奇跡の視界
「おーい、お待たせー!
お客様連れて来たよ」
あまりにも軽い声に、ディアンナと私は驚いた。
昨日と同様にとても親しみやすい人だと感じる反面、今から私達が通されるのは第二王子の現在の私室と言う事になる。
流石に何か手土産を持って来た方が良かっただろうかと遅れて気付いたが、既にドアが開け放たれた後だ。
私は少しの不安と共に部屋へ一歩踏み出す……つもりだったが、扉のすぐ側まで溢れている物と言う物を見てぱちくりと目を瞬かせた。
「あ!フィリアさんいらっしゃい、そちらはディアンナさんだよね??
話しは聞いてるよ、入ってー!」
と、言われても。
私とディアンナは扉の前で立ち止まり、視線をロイさんとレイさんに向けた。
二人は少しだけ私達に視線を戻すと、ロイさんは笑って手を振ってレイさんはため息を吐き出した。
セスさんがここに来てまだ1週間も経っていないのでは?と思いながら、私は先に一歩部屋に踏み入った。
「せ……こほん。 マクベスさん、どうしたんですかこのお部屋は」
「あー……ええと、お仕事をこちらで済ませようと思ったら思った以上に物が溢れてしまって」
「片付けをする暇も無いんですか?
お食事はきちんと食べられていますか?」
「食堂が開いている時間に何度か……行ったよね?」
「2度だけな」
「マクベスさんがこの街に来てどれくらい経ちますか?」
「うーんと、今日で5日目だよね?」
3人の返しに、私はため息を吐き出した。
5日でこんなに汚れるのか。
「姉さん、私掃除用具を借りてくる」
「うん、お願い。 その間に片付けられるものは片付けて行くわ」
行動が早いディアンナに感謝しながら、私は自分の体調が悪い事も忘れてもう一歩踏み出す。
「マクベスさん、お掃除のお時間です」
「………え?」
きょとんとしたセスさんに笑顔で指示しながら、私は必要な書類とそうで無いもの。
今使うもの今使わないもの、そしてゴミを分けて行く。
掃除用具を貰って来たディアンナは私とセスさんが片したところをホウキでザッと掃き出す。
それに習ってロイさんとレイさんもディアンナの手伝いをしながら足の踏み場の無い部屋を片付ける事になった。
5日でこんなにゴミが溜まるのかと怒りが湧いたが、すっきりと片付いた部屋を見てようやく心が落ち着いた。
「……女の子、それも彼女を部屋に通すのに汚い部屋で平気なんですね……引くわ」
「うぐっ」
ぼそりと呟いたディアンナの声にショックを受けた様子のセスさんに笑い掛けながら「今日はお話しがあって来ました」とようやく本題に入る事が出来た。
昨夜遅くに店に車が突っ込んで来た事や、その店の修繕とその間働けない従業員はどうすれば良いか。
全てを話し終えると、セスさんは痛ましい表情で私とディアンナに向き直った。
「それは心配を掛けたね……オーナーとして申し訳ない、すぐに店舗の修繕の手続きを取るよう連絡を入れる」
その言葉の後すぐに部屋を出たレイさん。
セスさんはディアンナの方へ視線を向けた。
「ディアンナさん、今回の事は君が気に病む必要は無いよ。
相手がどう足掻こうが店に損害をきたした相手がどれだけ何を言って来ようと耳を傾ける必要は無い。
貴女は何も悪く無いし、貴女は私の店の大切な従業員だ。
もし今後今回の相手が何かして来ようとするのなら私の護衛が相手になろう。
だから安心して」
「……ありがとうございます」
ディアンナは、やっとホッとした様に手首の拘束を解いた。
私では掛けられなかったその言葉に、私も静かに頭を下げる。
「今から修繕工事を手配するとしても最低2ヶ月は店を閉める他ないね。
その間の給料は保証するよ、ちゃんと書面で全員に通達する様に手配もする」
「あの……それなんですけど」
ディアンナの声に、セスさんは笑顔で「なんだろう?」と耳を傾ける。
「今回修繕工事をするなら、店舗の設備に関しても相談させて頂けませんか?」
「設備に、何か問題でも?」
そう言われると、いくつか直しておきたい箇所があったなとみんなで話し合った事を思い出した。
「ダクトの位置と、排水路の見直しと、電気設備に関してももう少しだけグレードを上げて欲しいです」
「理由は?」
「まずダクトの位置なんですけど、店と店の路地に設置しているのですがそこがちょうど厨房の換気扇の隣なんです。
むしろなんでここに設置してしまったのか不思議でならないのですが、真夏が地獄です」
「みんなの休憩の時間、タバコ休憩の時や少し外に飲み物を買いに行く時もあそこから出入りするので、温風が発生してしまうので少しの時間であってもあの場所にいるだけで汗が止まらなくて……。
休憩室があれば良いのですが、店の広さ的に売り場とキッチンにほとんどを占められているのでスペースが無いんですよね」
「なるほど……」
セスさんは真剣な表情でメモを走らせながら、次々と出て来る店の不満点を書き込んで行った。
そして全てを話し終えたところ、コンコンとペンで机を叩いて頷いた。
「全てを叶える事は難しいけれど、直せる場所は直して行くとしよう。
特にダストの位置と休憩室に関しては失念していたな……後日詳しいアンケートを送付するので回答して欲しい。
それを元に改善策を練る事にするよ」
「お願いします」
揃って頭を下げると、慌てた様に「えっ顔を上げて!」と声が聞こえた。
「むしろ後手に回って君達の手を煩わせてしまった事を謝らせてほしい。
オーナーとしての判断が遅れてしまって申し訳無かった」
「……いいえ、ありがとうございます。
オーナーにそう言って頂けるだけでもう、十分です」
「他の従業員も喜びます」
私達はそう言って笑い合った。
ザクラさんを始め、店の心配をしていたみんなにちゃんと伝えないとなとその場を去ろうとすると「もし時間があるのならお昼を一緒にどうだろう?」とのセスさんの言葉に、私とディアンナは困惑した。
「どうやら僕の事を知っている様だし、今からはただのセスとして、どうかな?」
「え?」
「さっきこの部屋の片付けが終わった後、彼女だって言ってくれたでしょう?
と言う事はディアンナさんは僕の事情を知ってるのかなって……違った?」
ストレートな問い掛けに、私とディアンナは頷いた。
この宿屋にはレストランが併設されており、私達の働いているティコのツノともまた違う雰囲気のお店で、食事の席にはロイさんとレイさんも着く。
「俺達まで本当に良かったの?お姉さん」
「セスさんも初めから5人で食べる気だったでしょう?
私達が断る理由なんて無いですよ、ねえディアンナ」
「うん」
通常運転のディアンナに安堵しながら、私は対面に座るセスさんに苦笑した。
「セスさんごめんなさい、私の中で対処しきれる問題じゃ無かったのでディアンナに相談させて貰ってたんです」
「姉さんにとって人とお付き合いする事はほとんど未知の領域なんです、それに私から聞き出したようなものなんです」
「え! 怒ってなんて無いよ!?
それに僕も、人とお付き合いするのは初めてだし……ディアンナさんの指摘はぐっさり来るけれど、全てフィリアさんを想っての事なんでしょう?
僕が不快に思う事なんて一つも無いから大丈夫」
そう言ってにこりと笑みを浮かべて、運ばれて来た食事に手を伸ばした。
お昼ご飯は全員が違う種類のパスタを注文したが、もちもちの麺に濃厚なソースが絶妙で、すごく美味しい。
さすが、グレードの高いお宿なだけあるなあと感心しながら対面に視線をよこすと。
ニコニコとセスさんが笑顔でこちらを見ていたので慌てて自分の口元を拭った。
「つ、付いてましたか?」
「ううん、可愛いなって」
「んぐっ」
それもとろける笑みで言われてしまって、私は持っていたハンカチをギリっと握り締める。
「前も思ったけれど、フィリアさんは食べてる時すごく可愛い顔をするね。
もちろんさっき僕を怒ってくれていた時のキリッとした表情も素敵だけど……やっぱり貴女の笑顔は素敵だなあ」
「げほっ、けほっ」
「……姉さん」
隣に座るディアンナが私の背中を優しく撫でる。
突然何言い出すんだこの人は!?
ただ普通にパスタ食べてるだけなんだけど!?
未だキラキラと綺麗な顔立ちから向けられる笑顔攻撃に私はバクバクとうるさい心臓に手を置いて必死に耐えた。
「こらこら、食事中に相手を困らせないのー」
「本当にお前はどうしようもないな」
「えー?」
苦笑と共にロイさんとレイさんが止めに入ってくれて、私は少しホッとする。
「可愛いって思うのは分かるけど、そう言うのは二人きりになって言った方が効果的だぞ!」
「そうなのか!」
「…………そう言うのは当人が居ない場所で言った方が良いですよ」
呆れながらのディアンナの声に、レイさんがうんうん頷いた。
「あの……お聞きしても良いですか?」
「僕かな?」
「はい。 ……オーナーは姉さんと10年前に会ったきりだったんですよね?
10年の間に心変わりなんてしなかったのかなって、純粋に疑問だったんですけど。
どうやったらそんなに気持ちを保てるんでしょう」
問い掛けたその言葉に思わずディアンナに視線を向けたが、真剣なその表情を見て黙ってしまう。
セスさんもそれに対して笑顔になってしまったので、私はドキドキしながらその言葉を待った。
「……ディアンナさん、恋人は?」
「作りません」
「そうなんだ……僕もね、昔はそうだったんだ。
生まれの事もあるけれど、みんな僕の価値を決めて接して来る人が多かったから……あまり、人を信じてはいけないのかもと考えていた。
そうなると僕の飾りである地位しか見ていない人や僕の利用価値を値踏みする人達で溢れていることに気付いて、すごく疲れてしまっていたんだ。
そんな時何も知らないフィリアさんに出会って、視界が開けてね……本当に、僕の世界はあの10年前にガラリと変わった。
そんな衝撃的な運命を忘れるわけ無いし、忘れられないから。
だからずっとずっと、今日まで頑張って来れたんだ」
ディアンナの答えに疑問を持つでも無く、ただ照れ臭そうにそう言われて、その相手が私なんて……。
「信じて欲しいのは本当だけど、残念ながら証明出来るものがないんだよね……」
「いえ、今ので充分理解しました。
なによりこれ以上は姉さんの熱が……姉さん?」
「……あれ?」
「なんかおかしくないか?」
言われて視線が集まっている事に気付いて、私は首を傾げた。
「あれ、どうしましたか?皆さん」
「……姉さん、もしかして熱上がってるんじゃ?」
心配そうに言われて、そう言えば今日は体調が悪く……あれ、目眩がして来た。
なんだろう、頭痛まで……。
「姉さん?」
「ごめん……なさい、頭が……」
意識した途端、ズキズキと脈拍と同じ感覚で痛みがやって来た。
あの男に怒鳴った途端にしんどいのなんかどっかに行ったと思ったんだなどなあ。
痛む頭を抑えていると「失礼するね」と柔らかい声が響いて身体が持ち上げられた。
あれ?と声が出るよりも早く「熱が高いな……」と心配そうに言われて、近過ぎる距離に頭痛以上に心臓が忙しなく動いた。
あれ、痛いのは頭だっけ、心臓だったっけ?
困った、痛いし、恥ずかしいしで、大変だ……。
「……取り敢えず家まで送ろう、ロイ、レイ、お願い」
「了解だ」
「じゃあディアンナさんも一緒に送って行くね、ここでちょっと待っててー」
私を抱えたままにその場に座り込んで、おでこに手を当てたり冷えたグラスを頬に当てながら、セスさんは心配そうにため息を吐き出した。
それを間近で見せられている私と言えば、かかる吐息も、伏せられた翡翠色の瞳もが本当近くで……綺麗なその顔立ちを独り占めしている気が……待って!それはダメな気がするこの思考は!
こんなのは何と言うか……いや、何と言うか……。
「……マクベスさん、姉さんの心臓が限界を迎えました」
「えっ!?」
驚いたようなセスさんの声を最後に、私は意識を手放したのだった。




