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再開の夜




私にとっての恋は、目が合った途端に話せなくなる様な情熱的な物じゃなくて、それはそれはあっさりとしたものだった。

なんとなく、街の中で有名だった男の子と話す様になって、なんとなく付き合う様になって。

そして一つの季節が終わる様に呆気なく、その人は別の女の子と付き合う事になった。

だから1人の人に人生をかけちゃうような、物語の中の様に身分差だったり勇気のいるような選択を迫られる事もなく、ただ静かに散って行った。



仕事先で聞く女の子達の浮ついた話しに苦い顔をするようになったのは大人になったからなのかそれとも……。



「はいはーい、そろそろかきいれ時なんだからお喋りはここまで!

ハンナとラーシェはホール出て、リンとユグリス、ポーラはキッチンにある余分なの片付けちゃって。

ディアンナ!こそっとお酒飲もうとしないの、バレてるから!」


はーい、と可愛らしく悪びれた女の子達に指示を出しながら、私はまったく……とため息を吐き出す。

10代を経て20も半ばになってくると、周りからの声がやかましく聞こえる。

やれパン屋の息子が優良株だ、いやいや門番の息子も中々だと本人じゃなくて直属の上司が寄せてくるのだから。

しかしそれは歳を食えば誰にでも降り掛かる火の粉でもあり、変な奴を下の女の子達に紹介されないように日夜目を光らせる私も私なのだけど。


くるりとホールを見渡しながら、私はカレンダーを見て今日で丸々10年かあと感慨深く思った。


セイゼルウィード地方、マクベス国ディルマールはセイゼルウィード地方の中にある国の中でも比較的大きな部類に入る国であり、豊かな森と湖を守って来た由緒ある大国である。

マクベス国では主に酪農と狩猟などを主に行っており、ウェイべ渓谷を抜けなくては中々他の地方に足を延ばせない事から「帰らずの国」とも言われている。

ご飯も水も美味しいので帰りたがる旅人が少ないと言う謂れから来ているらしい。


そんな大国ディルマールにて南門近くの場所に何十件もの軒を連ねるご飯屋の一つが、ここティコのツノと呼ばれるカフェ兼食堂でした。


オーナーのアガバリ様はディルマールだけでなく、マクベス国にいくつもお店を持っている資産家兼王子様。

曰く「質の良い休みの為を思ったが故の暴走」の産物として出来上がったカフェ兼食堂は大ヒットし、王族で無くなっても余裕で暮らしていけるだろうとご本人が出した書籍の中で語られている。

私達の働いているこのお店は、言わばその一つである。

人気を博して居るのはご飯や飲み物フルーツに至るまでシェフがこだわり抜いて一切の妥協をしないことでも有名だが、私達ホールスタッフとキッチンスタッフとはあまり会う機会もないが概ね理解しながら働かせてもらっていた。



そんなティコのツノのホールリーダーが私。

10年前コロリとディルマールに遊びにやって来て「帰りたくなくなった」旅人の1人だ。

どうして私がこの場所で働き出したのかはまた後に語るとしよう。



本日昼前、いつもの通り8割のお客様で席が埋まって居る。

中々素晴らしい成果だろう。

しかし昼時になると近くの仕事場や南の協会から人がわっと溢れ出てくる。

その辺りはホールもキッチンも慣れたもの、グラスの準備とお盆を拭きながら、私は今日もお昼を乗り切る為に時計とお客様を睨み始めた。



お昼のピークを過ぎた辺りから、新人達の方から昼休憩を取ってもらう事になっている。

14時から30分ずつ、シフトの関係もあるので帳簿を付けながらの作業になり、私は奥に引っ込んだ。


「……あのお、フィリアさん」


「ユグリス、どうしたの?」


おずおずと顔を出したユグリスに顔を上げると「なんか、お客様が……」との事。

私は今日面接の予定は無かったと思うんだけどなあと思いながらも帳簿を閉じて席を立った。

テーブルの一つ。

紅茶と季節のケーキを食べているその優雅な所作にハッとして、しかしこの場で大きな反応を示すのもどうかと歯噛みする。

そしてユグリスに「大丈夫、ありがとう」と告げて私1人でテーブルに向かった。


「……初めまして、そしていつもご苦労様。

名乗った方が良いかな?」


「いえ、結構です。

こちらこそいつもお世話になっております……本日はどうされましたか?」


マクベス国第二王子であるアガバリ・トゥラス・バリス。

王子の顔は存じ上げていたけれど、こんなに突然現れるなんて思っていなかったので、正直言うと心臓がすごい速度で暴れているところだ。

しかしみんなの手前顔に出すのは憚られるので、辛うじてギリギリの笑顔で答えて見せた。


「……安心して、今日はただのアクベスとして来ているから」


「……私用と言う事でしょうか?」


私の答えにゆっくりと頷くと、王子……もとい、アクベスさんは笑顔になった。


「忙しい事を承知で来てみたのだけれど、中々に捌いているね」


「そりゃ、ベテラン勢の活躍する時間ですから。

私みたいに何年も働く女の子達に向けてこの時間帯の客層、年齢、常連さんなのか初めて来た人なのかはデータに残しておりますので。

今の子達もそのデータと日々人と接しながら成長しております」


「この辺りだと観光客の方が多いのかな?」


「そうですね……ですが最近は近くの関所だとか、協会の方々も顔を出してくれるようになりました。

デザートとドリンク目当ての女性が多いですね」


そこから少しだけ仕事のお話しをして、マクベスさんはホクホクとした表情で満足そうに頷いた。


「今日はフィールドワークの様なものだったんだけど、来れてよかったよ。

それから……これ、フィリアさんに」


テーブルにことりと置かれて、私は首を傾げた。


「勤続10年、おめでとう」


ぶわっと恥ずかしくなってしまって、とっさに表情を作れなかった。

私はそのままで必死にお礼を言った。


「あと今日、夕方に少し時間をくれないかな」


「え?」


「久し振りにこの街に来たけれど結構地理が変わってしまっていたから、案内を頼みたいんだ」


「それならもちろん……ただ、店がディナーに切り替わるのが17時からになりますが」


「平気だよ、終わって用意が出来たら広場で待ち合わせしようか。

ついでに僕の事は本名を明かさずに、知り合いとでも言っておいて欲しい」


「かしこまりました」


くすりと笑った私に手を振って、私は仕事に戻った。




夕方のシフトに交代する時に、ディナースタッフの何人かにはマクベスさんが来ている事を伝えたが「何しに来たんだ?」「忙しい時に」とあまり歓迎はしていない様子だった。

今から会うと告げる必要も無かったのでいつもの通り仕事を終わらせて、待ち合わせ場所に向かった。


店から少し離れた教会前広場に向かうと、既にマクベスさんは人に埋もれていた。

むしろ分かりやすく、そして王子様なんだなと漠然と理解して、私はどうしようかと近くの街頭にもたれかかった。


見事に綺麗な女の子達に囲まれていて、ああ、あれが本当に人を集める人なのかとふとどこかに沈み込んでいた気持ちが浮き上がって来る。


あの子達はどう言う風にマクベスさんを見ているのだろうか?

ものすごく熱のこもった瞳も声も、求めるその仕草も。

私には理解出来ない、知らない感情だなと。

そうやってただぼーっとしていると、緑の瞳とかち合った。


「あ」


綺麗な翡翠色の瞳に何か思い出しそうになっていると、助かったとばかりに駆け寄って来る。


「すまない、待たせたよね」


「いえ……」


私の肩を抱きながらその場から離れようとするマクベスさんの所作よりも、その声が思っていたよりうわずっていたので笑いそうになってしまった。


後ろで睨むお姉さん達にはなんとも言えないし、隣を歩くマクベスさんが情けなく「もう少しこのまま、広場を抜けて左へ逃げよう」と呟いたその声にも笑うわけにはいかない。


通りを過ぎて大袈裟に座り込んだマクベスさんに、私はもう我慢が出来なくなって肩を揺らした。


きょとんと私を見上げるマクベスさんは、恥ずかしそうに顔を背けた。


「あははっ、んふふ……ごめんなさい、止められないっ」


「……遅れたのは事実僕の責任だ、好きなだけ笑うが良いよ」


むすっと眉を寄せるその仕草がとても大人の男の人には見えなくて、子供が拗ねているようで、無礼なのだと分かってはいるけれどどうしても止められなかった。

近くのベンチに座り込み私が笑いを止める事が出来たのは、もう夕焼けが過ぎ去った街頭の明かりが目に入った頃。


「えっ!ウソ、もう夜です!」


「君がすごく笑っていたからね」


まだ拗ねた表情をしているが、私はそれどころじゃなくて「すみません」と立ち上がる。


「ご案内との事でしたのに、もうすぐお店が閉まってしまいます!」


私の声を聞いたマクベスさんは「良いよ」と立ち上がった私の手を取る。


そしてそのままベンチに触らされて、マクベスさんの見ている光景を私も目で追った。


なんて事ない広場の光景なのに、何故かキラキラしているように見える。

仕事終わりに広場に寄る事もあるし、仕事仲間とご飯を食べて帰る事もあった。

それなのに、そのどの時よりもこの時間が綺麗に流れている様だと感じてしまう。


「本当は用事なんて無かったんだよ」


「え?」


「ただ逃げたくて、理由をつけてここに来た。

リストはずっと読んで来たからある程度の地理も分かるけれど、何か理由を付けたくてこの辺りの案内を頼んだんだよ」


「……逃げたくて」


その言葉がすとんと胸に落ちて来た。


私はこの国へ来た時、色々と背負った事から逃げてやって来た。

そう言えばその荷物はどうしてただろうか。


「君も知る通り、僕は幸いにも企業が成功してこう言う立場に居るものの、さっきみたいに囲まれる事が苦手でね。

秘密で来ているからバレないと思ったのに……」


「マクベス様みたいに綺麗な顔をしている人は珍しいですし、王子様だとか関係無く女性達はお声を掛けていたのでは?」


「……おや、そう言えば名前はバレていなかった」


「意外と天然なのですね」


「酷いなあ」


くすくす笑うマクベス様は「まあ、実はね」ともう一つ嘘を紐解いた。


人差し指を立てたその先に視線を誘導されて、気が付けばマクベス様と視線が合う。


「今日君に初めましてって言ったのはウソ」


「え?」


「勤続10年おめでとうって、本来書面くらいだよ。

誰かに直に会ってお祝いをするのなんて、初めて」


首を傾げる私は、頭が付いていかない。


その笑顔の意味も、私は全然思いつきもしなかった。


「10年前に僕と会ってるの、覚えてない?」


悪戯を思い付いた子供の様な表情でそう言われて、私はこの街へ来た理由をうっすら思い出してしまった。

それは私がこの場所で働く事になった理由であり、過去の荷物をどこに置いて来たかを思い出すきっかけになることでもあった。


だんだんと霧が晴れていく思考の中、ずっと逆光で見えなかったあの人の顔を思い出して行く。


印象的な翡翠色の瞳を、私はどうして忘れていたんだろう。


「ねえ、どうして僕が今日ここに来たと思う?」


まだその笑みは消えていない。

私は頭の中の整理を追い付かない事を放棄してその言葉の続きを待った。



「君にとっては突然かもしれないけど、告白しに来たよ。

10年前の君に惚れた、僕と付き合ってくれないか」


手を取って言われたその言葉に、私は昼前に一人で考えていた事への答えを見付けられるだろうかと淡い希望を抱き始めた。

そうしてたっぷりと考えに考え抜いた結果、私はその手を取ってしまうのだった。



きらきらと街灯の光が広場を明るく照らす。

それはある種の始まりの様にも思えたし、なにかの終わりの様でもあった。

ただ蕩けてしまいそうな程に心地良く、私は自分の手が洗い物でささくれだっているのを忘れてその手を握り返すのだ。

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