第五話 ファンレターとVRMMORPGのリセット
カレンダーにチェックマークが付いた日。今日も俺はVRMMOのRPGワールドに見学に行く。
このワールドの中では、レベル1の俺は貧弱な見習い職に過ぎない。
それでも、歴戦のNPCナナミに出会うことができないというわけではない。数日ごとのギルド戦のあとの、ファンとの交流コーナー。そこをじっと待ち受けて、俺はNPCナナミに接触した。
「病気でゲーム内に来れないファンがいるんだ」そう偽って、俺はNPCナナミにリアルのナナミの写真を渡す。NPCナナミはその写真を見て、私によく似ている。まるで自分自身のようだと喜ぶ。
「もし私がゴーストを持っていたら、リアルではきっとこんな風になるのだろうな」
その台詞に、俺は胸が締め付けられる。
君には本物のゴーストがあるんだ、と、はっきり言えたらどんなに楽だろうか。だが、その言葉を俺が口に出しても、狂人だと思われるばかりで、一切信じてはもらえないだろう。
「君が活躍すると、その女性もまるで自分のことのように嬉しがるんだよ」
俺は遠回しに、NPCナナミの存在を肯定することしかできない。
「そうか。ならばその病気の女性に伝えてくれ。私は君のために常に全力を尽くす、と」
わかった、必ず伝えると約束して、俺はRPGワールドを立ち去る。
カレンダーのチェックマークは、ギルド戦があることを示す記号。俺は写真を片手に、NPCナナミに会うことを、幾度か繰り返した。
だが、リアルのナナミはVRMMOの中のことを全く記憶していなかった。
こんなことをしても無駄かも知れない。そう俺が諦めかけていたとき、ヨーコが声を掛けてきた。ヨーコから声をかけてくる以上、それはもちろん悪いニュースだった。
「VRMMO”RPG”のリセットが近付いてきている」
その言葉の意味を考えて、俺はぞっとする。
「PCの記憶や情報はそのまま残るが、NPCナナミを含むNPC全員が初期化される。おそらくVRMMOに接続すれば、リアルのナナミもその影響を受けるだろう」と言うヨーコ。
それを聞いて、俺は悩み、考え込む。
ヨーコが言うには、ゴースト実装実験後、紆余曲折、波乱万丈を経てようやく発生した不安定な自我。それがリアルのナナミだという。
再び記憶を失い、笑うこともなくなるナナミ。ようやく出合った彼女が、またどこかに行ってしまう。そんな想像をして、漠然とした不安が形を成す。一言でいうなら、俺は恐怖した。ただ怖かった。記憶の消失。それは死別とどこが違うというのだろう。
俺は恐怖に駆り立てられ、一つの無謀な、馬鹿げた計画を思いつく。
もう二度とVRMMOに接続しないで、この街を離れ、どこかでひっそりとリアルのナナミと暮らす。そんなことはおそらく不可能だと分かっていても、俺がナナミにしてやれるのは、それくらいだった。記憶のリセットをぎりぎりまで――あるいは永遠に――引き伸ばすこと。傲慢で身勝手な、子供じみた発想かもしれないが、俺は「駆け落ち」の他に、まったく何の手段も思いつかなかった。