「あの、やっぱりご迷惑でしょうか……?」
「そんな訳ない!」
急いで否定してもアリアはまだ申し訳なさそうにしている。
「あの……本当に、駄目なところは言って下さいね。直すよう努力をしますから」
駄目なところなんて無いんだけれど……
「う、うん」
なんかもっとこう、気の利いた科白を言って格好つけたいのに……
うーん
「アリア、俺は君がいてくれるだけで嬉しいよ」
そう言えばアリアは何故か泣きそうに顔を歪めて焦ってしまう。泣かせたいわけじゃないんだ!
「ごめんアリア! 泣かないで!!」
「違……違います、嬉しいんです」
「えっ」
アリアは涙を溜めた瞳に俺を映し、嬉しそうにはにかんだ。
「私に居場所を作って下さって、ありがとうございます。アレン様」
うっ。
そんな風に言われたら……こっちこそ嬉しすぎて何も言えない……俺はぎくしゃくとアリアの頭を撫で、赤らむ顔を誤魔化しておく。
横でフィラが鼻で笑っているのが癪に触るが……安心したように笑うアリアの笑顔が堪らないので、今回だけは見ない事にする。
そうして再びアリアと視線が合えば、それだけで嬉しくて何だか幸せで、自然と顔が笑み崩れた。
◇ おしまい ◇