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荊の魔女  作者: 宵宮祀花
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宵の邂逅

 緩やかに夢から覚めたフィオは、ベルの手で収穫祭のための衣裳に着替えていた。


「この衣裳、いつものドレスに比べて少し丈が短いのよね……」

「民衆が日常的に着ている服を、少しだけ華やかにしたものですからね。フィオ様が普段お召しになっているドレスの丈は、畑や牧場で仕事をするには不向きでしょう」

「皆、本当に凄いわ……今日でさえ、陽があるうちはお仕事をしているのよね?」

「……ええ、そうですね」


 コルセットの紐を締め、髪を整えて、全身鏡の前で一回転して見せる。ふわりと広がるスカートを満足げに眺め、フィオはやわらかな笑みを浮かべると「ありがとう、ベル」とお礼の言葉を口にした。その一言で、ベルの表情は至福に染まる。


「では、参りましょう」


 ベルのエスコートで門前まで向かうと、昼間はフィオが一人で通れる程度だった門が、すっかり開ききっていた。きつく巻き付いていた荊もほどけて左右の門扉に絡みついて、白い薔薇が凱旋門のように高い頭上に大輪の花を咲かせている。

 門をくぐって暫く進むと、開けた場所に出た。その中央には、見上げるほど大きな木が目印のようにそびえ立っていて、根元には白い石造りの碑が鎮座している。鏡面のように磨かれた石に彫られた文字の所々に僅かな苔が色を添えているものの、碑の周囲も含め、広場全体が綺麗に整えられているようだ。


「すべてのマナに祝福を。……いつ見てもこの街らしい素敵な象徴よね」


 精霊語で書かれた碑文を読み上げながらフィオがベルを見上げると、ベルは首肯した。元々魔女として育てられたわけではないフィオにとって魔女の世界は全てにおいて勉強の連続だ。大凡の魔女が母国語同様生活の中で自然と覚える精霊語も、書庫の蔵書を読んで学び、年月をかけて習得することから始めたのだ。

 ふ、と。ベルがなにかに気付いた様子で視線をフィオから逸らした。


「フィオ様」

「なあに、ベル?」

「そろそろ街に向かいませんと。そうですね……お先に、マルグリットたちに会われてはいかがでしょう。私は街を廻ったのちお迎えに参りますので」

「そうだわ、マリーたちとお菓子を交換する約束をしていたのよね」


 弾んだ声で言うと碑文から顔を上げ、手袋に包まれた手を合わせて微笑む。スカートを翻しながら数歩進み、ベルを振り返ると「いつもの時間になったら、迎えに来て頂戴」と伝えて街へ駆けていった。

 お城では決して出来ない振る舞いをここぞとばかりにして見せる後ろ姿を微笑ましげに見送るとベルは眼差しを凍てつかせ、フィオが駆けていった方向とは別のほうを睨んだ。


「なにかご用でしょうか」


 フィオに向けていたものとは明らかに温度の違う、冷え切った声音で大樹の向こうへと声をかける。その声に応えるかのように一つ靴音が鳴り、遅れてもう一つ。木陰から姿を現したのは、街で幼い兄弟と話をしていた二人組の聖職者だった。


「失礼致しました。盗み聞きする気はなかったのですが」


 先に進み出たユベールが、恭しく頭を下げて謝辞を述べている後ろで、ラウルがベルに負けないほど鋭い眼差しを向けている。冷ややかな無音の睨み合いのあいだにいながら、ユベールは努めて穏やかな声で切り出した。


「……余計な探りあいは逆効果でしょうし、単刀直入に申し上げます。私たちは、稀代の大魔女……黄昏の魔女の足跡を追っている者です」


 その一言で、ただでさえ冷え切っていた空気が破裂寸前にまで張り詰めた。ユベールが口にした魔女の名にベルが僅かに反応し、そんなベルにラウルが反応したためだ。知っているなら答えろ、と。声に出して言わずとも、その目が如実に語っている。


「ラウルが此方に黄昏の魔女の気配を感知したため、確かめに参った次第です」


 一見穏やかに見えるが、ユベールも張り詰めるような警戒をしていることがひしひしと伝わってくる。ベルは一つ溜息を吐くと二人を真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「……先代は、亡くなっています」

「な……っ!」


 初めて口を開いたかと思うと、ラウルは元より険しかった表情を、怒りとも悲しみともつかない複雑な色に染めて一直線にベルへと詰め寄った。そして両手で襟首を掴み、顔を激情で赤く染めながら大きく息を吸った。ベルより頭一つ分ばかり背の高いラウルが思い切り引き寄せたことで、ベルの踵が僅かに地面から離れる。


「貴様ッ、この期に及んで見え透いた嘘を吐くな! あの魔女が死んだなどと……そんなはずがあるものか! 第一、此処にはあの魔女の気配がある!」

「嘘ではありません。先ほど私は、先代……と、申し上げたはずですが」


 声が叩きつけられるほど眼前で怒鳴られても平静さを崩さないベルの態度に、ラウルはくしゃりと顔を歪ませ、更に吼えた。


「嘘だ……嘘だ! そんなはずはない! 確かに此処には……!」


 血を吐くような叫び声がベルにぶつけられた瞬間、小さな鈴のような音が鳴った。その音は、ベルの上着の内側から聞こえたようだった。しかしその音を聞いたのはベル一人のようで、ラウルもユベールも何の反応も示さない。


「……成る程。あなた方が先代の関係者であるということは事実のようですね」


 微かに震えているラウルの手をそっと離すと、ベルは乱れた襟を整えて一つ息を吐き、二人に向き直った。あれほど強く詰め寄っていたラウルは無抵抗で引き剥がされ、両手は力なく垂れ下がっている。


「しかし、どういった事情でいらしたのかもわからない方にお話することはありません。私はフィオ様をお守りするため此処にいるものですので」

「……そうですね。身元を明かさず其方にだけ開示を求めるのは不義理というもの」


 ユベールは小さく咳払いをすると、胸に手を当て改めて名乗った。


「私はヴォルフラート王家に仕える聖術師、ユベールと申します。此方は黄昏の魔女より譲り受けた使い魔、ラウル。元は彼女が使っていた銀のナイフです」

「なるほど……それで気配を追うことが出来たのですね」

「ええ。ですから、亡くなられているとはどうにも信じ難く……」


 使い魔は、主人の魔力を固めた核を持って生まれてくる。ゆえに生まれたての使い魔が持つ魔力の質は主人のものと全く同じで、年月を経て個性を帯びる。ラウルの魔力は獣の如き野性味を帯びた、荒々しく鋭い力。

 黄昏の魔女の魔力とは似ても似つかないが、それだけの年月を外で過ごしてきたという証左でもある。


「通常使い魔は主人の死と共に崩壊するものですが、ラウルがこうしている以上、彼女の生死と使い魔の崩壊は直結しないと思って良いようですね」

「……そうですね。なにせ、稀代の大魔女ですから」


 ベルはそういうと、視線を二人から街のほうへと移した。


「すみませんが、フィオ様をお迎えに上がる時間です。お二人も、ずっとここにいるのも退屈でしょうから、街へどうぞ。道中にわかる範囲でお話し致します」


 二人の答えを待たずに街のほうへと歩き出したベルの後ろ姿を見、そして俯いたままのラウルを見ると、ユベールはそっと背に手を添えて促した。顔を合わせた当初の針の如き鋭い空気は、最早微塵も感じられない。

 二人が追いついたのを気配で察すると、ベルは静かに語り始めた。遙かな異国にまでも名を馳せる黄昏の魔女が迎えた、壮絶な最期の話を。そして、魔女の死をきっかけにして街が抱える、大きな秘密を。フィオに語るときのようなお伽噺で覆い隠した偽りの真実でなく、飾り気のない陰惨な言葉で。

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