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霊剣歴程  作者: kadochika
第13話:神廟、開く
96/145

03.赤い髪の剣士











 暑気もだいぶ収まった初秋、時刻は午前十時といったところ。

 大内海から大陸中部を目掛けて北西へと走る大河。そこに、黄色い樹冠を頂いた小島が浮かんでいた。

 広い川の両岸には緑色の常緑樹の森が広がっており、互いの差異を際立たせていた。

 緑色の植物は太陽光を受けて光合成することで生命を維持しているが、黄色い植物は魔力線をエネルギーに変える生態を獲得しており、それはまさしく、深緑の森林地帯では迷い込んだ異邦人にも等しい存在だった。

 ただ、その小島の特異さはそれだけではなかった。

 川岸で腰を上げた釣り人が良く観察すると、どうにもその小島は動いているように見えた。錯覚ではなく、後ろに長々と航跡を曳いているのだ。


「……もしかして、あれは……?」


 観光には疎い彼でも、近くの街に寄ったので噂程度は聞いていた。一年に一度、この大きなカフ川を西進する、鎧の魔女が率いる六本足の大地の話を。


「あれがレヴリス・アルジャンの移動都市か!」


 長径(ちょうけい)約9キロメートル、運動標高(うんどうひょうこう)約500メートル。非常に巨大で扁平な岩塊が、妖魔領域の生態系と一つの都市を丸ごと載せて移動しているのだ。手つかずの自然を行く妖魔領域での活動とは異なり、こうしてベルゲ連邦東部までやって来る時は街道や建造物に配慮して、河川を通るとは聞いていた。

 ベルゲ連邦が計画している妖魔領域との同盟強化と、その縦深防御(じゅうしんぼうぎょ)化の計画が進行すれば、いずれは妖魔領域も都市圏の大型化と経済的な結びつきが強まって思うような運行が難しくなるのではないかという意見もある。

 例えば、河川に鉄橋などが架かってしまえば、巨大すぎる移動都市はそこを迂回しなくてはならなくなってくる。

 だが、それは政治家の考える事柄であり、目下の彼の知るところではない。

 釣竿を畳み、何匹か魚の入った籠の口をしっかりと締める。

 全ての道具を片付けると、ブラット・ボスク一等巡視兵は傍らにあった箒にまたがり飛び立った。

 同時に、彼の元からスズメの使い魔が一羽、彼の行き先とは別の何処かを目指してちゅんちゅんと羽ばたいていく。

 眼下を見れば、うろこ雲で覆われた空がカフ川の水面に映っていた。

 水をかき分けてそこを行く移動都市。それが白い波間に浮かぶ伝説の島のようにも思えて、ブラットは柄にもなく、それを美しいと感じるのだった。











 移動都市、ヴィルベルティーレ。

 その出自に関しては謎に包まれているが、現在それを所有しているのは、魔女レヴリス・アルジャンを長とする企業、ハダルである。

 社長であるレヴリスを除けば大半が妖族で構成されているこの企業は、通常は移民事業請負、つまり他の土地へと大規模に移り住もうとする者たちに道中の安全な仮住まいを提供し、必要とあらば道中の障害を切り抜けることに手を貸すまでを事業として成り立っている。

 移動都市の上部表面にはやや小規模ながら区画整理をされた市街があり、周囲には移民たちが旅の間だけ就労可能な社有の施設もある。

 ハダルの構成員自身が使用する社屋や邸宅などもあり、構成員たちも仕事の合間に、移動都市を出て最寄りの街で羽を伸ばすことがあった。

 行く先の街に何かの名物・名所があるとなれば、なおさらである。


「グリュクさん! あれがエイですか!」


 柵から身を乗り出し、水槽に顔を近づけて悲鳴じみた声を上げる女。


「そうみたいですね」


 背の高い、赤い髪をした青年がそれに追いつき、僅かに疲れたように答えた。

 幾何学図形に似た形状をした平たい魚を見て興奮しているのは彼の妻で、名をフェーアという。

 妖族であり、彼女の場合は人間と異なる特徴として、白い産毛に覆われた木の葉のような形状をした大きな両耳が目立った。

 今はそれが興奮にぴこぴこと上下しているが、新婚ゆえの贔屓目もあって、グリュクにはそれが、酷く愛らしく思える。

 しかし、今はそれを優しく咎めた。


「ただ、もう少し声を小さく」

「……すみません」


 大きな水槽の中を泳ぐ魚といったものは初めて見るのだろう、何度目かの注意をされて少々罰悪そうにしながらも、フェーアは水槽の底の方を泳ぐ平たい魚を指して尋ねた。


「あの小さいのもエイですか?」

「あれはヒラメですね」

「グリュクさん、魚もよく知ってますね」

「先の代に、詳しい人がいたんです。生きて泳いでる状態を見るのは俺も初めてですよ」


 二人の目の前には、床下から天井までの高さを占める巨大な水槽。どこまで広いのだろうか、その中を海洋性の魚類や頭足類が泳ぎ回っていた。

 そして背後にも、クラゲや、他の魚と同じ水槽で飼育するのには不適切な種類の海生動物たちが入った小さな水槽が並んでいた。

 また、水槽を眺めているのは二人だけではなかった。

 彼らのような男女の他にも、多数の子供や家族連れ。

 妖族の姿は珍しいのか、時折まだ分別の未熟な赤子などが、母親の腕の中からフェーアの耳を指差して見つめることもあった。

 水槽の間を行きかう無数の人々はほとんどが、普段見ることの無い海の生物の姿に見入っている。

 大陸安全保障同盟の国々でもまだ十箇所しかない、海洋性の動物の飼育展覧所(しいくてんらんじょ)

 即ち水族館と呼ばれる施設に、グリュクは妻を連れてやってきていたのだった。


「ねえ、グリュクさん」

「何ですか?」

「この魚たちって、海から連れて来られたんですよね」

「そのはずですね」


 当然のことなのだろうが教えて欲しい、といった様子で尋ねる妻に、答える。


「私もサメくらいは知ってるつもりですけど、あれって肉食の魚ですよね。他の魚を食べるんですよね?」


 水槽を見つめるフェーアの頭から一メートルほどの高さ、海水とこちらとを隔てる強固な透明樹脂の壁のすぐそばを、巨大なサメが泳ぎ通る。

 体のどこかが妻の危機と勝手に飛び出そうとしたのに内心苦笑しつつ、グリュクはまた答えた。海水中の微小生物(プランクトン)を食べる種もいるので、それを考慮して言葉は選ぶ。


「今通り過ぎた種類に関して言えば、そうですね」

「サメは水槽の中の、他の小さい魚を食べちゃったりしないんでしょうか?」

「他の魚に襲いかからないように、常に十分な餌を与えられている筈ですよ」


 さすがにグリュクの先代たちにも水族館の関係者はいなかったため、彼が語ったのは推測に過ぎない。


「へー……海を見たことは無いですけど、海よりずっと狭いこんな水槽に一緒にいて、他の魚たちはサメが怖くないんでしょうか」


 不思議そうに、彼女は疑問系で結ぶ。

 怖くないとしたら、なぜそう思えるんでしょうね?

 そう言いたいように思えて、喉から声が出かかったその時。


「自分たちが理解できる形で、自身に害が及ばなければ……どんな生き物でも恐怖に慣れて――いや、忘れてしまうものさ。それがどんなに恐ろしいものであってもね」


 聞き覚えある男の声が聞こえて、グリュクはそちらへ顔を向けた。

 先ほどまで二人が見入っていた擬態タコの水槽の前に、癖の強い赤毛の男が立っていた。

 隣には、黒髪をやや長く伸ばしている似たような年恰好の、やはり男が。

 二人とも、グリュクの知り合いだった。

 声をかけてきたのは赤毛のギリオロックの方だ。


「式場で会って以来だな、霊剣使い。移動都市に問い合わせてみたら、こっちにデートに来てるっていうから少し探したよ」


 厳密には彼はもう霊剣の戦士ではないのだが、それを訂正する前に、確認する。


「……移民請負社(ハダル)が俺の居場所を教えたってことは、真剣な用事なんですね」

「レヴリス・アルジャン社長には、もっと偉い連中が話を付けに行ってる。俺と巡視兵殿は、あんたの説得をするように言われてるのさ」


 グリュクは少し、思考した。

 彼自身ならばともかく、レヴリスまでもが、恐らくベルゲ連邦の高位者――どの程度の「偉い連中」なのかは分からないが、少なくとも彼とその企業の力を必要としている可能性は高い――から、何らかの要請を受けているということか。


「そこまで重大な話ですか」


 不安げな表情の妻を案じつつつも、問うと、ギリオロックは少し迷うように周囲を見回した。

 だが、その後ろのブラットが、首を振る。


「大丈夫だ。盗聴してる使い魔はいない」


 赤毛の諜報員は再び周囲を見回すと、静かに告げた。


「大陸戦争がもう一度起きる可能性がある。それを止めるための作戦に、協力して欲しい」











 そろそろ日も傾きかけてきた頃。

 道端で拾ったよれよれの新聞紙を読むふりをしながら、アダは人通りの少ない道を探って歩いていた。

 服装は、屋敷を脱出した時の、私服のままだ。白い長袖のシャツは目立つような気もしたが、原色のものを着ていなかっただけでも良としなければなるまい。


「(……警告放送(けいこくほうそう)も無いんだ)」

(それだけ表沙汰にせずに収めたい筈よ。名士ハトロ・ヒルモア博士の背教容疑だなんて、醜聞(スキャンダル)もいいとこだし)


 普通の重犯罪、つまり人殺しや強盗などについては確認され次第、教会によって街中に”警告放送(けいこくほうそう)”が行われ、行状、姓名、外見の特徴、危険性などが大音量で街中に伝えられる。

 ただ、アダたちの場合は特殊なのか、そうした放送や触れ出しなどは一向に行われなかった。

 昼頃に、「騎士たちの出動に巻き込まれて被害のあった者は申し出を」という内容のものがあっただけだ。

 ここはリァツゴー北東の、低所得区。つまるところ、貧民街(スラム)だ。

 中心部から離れれてこうした所になんとか逃げてくると、町並みに比例して道路の舗装までもが痛んできていた。公共工事の実施の優先度が低いのだ。

 つまり、同じ市内にあってあまり省みられない地区だと言える。

 聖者たちについても、同じようにアダたちのことを省みずにいて欲しいものだが。

 紙芝居の一幕のように覗き穴を開けた新聞――意外と使い勝手が悪かったのでもう使っていない――を握りながらフードを目深にかぶった怪しげな女は、自分の前腕に隠されている短剣に問いかけた。


「(どう?)」

(確実に人の少ない方角に来てる。この調子で行けばもうすぐリァツゴーを出られそう。検問は加速で抜けられるだろうし)

「(……そのあとは?)」

(どこかで情報を集めたい。"両の目"って何なのか、とか。日が沈んだら、坊ちゃんを連れて町を出ましょう。ただ……)


 短剣が台詞に置いた間で、アダは宿に残して来たヴィットリオへの心配を思い出した。

 擬人体となってからもアダはヒルモア家から被験者として報酬を得ており、彼女は一部を私用で使うために懐に入れておいたのだ。

 ヴィットリオを隠して脱出路を探るために、宿を借りる。たった一泊分でほとんど尽きてしまったが、それが役立った。


(坊っちゃんの体力が心配よね……脱出路の下調べが済んだら水や食べ物を調達しないと。最悪盗みもするかも)

「(背教容疑で襲われて、今度は泥棒……何でこんなことに……)」

(今は我慢よ。――!?)


 短剣が、何かを感じ取って震えた。

 頭の中に語りかけて来こそすれ、本来無生物の短剣がそのように振動するはずがない。

しかしそのような衝撃を感じ取って、アダは何を思ったか、大きく前方に跳躍して通りに飛び出した。

 そして一瞬前まで彼女が立っていた場所に、不気味なほど明るい空色の何かが、飛沫をあげて叩きつけられた。


「!?」

(接着剤弾!)


 狼狽えつつも立ち止まらずに、アダは錯綜する街路を駆け抜ける。

 その後を追って、水色の粘液は高速で民家の壁や、痛んだ舗装へと撒き散らされ続けた。

 屋敷を襲った重装の騎士達が使っていた武器だ。

 発見され、追いつかれたのだ。

 近隣の住民が異変に気付いて次々に顔を出し、そして順次、状況を目の当たりにして混乱を始める。


「(坊っちゃんは!?)」

(空中から撃たれてる! 今は切り抜けることを考えて!)


 同じ体格の人間の二倍の重量を持つアダが、人間に数倍する速度で狭い貧民街の路地を走ると、それだけで土埃が舞い、砂利や小石が散弾のように飛散した。

 空からなおも降り注ぐ水色の粘着弾の雨から、彼女は狩られる獣のように逃げる。

 だが、滞空してそこに接着剤弾を浴びせかけていた聖別鎧騎士は、次の瞬間近くを飛んでいたもう一人の仲間が大きくバランスを崩して墜落したのを見て驚いた。

 貧民街から矢のように一直線に飛び出して来た、古い材木。その直撃を受けたのだ。

 二の舞いを避けるべく慌てて回避機動を取ろうとするも遅く、彼も同様に長さ三メートルの、太ももほどの太さの材木の直撃を受けて墜落した。


「もう一丁!」


擬人体の圧倒的な起重力で投擲される材木が、またも聖別鎧騎士を直撃してごわりと低く金属音を立てた。

 彼女はそのまま落ちて来た騎士の脚を両手で掴み、振り回して接着剤溜まりに叩きつける。

すると、アダの腕の内部の短剣が告げた。


(あの聖女が近くにいないかどうか、警戒して!)

「そんなの分かんないってば!? 坊っちゃんのいる宿は!?」

(あっち!)


 教えられて見た方角に、重装の騎士の姿がちらと見えた。

 そちらから鋭い射線を描いて発射された接着剤弾を、辛くも回避。

 そう。弾が飛んで来たのは、ヴィットリオのいる宿のある方角から。


「まさか、坊っちゃん!?」


 機械でできているはずの自分の体温が、急激に大きく下がった気がしたのは錯覚か。

 既に彼女が守るべき少年は、追手の虜となっていてもおかしくはない状況だ。

 加速して、飛び出す。

 だが、焦燥が知覚に隙を生んでいた。


(上!)

「え――」


 激しい衝撃。

 次の瞬間には、アダはひびだらけの路面へと叩きつけられ、這いつくばっていた。

 そしてそのまま背中に加えられる、衝撃。

 生身の頃の彼女であったなら脊髄をたやすく蹴り砕いて内臓まで踏み潰していたであろう威力に、擬人体のアダも呻いた。


「うぅ――!?」

「確保」


 冷ややかな女の声と共に、両足に強烈な感覚が走った。

 擬人体となってしまったアダには厳密には苦痛と呼べる感覚はないが、擬人体中枢の演算機関にとって好ましくない信号が大量に送られる。

 人間で言えば激痛に相当するそれは、アダの表情を苦悶に歪ませた。

 何とか立ち上がるべく足をよじろうとするが、それによって体に跳ね返ってくる反動が無い。


(りょ、両足がバッサリやられちゃってるよ……)


 うつ伏せに倒されたせいで限定された視界ではそれは確認出来なかったが、アダはまたも、戦慄した。

 だが、そんな彼女のこめかみに向かって、銃口が容赦なく突きつけられる。


「アダ・オクトーバ。あなたを回収し、違法な人格移植を行われた擬人体を初期化します。抵抗は無意味です」


 視線だけを動かして声のする方を睨むと、見覚えも新しい、後頭部へと編み上げまとめた赤い髪。ヒルモア邸の地下で彼女たちを襲った聖女だった。

 アダの腕の中から短剣が叫ぶ。


(何とか会話して、隙を作って!)

「情報通り、腕に啓蒙者の認可の無い改造を施しているようですね。しかもあなたとは別個に独立し、言語化された思考のやり取りを行っている」

(――!?)

「(この子の声が聞こえるの……!?)」

「ついでに言えば、あなたの内心の声も、その腕の無認可(むにんか)改造(かいぞう)箇所(かしょ)を通して断片的ながら伝わってきます。内緒話は避けた方が懸命ですよ」

「……!!」


 どこまで遠くから聞こえていたのかは分からない。あまり遠くにいても聞こえるとは思いたくなかったが、会話が筒抜けだった可能性を考えると、アダは悔やしさで震えた。

 短剣の方も、同様らしい。

 何とか体勢を起こそうとするが、再度加速して挽回しようにも、両足が膝より上で切断されていては無理な相談だ。

 いや、それよりも。


「誰か――」


 誰か、坊っちゃんを。

 アダは痛切に願った。

 私のために泣いてくれた少年を、誰でもいいから、助けて。

 だが、今この場所で、彼を助けられる者はいない。

 アダはもはや立ち上がれず、短剣も無力だ。

 ヴィットリオは捕らえられ、父親の背教容疑について、過酷な尋問を受けるだろう。

 そして、悔しさのあまりに機械の脳がありえない幻を見たのか、彼女の視界から聖女が消えた。


「え――?」


 背中を踏みつける聖女の鋼鉄の軍靴の感触も、消えていた。

 不思議さに周囲を見回しながら状態を起こすと、アダと聖女との間を何かが遮っている。


「(……人間?)」


 光沢の一切ない灰色の一枚布で全身を覆っている、誰か。

 丈はやや高い方か、こちらには背を向けているが、男のように思えた。

 羽織った灰色の布越しに見て取れる態勢からは、アダを庇って聖女に相対しているようにも見える。体当たりだか、飛び蹴りだかをして、彼女を踏みつけていた聖女を退けたのか。

 予想外の事だったのか、前腕の中から短剣が驚いているのが分かる。


(私たちを……助けてくれた?)

「あなたは……!」


 そう聞こえた声は、男の声だった。アダたちに話しかけたのではなく、聖女に向かって問いかけているらしい。

 だが、赤い髪の聖女は変わらず冷淡に、


「汚染種ですね。始原者(しげんしゃ)の祝福を受けし啓発教義連合けいはつきょうぎれんごうの領土を汚染した罪を償いなさい」


 そして跳躍。


「く!」


 抜剣した赤い稲妻が灰色の男に向かって飛びかかり、そして甲高い金属音。

 動けないアダは、何とかその場を離れようと這いずりながら、男の剣に一撃を弾かれた聖女がその背中を飾る機械の翼から懸架されていた銃を取り出し、男に向けるまでを見ているしかなかった。


「(撃たれる!?)」

(まも)(たま)え!!」


 アダの脳裏をよぎる不思議な感覚と共に、爆音と大量の火花が貧民街の路地に散った。

 無意識に視界の明度を下げて――擬人体の機能の一つだ――観察すると、男は一切傷つくことなく、虚空で発生した大量の火花を目を細めて睨んでいる。

 その前方に透明な壁が生まれて、連射された弾丸を弾いたのか?


「(秘蹟!?)」


 その現象は、啓蒙者や聖女、そして選ばれたごく一部の騎士しか扱えないという超常の力に似ていた。アダ自身は、一度も見たことがなかったが。

 彼女があっけに取られている間に、灰色の男から更に、脳に直接響くような波動が広がる。


(おお)い給え!」


 男を中心に爆発するように煙が広がり、それはあっという間に濃霧となって周囲を覆い隠した。


「旋風よ!」


 しかし、聖女はすぐさま秘蹟で渦巻く強風を発生させてそれを薙ぎはらう。

 だが、擬人体であるアダでさえも吹き飛ばされかねない風圧の小さな竜巻――両足を切断されているので、実際には成人男子と同程度の重量しかなかったが――にもかかわらず、煙は霧散しない。

 それどころか、煙は何やら聖女の周囲を渦巻いたまま、バチバチと小さな稲妻が発生しているようにも見えた。


(つんざ)け!」


 次の瞬間、大音響と共に聖女が輝いた。

 男が放った霧が、聖女の竜巻にも吹き飛ばされることなく圏状に渦巻き、そこから彼女に向かって雷を放ったのだ。

 アダが呆気にとられている間に、男は彼女にそそくさと近寄り、切断された両足を見て呻く。


「……!」


 工業用の鋼鉄の数百倍の強靭さを持つ非晶質化(アモルファス)(こう)マンガン鋼の大腿骨は銀白色の断面も滑らかに切断されており、更に筋肉と同じ働きをする駆動繊維束(マニュファイバー)、稼働に必要な様々な液体を循環させるための血管状の機器などまでもが、異様な切り口をさらけ出していた。


「あ……」


 見られたくないものを見られてしまったという彼女の気持ちを見て取ったか、男は頭を覆っていた灰色の布を後ろに追いやって、アダの目を見る。

 随分と若い。何より印象に残ったのは、今そこで雷に打たれた聖女とそっくり同じ色の、赤い髪。


「(もしかして……姉弟か何かの関係なのかな)」

「ごめん、今応急処置をする……癒やし給え!」


 彼女の憶測を知ってか知らずか、彼は切断されたアダの足からスラックスの切れ端を排除しつつ、太ももの断面へと押し付けた。

 そして再び、不可思議な力を行使する。

 切断されていた各種の機械が結合を始め、アダの脳裏にも足が動くようになったという情報が、直感じみて届けられた。

 驚くべきことに、彼女の両足は十秒と経たずに元通りになっていた。

 履いていたスラックスは太腿までの長さになってしまったが、多少の違和感こそあれど、しかし難なく自重(じじゅう)を支えて立ち上がることが出来る。


「あ……ありがとうございま――」

「護り給え!」


 礼を言い終える前に赤い髪の男は再び叫び、今度は直後に連続した爆音がアダの機械化された耳を打った。唱えられた言葉と共に、先ほど同様に彼の前方には透明で強固な壁が出現し、聖女の銃撃を遮っているのだ。

 銃口から吐き出される巨大な噴射炎の向こうで、聖女が空いた手にもう一つの武器を構えるのが見えた。

 嫌な予感を覚えて反射的に聴覚の感度を下げたアダの耳に、更に大きな轟音、そして視界には爆煙が広がった。

 何が起こっているのか把握する前に、赤い髪の男がどこに隠していたのか右手に長剣を握り、アダを睨みつけながら構え、斬りつける!


「(うそ!?)」


 その一撃は、いつの間にかアダの後ろから振り下ろされようとしていた聖女の剣を、力強く受け止めていた。

 聖女は煙幕か何かを張って、常軌を逸した速度で彼の背後に回りこんでいたのだ。

 そして、男はまたもアダを守ってくれた。

 秘蹟のような力と、剣を扱うこの青年は、ならば、騎士なのか。

 彼は再び剣を振るって聖女の次撃を再び弾き、そこに繰り出される装甲をまとった蹴り足を回避、そのまま聖女の懐へと踏み込んで銃口の照準を外し、一旦剣を上空に放る。

 聖女の意識を一瞬だけそちらにそらし、銃を保持した聖女の右腕を両手で掴み、背負うような体勢に持ち込んだまま一旦腰を落とし、そして即座に跳ね上げる。

 掴まれた腕が支点になって、彼の下半身が跳躍する勢いで聖女は放物線を描いて投げ飛ばされた。騎士は落ちてきた自分の剣を見事に掴み取り、構える。

 だが聖女は空中で逆さまになりながらも銃を構え、そこに向かって弾丸を連射した。


「護り給えッ!」


 やはりそれを透明の防壁で防ぐ、彼。

 だがさすがにその表情には焦りが浮かんでおり、誰かを呼んで、叫んだ。


「カイツ、まだかっ!」


 その呼び声に答えたか、彼の前方の路面で舗装が砕け、隆起する。

 土埃を巻き上げて、何か尖ったものが上昇してきた。そしてそれは瞬時に、何か真っ青なものに代わり、続いて今度はそこから激しい閃光が(ほとばし)り出て空中の聖女を飲み込んでしまった。


「待たせたな!」


 それはよく見れば、ひどく細身の青い全身鎧を着ている男らしかった。中の人間は骨と皮だけのような体型に違いないと思えたが、赤い髪の青年の味方ならば、彼も騎士か。騎士が、二人。

 だがもはやアダにも手の内部の短剣にも、何が起こっているのか全く理解が出来ない。

 赤い髪の騎士が、青く細い鎧の騎士に早口で尋ねる。


「男の子は!」

「無事に回収した! あとはこのロボ子ちゃんだけだろ、撤収!」

「え、ちょっと待ってくださ……ロボ――撤収って!」

(うつ)し給え!」


 赤い髪の騎士が、また何ごとかを発して秘蹟を使う。

 ”男の子”というのが彼女の守るべきヴィットリオであるということに思い至った時には、既に目の前の光景が一変していた。

 その後に残されたのは、弾痕と瓦礫の広がる貧民街と、恐る恐る戦闘の様子を見にやって来た少数の野次馬、そしてその視線を集める無傷の聖女だけ。

 聖女は感情のこもらない吐息を一掃すると背中の機械の翼を展開し、港の方へと飛び立っていった。

 残存していた一部の重装騎士たちが戦闘不能になった味方の救助を続けている間に、ようやく音声による放送が行われた。

 すでに広報連絡用の小型飛翔宣教機が数十台、リァツゴー市の上空を遊弋(ゆうよく)している。


『これは最初の御方の御名の元にお送りする警告放送です。

 これは最初の御方の御名の元にお送りする警告放送です。

 信徒の皆様、ただいま十六時二十五分ごろ、当市内の複数箇所にて浄化措置が行われました。余波で怪我をした方の治療、破損した物品の補償などは、最寄りの教会に向かうか、信徒回線受付までご連絡ください。

 繰り返します。

 これは最初の御方の御名の元にお送りする警告放送です。

 これは最初の御方の御名の元にお送りする警告放送です――』











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