あの日の記憶
生まれた日のことは、全く覚えていない。
だけど…死神になった日のことは、なんとなく覚えてる…。
そう…なんとなーく…。
ワアアアという歓声と、割れんばかりの拍手喝采。
「いじょー、イリア・ザルメスがトリを飾らせてもらいましたっ!また、観に来てねっ。」
少女は笑顔で深々と頭を下げた。
イリア・ザルメス、満15歳。
ピンク色のウェーブ髪と琥珀色の瞳…。
誰もが魅入ってしまうような不思議なダンスを踊れる、はちみつ座の看板娘だ。
「イリアちゃーん!」
「ラブオー、イリア!」
「サイン…サイン…色紙、どこやったっけー!?」
彼女の周りは必然的に、ファンが殺到する。
中には、舞台に上ろうとする熱狂的ファンさえ現れた。
しかし、そういうファンには…
「イリアは座の仲間であり、大事な私の娘だ!何かあったら客とはいえ、許しません!」
はちみつ座の座長の激しい一喝が飛んで、ことなきを得ていたという。
「座長っ!今日のイリアの踊り…どうだった?」
移動舞台の中の衣装部屋。
コーヒーを一服していた座長に、イリアが訊いた。
「良かったよ、イリア。今日は、文句無しの百点満点の出来だ。」
「本当っ!?」
「ああ、本当だとも。」
座長はコーヒーを台に置き、その手でイリアの髪を優しく撫でた。
「あたし…一人立ちできるレベルにまでなったかなっ?」
「そうだね…。」
「やった!イーリアちゃん、頑張ったからねっ。」
嬉しそうにキャイキャイはしゃぐイリアとは対照的に、座長の表情は暗かった。
「座長…?どうしたのっ?」
「いや…イリアがこの座を離れる日がパッと思い浮かんで…寂しい気持ちになっただけだよ。」
「それだけっ?だったら、心配しなくてもいーよ、座長っ。」
座長は、イリアのココップにもコーヒーをつぎながら、それはなぜかいと尋ねた。
「だって、あたしはまだまだはちみつ座で踊り子をやっていくつもりだからっ!あたしが居なくなって、ここが潰れちゃったら嫌だもんっ。」
「はは…それは確かに困るね。」
イリアの答えに座長は苦笑し、和やかに夜は更けていった…。
次の日の天気は、曇りだった。
青い空や黄色い太陽は全く見えず、灰色の雲に覆われた天気…
イリアは嫌な予感がした。
(雨、降りそうだなあ…こういう日って、いつも良くないことがあるんだよねっ…。)
その予感は、恐ろしくも的中することになる…。
「ええっ!?今日は、舞台を中止するのっ!?」
「そ。座長から、たった今聞いたわ。こんな天気じゃ…ねえ。」
副長である道化師のウッツは、暗雲立ち込める空を恨めしげに見上げた。
「無理だよな…ジオに新しい芸を覚え込ませたのに、実に残念だ。」
ペットの猿の頭を撫でながらぼやいたのは、ビニー。
ジオというらしい猿はキーッと鳴いて、首を傾げた。
「それはすまないことをしたね…ビニーにジオ。」
問いかけられたイリアは、どうしようかなっと少し悩んでから、
「出歩かず…って言われたけど、買わなきゃいけない物があるから、それだけ買ってくるっ。」
答え、タタッと駆けて行った。
そのことが、後の災いになるとも知らずに…。
「きゃっ…」
「し、静かにしろっ!」
人通りの少ない二番通り。
メガネをかけた40代ぐらいの男は、イリアの口を手で塞いだ。
「んーっ!」
「悪いね…イリアちゃん。ドライブに付き合ってもらおうか…」
男は一方的に言うと、イリアを赤い車に乗せその場を走り去った…。
薄暗く埃っぽいどこかの倉庫。
男性はイリアにサバイバルナイフを突きつけ、鉄の柱の前に座らせる。
そして、逃げ出さないようにと手首と足を縄で縛った。
「はちみつ座看板娘…イリアちゃん。ようやく二人っきりになれたね。」
「…あたしを誘拐するなんて、目のつけどこは悪くないけど。あーんたみたいなおじさんとは、二人きりでも嬉しくないよっ!」
イリアはフンッとそっぽを向いた。
大抵の誘拐犯は、人質がそういった態度をとると逆上するが、男は特に怒った素振りは見せない。
むしろ、
「そういう強気な態度もかわいいんだよ、イリアちゃんは。」
ニヤニヤしながら、見つめてきた。
「…あっ、そう。ところで…あたしをどーする気なのっ?」
「助けてあげるだけだよ。」
「助け…どこが助けてるって言うのっ!?意味わかんないしっ。」
ハアとため息をつき、イリアは目を閉じた。
視覚を閉ざすと、聴覚が冴え渡る。
微かにだが、ググググッ…と何かの稼働音が聞こえる。
「知っているんだよ、イリアちゃん。家族が居なくて、君がとても寂しい想いをしていることを。せめて…と、父親の行方を訪ね回っていることを。」
男は眉をへの字に下げ哀れむような顔をしたが、イリアには見えない。
ただ、声のトーンの変化でそんな風な表情じゃないかなと想像できた。
「…だから、何なのっ!イリアのお父さんを探してくれるとでも言うのっ!?」
「それもいいけれど…もっと手っ取り早く君の寂しさを紛らわせてあげられる方法があるんだ。」
「何っ?お母さんを生き返らせてくれるとか、言うんじゃないよね?そんな冗談言ったら、イリアは怒るからっ!」
目を開き体を精一杯前のめりにし、イリアは男を睨んだ。
「あははっ…イリアちゃんはユニークな発想をするね。私は神様じゃないから、そんなことはできないよ。けれど…君の家族になることはできる。」
「えっ…な、何言っちゃってんの…?おじさん、もしかして…」
イリアの顔が青ざめた。
反対に男の顔は、パッと紅潮する。
「この町では、15歳になれば結婚ができる。私と…結婚しよう、イリアちゃん。お金ならいくらでもあ…」
「む、む、無理無理無理っ!!」
イリアは、そんなことになったら人生の終わりとでも言わんばかりに首を激しく振った。
「無理じゃないさ…イリアちゃんは明日で15歳になるし、愛さえあれば歳は関係ないよ。」
「狂ってんじゃないのっ!?あたしが、いつおじさんを好きだなんて言った!?」
「いつも舞台の上から私を見ていてくれただろう?」
「限りなーく気のせいだからっ!!」
イリアは尚も抗議し続けたが、男は全く聴いていない様子。
夢見心地に目を輝かせ、天井を見つめた。
「明日…私にとってもイリアちゃんにとっても最高の日だ。今からいろいろ準備しなくては…。」
「あたしにとっては、最悪の日だよっ!てか、準備要らないからっ!」
「…というわけで、イリアちゃん。ここで大人しく待っていてね?手配は全て私がしておくから、気にしなくていいよ。」
「ちょっ…話聞いてったら!」
わめき続けるイリアを残し、男はスキップをしながらどこかへ消えていった。
(うそ…でしょ?イリア…あんなおじさんの妻になっちゃうの?そんなの…そんなの…)
「嫌あああー!!」
叫び声は、空しくも鉄筋コンクリートの壁に吸い込まれた…。
どれくらい時間が経ったのだろう。
叫び疲れたイリアの頭には、一つの考えが浮かんでいた。
(あんなおじさんみたいな人と結婚するぐらいなら…あたし、死んじゃった方がましだよっ…。)
そういった考えだったが、辺りは真っ暗で刃物や縄を見つけるのは難しい状況にある。
また見つけられたとしても、両手両足が動かせないのでは手に入れることは不可能に近い。
「なんで…なんで…イリアだけいっつも悲しい目に合わされちゃうのっ…?神様は不公平だよ…。死ぬこともさせてもらえないなんてっ…。」
彼女の瞳にうっすらと涙が浮かんだ。
「座長…みんな………お父…さん……」
「…死にたいのか?」
「えっ…だ、誰かいるのっ?」
声に驚き、辺りを見回すとダンボールの山の前に一人の青年を見つけた。
緑に近い青色の髪、オレンジ色の瞳。
なぜだかその青年の居る場所だけが明るく、黒いフードコートと同じく背中に黒い翼があることも知ることができた。
柄が長く、刃先が鋭い大きな鎌を右手に携えている。
「あんたは…死にたいのか?」
青年は、イリアにもう一度問いかけた。
「あなた…誰っ?」
「…私は死神アルフ。イリア・ザルメス、あんたを迎えに来た。」
アルフという青年はそう名乗ると、冷めた瞳をして大鎌をイリアに向けた。
「あたしを…迎えにっ?」
「そうだ。あんたは死神として選ばれた存在。だから迎えに来たのだよ。」
「つまり…イリアは死んじゃうってことなのっ?」
イリアは怖がる様子はなく、琥珀色の瞳をパチパチさせながら訊く。
アルフは、その通りだと頷いた。
「そっか…そうなんだ。」
「怖いか?」
「…ぜーんぜんっ!早く終わらせちゃって。」
当然
「怖い」という言葉が返ってくるだろうと思っていたアルフは、面食らったような表情をした。
「なっ…怖くないのか?変わった人間だな…。」
「だって…アルフはかっこいいし優しそうだからっ。」
「…どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよっ。イリアね、一目惚れしちゃったから、アルフになら連れてかれてもいいっ!」
イリアは頬をほんのり赤くして、アルフを見つめた。
「そんな理由で命を終わらせていいのか?」
対するアルフは、完全に呆れたような表情でイリアを見返ししていた。
アルフは、その通りだと頷いた。
「そっか…そうなんだ。」
「怖いか?」
「…ぜーんぜんっ!早く終わらせちゃって。」
当然
「怖い」という言葉が返ってくるだろうと思っていたアルフは、面食らったような表情をした。
「なっ…怖くないのか?変わった人間だな…。」
「だって…アルフはかっこいいし優しそうだからっ。」
「…どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよっ。イリアね、一目惚れしちゃったから、アルフになら連れてかれてもいいっ!」
イリアは頬をほんのり赤くして、アルフを見つめた。
「そんな理由で命を終わらせていいのか?」
対するアルフは、完全に呆れたような表情でイリアを見返していた。
「あたしの人生だもんっ!どう生きようが他人に何か言われる筋合いは無いしっ。」
「…一理あるな。それに私としては、仕事がやりやすくなった方であるから、文句は無い。」
「えへへ…イリアちゃん、いい子でしょっ?惚れちゃった?」
「………では、続きは天界で話すとしよう。」
イリアの質問は、アルフに軽く流された。
だが、イリアは気を悪くはせず、
「そっか!ここじゃ、あのおじさんに聞かれちゃうかもしれないもんねっ。ラブラブな話は二人だけで、じっくり語りたいってことだよねっ。」
都合の良いように解釈していた。
「…仕事の話をするのだよ。閻魔から直接聞いた方が早いと思っただけで、それとは全く違うのだが。」
「閻魔様…?なんか…面白そうっ!会ってみたいっ!!お仕事も、楽しそうっ。鎌でスパンスパンやるんでしょっ?」
「遊びではないのだがな…。」
はしゃいでいるイリアを遠目に、アルファはやれやれと深いため息をついた。
「わかってる、わかってるっ!イリア…遊びだなんて思ってないよっ。」
「それならば良いのだが。…思いのほか、長話になってしまったな。今度こそ…行くか。」
鎌を持ち直し、体制を整えるアルフ。
「準備はいいか?」
「…うん、いいよっ。」
ほんの少し目を伏せて、イリアは答えた。
「また…後ほど、天界で。」
簡潔な言葉と共に、ヒュッと鎌が振り下ろされた。
…………………。
短い沈黙。
魂を失ったイリアの体は、ガクッと力なく俯いたのだった…。
(ここは、天界…かなっ?)
イリアは、立ち上がり辺りをキョロキョロと見回した。
そこは一面真っ白な世界。
誰もいない、無風で静かな心地よい世界…。
「んと…閻魔様に会いに行かなきゃならないんだよねっ…。でも…どこにいるんだろっ?」
「…こっちだ。」
すぐに返事が返ってきた。
イリアが返事のした方を向くと、アルフがこちらを見ているのがわかった。
「あ、アルフっ!」
イリアは声を弾ませて、アルフの元にタタッと駆け寄る。
「閻魔は、地獄に住んでいる。…私に着いて来るがよい。」
「はーいっ!…あ、ちょっと待って。」
「…なんだ?」
「一つお願いがあるんだけどっ…」
イリアはアルフの腕をギュッと掴んで言った。
「記憶を消すことって、できないのっ?」
「…あんたの記憶をか?」
「ううん…あたしを知っている人全員の記憶っ。」
アルフは、しばし考えてから答える。
「………できないことはないと思うが。」
「そうなのっ?じゃあ、イリアを知っている人の記憶をぜーんぶ消しちゃって!」
手を合わせ懇願するイリア。
目をぎゅっとつぶっている様子からも、その言葉の真剣さがうかがわれる。
「…そこまで言うのならば、私からも閻魔に頼んでおこう。」
アルフは快く了解した。
「ありがとうっ!やっぱり、あたしの見込んだ通り、アルフって優しいっ。イリア、アルフのこと大好きっ!」
「なっ…。わかったから、離れてくれ…。」
ガバッと抱きつかれ、アルフの顔には困惑したような表情が浮かんでいた。
この日から、あたしは死神として働き始めたの。
あれ…そういえば…、カナルが知りたがってた人の名前もアルフだっけ…?
アルフ…アルフ…!?
思い出した…イリアの一番愛しい人だっ…。
思い出したよっ…あたし…。
「あ、シーク。」
「おっ…エマか。」
天界広場。
お互い目が合ったエマとシークは、手を軽く上げ雑談を交わした。
「そういえば、自分はシークに訊きたいことがあったんだよね。」
「訊きたいことだぁ?」
「うん、シークさ…」
エマは、しばし間を置いてから一気に言う。
「人間だった頃、マジシャンだったって言ってたよね?あれって…嘘だろ?」
「急に…なんだよ。」
シークの表情が曇った。
「どうやら図星みたいだね…。それ、訊きたかっただけだから。じゃ、また。」
エマは微笑みながら手を振ると、どこへともなく飛び去っていった。
広場に一人残されたシークは、
「ふっ…ははは…。バレちまってたのか…。」
右手を顔に当て、力なく笑い、その場に座り込んだ…。
…ずっと嘘をつき続けていた。
そう…俺は名売れの元マジシャンなんかじゃねえ…。
元死神で…現死神…シーク・ルスタリィ。
人間だった頃が無い、死神と死神の間に生まれた…
純粋な死神なんだ…。
「ふむ…確かに承ったぞい。」
閻魔は、ふさふさの髭をくしで手入れしながら、答えた。
彼の前に居るのは、二人の死神。
一人は女性で、もう一人は男性とわかるが、顔や体を黒いフードコートで覆われているため、それ以上のことはわからない。
「ありがとうございます。それでは、私達はこれで…。」
女性死神が言って、
「よろしくお願いします。」
男性死神も頭を下げながら言った。
それから二人の死神は、翼を広げ襠の方へ飛んでいった…。
「…さて。」
二人が去って行った後、閻魔は預かったものに目を向けた。
…それは、シャボン玉のような淡い黄色の膜に包まれた男性だった。
年は20代後半といったところで、ワインのように赤い短髪が特徴的だ。
男性は仰向けの楽な体制をしており、目は固く閉じられ、眠っているように見えた。
「…起きなさい、シーク・ルスタリィ。」
閻魔は男性に近づき、覆っている膜をそっと触った。
すると…パンッと膜が割れて、男性は雲の地面にトサッと落ちた。
「ん………」
シークと呼ばれた男性は、ゆっくりと体を起こした。
頭をかきながら辺りを見回す仕草から、まだ完全には彼の脳は起きていないことがうかがえる。
「目が覚めたようじゃな、ルスタリィよ。」
「俺の名を呼ぶあんたは………誰だ?」
シークの細く黄色い瞳が閻魔をとらえた。
「わしは閻魔。この地獄を取り仕切る番人じゃ。」
「………俺は、なんでこんなところにいるんだ?」
「はて…なぜじゃろうな。」
閻魔は、ニッと不気味な笑みを浮かべた。
「知らねえな…。」
「教えてやろう、ルスタリィ。…そなたが純粋な死神じゃからじゃ。たった今、そなたの親に預かるよう頼まれたばかりでな。」
「はあ…?悪ぃが、全く状況が飲み込めねえ。一から教えてくれ。」
「うむ…致し方あるまい。まあ、そこに居直るがよい。」
閻魔は帳簿をパラパラとめくりながら言った。
「座りゃいいんだな?」
確認するように言って、シークは赤い地面に腰掛けた。
マグマからの熱気が体に伝わってきて………少々熱い。
「まず…そなたについて教えてやろう。そなたは、シーク・ルスタリィ。26歳の男性の設定の死神じゃ。性格は、年の割には落ち着いていて博識…渋いとも言えるのう。」
「…確かにそうみてえだな。」
自分の体を見回しながら、シークは納得したように返す。
「本来、死神は人間の死後に一つの選択として選ばれる存在じゃ。しかし…そなたは選択していない。生まれた時から、死神として存在しているのじゃからな。」
「…まだよくわからねえんだが。」
「簡潔に言うとじゃな…人間だった頃が無い死神というわけじゃ。ちなみに、そなたにも聞こえていたであろう男女の声…。あの主がそなたを生んだ者達じゃよ。」
「あれが…親とかいうやつか。なんとなくわかったぜ、閻魔。」
「…呼び捨ては止めんか、ルスタリィ。わしは、そなたの親にそなたを預けられた…いわば親代わりの者なのじゃからな。」
へいへい閻魔…様だな、とシークは適当な態度で訂正した。
「ふむ…わかればよろしい。」
「で…さっきから死神っつう言葉がよく出るけどよ、死神は何をする奴なんだ?」
「そうじゃったな…その格好であっても、そなたは生まれたばかりの赤子当然。一から説明せねばならんのか。」
閻魔は左手をシークの前に出した。
すると、何もない空間からスッと赤い本が出てきた。
「そなたにこれを授けよう。」
その本は、まるで意志があるかのようにスッとシークの手に移り渡った。
タイトル欄には、『天界マニュアル』と記されていた。
かなりの厚みがあり、ページ数は100を軽く超えるであろう。
シークは、本をパラパラとめくりながら、死神の項を探した。
「…これか。『死神とは、大鎌を持ち黒い翼で空を飛び回り人間を天へ迎える役割を帯びた者である』。なるほどな…確かに俺は大鎌を持っているし、黒い翼も生えてある。これに当てはまってはいるみてえだが…。」
「納得したかの?まだわからぬことがあれば、その書に全て書いてある。目を通し、己の住む場所や死神について学ぶがよい。」
閻魔は、ほっほと妙な笑い方をしながら、マグマの底へと帰っていった。
(死神、ねえ…。ま、面白けりゃ文句はねえがな。)
シークは立ち上がり、襠と呼ばれる場所へと去っていった…。
その死神は、それは本当なのかいと驚愕の声を上げた。
「おう…本当だ。俺は、最初から死神なんだぜ?」
答えるシークは、得意げな顔をしていた。
しかし、目の前の死神は、哀れみような眼差しでシークを見ていた。
「君…前世でよほどのことをしたんだね。人間だった頃を思い出せないなんて…。」
「はっ…?俺は“人間だった頃が無い”んであって、“人間だった頃を思い出せない”わけじゃ…」
「君みたいな人は、たまに居るから…心配しなくても大丈夫。早く思い出せるように祈っているよ…。」
だから違うんだというシークの話を聞かず、その死神は仕事があるからと飛び去ってしまった。
「あ…おいっ!…行っちまったか。別に俺は落ち込んでも気にしてもねえのによ…。」
何が悪いんだと首を傾げながらも、シークは仕事に向かった。
「私は、しがないOLだったわ。あなたは?」
黄緑色の艶のある髪を揺らしながら、女性死神は訊いた。
「俺ぁ、最初から死神だったぜ?つか、OLってどんな職業なんだ?」
「えっ…あなた、そんなことも知らないの!?ひどい記憶障害ね…。」
女性死神は、気の毒に…と目を伏せた。
「いや、忘れたっつうか、最初から知らねえだけで…」
「天界相談所に行くべきだわ!そこで、人間だった頃の記憶の取り戻し方を聞いてきなさいな。」
ビッと人差し指を突き立てて言うと、女性はバサバサと飛んでいった。
「はあ…なんで誰もわかってくれねえんだ?俺ぁ…そんなに妙な存在なのかよ?」
自問自答しながら、重々しい足取りでシークは下界へ向かった。
シークがマジシャンという職業を知ったのは、彼が“生まれて”数ヶ月後のことだった。
「人間なのに、力が使えるのか…?こりゃすげえな…。」
彼は思わず感嘆の声を漏らした。
バイオレット区二番街。
桜の花びらが舞い散る路上には、遠山の人だかりができていた。
子供から老人まで、実に様々な年齢層の見物客が一人の男性を取り囲んでいた。
シルクハットを被った30代後半ほど男性である。
「はい。次は、このシルクハットをご覧あれ!」
男性はシルクハットを脱ぎ、観客に中を見せるかのように動かす。
「何も入っていませんよね?しかし、呪文をかけると…」
シルクハットにハンカチをかけ、男性が何やら呟くと…
バサバサッと一羽の鳩が舞い上がった。
わああああと歓声が広がる。
「次は、この中にハンカチを一枚入れます。そして、ひっくり返し三秒待つと…」
男性がシルクハットをひっくり返すと、中からバラの花束が出てきた。
また歓声が上がる。
「はっは。このお花はそこのかわいらしいお嬢さんにプレゼントしよう。では、またいつかお会いしましょう!」
観客の拍手喝采の中、その男性は笑顔で去っていった。
(まるで魔法使いじゃねえか…。俺も人間だったら、この職業を目指していたかもしれねえな。)
しばらくぼうっと男性の背中を眺めていたシークだが、
「んっ…そうだ…いいこと考えたぜ!」
思いついたかのように言って、天界へ戻っていった…。
ほう…マジシャンについて知りたいとな、と閻魔は感心したような興味無いような不思議な返事をさた。
「おう…下界で見て感動しちまってな。どうしたら、あんな魔法みてえなことができるかを知りてえんだ。」
「そう言われてものう…」
返答に詰まり、うーむと悩む閻魔。
と、そこへ。
「…何の用だ、閻魔?」
一人の青年が歩いて来た。
緑に近い青い髪、冷めきったたオレンジ色の瞳…。
年は10代後半といったところか。
大鎌と黒い翼から、死神だということはわかる。
閻魔は、いいところに来たとばかりに彼に駆け寄った。
「おお、フィアラか!」
「…用は手短かに済ませてほしい。まだ仕事が残っているからな。」
「そう、わしを邪険にせんでくれ…。これでもわしは地獄の番人であって、鬼さえおののく…」
「要件は何だ、と訊いている。…あそこにいる死神のことか?」
話が長くなりそうと感じた彼は、自分から切り出した。
澄んだオレンジ色の瞳が、シークを映す。
シークは自分のことを言われたと悟り、よう…と挨拶しながら二人のところまで歩いて来た。
「そんな怖い目はしなさなんなって。俺ぁ、別にあんたに危害を加えようとか考えてねえよ。」
「…元からこのような目だ。」
青髪の青年死神は、ぶっきらぼうに答えた。
「そ、そりゃ失礼なこと言っちまったな…すまねえ。」
「………。」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「そう怒るでない、フィアラ。初対面の相手に対し、そなたの方が失礼じゃぞ。」
何かぶつぶつ言っていた閻魔だが、不穏な様子に気づきアルフをなだめた。
「………そうか。ならば、この件は相殺するとしよう。」
「ふむ、そうじゃな。ほれ、お互い仲直りの握手をしなさい。」
閻魔に命令口調で言われ、シークとアルフはぎこちなく手を握り合った。
「俺ぁ、シーク・ルスタリィ。よろしく頼むぜ。」
「…私はアルフレッド・フィアラだ。呼び方はアルフで構わない。」
とりあえず自己紹介も終え、では本題じゃと閻魔が仕切り直した。
「フィアラ…そなたを呼んだ理由は、また今度話すとするぞい。代わりに…ルスタリィにマジックについて教えてくれんかの?」
「私が…この者に?」
アルフは横目でシークを見た。
「うむ、そうじゃよ。」
「…なぜ?」
「まあ、たまには良いではないか。そなたは、めったに他人と関わらんからのぅ。」
「………理由になっていない。」
「ここでそなたとルスタリィが会ったのも、何かの縁ということで………頼んでおくぞ。」
一方的に言い放つと、アルフが反論する前に閻魔はもう地獄に戻っていっていた。
アルフは面倒だと言わんばかりに、深いため息をついた。
「致し方ないか…。こっちだ、着いてくるがよい。」
「お、おう!恩にきるぜ。」
「礼は後で良いから、とにかく着いてくるがよい。」
シークはアルフの先導に任せ、素直に彼の後をついて行った。
「………ここだ。」
アルフが指差したのは、一軒の空き家だった。
それなりの広さがあり二階建てで、空き家の割にはきれいだった。
下界のワイズ区二丁目4-5番地。
「ここぁ…誰の家なんだ?」
シークが、家の外観を見回しながら訊く。
よく見ると、壁にボールペンで引っ掻いたような傷が多々ある。
「…私の家だ。今は誰も住んでいないがな。」
「ほう…あんたが住んでいた場所か。」
「ほんの五年だけだがな…。」
目を細めたアルフの顔は、懐かしむような悲しむような複雑な表情だった。
「五年だけ…?引っ越しでもしたのか?」
「………事情があってな。その後は、弟と孤児院に居た。」
そう返すと、アルフはスタスタと中へ入っていった。
(事情、か…。)
シークも続いて中に入った。
アルフが住んでいた当時のままなのだろう。
家の中には、様々な物が置きっ放しにされていた。
テレビは薄く埃をかぶっており、白い三段の冷蔵庫は半開きになっていた。
柱にとりつけられたふりこ時計は15時20分のまま時を止めており、本棚の本は乱雑に並べられていた。
本棚といえば…シークが入って来た時からずっと、アルフは本棚をごそごそと触っていた。
「何を探してるんだ?」
シークが声をかける。
「…マジックを教わりたいと、あんたが言ったのだろう?だから、その本を探している。………これだな。」
彼が手にした物は、一冊の大学ノート。
シルクハットから多数のハンカチが出てくる絵が表紙となっている。
「ノート…?どう見ても手書きみてえだが…専門書ってやつを探していたんじゃねえのか?」
「私はそのようなことは、一言も言っていないが?」
イラ立たしげに返しつつも、アルフはノートをシークに渡した。
「いや、そりゃそうだけどよ…」
「心配はせずともよい…。ある意味、専門書と言っても間違いではない代物だ。」
シークは半信半疑といった風に、ゆっくりとノートを開いた。
…………………。
「私の言ったことは正しいだろう?」
「…お、おう、確かにな。こりゃ…驚いたぜ…。」
彼の手は夢中でページをめくり続ける。
「人を瞬間移動させるマジック…トランプ手品…おまけに浮遊術だぁ…?」
アルフは壁によりかかり、シークが読み終えるまでじっと待っていた。
………ノートの最後のページには、著者の名前が記されている。
「“ノーエルド・フィアラ作”、か。おい…これってもしかして…」
「…私の父上のノートだ。」
淡々とした言葉の裏には、何か悲しみや切なさが含まれていた。
「つうことは…アルフ。父親は…マジシャンだったのか?」
「そんな大それたものではないさ。ただの…趣味だ。」
「趣味で浮遊術なんかできるもんなのか?俺には、どうにも信じられねえがな。」
「やってできないことはないものさ…。父上の受け売りだがな。」
アルフの表情が少し和らぐ。
「だったらよ…俺でも、マジシャンになれると思うか?」
「………さあな。」
「さあなって…頼りねえな。」
「私が決めることではないからな。あんたのやる気次第だ。」
「俺の…やる気、ねえ。」
シークはノートをコートにしまい、そういや…と切り出した。
「何か?」
「あんたは、なりたいものってあったのか?」
「人間だった頃に、か…?無論、無いはずはないさ。」
そう返すと、アルフはシークに背を向け歩き出した。
「アルフ…あんたは何になりたかったんだ?」
ピタリと足音が止む。
「私か…?なぜ、そのようなことを訊く?」
「父親のノートを大切に取っておいたっつうことは、もしかしてマジシャンになりたかったんじゃねえかと思ってよ。」
アルフは、数秒経ってから答える。
「残念ながら…ハズレだ。弟はなりたかったかもしれないがな。」
止んでいた足音がまた鳴り始めた。
(結局…正解は何なんだよ…。)
アルフの姿が完全に見えなくなってから、シークは家を後にしたのだった………。
そういや…聞きそびれちまってたんだな、結局。
アルフレッド・フィアラ…あいつに。
そうか…俺とリアゼが忘れちまってたのは………
忘れちゃならねえ、大切な記憶、大切な仲間だったのか…。
こうしちゃ居られねえ。
リアゼの奴にも伝えてやらねえとな。
さて…行くか!