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荊の魔女  作者: 宵宮祀花
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微酔の夢

「どうしてかしら……人の目に触れないところだけは、どうしても恥ずかしくて……ただ服を脱ぐだけなら何ともないのだけれど」

「心配なさらずとも、それが普通です。……いえ、フィオ様。裸になられることも少しは恥じらって頂きませんと」


 ベルの律儀な訂正に、フィオは少しだけ膨れて見せた。


「だって、ベルに見られて恥ずかしいことはないもの」


 そう言いつつ、フィオの手は浴槽の縁にかかった布を引き寄せて、じわじわと体を覆い隠している。口と手の矛盾した働きに目を細め、ベルはしっかりと濯いで香油を落とした右手でフィオの頬を包んだ。


「では今し方恥じらっておられた箇所も、ベルにお見せ下さるのですか?」

「それは……だめよ。だって、触れられただけでもどうにかなってしまいそうなのに……もしベルに見つめられたりしたら、ほんとに体ごと溶けてしまうもの」

「おや、それは残念です」


 どことなく楽しんでいる口調でそう答えられ、フィオは仄かに潤んだ瞳で、睨むようにベルを見つめた。


「さっきの仕返しのつもりなら、ベルは意地悪だわ」

「いいえ、とんでもない。私はいつでも本当のことしか申し上げません」

「そのほうが心臓に悪いじゃない……」


 目を伏せ溜め息を落とすそのあいだにも、ベルの真っ直ぐな眼差しを感じる。


「……ねえ、そろそろ体に馴染んだかしら」

「そうですね。もうよろしいかと」


 ベルが答えるが早いか、フィオは浴槽に身を滑り込ませて、肩まで湯に浸かった。体に注がれる眼差しは変わらないが、水面を通していると思うだけでもだいぶ気分が違う。

 決して、不快なのではない。ただ、あまりにもベルの眼差しが真っ直ぐ過ぎて、体ごととけるだけでは済まずに、焦がされてしまいそうなだけ。服を着ていないと、全身を氷の視線に包まれてとけてしまいそうになる。その感覚は少しだけ怖かった。


 水面に浮かぶ白薔薇を一輪。両手の器に乗せて救い上げ、ふくよかな香りを吸い込む。フィオの髪や肌と同じ色をした薔薇は、時が止まったかのようにしおれることも色褪せることもなく、みずみずしい色香を保っている。


「お城に白い花はたくさんあるけれど、香りはこの薔薇が一番好き」

「大切な収穫祭を告げる香りでもありますからね」

「ええ。でも、それだけではないのよ。この香り、不思議と心が落ち着くの」


 そっと花を水面に返し、泳ぐように揺蕩うように縁へと近付く。


「ねえベル、なにか心当たりはないかしら?」


 真下から見上げる視線を受け、ベルは恭しく跪いて微笑み、浅く頷いた。


「ええ、ございます。白薔薇は、先代の好きな花でした」

「おばあさまの……?」


 見上げる瞳が丸く見開かれ、驚きに揺れる。


「お話の前に、フィオ様、そろそろ……」


 先を促す眼差しに気付きながらも、ベルはフィオの前に右手を差し出して、違うことを口にした。フィオも元は上がるつもりで縁に近付いたため、素直に従い手を取った。

 薔薇の香りが満たす中、フィオはベルの前に一糸纏わぬ姿で佇む。長い髪の水気を軽く絞ると、背後にベルが立った。


「世界に白い花は数あれど、冬に咲く大輪の白薔薇が一番フィオ様に似合う花だと仰っていました。たった一日ですが、その一日は魔女としての長い生に匹敵するしあわせな一日だったと聞いております」


 フィオの長い髪をやわらかな布で包み、優しく水気を吸わせながら、ベルは記憶を辿り始めた。それはフィオのために作られた、お伽噺の世界。甘い夢で幾重にも糖衣された、偽りの真実。ベルのお伽噺は、フィオに語ることで過去という名の実を得る。


「そう、だったの……記憶がなくても、心に刻まれて残っているものはあるのね。何だか安心したわ」


 優しい眼差しを微笑に乗せて、ベルはフィオを真っ直ぐに見つめる。

 フィオが風を司る精霊魔法の呪文を唱えると、長い髪がふわりと舞い上がり、濡れ髪が瞬時に乾いた。小鳥を止まらせるようにして人差し指を差し出す形で左手を翳す。指先に小さな光の尾を引いた、手のひら大のぼんやりした青い光の玉が止まり、フィオの指先で遊んだかと思うと、ふっと宙に消えた。

 髪が乾くのを待って、ベルが夜着を着つけ始める。普段着のドレスと違ってゆったりとしたシルエットのワンピースに身を包んだフィオは、やわらかい素材で出来た夜用の靴に履き替えて、薄紫の地に金の糸で刺繍が施された薄手のショールを羽織ると、ベルの手を取り浴室をあとにした。


「ねえベル、今日は眠るまで手を握っていてほしいの」


 ベッドに足を投げ出して腰かけ、やわらかな羽毛布団を膝まで掛けた状態で、ぽつりと呟く。ベルを退室させた際に抱きしめていた枕は、ベッドの端に転がったまま所在無げに宙を仰いでいて、いまフィオの背中はベルの右手によって支えられている。


「はい、フィオ様のお望みとあらば」


 そっとフィオの体を横たえ、ベルはお手本通りの答えを返す。

 ベッド脇の椅子に腰かけ、布団から僅かに覗くフィオの小さな手を握りながら、ベルはもう片方の手でフィオの髪を撫でる。慈しみの体温を肌に感じて微笑むフィオを真っ直ぐ見下ろすベルの眼差しは、どこまでも優しい。

 ベルのやわらかな眼差しに、体を包み込むような体温に、心ごととかされていく感覚の中で、フィオは遠い記憶にあるものと同じ声を聞いた。


「お休みなさいませ、フィオ様。どうか良い夢を」


 甘い声に誘われるように、フィオは夢の中へとけていった。

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