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荊の魔女  作者: 宵宮祀花
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魔女の理

 市民たちの心は、最早領主から遠く離れていた。

 言いがかりでしかない罪で捕縛され、犯してもいない悪行を認めさせられ、そして仮に罪を認めなければ、神に―――領主に背いたとして、どの道罪人となる。若い娘は魔女の烙印を押されて火刑に処され、それ以外は、領主に仇為す反逆者か悪魔に魂を売った者として様々な処刑器具の実演用人形にされる。最初は年若い娘だけだったものが、いつしか年齢性別問わず捕らえられるようになり、近隣の街との交易も盛んな活気のある雰囲気の良い街は見る影を無くしていた。

 何故領主は狂ってしまったのか。悪魔に魅入られたのは領主のほうではないのか。

 いまとなってはもう酒場でも誰も話題にしないことだが、ここ数年の目も当てられない暴挙による廃墟のような街の空気と嘗ての穏やかな美しい街を思えば、誰もが訝ることであった。


 街の有様とは真逆の、豪華な料理が載ったテーブルを囲み、良く磨かれたカトラリーを手に、優雅に晩餐に興じる領主夫妻と二人の娘たち。誰もが羨む美女と、壮健な美丈夫の夫婦から生まれた娘たちもまたいずれ劣らぬ美女揃いで、談笑する姿も絵になるほどだ。


「お姉様、この私が話し相手になってあげると言ったのに、逃げた男がいるの」

「あら、それはいけないわね。その男、きっと悪魔にとり憑かれていたのよ」

「可哀想に。地下裁判にかけて浄化して差し上げましょうよ」

「それがいいわ。臣民の管理は貴族の義務ですもの」


 会話の内容が耳を塞ぎたくなるような悍ましいものでなければ、尚良かったのだが。

 領主一家は夫妻と姉妹、末っ子男児の五人家族である。しかし、いま晩餐のテーブルについているのは、夫妻と姉妹だけ。


 この場にいない末っ子のフィオレンティアはいま、狂える家族の目を盗んで、地下牢に来ていた。

 手提げの小型ランプを手に、裾の長いマントについた大きなフードを目深にかぶって、両親どちらとも似ていない、遠い曾祖母に似た白銀色のやわらかな髪を隠すように胸元をきつく握り締め、暗く湿った石造りの通路を、息を切らせながら小走りで進んでいく。


「ひどい……どうして、こんなこと……」


 通路の片側全てが牢室になっており、その牢の中では、捕らえられた臣民たちが様々な拷問器具に固定されてうめき声を上げていた。壁や床にこびりつく血は黒ずんだものから真新しいものまでろくに掃除もされずに残されており、牢の中は、どれもがとても見るに堪えない状態になっている。

 最奥の部屋に辿り着くと、突き当たりの牢の中にしゃんと背筋を伸ばして座り、格子の外を真っ直ぐに見つめる老婆がいた。見たところ怪我をしている様子もなく、辺りに血の跡などもない。あまりに堂々とした佇まいにフィオは一瞬居竦んだが、すぐに持ち直して口を開いた。


「あっ、あの……おばあさま、お怪我は……」

「見ての通りさ。お前さん、エヴァンジェリン家の子だね」


 怖々と頷くフィオを見て、老婆は枯れ枝のような手を長いローブの隙間から覗かせて、ゆっくりと手招いた。その手に誘われるままフィオが格子の前まで来ると、格子の隙間を縫って手が伸びてきて、フード越しにフィオの頭を撫でた。


「よくこんなところまで来たね。道中恐ろしかったろうに」

「……はい。でも、ぜんぶお父様たちがしたことだから……せめておばあさまだけでも、ここから出してあげられないかしら」

「やめておきな。見つかったらお前さんだって処刑されてしまうよ」

「でも……っ」


 格子を握り締め俯くフィオの背後を見て、老婆が目を鋭くさせる。


「フィオレンティア・エヴァンジェリン。……いや、悍ましく忌まわしい悪魔の子。魔女フィオレンティア。お前を明日、処刑する」

「え……? きゃあっ!」


 低く冷たい声が背後からしたかと思うと、事態を理解する暇もなく背中を衝撃が襲い、冷たい床に蹴り倒された。ガシャンという無慈悲な鉄の音を頭上に聞きながら怖々背後を振り向くと、そこにはブルーグレーの瞳に情の光を一切移さない、父の姿があった。父の傍らには牢番が控えており、落ち着きなく辺りを見回している。この男は、褒美ほしさに地下へ入り込んだフィオを見逃してわざと警備兵に通報したのだ。証拠の金貨が、鍵束を握る手の隙間から見え隠れしている。


「お父、様……」

「汚らわしい。最早お前にそう呼ばれる筋合いはない」


 涙声で縋るフィオに、父は僅かの情も籠らない低い声で吐き捨てた。


「そんな、お父……」

「黙れッ!」


 怒声と共に鉄格子が激しく蹴り鳴らされ、フィオはビクリと肩を跳ねさせた。その横で牢番も飛び上がったが、辺りをきょろきょろ見回して、自身が領主の傍、牢の外側にいる人間だと確かめると、金貨をこれ見よがしにいじり回しながら嫌らしい笑みを浮かべて、フィオを見下ろした。


「処刑は明日だ。精々そこの魔女と共に己の愚かさを悔いることだな」


 マントのように長いジャケットの裾を翻し、靴底を低く打ち鳴らしながら、父は二度と振り返ることなく地下牢から去って行った。

 牢番はチラチラと振り返りながら歩いていたが、老婆が鋭く睨んでいることに気付くと「ひえっ」とわざとらしく肩を竦めて、笑いながら駆け去って行った。

 父の背を呆然と見送り、遠くで重い鉄扉の閉じる音がしたのをぼんやりと聞いて、漸く事態を飲み込むと、フィオははらはらと涙を落として俯いた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、おばあさま……フィオ、結局なにも出来なかった……きっと余計に怒らせてしまったわ……」


 フィオのその言葉を聞いて、老婆が僅かに目を見開く。己に降りかかった不幸を嘆いているのだと思えば、フィオの口から出たのは助けようとした老婆への謝罪だった。


「だから言ったろう。お前さんの家族は悪魔にとり憑かれてしまっているのさ」


 言葉は責めているようだが、その口調と声音は愛しい孫に対する祖母のように優しい。泣きながら謝るフィオの背を、細い手が静かに撫でさする。

 ひと頻り泣いてようやっと落ち着くと、フィオは老婆に今一度謝罪とお礼を言い、顔を上げた。フィオは床に突き倒された格好から上体を起こしただけの体勢で老婆を見上げ、老婆は廃材を組んで作ったような粗末な椅子に腰かけて、フィオを見下ろしている。

 牢の中は思いの外広い代わりに、物が殆どない。通路に並んでいた他の牢にはそれぞれ種類の違う拷問器具が設置されていたが、ここは単に捕らえておくための場所に見える。粗末な椅子が一つと、城でメイドが使う雑巾のほうがまだ綺麗だと思えるほどボロボロで湿った毛布が一枚。


「どうしてこんなことになってしまったのかしら……いまはもう誰も信じて下さらないでしょうけれど、お父様もお母様も、こんなことをする人ではなかったわ」

「ああ、知っているとも。私は街外れの精霊の森にずっと住んでいたからね。それこそ、あの領主の先代の頃から知っているよ」

「そんなに前から……」


 目を丸くするフィオに、老婆は幽かに笑みを見せて頷く。


「お前さんの父親は、自らの呪文に囚われてしまったのさ」

「呪文……?」

「ああ。言葉には力がある。魔女じゃなくとも、使う言葉は発したものを縛る力を持っているものだ。領主殿は『魔女の仕業だ』と言った己の言葉に縛られているんだよ」


 意味深な言葉に加え、フィオと老婆どちらもがフードを目深に被ってマントを着込んでいるため、魔女の師弟のようにも見える。意図せず出来上がった魔女の教室は、フィオを少しずつ魔女の世界に引き込んでいく。


「夫人も同じさね。魔女のせいだということにしておいたほうが、ずっと気が楽なのさ。でなければ自分が、身分の低い若い娘に負けたことになる」


 フィオは、家族しかいなかったはずの両親が喧嘩をしていた際に放たれた言葉を、この老婆が何故知っていたのかという疑問や恐怖を抱かなかった。


「おばあさま、不思議なことを知っているのね。まるでほんとの魔女みたいだわ」


 ここが地下牢であることも、明日にも処刑される立場であることも忘れて純粋な尊敬の眼差しを向けるフィオに、老婆は笑みを見せた。


「お前さんは魔女が怖くないのかい」

「怖くないわ。フィオが読んだお話の中にだって良い魔女はたくさんいたもの。……いまフィオが怖いのは、変わってしまったお父様たちだけよ。元々、フィオはあまり愛されていなかったけれど……おかしくなってしまってからはずっと、最初からいない子のようにされていたの。だからさっきは、初めてちゃんと名前を呼ばれたわ」


 自嘲と寂しさを映した瞳で、不器用に微笑む。幼子にあるまじき色あせた笑みを哀れに思い、老婆はその小さな頭を優しく撫でた。


「そうかい。魔女が怖くないのなら、教えてやろうかね。私はアリア・ベルローズ。この辺りじゃ知らない人間はいない、薬草売りのばあさん……もとい、黄昏の魔女と呼ばれるものさ」

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