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霊剣歴程  作者: kadochika
第13話:神廟、開く
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01.復活の乙女











 背教者(はいきょうしゃ)には鐘の音と歌、そして正義の鉄槌を。


――聖典より抜粋。











 施設に充満している、がやがやとしてはいても静かな空気。

 それを微笑ましくも破壊しながら、小さな足音がばたばたと二つ、展示物を見て回る人々の間をすり抜けてゆく。

 姿の一つは、まだ年端もゆかぬ黒髪の少女。


「坊っちゃん! 司祭さまたちの施設で走ってはいけません!」


 普段はメイド見習いとして子供用のメイド服を着ているが、今日は特別に、礼服を着ていた。

 もう一人は、彼女の雇い主である男の息子。


「アダには分からないのか! 僕たちは今、とにかくすごい物を見てるんだぞ!」


 名を、ヴィットリオ・ヒルモア。

 父親に理学教育を受けているとはいえ、こうして人を困らせる年相応の振る舞いをしてしまう子供だ。

 内覧者でやや人の密度は高いが、それでもうるさくはない館内。

 そこにところ狭しと陳列された、超科学技術の結晶の数々。

 ヴィットリオは、それを見まわる栄光に俗したごく僅かな人間のうちの一人になったのだ。

 その興奮たるや、いくらアダが止めたところで、止まってやれはしない。

 彼らが駆け回っているのは、消音性能の高い啓蒙者(けいもうしゃ)技術によって作られた床材の上だ。

 人類でも天然の高級素材を使えば同じような物は作れなくはないが、彼の家の最上級の絹糸の絨毯とは違って火種を落としても燃えず、石綿のように微細な粉塵が人体に害を与えるわけでもない。

 季節は夏の真っ盛りだというのに館内は涼しく、空調機器に関しても進んだ技術の裏付けを感じられた。

 こうした建物の要素一つをとってみても、啓蒙者種族は人間の百年先を進んでいる。百年経っても、追いつけるかどうか。

 父も、彼らを案内する啓蒙者の司祭も、寛容なものだ。子供の特権を無自覚に行使しながら、ヴィットリオはアダを伴ってとある機械の前に立ち止まった。


「アダ、見なよ。擬人だ」

「ぎじん、ですか?」


 二人の目の前には、人間の男女を模した二つの物体が置かれていた。

 金属製の支柱で保持されながらも、展示解説文の掲げられた柱の側に共に佇み、下方からの照明に照らされている。


「人間を模す機械だよ、展示用だから顔の造作とあそこは省いてるけど、そっくりだろ?」

「……何だか気持ち悪いです」

「分からないやつだな君も! これはそもそも、えーと……その」


 化学、工学、解剖学など、数多くの分野に渡る膨大で深甚(しんじん)かつ玄妙(げんみょう)な知識と技術を、三次元の織物のように精緻に編みあげた、科学の芸術の一つなのだ。

 だが、どうにもヴィットリオの生半可な知識では、その意義を伝えられそうにない。


「その中に、死者の魂を収めるのです」


 彼らの案内役である啓蒙者の司祭が、ヴィットリオの言葉の不足を補おうと追い付いてきてくれたらしい。


「死とは少なくとも、”|最初《さいしょ》の御方(おんかた)”の(うしな)われた現代においては損失です。豊富な経験と実績を持った”歩く人々”が、戦闘や事故、疾病で亡くなることは、啓発教義を信じる人々すべての痛手。最初の御方もそれは望まれてはおりませんから、最後の審判のその日に、汚染を免れた全ての良き死者を復活させるのですが……」

「でも、最初の御方の再臨の時期はまだ……不明ですよね?」


 啓発教義に詳しいアダが――ヴィットリオは興味が無かったが、アダがそうした部分に熱心なのである程度のことは知っていた――そう反駁する。

 ヴィットリオの記憶では、”最初の御方の再臨”というものは既に確固として予定されてはいるのだが、その日がいつだと特定する技術は啓蒙者にもないのだと、胡散臭いことを言っていた。

 司祭は優しく微笑んで、メイド見習いの疑問に答える。


「ですから、それまでは人々の魂に天の国へ行くのを我慢してもらって、今一度現世で働いてもらう。これはそのための装置なのです」

「じゃあ、もし父様(とうさま)が死んでも、父様と同じタイプの擬人の体を用意して、父様の魂を入れると――?」

「縁起でもないことを言うな、ヴィットリオ!」


 追い付いてきた彼の父が、少々青ざめてたしなめてくる。


「はい。ヒルモア博士とその頭脳はスウィフトガルド王国の、ひいては啓発(けいはつ)教義(きょうぎ)連合(れんごう)の財産ですから、今回解禁されるこの擬人技術の適用対象となりえます。擬人化体に魂を写したあとの人権の移行に関する法整備も進行中ですよ」

「司祭さま、ちょっとそれは……」


 はきはきと答える有翼の司祭に、父は普段のいかめしい調子を崩されて弱っているようだった。

 だがヴィットリオは説明された擬人の概要に、思わず手を叩く。


「父さまのお葬式に出なくて済むんだね!」

「どういう意味だそれは、ヴィットリオ!」

「と、父さまが死なないでくれるなら嬉しいってだけだよ!?」

「お二人とも、司祭さまの施設であまり大きな声は……」


 機械工学博士ハトロ・ヒルモアとその息子ヴィットリオ、そして彼のわがままで連れてきたメイド見習いのアダ。

 ごく一部、教会の高位職やある程度の政治的な権力さえ持った技術担当官などだけを招待した、近いうちに解禁されるという次世代の啓蒙者技術の極秘の展覧のはずだが、そこだけは、妙に砕けた空気が漂っているのだった。











 それから数日が経った。

 父の言いつけに反してアダを連れ出し、ヴィットリオは人気(ひとけ)のない教会までやってきていた。

 元々は大戦でこの地方が奪還される前、魔女たちが地母神やら炎の魔女やらを崇めるために作った礼拝所を改築したものらしく、その後啓蒙者が正式に建立(こんりゅう)した教会へと人も資材も流れた。

 今ではただ一つ、老朽化しすぎて移転されずに残された、最初の御方だとかいう神の擬人化された像――人間向けに擬人化しており、神聖啓発教義領(ミレオム)本土ではかなり不気味な姿をしているらしい――が、二人を見下ろしていた。


「坊っちゃん、こんなところで何のご用ですか?」


 蜘蛛の巣で布を張ったようになった天井の隅を見上げながら、彼女、アダが尋ねる。

 彼よりもやや背が高く、落ち着きもあって同じ十二歳とは思えない。

 彼女の母のレーダは子供であるヴィットリオの目から見てもなかなかの美人で、屋敷勤めの男たちの中には、その娘であるアダの将来性についての下品な話題を楽しむ者たちもいた。

 自分はあいつらとは違う。ヴィットリオはそう思っていた。

 彼女が仕える主の息子であるという権力を使って潰れた教会に連れ出している時点で大した差はないのだが、とにかく、彼は真剣だった。


「アダ、君は将来のこと……考えてるか?」

「……将来、ですか?」

「その……あるだろ。勉強がしたいとか、親孝行がしたいとか……他にも」


 言いつつも、我ながら何と勿体ぶった枕詞だと思う。

 要は、将来のことなら自分の妻になれば心配はいらないのだぞ、という意味でしかないのだから。


「僕も、その……考えてはいるんだ。だから……」

「……?」


 なかなか核心部分を切り出せずにいる彼を見て、アダが首を傾げる。その表情は、やや不安げにも見えた。

 だが、それがすぐに恐怖とも取れる驚愕に変わる。


「アダ?」


 彼女の名前を発したところで、ヴィットリオは強烈な力で後ろから持ち上げられた。


「うわぁ!?」

「坊っちゃん!」

「騒ぐな……!」


 彼の悲鳴も、アダの悲鳴も押しのけるような声が、耳の後ろから聞こえた。

 人間を前に、姿勢を低くして警戒する野犬のそれを思わせる、低い唸り声。


「お前……羽根繕(はねづくろ)いの子か」


 男だ。ヴィットリオは大人の男に、後ろから羽交い締めにして持ち上げられているのだ。

 金持ちを蔑んで言うその呼び名を聞かずとも、敵意は明らかだった。


「メイドちゃんよ、このおぼっちゃまの名前、何てんだ?」

「……!」


 狼藉者の顔は見えないが、アダの動揺する表情はひどく印象に残った。

 名前を知られれば、彼の家へと身代金の要求が届くのかも知れない。

 下手をすれば、彼やアダの指の一本も添えて。

 大人たちが近寄るなと言っていた理由がようやく、痛みと共に肌で理解できた。口説くつもりでとんでもないところに連れてきてしまっていたのだ。

 男なら、ハトロ・ヒルモアの息子なら、ここで何とかしてアダに逃げるよう告げるのが、在り方というものだ。

 だが、実際にはそんな勇ましい台詞は出てこなかった。


「あ、アダ……たす、け、て……」

「黙ってろ……!」


 首筋に力が加わる。彼の十二年の生涯の中で、誰かに首を絞められたことなど一度もない。

 だから、自分の首の中の空気の通り道が圧迫されて行く感覚が不思議だった。強まる奇妙さと共に、意識が薄れていくような気がする。

 アダが彼女自身の頭髪から髪飾りを――護身用に片方の先端が尖っている――抜いて、それを握ったままヴィットリオに向かって走りだす。

 彼が覚えていたのは、そこまでだった。










 その日、一人の娘が死んだ。

 教会跡に潜んでいた強盗たちから主人の息子を救うために抗って、敵うはずもなく死んだのだ。

 彼らを追跡・監視していたヒルモア家の私兵たちが態勢を整えて強盗たちを包囲撃滅するのが、ほんの少しだけ間に合わなかった。

 ヴィットリオが彼女に助けを求めなければ、アダは強盗に飛びかかることもなく、間もなく彼らは排除されていたのだ。

 二人とも無事に、帰れるはずだったのだ。

 彼が屋敷の人間から聞き出せた情報から導き出したのは、そうした事実だった。


「僕のせいで……アダ……!」


 ヒルモア家には父であるハトロに協力する技術者や、邸宅や施設の維持のために勤務しているメイドなどがいた。

 彼らのために、常勤の医師のいる医務室までがあるのだ。

 そこに回収されて白い布を被せられた彼女の遺体の載った寝台に(すが)り付いて、ヴィットリオは泣いていた。

 アダの母親も、メイドとして彼の屋敷に勤めていた。彼女に何と言えばいいのか?

 僕がアダを口説こうと危ない場所へ連れ出したせいで、僕はそこに隠れていた悪人に人質に取られました。彼女は助けを求める僕を見捨てず、助けが来るまえに無茶をして殺されました。僕は助かりました。ごめんなさい。

 愚劣の限りだが、ありのままを話すしかない。


「ヴィットリオ」

「父様……」


 背後から聞こえた父親の声に、涙でふやけた目元も拭わず振り向く。そこにはアダの母親までもがいた。


「レーダ! ぼ、僕……!」

「坊っちゃん……」

「ごめんなさい……! 僕のせいで……アダが……!!」


 喉が詰まり、舌がもつれる。

 自分のせいでアダが死んだ、その事実さえ最後まで言葉に出来ない臆病な自分に腹が立つ。しかし、レーダの哀れむような視線になんとかそれを絞り出さねばと、喉元でもがいた。

 だが、幸か不幸か、ハトロが先に口を開いた。


「ヴィットリオ、アダの亡骸を移動させる。手伝いなさい」

「……? はい……」


 よく分からないが、アダの遺体とヴィットリオが屋敷に戻ってまだ三時間と経っていない。

 父もそれなりに忙しいはずだが、もう葬儀の手配を整えてくれたのだろうか?

 ヴィットリオは、とにかくアダの遺体に縋り付いて泣いていてはいけない気がして、遅ばせながらに涙をハンカチで拭った。








 王国有数の工学博士にして技術者であるハトロ・ヒルモアの邸宅は広い。

 啓蒙者から与えられた技術を最もよく知り、その普及と推進――もっとも、啓蒙者に許された範囲を逸脱しないという条件はついている――に貢献し続けている者と認められているのだ。

 それに必要な設備と要員を維持するためとして、彼は王国の技術者としては希な規模の邸宅の所有が許されていた。

 その殆どが実験設備とその稼働を維持するための部品生産工場になってはいたが、内部を見たことのない者には、啓蒙者に取り入って建てた羽根繕(はねづくろい)――啓蒙者の翼の手入れをするものという蔑称――御殿などと呼ばれることもある。

 その地下室のとある一角で、人類史上最初の試みが行われようとしていた。

 大きな一枚ガラスの向こうには、分厚い圧延鋼板で上下と四方を囲まれた殺風景な部屋。例外は、その中央に置かれた寝台のようなものだった。配線が無数に結びつけられており、その上には何かが置かれていた。

 いや、横たえられているとした方が適切か。

 ガラス窓まで駆け寄って初めて、彼はそれが何かを知った。

 禿頭の女の形状をした、人工の物体。


「父様、これは……擬人……?」

「そうだ。お前なら、これを何に使うのか、もう察しているかも知れないな」


 そう促されて、彼の小さな背筋に衝撃が走った。


「まさか……アダの魂をこの擬人に移そうっての!?」

「先ほど許可が下りた。啓蒙者の技術でも、死後数時間が経過した人間を蘇生することは出来ない」

「で、でも……!」


 ガラスの向こうの擬人体と、後ろで遺体収容袋に入れられたアダの亡骸を見比べながら、言い淀む。

 アダの魂を移すには、あの擬人は大人の形状でありすぎはしないか?


「まだ擬人体は試験段階の技術なんだぞ。アダの生前の肉体と同じ寸法の小さなものを用意している時間はないし、擬人体は成長しないから将来的には困ったことになる。大丈夫だ、彼女もわかってくれる」

「…………!」


 その逡巡(しゅんじゅん)を肯定の沈黙と取ったか、ハトロと彼の部下たちはスイッチを押してガラス窓の脇の扉を開き、アダの遺体を運び始めた。葬衣を着せられた少女の亡骸が、まるで出し物の人形か何かのように担がれてゆく。

 そして、彼が傍で見ていることしか出来ない間に、父とスタッフたちは次々と準備を進めていった。

大掛かりな機械の台に横たわるアダの頭部に、何やら物々しい機材が取り付けられ、完全に覆い隠してしまう。そこから延びた大量の配線は、擬人体へと繋がっていた。

 そして、彼がここへ来てから小一時間ほどが過ぎただろうか、父とその部下たちが自分たちで定めた配置に就いたようで、遂に、彼が号令をかける。


結線(けっせん)配置、走査、複写開始」


 誰かがかちりとスイッチを押す音が聞こえて、直後、大きな耳鳴りに似た音が鳴り始めた。


「な、何の音……?」

「……アダの脳の神経の配置と、繋がりの全てを読み取っているんだ」

「読み取るって、脳の立体構造を……?  そんなことしたら!?」


 紙などの平面を撮影して電子的に記録するのとは違い、擬人体へと魂――つまり人格を写すには、医療用の断層撮影とは比べ物にならない詳細な脳の神経マップが不可欠だ。それを元に、擬人体の神経を構成し、人格の走る基板とする。

 そして、それにはまず、強い粒子線を浸透させるように対象に浴びせる必要があった。

 問題は、そんな強烈な粒子線には人体を構成するどんな細胞も耐えられないという点だ。

 荷電粒子線(ビーム)兵器に近い強度の粒子線を使用するため、立体的なデータは確実かつ完全に取得可能だ。しかし代わりに、オリジナルの脳は粒子線で完全に焼灼(しょうしゃく)、破壊されてしまう。

 原理上不老の擬人体に人間の魂を移すという行為は、元の肉体を破壊する一方通行の切符なのだ。


「やめて、父様! やめて!!」

「どの道アダは死んでいるんだ! 彼女の人格をこの世に呼び戻そうと思うなら、これしか手段はない!」


 ヴィットリオは叫ぶが、父たちは動かない。

これではまるで、狂気ではないか!

 彼らは何者かに魂を奪われた――もしくは、売り渡したかのように、二つの寝台の上のアダの遺体とその人格を移し替えられようとしている擬人体を見つめている。

 機械の中で強烈な粒子線による構造走査(スキャン)を受けて破壊されてゆく、アダの遺体の脳細胞。もちろん肉眼では機械に覆われた彼女の頭が見えるわけではないが、隙間から僅かに漏れ出る輻射光(ふくしゃこう)でそれは容易に想像できた。

 擬人体の方は、この場で起きている恐ろしい企てとは無縁であるかのように、静かに横たわったままだ。

 推測できる理屈としては、遺体と擬人体とを繋ぐ無数の配線を通してアダの脳神経の結節分布を再現しているのだろうが、実際のところは判らない。


「複写率、九十、九十一、九十二……」


 誰かが読み上げる声で、作業の終了が近いのだと分かる。

 ただそれも、正しく彼女の脳の神経分布を移し取れているのかどうか。

 ヴィットリオは、もはや祈っていた。最初の御方とかいうあやふやな存在に対してではない。

 アダを返してくれる何らかの存在がいるという仮定の上で、それに向かって。


「九十九……完了!」

「複写作業終了!」

「被検体と機材の状況を確認しろ!」


 恐ろしい実験が終わったのだ。

 後ろにあった時計を見れば、二十分と経っていなかった。

 掛け声と共に父やその部下たちが動き始め、ガラスで隔てられた向こうの空間へ扉をくぐってゆく。


「父さま……どうなったの」

「まだ分からないな。各部の点検が終わり次第、擬人体の起動試験を開始する。それで、アダの魂が擬人体に移ったかどうかが――」


 父が全てを言い終える前に、ガラスの向こうから悲鳴が上がった。


「は、博士! 擬人体が!!」


 見れば、どよめき散らばる研究員たちの輪の中心で、禿頭の女の形をした物体が、配線まみれの寝台から起き上がろうとしていた。


「……!?」


 ヴィットリオが一瞬感じたのは戦慄。

 だがすぐに、それとは異なる何かを感じ取り、彼はスイッチを押して扉を開け、その擬人へと近づいて行った。


『ゔぉ……ぼ……』

「……アダなのかい?」


 腰まで起き上がり、ぎこちなく足を床に下ろそうとするその疑似的な女へと、ヴィットリオは尋ねた。


『ぼっちゃ……ゔぃ、ヴィットリ、お……さま……』


 はきはきとした生前の彼女の声とは似ても似つかない、かすれたような合成音声だ。

 だが、ヴィットリオには分かった。


「アダ、僕が分かるの……?」

『ワカ、りま、ス……ゴブ……じで、ヨカ、た!』

「アダ……!」


 造作や声どころか、体の大きさまでもが違う。

 だが、それは彼の好きなアダに、間違いなかった。

 生前の彼女とは何もかもが違う人工の人型機械に走り寄り、手を取る。ひんやりとしてはいるが、高度な技術で作られた人工皮膚は人間の肌同様の柔らかさを備えていた。


「アダ……ごめん、ごめん……! 君に謝りたかった……君のこと……」

「アダ、私から説明しよう。そのままで悪いが、手短に済ませる。私の声は聞き取れるね?」

『はイ、ダんなサマ』


 いつの間にか近くに来ていたハトロが、ヴィットリオに代わって、アダに彼女の置かれた状況を説明した。


『デは、わタシのかラダは……』

「すまん。君の人格を取り出して機械に移すのが、精一杯だった」


 アダは、隣の寝台に置かれた生前の自分の体の成れの果てを眺めながら、少し悲しそうな表情を作った。


「飲みたまえ。君の身体は元のそれ同様、水と食物とを摂取してエネルギーに変える能力を持っている」


 父が水を注いだコップを渡すと、彼女は一気にそれを飲み干し、息をつく。


「ごちソウさまデシた」

「アダ……」

『ボッちゃマ……オねがイガありマス』


 擬人体が、その右手を己の首筋に当てた。何かを言おうとする時の、アダの仕草。この取り返しのつかない状況が夢で無いことにますます確信を持ってしまい、ヴィットリオは泣くようにその先を促した。


「何? 何でも言ってよ!」

『ワたしノシたい……イッしょニホうむッテくだサイますカ?』

「……うん。やろう」


 少し戸惑いながらも、彼は承諾した。

 彼女から人間の肉体を奪ってしまった彼の、それは義務だとも思うから。

 そして、ハトロや彼の部下の研究員たち、屋敷の使用人達も可能なものは全員が集まって、速やかにアダの葬儀が行われた。

 啓発教義を唯一無二の国教とするスウィフトガルド王国では、死者は火葬される。

 半日後にはハトロの知り合いの人間の教士が葬儀を執り行い、アダの遺体は彼女自身とヴィットリオとの手によって、死後の安息を祈念する耐火銘板とともに棺に収められた。

 アダの魂は既に擬人体に移ってはいるが、確かに脳まで含めて死んだ、思い出と愛着の詰まった身体を惜しんで。

 窯の中で燃焼する、かつては自分だったもの。その有様にアダが泣くのを、ヴィットリオは見ていた。

 起動時に飲んだ水が、擬人体に搭載された感情表現の機能によって、涙となってこぼれ落ちているのだ。

 ヴィットリオも、泣いた。

 簡単なかつらと母親に借りた大人用の喪服を着て、恐らく史上初めて自分の葬儀に立ち会ったであろう少女がくずおれてしまわないよう、支えながら。

 のちに知ったところによると、アダの新たな身体となった擬人体の重量はおよそ90キログラム。その大重量は、摂取した食物を恒久仮想物質こうきゅうかそうぶっしつに変換して蓄える動力中枢機関と、非晶質化(アモルファス)(こう)マンガン鋼で出来た内骨格に由来する。

 だが、これから彼が支えていかなければならないアダの重さは、その額面以上のものであるように、ヴィットリオには思えるのだった。

 ある夏の日の、切ない思い出。











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