心の病
なぜ、自分は命を奪う事に抵抗が無いのか。
和也の中から答えは出て来なかった。人とは違うとは子供の頃から感じていた。
小学校の頃、クラスでウサギの飼育当番が始まった。
男女二人で放課後に餌やり、水やり、飼育小屋の掃除をしなければ
ならなかった。
和也の相手の子は欠席がちで学校に来る事が少なかった。
その日は和也一人で当番をした。小さく白いウサギは餌をあげると我先にと集まってきた。和也はこの支配にも似た感覚を楽しんだ。しかし、その日は一匹のウサギが小屋を掃除していた和也の指に噛みついてきた。赤い血が指から流れた。
和也は反逆者は許さなかった。げんこつサイズの石を持つと、そのウサギに何度も投げつけた。やがてウサギの頭はパックリと割れ、中から赤い液体がドロドロと流れ落ちた。
しまった。和也はここまでなるとは考えていなかった。
あきらかにこの死に方は事故ではない。
大人達は何者かに殺されたと判断するだろう。
そして、確実に自分に疑いの目がいく。
どうすれば。
和也の中で何かが閃いた。
このウサギ達を全部殺せばいいんだ、できるだけ残酷に殺して、
子供の犯行と思わせなければいいんだ。
そこから和也はウサギを一匹一匹捕まえて、ハサミで切り刻んだり、素手で首をブチブチと引きちぎったりした。
不思議と和也は命を奪うこの感触を悪くは感じなかった。
翌日、学校は大騒ぎになった。クラスでウサギを可愛がってた子は泣き崩れ、吐いたりする子もいた。すぐに和也への聴取が始まったが、犯行の残虐さと、和也はクラスでは優等生だった事から疑う者は誰もいなかった。
和也は大人は馬鹿だと心から思った。
自分を正義の味方にしたいのか、無理に良い事をしようとする。
結果このように目の前の真実から目を背ける。
こいつらは自分達を年を取れば偉い、働いたら偉いと勘違いする。そして、その自己愛とエゴイズムを他人に押し付ける。
それを教育だと勘違いする。
まさに滑稽だった。大人達は和也に優しい声をかけたが、和也から見たら自分に酔ってるようにしか見えなかった。
和也はウサギ達を殺した時の感触を忘れきれなかった。
カエルや猫、犬を捕まえては大人のいないとこで残虐の限りを尽くした。
父からの虐待はその頃に始まった。
父から虐待を受けると、その憂さ晴らしに動物達を殺した。
中学に上がってもその行為は続いた。
もう和也を止める事が出来る者は誰もいなかった。
しかし、奈津子は違った。
ある日、いつものように家の庭で餌でおびきよせた猫をガスバーナーであぶっていた。
人の気配を感じ横を見ると、塀の上から奈津子がこちらを見ていた。
奈津子は黙って和也を見ていた。その目には涙を浮かべていた。
最悪だった。ただでさえ人に見られたくない行為を奈津子に見られたのだ。
和也は奈津子への密かな恋心はここで終わったと感じた。
しかし、奈津子は塀を乗り越え和也に抱きついた。
和也は一瞬何が起こったのかわからなかった。直後、奈津子は自分を見捨てなかったと分かった。
和也は初めて自分を愛してくれる人がいることを知った。
黒く焦げた猫を二人で庭の穴に埋めた。奈津子はその間も和也の手を握り続けた。
和也は急に涙が溢れてきた。情けなく鼻水を垂らしながら泣き続け、奈津子の事を守り続けようと誓った。
何があっても。
誰もいない暗い音楽室で和也は椅子に座り、目の前の女を見つめた。
情けない女だ、たった足の指三本で気絶するなんて。
和也は立ち上がり、女の首に糸ノコギリをあてた。
あっちで奈津子に詫びろ。
和也が糸ノコギリを引こうとした時、女の手が和也の腕をつかんだ。
そんな、テープで縛っていたはず…
見ると、腕のテープは引きちぎられていた。
この女、自分で…
和也は女に恐怖を抱いた。
女は血走った目で和也を睨んだ。女とは思えない力で和也の腕を振り払った。
和也は体勢を崩し後ろに倒れた。女は椅子に縛られままの足を引きずり、和也の糸ノコギリを奪い取った。
女は仰向けの和也に股がり、和也にノコギリを降り下ろした。和也は降り下ろされるノコギリの刃を両手で掴んだ。
手から血が流れ落ちる。
女は獣の様な息遣いをしていた。
「まさか、あなたが、こんな事をするなんてね。はぁ、はぁ、
あなた、確か、別のクラスの津田君よね。奈津子ちゃんの復讐のつもり?ふふっ。」
和也は女の冷たい笑みを見て、自分と同じ何かを感じた。
この女は命を尊いと思っていない。自分と同じように。
鈴木夏帆を殺した後、和也は夏帆の携帯でこの女を呼び出した。
あの日の事で話したい事がある、と。
女に学校の音楽室で待ってると送って、和也は一足先に音楽室で待ち伏せした。
「夏帆ちゃーん、どこー?」
何も知らない女は音楽室に入ってきた。女は黒い手袋をし、手にはロープが握りしめられていた。
何故、この女はこんな格好を…
和也は疑問に感じたが、時間が無かったので後ろから女を殴って気絶させた。
今となって分かったが、この女は鈴木夏帆を殺す気だったのだ。
だが、一体何故?
和也は刃を握りしめたまま、女を睨んだ。
「何よ、その目は。はぁはぁ、本当にイライラするわ。あんたも藤沢奈津子も。」
和也はまさかと思った
「ええ、そうよ、奈津子ちゃんは私が殺したわ。」
女はあっさりと言った。
和也は一瞬気が緩み、ノコギリの刃が肩に食い込んだ。
和也は肩に流れる激痛で顔をしかめた。
「痛い?ふふっ。肩には色んな神経が詰まってるのよ。」
和也は激痛に耐え、女に聞いた
「なんで、あんた教師だろ。」
雲に隠れていた月が光りを放ち、音楽室の窓から女を照らした。
女の丸眼鏡は月明かりに照らされ、不気味に光った。
奈津子は自殺したその日の夜に警備員に発見された。
その光景はまさに奈津子の人生を表すかのように凄惨だった。
打ちどころが悪かったのか、頭はザクロの実のように赤黒く割れ、手足はあらぬ方向に折れ曲がっていた。首は180度回転して夜空を見上げていた。
白木美穂は次の日にその現場の状態を警察から知らされた。その日は全校生徒は自宅待機になり、30人程の教師達が職員室で警察からの説明を受けていた。美穂は奈津子の担任で部活の顧問だった事もあり、警察からの聴取を個別で受けていた。美穂は聴取中にずっと目にハンカチをあてた。
「いじめの可能性はあると思いますか。」
美穂は一呼吸おいて口を開いた。
「奈津子ちゃんは自己表現が苦手な子で、でも、そんな奈津子ちゃんを夏帆ちゃ…鈴木さん達が優しく接してくれていました。きっと奈津子ちゃんは優しく接してくれる鈴木さん達に申し訳なく、自分を情けないと感じ、思い詰めて、あんな事を。」
女性警官は静かにうなずいた。美穂は、警察もただの自殺だと考えているのだろうと推測した。
ただでさえ藤沢奈津子の両親は問題を抱えていたからだ。
奈津子の両親、特に母親はうつ病を患い、精神病棟に入院していた。父親はそんな妻の介護から心を病み、なんとか仕事をして一人娘の奈津子を養っていた。奈津子の死亡を病院で聞き父親はその場で倒れた事は美穂はあとから知った。
「でも、私の監督不行き届けだったと思います。本当に申し訳ございませんでした。」
美穂は頭が地面に着くぐらい深いお辞儀をした。そして警官に支えられ会議室をあとにした。
美穂は食堂の休憩室で一人座っていた。
それにしても今日は疲れた。明日はクラスに奈津子の事をどう説明しようか。
命を大切にしましょう。いや、これじゃ駄目だ。こんなフレーズじゃ高校生には響かない。
これは、クラスの士気を上げる良い機会だ。
せっかく創り上げたあのクラスを、藤沢奈津子の死に壊される訳にはいかないからだ。
実際、美穂のクラスは他のクラスから羨ましがられる程、理想的なクラスだった。目立たない子には皆が手を差しのべ、クラスでいじめなどはあり得なかった。美穂は吹奏楽部に顔を出す事が少なかった。でも部長は自分のクラスの委員長でもある鈴木夏帆だった為に、部活内でのいじめはあり得ないと思った。
美穂は眼鏡を外し、これからの行動を考えていた。
そんな時、食堂の入り口から人影が近づいてきた。野球部の顧問の江崎先生だ。背が高く、スポーツ刈の似合うハンサムだったので女子生徒からの人気は高かった。そんな江崎と美穂の関係は他の先生にはまだ知られていなかった。
江崎が近づくなり美穂はその胸に飛びこんだ。
しかし、なんと言ってもこの首だ。太く、血管の浮き出た江崎の首は美穂の興奮を掻き立てた。
「大丈夫かい?そんなに思い詰めちゃダメだ。藤沢さんのご両親は精神を病んでいたんだろう?君のせいじゃない。」
美穂は胸に顔をうずくめたまま
「うん、私頑張るわ。」
そう静かに答えた。
二人は数秒見つめ合った後、
そのまま互いの唇に吸い込まれるようにキスをした。
最近美穂が部活に来られなかったのも、このようにに江崎と密会していたからだった。でも、美穂は悪いとは思っていなかった。ましてや、愛の為なら仕方ないと感じていた。
美穂は全てが充実していた。
なのに、あの日の奈津子は美穂の癪に障るくらいイライラした。
「藤沢さん、何をしているの?」
暗い音楽室の中で奈津子は一人グスグスと泣きながら床に座っていた。
美穂はその姿に何故か苛立ちのような感情を感じた。
なんでこの子はいつもか弱いふりをするのか、きっと自分を悲劇のヒロインとでも勘違いしているのだろう。美穂はそう思った。
こみ上げる苛立ちを抑え、美穂は再度、奈津子に聞いた。
「どうしたの、何かあったの?」
奈津子は涙でくしゃくしゃになった顔を美穂に向けた。美穂はその化け物じみた顔に少し軽蔑したが、真剣な顔を無理やり作った。
「私、いじめられてるんです。」
奈津子消えそうな小さい声でそう言った。
でた、いじめだ。いじめという言葉を使えば他人が同情してくれるとでも思ってるのか。この手の子はすぐイジメという言葉を使う。実際にはクラスに馴染めてないだけなのに。
美穂は無言のまま心の中で奈津子を愚弄し続けた。
この子がいるせいで、自分のクラスの子達は変にこの子に気を遣わなければいけなかった。
この子のせいで、この子のせいで
美穂は奈津子の姿から自身の高校の頃を思い出していた。
友達も出来ず常にクラスで浮いていた美穂は、暗い目つきと悪い歯並びのせいで、あだ名はナメクジだった。
靴箱のロッカーを開けると山盛りの塩が置いてあり、教室の机にはナメクジ避けのスプレーが置いてあった。
物が紛失する事なんて日常茶飯事だった。
美穂はある日、我慢出来ず担任の女教師にイジメを告げた。
担任の女教師は、ため息をつきながら
「皆、あなたと仲良くしたいの。あなたがそんな態度を取るから、私のクラスはどんどん雰囲気が悪くなるの。」
と、言った。美穂は、悪いのは不潔な自分自身だと理解した。自分は生きているだけで、他人に迷惑をかけるのだ。美穂はそう自覚した。その後もイジメが止む事は無く、地獄のような高校生活を送った。
美穂は分かっていた。
悪いのは奈津子、邪魔なのは奈津子だと。
これ以上、奈津子のせいでクラスを壊される訳にはいかない。
美穂は奈津子を冷たい目で見つめながら言った。
「奈津子さん、屋上で二人きりで話しましょう。」
美穂は奈津子と共に屋上に行った。
そこから先の事は正直白木はあまり覚えていなかった。
なおもイジメを訴え続ける奈津子に腹が立ち、美穂は奈津子を全力で押して外へ突き出した。奈津子の落ちる瞬間に見せたあの絶望した表情が美穂の頭に焼き付いていた。
「悪いのはあなたよ。藤沢さん。」
美穂は冷たい目で落ちた奈津子を見下ろした。
第四章に続く