08.反攻の鉄拳
精霊万華鏡の内部、暗い森。
荒れ狂う四条の魔具剣の軌跡と、そこから飛び出す魔弾、エネルギー。
だが、グリゼルダは思う。
霊剣使いにとって、それは恐ろしいことでは無い。
恐ろしいとすれば、孤独だ。
「(レグフレッジ……グリュク……!)」
自分から身を投げ出したとはいえ、守りたかった男はこの場にはいない。相棒とも引き離された。
霊剣使いの戦闘経験は、霊剣を失ったからと言って即座に消えてなくなるものでは無い。
共に戦ううちに霊剣の記憶と経験は主自身の物にもなって行き、幼少期から七年を戦ったグリゼルダともなれば、裁きの名を持つ霊剣に蓄えられた過去の主たちの記憶はすべて継承し、霊剣を持たずとも己の力として行使できる。
ただ、霊剣を手放す機会などそうはなかったために、寂しさのような、自分の体に当然備わっているべき器官が失われてしまっているような、そうした違和感だけが拭えない。
だがそれでも、この男だけは、ここで殺す。
その方が、この腐った陰謀狸に苦しめられる者が減る。
恐らく、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートにフェーアを誘拐させたのも、彼女のことを知っているこの男だ。裁きの名を持つ霊剣さえいれば、赤い粒子を放出して過去の因果を抽出、真相を確かめることも出来るのだが、今はそれも出来ない相談だ。
「不死鳥は鏡を……消し炭に!」
救いは、彼女の家族の仇が遺したこの紅い炎の剣が霊剣に匹敵するほど強力な魔具剣だったことだ。霊剣の加護を受けて魔女としての極みに近い位置にいるグリゼルダならば、イグニッサ・フェルブレヌングには悪いが、彼女よりも高度に使いこなすことが出来る。
数千度の温度で燃焼を続ける魔法物質で形成された巨大な火球がタルタスに向かって飛翔するが、これはフェイント。タルタスが魔弾の群を放ってそれを撃墜しようとする前に、火球は形状を失って炎の津波に変形、放たれた魔法物質の弾丸の群とタルタスを飲み込む。
「火矢は火勢を高らかに!」
そこに追撃で打ち込まれる数十の燃焼魔弾。先程から酸欠覚悟で――というよりも、紅い炎の剣が触媒となって変換小体の疲労を和らげてくれるのはこうした高熱エネルギーを行使する術だけに限定されていた――燃焼や爆裂の魔弾を打ち続けているのだが、一向に酸素が薄くなる気配がないのは、それほど広い範囲の空間を写しとったということなのか。
それともやはり、このような気体もどこかの外部から供給されていると考えるべきなのだろうか?
離れていても皮膚を炙る地獄の炎の中から魔弾が飛び出しては来ないかと木陰に後退して警戒しながら、グリゼルダは考えていた。
救援が来ない可能性は極めて高いのだが、それでも何とか自力で現実世界に帰還する方法はないかと考えてしまうのは、相棒への執着か、振られた男への未練か。
「(……バカバカしい)」
最悪、グリュクが二振りの霊剣を取り戻し、道標と太陽を破壊するか説き伏せるかして、邪心を持つ者たちから霊剣を取り上げてくれれば、それでいい。
グリゼルダの記憶と経験は、裁きの名を持つ霊剣を通して、グリュクへと受け継がれる。
これ以上はそういったことを考えないようにして、グリゼルダは魔女の知覚を研ぎ澄ませた。
「――!?」
周囲に高熱が広がっている。
ぼんやりと暗い紫色に光る高熱の炎が、グリゼルダの放った赤い炎を押しのけるようにして、周囲の妖植物を燃やしているのだ。そしてその暗い炎は、グリゼルダが隠れている場所にまで燃え広がってきた。
「霧は我が四囲に!」
魔法術の行使には、ある程度以上の大きさの声を出さなければならない。だが、そうした声を出せば、自分の居場所を教えることにもなる。
「そこか」
様々な軌道で彼女を目指して投射される魔弾を防ぐために、グリゼルダは防御障壁を連鎖させて二重に形成しながら走る。
ガラスの細片の様な魔弾の嵐を、以前見た扉大の長方形の魔弾の乱舞を、暗い色の炎を、凌いで走る。
だが、不意に足が力を失い、彼女は倒れた。
「……!?」
突然の異変に一瞬混乱し、視界が異様に暗くなっていることに気づく。
突然の変調、タルタスの妖術では無い。
彼は、各所に小さく穴が空いた剣の柄を口に当てているだけだ。
そう、笛吹きの様に――
「(……まさか……!?)」
霊剣の記憶にも無い、人間や魔女には聞こえない周波数の音を発生させ、聴覚から脳神経へと作用する。そして相手に気づかれないうちに重篤な体調の悪化を引き起こす魔具剣なのではないか。
術を構築する予兆は一切なかったのなら、考えられるのはそうした可能性だった。
七百年分の経験はその魔具剣の能力をそう推測して見せたが、既にグリゼルダは体の自由が全く効かない状態に陥っていた。紅い炎の剣は手から離れて落ちてしまい、思考さえも徐々に弛緩し、舌も既に動かない。
後は、殺されるのを待つだけ。
タルタスが黒くうねった形状の刃を振ると、周囲の暗い火の勢いが収まって行った。
そして、兜越しの冷酷な声と視線が近づいて来て、力なく横たわる彼女に突き刺さる。
「最期に呼びたい男の名くらいは呼ばせても良かったが……これも戦いでね」
殺す。
今のグリゼルダに明確な思考があるとしたらそれだけだ。誰が弱々しく、死に際に男の名など呼んでやるものか。
朦朧としてゆく思考の中で、せめて何か一矢報いる方法は無いかと探っていた時、ばりばりと、何かが弾けるようだとも、破れるようだともつかない奇怪な音が耳を打った。
衣服を通じて皮膚に伝わる軽い衝撃と共に、辛うじて足元だけが見えていたタルタスの姿が消える。
「……?」
光だ。
柔らかな光が暗い森を照らしている。
その明るさに照らされているうちに、グリゼルダは己の意識と身体の感覚が明瞭になっていくのを感じて飛び起きた。
「無事でしたか、グリゼルダ!」
そこには、巨大な上半身と三人の人影。
「パピヨン殿下……!」
パピヨン・ヴェゲナ・ルフレート。
狂王位継承権第十二位にあり、以前グリゼルダたちとも縁のあった少女だ。
その右の、抽象化された心臓の形状に後ろ髪を編み上げた凛々しい印象の妖女が、彼女の妖術の師であるフレデリカ。左にいる銀髪痩躯の紳士は彼女を擁立しているグラバジャ辺境伯アルベルトだ。
グリゼルダの全身の弛緩が治ったのは、恐らく彼らの背後の甲冑をまとった全高十メートルの巨大な上半身"不動華冑"によって増幅された、パピヨンの復元の妖術の作用だと思われた。
「お久しぶりね」
「間に合ったようだな、霊剣の子らよ」
「ど、どうして……?」
呆気に取られているグリゼルダに、フレデリカが告げる。
「レヴリス・アルジャンからの要請よ」
「レヴリスさんが……?」
「そんなに不思議? 私も彼からあなたたちのことを聞いて、ちょっと驚いたけどね……霊剣の故郷グラバジャとしても、その系譜を邪な目的で蹂躙しようとするタルタスたちの行為を認める訳にはいかないから」
彼女たちの後ろには不動華冑、そして何より一挙に数を増した強力な術者たちに対して、迂闊には攻撃出来ないのか、タルタス。
「厄介な存在だよ、君たちは……!」
「それはこちらの台詞ですな!」
「前方への投射!」
フレデリカが牽制の魔弾を放ち、アルベルトが、何やら明るい紫色の毒々しい炎を撒き散らしながら鎧姿のタルタスに向かって飛びかかる。
「グリゼルダ、今のうちに、あなたに力を貸します」
「力?ですか?」
「纏え、汝が道を拓かんが為!」
すると、パピヨンの背後に浮かんでいた不動華冑が空中を滑り、何とグリゼルダの背後に浮かんだ。頭部の意匠が僅かに変形し、角の形状が一本の刃から二本に分かれて印象が変わる。
パピヨンからグリゼルダへと、権能が一時的に移行したのだ。
「え……いいんですか?」
「今のあの鎧を纏ったタルタス兄さまに対して、私では至近距離での格闘に持ち込まれると不利です。霊剣の主であるあなたならば、徒手格闘の経験も充分。この巨大な鉄拳も、使いこなしてくれましょう?」
その言葉は、嬉しかった。何よりグリゼルダにとっては、事態の概要をレヴリスから聞いているであろうパピヨンが、まだ彼女を霊剣の主だと呼んでくれることが。
「お借りします!」
長い黒髪を置き去りにする勢いで、彼女は跳んだ。
「我が歩は全ての先に!」
甲冑と共に加速し、それが軽減してくれる魔法術の神経への負担に驚きながら、グリゼルダは一瞬でタルタスへと追いつき、フレデリカとアルベルトを押し返しつつあった彼に横からの平手打ちを見舞った。
即ち、不動華冑の巨大な平手による一撃を。
妖王子はそれに反応出来ず、土壌に叩きつけられて土埃を巻き上げながら直線を描く。
その最中でも魔具剣を用いて魔弾を放ってくるのはさすがだが、全て不動華冑の両腕で防御され、体勢を立て直す前にグリゼルダの腕の動きに同調した不動華冑の拳を叩きつけられて更に吹き飛んだ。
「(行ける……!)」
タルタスも直撃の寸前に複合加速を発動、今度は打撃を防御されたが、関係ない。
「これは、グリュクの腕の分っ!!」
加速中のため、言葉は声に出しても相手にはうまく聞き取れない。だが、グリゼルダは吼えた。
幅が十倍、打撃面積が百倍、質量に至っては二千倍を優に超える怒りの鉄拳が、複合加速の魔法術によって亜音速で繰り出されるグリゼルダの拳の動きをなぞり、超音速にまで威力を拡大する。
深海の色の全身鎧に身を包んだタルタスも、重砲艦の斉射に匹敵するこの威力を至近距離で受けては一溜まりもない。
彼女の動きに追随して重量や空気抵抗など無いかのように動き続ける不動華冑の姿は、加速していないパピヨンたちから見ればかなり異様だっただろう。
硬度においてはややタルタスの鎧に分があるらしく、不動華冑の拳骨の部分の打撃用突起が猛烈な勢いで磨り減ってゆく。だがそれでも、タルタスの鎧はあっという間に変形や破損だらけになり、魔具剣は手から弾き飛ばされていく。
一撃一撃に、彼女は意味を込めて打った。
「フェーアを攫った分! グリュクを人質に取ってレグフレッジを奪った分! 殺されたミルフィストラッセの分! あとは諸々引っくるめて――」
グリゼルダの怒りに呼応するように、不動華冑がその体を引き絞り、正拳を放つ。
「あたしを無駄に怒らせた分だぁぁぁっ!!!!」
見事に重心を射抜かれた妖王子は天高く吹き飛ばされ、グリゼルダが反撃を警戒して構えると不動華冑もそれに倣う。
しかし、百メートルほども打ち上がったあたりで界面に衝突したのか、タルタスはそこから跳ね返るように落下して複製の大地に落ちた。彼を守るためにその衝撃を吸収しきって力を失ったとでも言うのか、その全身にまとわりついていた深い青色の装甲はばらりと彼の全身から剥がれ落ちて消滅した。
「……やった?」
残心は解かずに、呟く。
すると、周囲の空間が、擬似太陽に照らされた薄暗い森が、薄まるように消滅してゆく。
タルタスの制御を失い、異空間生成の妖術、精霊万華鏡が解除されたのだ。
横たわるタルタスは息も絶え絶えという状況だが、放っておけば死ぬというのは、楽観というものだろう。
とどめを刺そうとグリゼルダが強力な魔弾の魔法術を構築すると、唐突に彼女たちの第六の知覚に、空間を変形させる術の前兆の感が飛び込んできた。
「!」
若い女狐、という印象の妖族の女が、座標間転移でそこへと出現した。
「(確か、グラバジャに来てたタルタスの秘書――)」
だがもう止められはしない。そのまま呪文を唱えて、魔弾を撃つ!
「爆炎は葬花に!」
しかし、狐の妖女の対応がそれよりわずかに早かった。彼女が短く呟き懐から取り出した長方形の札を弾くと、細かい泡のような白い魔法物質が急速に膨れ上がってグリゼルダの爆裂魔弾を飲み込む。
そしてそれが一瞬のちに魔弾の爆発に耐え切れずに膨張・飛散した時には、既に妖女とタルタスの姿は消え失せていた。
「……!」
逃げられた。
ただ、グラバジャの時と異なり、誰かが危害を加えられたまま逃げおおせられたこともなく、何より借り物とはいえ巨大な鉄拳で一方的に制裁を加えてしまえたこともあり、あまり憤懣は生じなかった。
霊剣の主としてはあまり褒められた感情ではないかも知れないが、ひとまずその場は清々しかった。
あとは、他の仲間たちの――カイツやセオが仲間かと言われれば厳密には違うような気もしたが――安否を確かめ、出来れば合流してグリュクを助けに行けばいい。
「殿下、不動華冑、お返しします」
「確かに!」
妖王女が頷くと、グリゼルダの背後に浮かびながら彼女の上半身の動きをなぞっていた不動華冑が動きを止め、大気に溶けこむように姿を消す。やはり、動作の権能は与えられていても、根元部分の制御はパピヨンが続けていたようだ。
フレデリカとアルベルトも、いくらか手傷はあったようだが、既に縫合してパピヨンの側へと駆け寄ってきた。
アルベルトが、尋ねる。
「これからどうするのだ、ドミナグラディウム」
「天船を……アムノトリフォンを追います。酷く損傷していましたけど、確か事前の説明では脱出艇みたいなものもあるということでしたので……みなさんは?」
名乗るのを止めた名だということは、今はどうでもいいことなので訂正はしなかった。
セオがどうなっているか、あとに残してきたトラティンシカのことを考えれば気にはなる。魔人の消息も、どうでもいいことだとは思えない。
「我が師とその盟友の遺した計画を守るためとはいえ、君がタルタスと戦うのに手を貸した時点でフォレル王子との反目も避けられん。ならば、セオ王子を抱き込んで反フォレル・タルタスの勢力をまとめ上げるよう働きかけていくしかあるまいて。殿下がフレデリカと共に、不動華冑で力を貸してくださるとのことだ」
「レヴリス・アルジャンから話は聞いています。その天船というのを探しましょう」
巨大な天船というものに対する興味も大いにあるのだろう、王女はグリゼルダたちを助けようという熱意もさることながら、そちらも抑えがたいようだった。冷凍睡眠に入っていたせいで、六百年前に生まれて現代まで第十二位という継承権を持って生き残った子女でありながら弱冠十二歳という年齢では、当然だ。
「まずは使い魔を放つ。近くに荷を積んだ馬車と最低限の護衛要員を待機させているので、それと合流して後を追おう――ん?」
その時、低く唸る音と共に上空に影が差し、それを見上げた教師が呟く。影の大きさは、およそ千二百メートルと推測された。
「もしかして、あれが天船……?」
「アムノトリヌス!」
要塞は上手く撃退したのだろう。空を見回した限り、あれに追われてきているということは無いようだった。
天船が降下してくるに連れ、各部の破損が明瞭になってくる。
『グリゼルダ・ジーベ! セオさまの船の後を追います! その方々を乗せるならお急ぎなさい!』
「馬車よりは早そうだが……仕方ない、どこか近くの町に向かわせておこう」
アルベルトは半ば呆れたようにため息をつきつつも、ヒヨドリの使い魔を放ってそれを近くで待機しているグラバジャの妖族たちに伝えるようだった。
狂王の宝物庫を任されているトラティンシカならばパピヨンやグラバジャ伯であるアルベルトと面識程度はあってもおかしくはないが、知っていたとしても、彼女にとっては挨拶などをしている時間も惜しいのだろう。
降下を完了した天船から、滑り止めを施された搭乗口が下がって来た。驚いているグラバジャ勢を急かしながら、グリゼルダもそこへと乗り込む。
無我夢中で、拳を振るった。そもそも、拳で誰かを殴ったことなど、なかった。
だが今はそれをする。必要だから、彼の命を救うために。
「エルメール様!? ご乱心を召されて――!」
「離してください、その剣は!」
式場の裏手の通路で、フェーアは戸惑いつつも霊剣を持って逃げようとする妖族たちに掴みかかって、それを奪おうとする。
そうやすやすと手離してくれないのならばと、手に噛み付いた。
「うわあぁあ!?」
「グリュクさんの相棒なんです!!」
悲鳴を上げる男から、鞘に収まった剣を奪い取る。柄に2つの穴が開いた、一体成型の霊峰結晶。鞘から少し出すと、破壊の跡を接着剤で仮止めされた剣身が覗く。確かに意思の名を持つ霊剣だ。
次に小振りな曲剣を持った男に狙いを定め、意思の名を持つ霊剣を握って柄尻で殴りかかる。躱された。
(顎を狙え!)
「でぇいッ!!」
裁きの名を持つ霊剣の助言で咄嗟、無理矢理に方向転換、体当たりを仕掛けて二人して倒れこみ、今度は握っていた霊剣の柄尻で顎の部分を殴りつけた。引き剥がされる。だが、そのまま逃げようとして彼は果たせず、脳震盪を起こしたらしく倒れた。繊細な装飾を施された鞘ごと奪い取りながら、フェーアはかなり興奮して呟く。
「ごめんなさい!」
あとの一人は、つまり道標の名を持つ霊剣を持って逃げた妖族は、さすがに取り逃がしてしまった。
出来ればタルタスの手に戻らないようにしておきたかったが、今は意思の名を持つ霊剣と裁きの名を持つ霊剣を取り戻せただけ上出来だろう。
裁きの名を持つ霊剣の助言があったとはいえ、妖術も封じられている彼女にとっては大金星だ。霊剣も、それを知ってか素直に感心しているようだ。
(いやぁ……すごいものだ。愛のなせる技かな?)
「茶化さないでください! あ、いえ、助言ありがとうございました」
(行こう。グリゼルダには悪いが、今は緊急事態だ。私がグリュクを四十八人目の主として、彼の力になる)
その時、ガラスを広範囲にわたって割る音と、グリュクの放った魔弾の魔法術の予兆、そして直後に豪雨のようなその着弾の音が届き、念動力場の炸裂する音に続く。放ったのはフォレル。
そこで戦闘音の一切が止んで、フェーアは悪い予感を覚えて走った。
「グリュクさんっ!?」
扉を蹴り開け、再び式場へ。
フォレルがこちらを見るが、彼は既に倒れたグリュクに霊剣を突き立てようとしている体勢だ。
「駄目ッ!」
(危険だ、離れて牽制を!)
裁きの名を持つ霊剣が警告するが、フェーアはとにかく駆け寄った。
「ウィルカさんも、殿下を止めて! こんなの間違ってますッ!!」
(………………)
「エルメール。離れていなさい」
優しい声音で発動した念動力場が、フェーアを途中で押さえつける。
太陽の名を持つ霊剣は彼女の声に、一切答えない。
「うっ……!?」
フォレルは再び、グリュクに向かって振り下ろそうと霊剣を掲げた。
「やめてっ!!」
絶叫すると、ふと、体に掛かっていた力が消滅する。
そこでグリュクの体が不自然に跳ねたかと思うと、その両肩と上腕を覆っていたレヴリスの鎧の部品が高速で前方へと弾け飛び、フォレルを打ちのめした。緊急で装着者を防御するような機能があって、それが働いたのか。
フェーアは大いに驚きこそしたが、その隙に、無我夢中でグリュクに駆け寄って霊剣を手渡した。
「起きてください、グリュクさんッ!」
宿の裏手で日に当たる彼らを、暖かな風が撫でる。
今はやや薄着で休憩を取っているが、少女を特徴付けているのは、何よりもその脇に転がる剣だった。
(全く、吾人で薪を割るなどと……)
「素晴らしい作りだってことですよ師父。普通の剣なら、多少切れたところで薪なんて割れません」
初代霊剣所有者、スオーディア・テトラストール。
彼女は、宿の女将に宿代の値下げの代わりに薪割りを買って出たのだ。
意思の名を持つ霊剣はそれに抗議しつつも、斧としても扱える己の重量配分の設計を評価されて中々に得意だった。
百年、千年と続けてゆくと決めた旅路の、今はまだ、二ヶ月目。
「師父」
「彼」に人格を提供した魔女の養子にして弟子であるスオーディアが、珍しく神妙な様子で尋ねてくるので、意思の名を持つ霊剣はこちらもやや真剣に、応えた。
(何だ)
「疲れましたか?」
(…………? 吾人は御辺の師のビークではない。肉の体を持たぬゆえ、疲れることは無い)
そんなことは、出発前に散々説明を受けたはずだ。
その気遣いを怪訝に思いながら、意思の名を持つ霊剣はそこで、違和感に気づいた。
(そうか……吾人は夢を見ているのか)
「俺らは所詮、長くて五十年も一緒にいればよかったけどさ」
細身の黒髪の青年が、彼らの側へと歩いてくる。
(ダウィド……?)
「この七百年で、生死と、栄枯盛衰とを多く見すぎて来はしなかったか?」
(シュレディング……!)
青年にも、やや離れて彼らに疑問を投げかけてきた白髪の老人にも、見覚えがあった。
(……狂王の子の中には、千年を生きる者もいる。彼らとて――)
「フォレル王子なんかはどうだ。あいつ、壊れてただろう」
「まして、私達はずっと、戦ってきた。あと百年寝てても、良かったくらいの戦いよ」
(……クラウゼ……ヌエナ……!)
そこに集まってくる、歴代の戦友たち。
全て、彼自身が主と選び、認めた戦士だ。
だが、みな、別れ、あるいは死に、時間の彼方に去ってしまった。
「俺は心配だよ、ミルフィストラッセ」
(…………グリュク……!)
最後にやってきた、赤い髪の長身の青年が、見たことのない憐憫の表情で、彼を気遣う。
「俺はまだいいんだ。いつかお前と別れる、それは仕方ない。だけどお前は……そんな別れを、何度も繰り返してきたんだろ? 俺には、その辛さっていうのが想像もつかない」
(気遣いは無用。それが、吾人等の、ビークとデオティメスの目論見也)
「でも……俺のせいで、それが一つ、潰されちゃっただろ……」
青年が俯く。
そうだ。意思の名を持つ霊剣は、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートと太陽の名を持つ霊剣によって破壊され、霊剣の系譜は一つが断絶してしまったことになる。
道標の名を持つ霊剣は悪の手に落ちており、裁きの名を持つ霊剣も危険な状態だ。
彼を責めるつもりはないが、無念であるのは事実。
せめて彼を励まそうと、霊剣は言葉をかけた。成長してはいても、彼はまだ、助けが必要だ。
(……立て、主よ。吾人の魂と霊剣の主たちの記憶は、思い出は、常に御辺と共にある。それを忘れぬ限り――)
その途中でスオーディアが立ち上がり、意思の名を持つ霊剣を彼女の次代の戦士へと手渡す。
彼は、さらに次の後継者へ渡した。次から、次へ、そしてまた次に。
時代から時代へ、霊剣は受け継がれてゆく。
それを繰り返して、霊剣はヌエナ・ミノアの手に渡った。
「相棒をよろしくね、グリュクくん。彼はまだ、旅を続けたいと言ってる。あなたも、まだ、遣り残したことがあるんでしょ?」
「……はい」
(ヌエナ……吾人の台詞を取るな)
くすりと笑って霊剣を差し出す、下手をすれば彼よりも若いかも知れない先代の魔女。
グリュクは改めて、彼女から、歴代の戦士たちから、霊剣を継承した。
「ごめんな、ミルフィストラッセ。俺だけじゃ、フェーアさんを取り返せない……お前が、必要なんだ!」
(その言葉を、待っていた!)
金色の粒子がその剣身から溢れだし、意思の名を持つ霊剣も、その歴代の主たちも、その奔流に覆い尽くされていった。
時間の感覚が、蘇ってゆく。