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荊の魔女  作者: 宵宮祀花
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黄昏の瞳

「黄昏の魔女……おばあさまはほんとに魔女だったのね」

「ああ。他の娘たちは全くの無実だが、私は正真正銘の魔女さ」


 試すつもりで魔女だと名乗ったアリアに対し、フィオは変わらず真っ直ぐな心を向けている。心なしか、声も弾んでいるように聞こえた。

 仮にも、魔女として長く生きてきているアリアは、相手の目を見れば取り繕った笑みかどうかを読み取ることが出来る。声を聞けば、愛想の奥底に隠された心の音を聞くことが出来る。その魔女の目と耳をもってしても、フィオの心には一片の曇りも映らなかった。

 純粋で無知。それゆえ恐れを知らず、狂える家族の目を盗んで、地下牢に魔女を助けに来るなどという自殺行為が出来たのだろう。

 僅かな呆れと大きな感心。そして深い関心をアリアはフィオに抱いた。


「……尤も、魔女だというだけで火刑に処されるほどの罪になるだなんて話は、旧時代で終わっていることだがね」


 芽生えた関心を隠すようにして、少しわざとらしく嘆息しつつ零したアリアの言葉に、フィオは悲しそうに目を伏せた。


「そう……そうよね。自分で魔女だと名乗ることは出来なくても、存在していることなら何年も前から知られているはずだわ。それに、どこかの国では、錬金術師と同じくらいに立派なお仕事として認められ始めているってきいたもの」


 魔女というものが、旧時代の悪評のように、悪魔に処女と魂を売って魔力を手に入れた悍ましい女の呼称などではないことは、幼いフィオでさえ理解していることだ。アリアは夜ごと昼ごと聞こえてくる他の牢からの悲鳴を思い、眉を寄せる。


「お父様たちだってご存知のはずなのに、どうして……」


 家族の振る舞いを恥じ入って俯くフィオの頭に、アリアの手がそっと乗せられる。その手の優しさにつられて見上げたフィオの目に、思いのほか近くで自分を見つめる、綺麗なアイスブルーの瞳が映った。歴史を感じさせる深い皺の奥から覗く、澄んだ湖面のような瞳を見つめていると、心の奥底まで見られているような心地になる。

 人によっては、不快感を覚えて目を逸らしたり攻撃的な態度を取ったりするであろう、魔女の真っ直ぐな視線を、フィオは大好きな祖母を見る目で見つめ返していた。


「お前さん、フィオといったかい」

「ええ。ほんとはフィオレンティアというのだけれど、長いからそう呼んでいるの」

「ならばフィオ、ちょいとここに名前を書いちゃくれんかね」


 不思議そうに首を傾げるフィオの前に、一枚の羊皮紙が差し出された。


「名前を……?」

「ああ。略称ではなく、すべてお願いするよ」


 どこからともなく羽ペンも取り出してフィオに手渡すと、アリアは促すようにゆるりと頷いた。その行動の意図するところはわからなかったが、フィオはなにも訝ることなく、言われた通りペンを握った。


「わかったわ。……これでいいかしら?」


 さらさらと名前を書き、アリアに見せる。幼いながらに上等な教育を受けてきたのだと一目でわかる流れるような美しい文字に感心して目尻に深い皺を刻むと、アリアはそれを丁寧に折りたたんで羽ペンと共に懐にしまった。


「ありがとう。ところでフィオ、お前さんはこの悪夢のような事態をどうにかしたいとは思わないかい」

「! 思うわ。出来るなら、こんなこと、もう終わりにしたい……!」


 一瞬の迷いもなくそう答えたフィオの真っ直ぐな眼差しを見て、アリアはフィオの頭を撫でてその手を小さな肩に滑らせ、そっと抱き寄せた。


「おばあさま……?」

「……暫く、こうさせておくれ」


 フィオの小さな手が、そっと躊躇いがちにアリアの背に添えられる。

 自分は悪い魔女だ。幼い純粋な好意を、利用しようとしているのだから。そんな思いが脳裏をよぎるが、しかしもう、猶予はない。処刑されるのが自分だけならば良かったが、狂気に染まった領主たちは、悪魔どころか天使のように純粋な幼子まで処刑しようとしている。それだけは阻止しなければならない。


 アリアは目を伏せ、改めて問う。


「……命がけでも、決意は変わらないかい」

「ええ、フィオに出来ることなら何でもするわ」


 重い声で尋ねても、やはり、フィオの決意は変わらなかった。

 どこか沈んだような、重さと深さを感じる声だった。


「……おばあさま、なにかお知恵があるの?」


 腕の中から、不安げな声でフィオが問う。


「ああ。伊達に長く生きちゃいないからね」


 されるがままに抱きしめられた格好で尋ねるフィオからは、アリアの表情は見えない。穏やかながら強い決意を宿した魔女の目をフィオが僅かでも見ていたなら、もしかしたら嫌な予感を覚えて止めていたかもしれない。

 それでもフィオは、約束をしてしまった。幼きゆえに言葉の加減を知らず、その重さも理解しきれていない中、確かに己の名を紡ぎながら「出来ることなら何でも」と答えた。その行いの意味を知るには、フィオは幼過ぎた。

 重さを知らぬままに、しかし確かな決意を持って魔女に対して名前を与え、自らの口で『約束』を紡いだのだ。それだけで、アリアには十分すぎる答えだった。


「方法があるのなら、お願いおばあさま、お父様たちの悪夢を止めて……もうなにも悪いことをしていないのに、つかまってひどい目にあわされて、処刑されていく人を見るのはいやなの……」


 フィオの言葉を、決意を噛み締めるように、アリアは頷く。

 魔女として出来ること全てを尽くして、悪夢を終わらせようと決意した。


「わかった。……では、この街を覆うすべての悪夢を私が終わらせてやろう。黄昏の魔女アリア・ベルローズ、最期の魔法だ」


 低く囁くと、アリアは愛子に祝福を与える母のように、フィオの額に口づけた。瞬間、フィオは溶けるようにして、すうっと眠りに落ちていった。

 アリアが呟いた最期という言葉の持つ、悲劇めいた決意の意味に気付かないままに。

 腕の中で眠るフィオを愛しそうに撫でながら、アリアは目を伏せる。


「……フィオ、お前さんには、私の器になってもらうよ」


 細く枯れた指を飾る色鮮やかないくつもの宝石の中から、ティアドロップ型に磨かれた薄水色の鉱石がついた指輪を引き抜くと、フィオの指にそっと通した。

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