追憶の風
…そこは、ただただ真っ白な空間だった。
地面は雲でできており、歩く度にフワフワと揺れた。
カナルの3メートルほど前方に、白い雲のイスが三つある。
気が付くと、彼はそんな場所に来ていた。
(僕は…なんで、こんなとこにいるんだっけ…?)
腕を組んで眉を潜めて思い出してみる。
(確か…いつも通り学校に行って…帰ってきて…宿題して…テレビ見て…)
「あれっ?この広場に誰かいるなんて…珍しいこともあるね!」
カナルの思考を遮るかのように、テンションの高い女性の声がした。
「えっ…?」
「ほら…いきなり声かけるから、彼は驚いてるよ、イリア。」
今度は最初の声の主を諫めるような、少し低めの声がした。
カナルはぐるりとその場を見回すが、辺りには誰もいない。
「誰…?どこに居るの?」
「どこ見てるのっ?あたし達は、ここだよ!」
「右でも左でも前でも後ろでも無い…上だよ、上。」
カナルは、素直に自分の真上に顔を向けた。
すると、彼の遥か頭上、見えるか見えないかの高い位置に二人の者が浮いていた。
声の高さや何気ない仕草から女性二人ということはわかるが、遠すぎて顔などはわからない。
ただ、背中に生えた大きな黒い翼が二人の体を支えていることはわかる。
「今、そっちに行くからねっ!」
向かって右側の女性が言って、彼女は宣言通り一瞬にしてカナルの前に舞い降りた。
「わっ!?」
「…あっ、危ないよっ!」
女性は、驚きで後ろ向きに転びそうになったカナルの腕をガシッと掴んで支えた。
「大丈夫っ!?」
「あ、ありがとう…。」
カナルは礼を言って、女性に手を離してもらった。
「全く、もう…。イリアは、せっかちなんだから。大丈夫、君?」
もう一人の女性もいつの間にか降り立っていた。
白くて長い髪と深緑色の瞳が魅力的だった。
「あ、うん…大丈夫。」
「別に驚かすつもりなかったんだけど…とにかくごめんねっ!」
“イリア”と呼ばれた女性は、両手を顔の前で合わせて申し訳なさそうに謝った。
ピンクのウェーブ髪と、琥珀色の瞳…白い髪の女性とまた違った魅力があった。
「自分もイリアの保護者として謝るよ。ごめんね。」
エマは保護者じゃなくて親友だから勘違いしないよーにと、イリアが訂正した。
「もう謝らなくていいよ…その代わりといったら変だけどさ…」
「「その代わり…何?」」
ぴったり声がハモって、女性二人は顔を見合わせて少し笑った。
「…ここがどこなのか、教えてくれないかなって…。」
ためらいがちにカナルが言った。
「どこって…天界に決まってるじゃん。」
「天界…?」
「そう、て・ん・か・いっ!そんなことも知らないなんて…あんた、新人死神なのっ?」
イリアが腰に両手を当てて、怪訝そうに訊いた。
「新人死神って言うか…一応人間なんだけど。あ、自己紹介遅れたけど、僕の名前はカナルだよ。」
「あ、よろしく…って…ええっ!?なんで人間がここに居るのっ!?」
驚きの声を上げ、パチパチと瞬きするイリアをよそに、
「ご丁寧にどうも。自分はエマ、こっちはイリア。」
“エマ”と名乗る女性は平然と自己紹介していた。
まるで正反対の二人だ。
「なんでって言われても…僕が聞きたいぐらいだよ。」
「…そうだろうね。だけど、なんで…なんて気にしなくていいんじゃないかな?本当の君は人間だとしても、今の君は翼と鎌を持った立派な死神だから。」
エマにまじまじと観察され、カナルははにかみながらそうかなと答えた。
「もー!エマは冷静すぎっ!!…でも、確かにあたし達に見えてるカナルは死神なんだよね。灰色だけど、翼も生えてるし…大鎌持ってるし。」
「納得した?イリア。」
「びみょーにだけどね。」
イリアが答えた。
「それで…君はこれからどうしたい?人間界に戻りたいなら、すぐ戻れる方法を教えるよ。」
「でも、エマ?あたしは先に閻魔様に会った方がいいと思うけど。」
「それも一理あるね。カナル君、閻魔様に会って、さっきの質問訊いてみる?」
カナルはちょっと考えてから返事をした。
「すぐ戻れるなら…えっと…エマさん…」
「エマでいいよ。」
「…エマの提案通りにしようかな。」
「オーケー。イリアと自分の後をついておいで。」
エマが一番先頭に立ち、イリアも隣に立った。
バサッ…
バサッ…
二人の背中の翼が大きく開く。
「うん!」
カナルも元気良く返して、バサッと…灰色の翼が開かれる。
そうして、三人の死神はバサッ…バサッと飛び去った…。
全てが赤い赤い灼熱の世界、地獄。
カナルは、あまりの熱さに幾度か立ち眩みがした。
その度に、閻魔様のところに着いた時にはミイラみたいに干からびてるんじゃないのっとイリアにからかわれた。
もっとも、そのイリアもエマに、好きな子ほど意地悪したくなるっていう心理かなと言われてしまったが。
やがて、その熱さの原点、マグマの近くに着いた。
「閻魔様って…どこに居るの?」
カナルがキョロキョロと辺りを見回しながら聞く。
「マグマの中だよっ。呼んでみるから、ちょっと待っててねっ。」
イリアは答えると、地面に手をついてマグマに向かって閻魔様ーっと叫んだ。
すると、マグマからコポコポッと泡が吹き出てきて、底の方から
「わしに何の用だ?」
野太い男性の声が返ってきた。
「んーっと…ねえ、エマっ。どう言ったらいいかな?」
「さあ…新人死神が来ましたでいいんじゃないかな?」
エマの助言通り、イリアはマグマに向かって叫んだ。
カナルは、二人から少し離れた場所で黙って成り行きを見守っている。
「…やれやれ、今日は忙しいんだがな。」
声がしたと同時に、マグマが一瞬パッと光った。
「眩しい…。」
思わず目を覆うカナル。
忙しいって…閻魔の仕事なのにとエマが小さくぼやくのが聞こえた。
次第に光は収まり、代わりに一人の男性が三人の前に現れた。
カナルはゆっくり目を開け、その男性に目を向けた。
男は首にひも付きの黒い帳簿をかけていた。
右手には、さすまた。
頭に兜のようなものを被り、そこから牛のような鋭い角が生えていた。
歯は吸血鬼のように尖り、頑丈そうな赤い鎧を着ていた。
顎から胸にかけて、黒くふさふさの髭がたくわえられている。
「閻魔様、久しぶり〜っ!」
「久しぶりですね、閻魔様。」
イリアはバイバイするように手を振りながら笑顔、エマはクールな表情で挨拶した。
「久しぶりって…わしはそなたらの友達かっ…。」
男性は、欧米かっのノリで突っ込みを入れた。
「まあ…そんなことはどうでも良い。…おぬしが、新しく死神になったものかね?」
閻魔らしき男性は、ぽかんと口を開けているカナルに視線を移した。
瞳があまりにも大きいので、にらまれているように思える。
「灰色の翼…なるほど。おぬしは、“狭間の死神”か。」
「狭間の死神っ?」
カナルではなく、イリアが尋ねた。
「そうじゃ。人間でありながら、死神と同等の力を持つ者のことをいう。」
「へえ…なんかすごいんだねっ!」
イリアに誉められ、カナルはありがとうと礼を返した。
「あの…閻魔様?僕はカナルっていう者です。狭間の死神とか…死神のことすらまだよくわかんないけれど…、この力が誰から受け継がれたかはわかっています。」
「ほうほう、それで何が言いたいのじゃ?」
閻魔は、興味を持ったらしく、目だけに笑みを浮かべ訊いた。
その表情が、余計に不気味さを増幅させていることには気づいてない様子。
「あの…」
カナルは一度ためらう素振りを見せてから、一気に切り出した。
「閻魔様は、一目見ただけで僕のことを分析していたから、もしかしたら知っているかと思ったので訊きます。…僕に力をくれた人…フィル兄を知っていたりしませんか?」
「…おお、おぬしはフィル・テイディオの後任者か。」
「知っているんですか!?」
「勿論じゃ。…まあ、ともかく落ち着きなさい。」
嬉しさのあまり体を乗り出すようにして訊いたカナルを、閻魔は手を前にだす仕草でなだめかせた。
「…なんだか、プライベートなことみたいだね。自分達が居なくても大丈夫そうだし、買い物でも行ってようか?」
カナルの後ろの方でエマが耳打ちして、
「うん…行こっか!」
隣にいたイリアは耳打ちの意味がないほど、大声で返事した。
「それじゃ…閻魔様にカナル、また後でね!」
「自分達はこの辺で失礼します。」
「あっ…」
別にプライベートじゃないから大丈夫…と言うカナルの言葉を最後まで聞かず、二人の死神はバサバサと西の方へ飛んでいった。
「…ティディオは、わしが特別な任を授けた死神じゃ。知らぬわけはない。」
申し訳なさそうなカナルとは違って、閻魔は何事も無かったかのように話を続けた。
「良かったのかな…」
「…カナル。話を聞かぬのなら、わしは仕事に戻るぞい?」
「あ…ごめんなさい!」
慌てて謝り、カナルは閻魔に向き直る。
「…フィアラと同じで人の話を聞かない困った癖があるのう。」
「フィアラ?」
「気にするでない。…それでどこまで話したかの。」
急に話題を変えられ釈然としないものの、閻魔の話に耳を傾けるカナル。
「フィル兄…フィル・ティディオに、閻魔様が特別な任を授けたってところまでです。それって…何ですか?」
「それはの…」
「それは…?」
閻魔の口が答えを話そうとした時、ピリリリとケータイの着信音が流れた。
「…閻魔じゃが。ふむ…そなたか。…いや、大丈夫じゃが?そうか…うむ…わかった。」
約15秒ほど通話して、閻魔は電話を切った。
その間、カナルは遠慮して話しかけなかった。
「すまぬのう、カナル。急用が入ったので、わしは戻らなければならぬ。」
一方的に言うと、カナルが何か抗議する前に閻魔はもうマグマの底へと消え去ってしまった。
ぽつんとその場に残されたカナルは、
(フィル兄の任務って…一体?)
首を傾げつつ、雲のイスが置いてあった広場へと戻って行った。
ジリリリーン!!
けたたましいベルの音で、カナルは目を覚ました。
(ここは…?)
音源である目覚まし時計のボタンを押して止めると、目をこすりながら体を起こした。
白い柔らかい物の上だった。
しかし、それは雲ではなく彼の部屋のベッドだとわかった。
(僕の部屋だ…!じゃあ、死神とか天界とか全部夢だったのかな…?)
そう思い、彼はタタッと洗面所へ走り、鏡を見た。
…翼はあった。
薄く、恐らくは人間には見えないだろうけれど、確かにあった。
(夢じゃ…ない?)
「カナルー!学校に遅れるわよー!」
彼の母、メルディが一階から叫ぶのが聞こえた。
「“狭間の死神”…カナルか。いずれかは消さねばならぬな…。私の…仕事の邪魔だ。」
アルフはひまわり畑を眺めがら、宣言するように呟いた。
手に携えられた鎌の刃には、べっとりと血が付着している。
更に彼から一メートルほど離れた路上には…。
つい最近まで生命体であったはずの物が、全身血だらけの遺体となり放置されていた。
アルフの横髪を揺らす風の音には、クスクスという笑い声が混じっていた。
その声は数秒だけ聴こえ…風が止む頃には完全に消えていた…。
歴史は繰り返される…
望まれないはずの出来事こそ…
繰り返されるのだ…
そしてそれは…
忌まわしい“鍵”となる…
-To be continued…