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荊の魔女  作者: 宵宮祀花
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水面の花

 明るい石造りの浴室には、フィオの好きな白薔薇の香りが満ちている。ティアドロップ型の宝石が細い金鎖でいくつもつり下げられており、それらが浴槽を囲って、氷で出来たシャンデリアのように虹色の光を湛えている。更に、広い浴槽を取り囲むようにして白いレースのカーテンが下がっているが、一部は鎖状の真珠で括られて大きく開かれており、閉塞感はない。壁面には美しい曲線と宝石の額で縁取られた楕円形の鏡や、様々な意匠が施された飾り棚、室内を照らすランプなどが並ぶ。

 城に存在するすべてのものはフィオのために誂えられていて、この繊細で優美な装飾が施された浴室も例外なくフィオのために存在していた。

 コルセットの紐を引き、丁寧に緩めていきながら、ベルはフィオに語り掛ける。


「……フィオ様」

「なあに、ベル」


 その声が、いつもの甘くとろけそうな色をしていないことに気付きながらも、フィオは努めていつも通りの調子で答えた。


「使い魔は皆、一つの使命を持って生まれることはご存知ですよね」

「ええ。フィオはまだ作ったことがないから、本で見たことしかないけれど」


 話の意図が見えないながらも頷き、ベルが脱がすのに合わせて袖から腕を引き抜く。

 しゅる。ぱさり。リボンを解く音と布が落ちる軽い音だけが、二人のあいだを揺蕩う。ベルは、長い髪と頭を支えるには随分と細く頼りない主人の首筋を見つめながら、密かに眉を寄せて切なげに浅く目を伏せた。


「……私は、先代より『フィオ様に生涯仕えよ』との命を受けて世に生み出されました。フィオ様は私のすべてであり、敬愛すべき絶対的な主です」


 ベルの言葉と共に、最後の一枚がぱさりと足元に落ちる。髪と同じ、雪色の肌を晒しているその後ろでベルがどんな表情をしているのか、フィオは知らない。知ってはいけないような、振り返ってしまえば先の言葉以上に後悔する気がして、じっと佇んでいた。

 肩にやわらかな布がかけられ、フィオはマントで身を護るように胸元で握り締めた。


「私は、これまでも、これからも、フィオ様の従者です。……フィオ様のお望みを叶えるために私がいます」

「…………ええ、わかっているわ」


 フィオは振り向かずに一歩踏み出すと、布を纏ったまま浴室に入った。ベルはフィオのあとに続き、背後でなにも言わずに見守っている。純白の陶器で出来た円形の浴槽には、お気に入りの白薔薇が浮かんでいて、浴室内の香りは香水や入浴剤の類ではなく薔薇から漂っていることがわかる。

 フィオは布ごと滑るように湯に体を浸すと深く息を吐き、ゆるりと振り返った。


「ねえ、ベル。いまの言葉が真にあなたのものであるのなら、一つフィオの問いをきいてほしいの」

「はい。何なりと、フィオ様」


 問いに『答えて』ほしい、ではないところに僅かな疑問を抱きながらも、ベルはそれが主の望みであるならといつものように跪いて了承した。

 フィオを包む布が水面に揺らめき、緩やかな波を描いて、細く白い体の線を所々浮かび上がらせている。浴槽の縁に腕をかけ、布を胸まで引き寄せて、静かに波立たせる。長い髪は殆どが湯の中に沈んでいて、巻き毛がほろほろとほどけて揺れていた。


「ベルは、フィオのこと、好き?」


 ベルの瞳が揺れた。

 濡れ髪を頬や額に張り付かせ、雫を纏った手を差し伸べる。半ば条件反射で小さな手をベルが取ると、フィオはどこか愁いを帯びた微笑を浮かべた。青年らしい、しっかりした手のひらに、やわらかく小さな白い手が乗せられている。フィオの手を伝い落ちた雫は、ベルの手をもしっとりと濡らして、二人の境界を溶かして埋めていった。


「……いいのよ。まだ答えなくていいわ。いま答えられても、フィオにも受け止める心の準備が出来ていないから。でもね、ベル。いつかは問いに答えてほしいの。あなたの心をフィオに聞かせて頂戴。それがどんなものでも、フィオは受け止めるから」


 ベルが常に従者として正しく在ろうとしていることを知った上で、それでもフィオは、ひとりの『ひと』として、ベルの心を求めている。

 ベルは恭しくフィオの指先に唇を寄せると、いつものしあわせそうなとろけた微笑みを見せた。


「はい……フィオ様のお望みとあらば、必ず」


 いまの使い魔たるベルが返せる、最良にして唯一の答えを口づけと共に受け、フィオも心の閊えが一つほどけたように、綺麗に微笑んだ。肩まで覆っていた布が滑り落ち、湯の揺らぎに任せて背中の殆どを露わにしていく。


「さあ、フィオ様。のぼせてしまう前にお体を綺麗に致しましょう」

「そうね、お願いするわ」


 フィオが肩まで湯に浸していた体を起こすと、ベルは浴槽の縁に、防水の布で作られたクッションを置いた。そこに腰かけ、纏っていた布は膝にかけて、下半身を隠す。浮力に任せると両足が水面近くまで浮くのを、時折抵抗して水中に沈めてみたり、逆につま先を跳ねあげて飛沫を散らして遊ぶのを微笑ましく眺めながら、ベルは巧みに魔法で水を操りフィオの髪を包み込むように濡らした。


「ベルって、魔法の使い方も器用なのね。フィオだったらきっと、頭の上から滝のようにお湯を降らせているところだわ」

「恐縮です。ですがフィオ様を思えば当然のことで……」

「それって、フィオの想いが足りないってことかしら?」

「い、いえ、フィオ様、決してそんなつもりでは……」


 珍しく慌てた口調で返すベルの様子に、フィオはくすくすと楽しげに笑って、機嫌よくつま先で水を跳ねた。軽やかな水音までもがフィオの心の色を歌っているようで、ベルが背後でひっそりと安堵の息を吐く。


「わかっているわ。フィオは、フィオの想いを疑ったりはしないもの。主人が信じているものを使い魔が信じないなんてことないって、ちゃんとわかっているから安心して」

「フィオ様……ベルは心臓が凍る心地でした。お戯れも程々になさいませ」

「ふふっ。いつもはフィオが溶かされてばかりだから、たまにはいいじゃない。それに、ベルを驚かせるなんて滅多に出来ることでもないもの」


 ベルが本気で叱っているわけではないことは、わざわざ振り向いて顔を見なくても声の甘さで理解出来た。だからこそ、ぱしゃぱしゃとつま先で雫をきらめかせて遊びながら、戯れを零すことが出来ているのだ。

 小鳥の雛を包むような、繊細な花を扱うような、しなやかな手つきで、ベルがフィオの雪色の髪を洗っていく。巻き髪はすっかりほどけているが、生来癖のある髪質らしく背を覆う髪は緩やかに波打っている。ハーブで作った魔女の香油を染み込ませるとやわらかな髪が艶を帯び、ふわりと甘やかな香気を纏った。

 髪の洗浄と手入れを終えた手は、次に別の香油を纏って首筋へと触れた。流れるように肩や腕、背中と触れていき、フィオの体を包む。背面が終われば、次は前。


「フィオ様、お体をこちらへ」


 言われるまま浴槽から足を上げて、濡れた布を纏ったままつま先を揃えて横座りの形になる。下腹部から下を体の線に沿って纏わりつく艶やかな白布の効果で、海から上がった人魚のような姿になっていた。


「失礼致します」


 一言断りを入れ、ベルの手がそっと布を剥いだ。白く細い脚が露わになり、その中心に秘められている控えめな男子の象徴もベルの前に晒される。フィオは恥じらいに淡く頬を染め、ベルの肩に縋りついた。


「ごめんなさい……少し、こうしていてもいいかしら」

「ええ、どうぞベルに掴まっていて下さい」


 ベルはただ従者としてフィオの世話をしているだけだとわかっているのに、何故か体の下のほうに触れられるときだけは肌を撫でる手を意識してしまう。優しく肌を滑る指が、体に香油をなじませる手のひらが、フィオの体に火を灯しているように感じる。

 太腿から膝へ、膝から脹脛へ。指の一つ一つも丁寧に、ほぐすように、とかすように。丁寧に撫でて擦る。

 そして最後に、ベルの手はふっくらとした双丘に至った。


「……んっ……ベル、そこは……」


 熱を帯びた吐息と共に、控えめな制止がかけられた。しかし、ベルの手は止まらない。谷間の奥に指を滑り込ませ、誰の目にも暴かれることのない秘められた箇所に触れては、優しく表面を擦る。

 恥じらいからか、背筋をゾクゾクと得体の知れない感覚が這い上るのを感じ、フィオはどうにかしてその熱を逃そうと、ゆるゆると首を振った。


「ベル……お願い、もう……」

「ええ、もう終わります」


 するりと谷間から手が抜けていくと、フィオは安堵の息を吐きながらベルを見上げた。緊張のせいで知らず知らずのうちに肩を力強く掴み過ぎていたらしく、ジャケットの皺が手を離したあとも暫く残っていた。

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