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霊剣歴程  作者: kadochika
第12話:剣士、燃ゆ
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07.精神の交錯







 あらん限りの気迫と意地とを全身の細胞に充満させて、グリュクは抗っていた。

 (つぶて)のようにせわしなく、しかし雷よりも激しいフォレルの剣撃が容赦なく押し寄せるが、何とか、砂漠の刻印の杖(ヴュステ)を振るってこれを防ぐ。

 妖王子も、叫ぶ。


御見物方(ごけんぶつがた)はお手を出されるな! これは、俺の闘争!」


 魔弾や力場を放って援護しようとしていた妖族の有力者たちを制止して、フォレルは彼自身の手で、グリュクを仕留めるつもりのようだった。

 意趣返しといえばそれまでだが、もし万が一、天地が逆転でもしてフォレルが彼の行為を見過ごしてくれるのならば、腕の二本程度の恨みはなかったことにして――仲間たちの協力もあって何とか繋がりそうなこともあるが――、フェーアと相棒と裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)を伴って帰投するつもりはあった。

 だが、フォレルは妨害し、グリュクを攻撃してきている。


砂漠の刻印の杖(ヴュステ)か。何処で手に入れた。何故そこまで強度が上がっている」

「俺のことを覚えててくれたわけじゃないみたいだな!」


 口を開いて何を聞くかと思えば、獲物のことだ。グリュクはこの妖王子を許せない気持ちが少しばかり高ぶってきて、その勢いで杖を振り抜いた。


「俺とグリゼルダの相棒と、フェーアさんを返してくれ!」

「霊剣は我が手中! そして我が花嫁の名はエルメールだ!」


 殺到する反撃。フェイントを交えつつ、無理に急所は狙わず、とにかくグリュクの体に傷をつけて少しずつ戦闘力を奪い、自分の隙は減らして彼の太刀筋を確実に防ぐことに主眼を置いた剣捌きだ。現に彼の皮膚には、回避しきれなかった小さな創傷が増え続けている。

 一方、砂漠の刻印の杖(ヴュステ)は、確かに太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)の刃を確実に受け止めていた。

 その強度が意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)を凌駕しているのかと、グリュクは訝ったが、すぐにそうでないと分かる。


「(ミルフィストラッセが折られたのは、強度で負けてたからじゃない……)」


 霊剣を破壊するのに必要な理論上のエネルギーは数値にするとどれほどか、などということは正確には分からない。

 だが、仮にそれほどのエネルギーを秘めた一撃を意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の刃で受け止めたとしたら、霊剣が折れるよりも前にグリュクの指が弾け飛ぶだけに終わっていただろう。

 事実はそうではなかった。ならば。


「自分の霊剣の記憶を削って、妖術を使ったのか!」

「…………!」


 その推測に、フォレルの動きが、止まりはしないまでも明らかに鈍る。

 霊剣は、その内側に蓄積した記憶を消費することで、強力な術を発動することが出来る。

 グリュクが自分の相棒に最初に出会った時も、彼は魔法術の使えないグリュクに代わって、自身に蓄積された記憶を消費して強力な魔法術を構築してみせた。もっとも、それは記憶を蓄積してゆくのが目的の霊剣にとっては邪道であり、また過去の友人たちと共有した思い出を破棄するという行いでもあった。

 余程の緊急時でもなければ、霊剣とその主にとっては避けるべき事態。

 推測だが、恐らく太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)の記憶の一部を消費し、極大レベルの破術――術を無効化、即ち魔法物質を破壊する術――を発動し、霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムで形成された意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)を破壊したのだ。

 フォレルの表情を見る限り、それは当たっていた。

 グリュクは砂漠の刻印の杖(ヴュステ)を刺突の姿勢で構え、


「あなたの人格しか入っていないから自由にしてもいいんだって言うなら、俺の出る幕じゃない」


 フォレルも、太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)を構えなおす。


「でも、そんなことをしてまでやりたかったのが、俺の相棒を殺してフェーアさんを攫うことだっていうなら!」


 グリュクが魔法術を構築するのと同時、フォレルも同じものを構築し、叫ぶ。


「エルメールだ!」

「殴るだけじゃ済ませられない!!」


 その一声で、二人の剣士は複合加速を発動した。

 彼らは互いに不規則に跳ねまわる稲妻となって、婚儀の会場を破壊しながら暴れ始める。

 叫び声の代わりに、巨大な平手打ちを思わせる甲高い爆音――永久魔法物質同士が超音速でぶつかり合う音だ――を立て続けながら。

 二人は永久魔法物質で出来た一部の構造材を足場に反動を得て、敵に獲物を突き立てようとする。

 二つの術を同時に維持し続けている彼らに更に術を行使して攻撃を行う余裕はなく、攻撃手段は運動エネルギー、即ち武器や己の肉体を用いた攻撃しかない。

 だがそんな、ただ目まぐるしいだけにも思える殴り合い斬り合いが、誰かがその軌道上に誤って侵入すれば爆発したように肉塊となって弾けるであろう地獄となって荒れ狂っている。周囲の妖族たちは立ち入れず、援護をしてもフォレルを攻撃してしまう可能性もあって外へと退避するばかりだった。

 一人は、妖魔領域の神の息子。

 もう一人は、処刑された魔女の息子。

 グリュクは交感間隔が爆発的に増加することで相対的に酷く遅く感じられるようになった世界を疾走しながら、その場ではただ一人、同じ速度の時間へと移行しているフォレルと、百何十度目かの剣を交える。


「でぁッ!!」


 その瞬間に気合と共に突き出した蹴りはフォレルの膝に阻まれるが、その体が僅かに浮いた。

 しかしそこでグリュクは更に相手の体を浮かせようと追撃することはせず――自由落下の速度だけは加速されないので、互いに複合加速を用いた近接戦闘では相手を空中に押し出して無防備に追い込むのが定石の一つとなる――、破裂するような頭痛に耐えきれずにガラス張りの壁の方へと後退した。

 そこを隙と見たか、足が地に着いた瞬間強く床を蹴って斬りかかるフォレルに向かい、グリュクは背後に張り巡らされたガラスを砕いて外へと移動。

 自分のくぐった穴の周囲に残ったガラスをフォレルに向かって三回、蹴り砕いた。

 勢いのついたフォレルを襲うガラスの散弾。

 複合加速の作用で肉体も同時に強化されているが、それでもその相対速度は危険なのだろう、フォレルはそれを回避する。グリュクはそこを狙い、更にガラスの散弾を蹴り込む。

 即席のガラス破片の結界が完成し、複合加速の速度を封じ込めた。埃のようにゆっくりと浮遊している(ように見える)無数の破片を排除したければ、手間をかけて払いのけるか、一旦加速を解除するか。

 隙を作るのを防ぎたいならば、フォレルは傷を厭わずガラスの結界に突入するほかない。

 顔面を腕で庇って霊剣を振りかぶる妖王子に向かって、グリュクは杖を振りかぶり、魔法術で強化された渾身の一撃を投げ打った。彼の両肩を覆う銀灰色の鎧(シクシオウ)の補助で、威力は更に高まる。

 もはや飛行爆弾に匹敵する速度と威力を得て飛翔する砂漠の刻印の杖(ヴュステ)を、フォレルはしかし、強引に身を捻って(かわ)してみせた。

 だが、そこにグリュクの正拳が激突する。打撃を当てられたフォレルの左頬からは衝撃波さえ発生し、その表情がひどく歪む。

 強化してなお痛んだ拳を妖王子の頬から引き寄せ、そこで両者の複合加速が解けた。

 主観的な時間の流れが元に戻り、遅れてやってきたガラスの破砕音と共に、グリュクのまき散らしたガラスの破片がさざ波に似た音を立てて飛び散った。フォレルに一撃を与えたものの、彼は足を踏ん張り、転倒することもなく耐えたようだった。

 脳や手指など神経の集中している部位が激しく疼き、グリュクはうずくまってしまいそうになりつつもそれを堪え、言いたかった一言を吐き捨てる。


「今のは、フェーアさんを泣かせた分だ」

「エルメールだと言っている!」


 既に式場に集まっていた妖族たちはかなり遠方まで遠ざかって、余興とばかりに彼等の戦いを見守っている。もはやグリュクに複合加速を行う神経の余裕はないと見たか、フォレルは余波の大きな妖術で彼を消し飛ばすべく、圧縮魔弾を構築、解放。

 エネルギー総量は、恐らくグリュクの圧縮魔弾の二十倍以上。離れているとはいえ、周囲の妖族たちの姿が見えないのか。

 砂漠の刻印の杖(ヴュステ)を投擲して弾かれたグリュクは、無手。


「違うっつってんだろ、バカ王子ッ!!」


 だが彼はそれに素早く反応し、破裂しそうな脳の痛みを堪えて再び魔法術を放った。

 フォレルの手の向く先から生成された直径一メートルほどのまばゆく輝く圧縮魔弾は、グリュクに向かって超高速で飛行する。

 しかし直後に、それはグリュクの魔法術で繊維が解けるように、無数の白い線の集合体のようになって崩れ、前方に差し出したグリュクの右手に向かって複数の螺旋を描きながら吸い込まれてゆく。


「唸れッ!!」


 そしてそのまま、分解した相手の魔弾を散弾の嵐に変換してフォレルに向かって撃ち返す。本来ならば、戦闘中、差し迫る限界の最中に可能な芸当ではない。

 屋根を打つ豪雨のような音、フォレルは顔だけを庇いつつ魔弾の群に体を打たせるに任せたまま、彼を迂回して砂漠の刻印の杖(ヴュステ)を回収しに走るグリュクを狙い、大型の念動力場を炸裂させる。

 辛うじて回収は間に合ったものの、念動力場の余波に揉まれ、彼の意識は吹き飛んだ。











「カイツ、朝だよ」


 よくは分からないが、彼は肌寒さを感じて目を覚ました。

 毛布を引き剥がす素振りこそ見せないものの、メイノ・オーリンゲンは彼の惰眠に多少苛立っているようだった。

 近頃母とは違った口うるささを発揮するようになった彼女は、まぁ、いつもよりは穏当に彼を起こしてくれたと言っていいだろう。

 ただ、説明出来ない違和感と、疲労があった。


「(何でこんなに疲れてるんだ……?)」

「研究もいいけど、たまには帰ってきなよ」

「(? ……いや、俺は)」


 帰ってきてるだろ。

 ずれたことを告げる姉にそう言おうとしたはずだが、そうではないことに気づいて、愕然とする。

 気がつけば、ベッドから体を起こした視線の先には、酷く場違いで前衛的な、銅線や針金を乱雑にまとめて捻じり上げたような何かが佇んでいた。


「――――!?」

「消滅する」


 その捻れたガラクタは、まるで摩擦音ではあるが、そう聞こえる言葉を呟いた。


「断絶する」

「…………お前は……?」


 と、訪ねてから、気づく。このよく分からない前衛芸術は、彼の体内に住み着いている電磁生命体だ。

 何故かは説明できないが、そうだと分かる。


「……ん?」


 ふと周りを見まわすと、家族がいた。

 姉、両親、祖父母。

 確か、祖母は彼が小さい頃に亡くなったはずなのだが。


「その記憶が防衛されない」

「……もしかして、悪いと思ってるのか?」


 何故か、合点の行った気がして、一歩踏み出した。


「巨大な差。恒星と惑星とに匹敵する、差」

「勝てないっていいたいんだな」


 カイツは無言で助走をつけて、その喋るガラクタに飛び蹴りを見舞った。


「未知の表現……」

「意味が分からねーだと! いいか電気野郎ども!」


 倒れたままじたばたともがくその金属塊に向かって、畳み掛けるように喚く。


「虫の時は必死こいて食い意地張らかしてやがったくせして、セオやあのでかいの相手には随分と及び腰だな! それが生命の本質ってやつだろうと、仮にも知性体なら少しくらい敵が強いからって大した足掻きもせずに逃げ腰になるのを恥じろよ!」

逆接(ぎゃくせつ)……」

「でももしかしもねーだろ! 俺と生きて行くって決めたなら、知性のある連続体(いきもの)なら! 自分よりも強いものに立ち向かうってことを、覚えてみせろ!」

「…………」

「…………」

「その論理を肯定する」


 そう言うなり、倒れていたオブジェは消失し、彼の体も魔人のそれになっていた。

 ふと我に返って不安になり、後ろを振り向いてしまう。

 家族は皆、やや不安そうな表情をしていたが、それでも、優しく彼を見守ってくれているようだった。

 白い防護器官で全身を覆われた彼を。

 肉から骨から、内臓の隅から隅まで、心と思い出以外はカイツでは無くなってしまった彼を。

 優しい言葉は要らない。言ったとすれば、それはカイツが妄想の中で言わせている台詞だろうから。

 もう一歩踏み出すと、また、胸中から摩擦音めいた台詞が聞き取れた。


「その記憶を防御する」

「(……あぁ、こいつら)」


 電気知性は、地殻の奥底で蠢いていた正体不明の電磁生命たちは、彼の意思を汲んでくれたようだった。

 戦って、生き延びるということを。


「(そりゃそうか……マントルの中じゃ他の生き物なんていなかっただろうし、実は戦闘の概念もあんまり馴染みがないのか、こいつら?)」


 悪意が無ければ、彼を魔人として再生させたのを許せるという訳ではない。

 だが、多少は罪悪感のような概念を知ったのか、胸中にざわめく電流の集合体が何を言いたいのかを理解して、カイツは少し困惑した。


「遅えよ」


 初めて、二者の意思が一致した。

 その交点から生じた力が、魔人の体を通して溢れ出る。

 魔人の体を踏み潰していたはずの巨大妖族が、異変に唸った。


「んぬうッ!?」


 胸郭を踏みつぶし、残った結晶を摂取するはずだった。

 だが、踏みつけた足が、動かない。

 よく見れば、小さな魔人を踏みつけていた右足がびっしりと霜に覆われ、空気中の水分が冷やされているのか、霧のようなものがその周囲に漂ってもいる。

 そこでその右足先が、爆ぜた。

 巨人は大きく音を立てて転倒し、訝る。


「ぐ、ぐ……何が……!?」


 凍結、破砕された巨大妖族の右足先の破片が要塞の表面に散らばり、そこには虹色の放射光をまとった、黒い魔人が立っていた。


「少しばかり、肝が冷えた」


 要塞事態から伸びた触腕で絡め取られて圧壊しつつあったアムノトリヌスから、トラティンシカが悲鳴のような疑問を発する。


『何ですの!?』


 彼の周囲には強烈な冷気が放射されており、冷却された空気中の水分が雲のように群れている。だが不思議と、その黒い魔人の皮膚の表面の、黒曜石のような滑らかな輝きが見て取れもした。

 人と電気知性と、永久魔法物質とが交錯して生まれた、異形の奇跡。


黒曜の魔人アルクース・ノクティス……」


 研究所の連中に付けられた名前でもなく、気の良い霊剣にもらった名でもなく、多少陳腐とはいえ、自分で考えて付けた名だ。電磁生命体との一応の協調に達したという事実の記念にしても、悪くはないのでは無いか。

 そんな他愛もないことを思っていると、胸中がざわめく。これも、悪くはない気分だ。


「黒いから、(ノクス)だと、名付けましたか!」


 巨大妖族の叫びと共に、魔人の、アルクース・ノクティスの周囲に、魔弾の大群が出現し、一斉に襲いかかった。一弾ごとの間隔が十数センチメートルしかない、膨大な量の変換小体が可能とする狂気の魔弾幕。どのように動いたとしても避け切れないその衝撃と爆轟の嵐に、さしもの魔人も砕け散る――どころか、次の瞬間全ての魔弾が、煌めく粒子の群になって飛散した。

 周囲に放出されている強大な負のエネルギーによって一瞬で凍結し、魔人の発した衝撃波の魔法術でダイアモンド・ダストとなったのだ。


「何と、何という……!!」


 次に巨大妖族は、全身の鱗のような体表の組織を変化させた無数の触腕を伸ばし、カイツを打ち倒そうとした。だが、触腕は黒曜の魔人に近づいた順に次々に凍結し、逆に両腕から引き抜かれた剣――短剣では無くなっていた――によって次々と切り裂かれる。


「――ッッ!?」


 暴風のような風切り音を立てながら触腕を撫で斬りにし、カイツは、アルクース・ノクティスは、触腕の嵐の中を敵へと突進してゆく。


「どうだッ!!」


 超極低温を帯びた漆黒の刃が踊り、迫る無数の触腕を全て切り飛ばす。切られた部分は分厚い霜に覆われながら飛び散り、要塞の表面に当たっただけで砕け散った。

 幻想的とも言えるその光景を見ていたトラティンシカも、その余波でアムノトリヌスを破壊しようとしていた触腕のほとんどが断ち切られ、船を動かすことができるようになっていることに気付いた。

 ペレニス家の操船要員たちも可能な限り、船外に出て妖術や魔具で残された触腕を排除して行く。


「ていうか、この高度で気温が……氷点下四十度!? どうなってますの!」


 高度はせいぜいが千メートル程度と言ったところで、季節を考えればあり得ない。

 生き残った観測機器の情報を見ても、恐らく、黒く変化したカイツ・オーリンゲンが中心となっているということは確かだが、観測装置の示す外気温は目に見えて低下を続けている。

 外部に乗り出して触腕の排除作業に取り掛かっているトラティンシカの部下たちからも報告が入ってきていた。

 見れば、巨大妖族は全身を深い霜に覆われ、動きを大きく鈍らせていた。


「こんな、こんな……! こんな小さな敵に……私が、凝固!!」


 例え血管に不凍液が循環していようと、これほどの低温状態では凝固を免れない。

 いかに莫大な変換小体と魔人を超える強靭な体組織を持ってはいても、細胞の構造と運動を凍結させてしまう広範囲の超低温に晒され続けていては、能力を発揮し続けることは出来ない。


「……悪いな」


 その声は、果たして聞こえただろうか。

 全身が完全に凍結し、体表から伸びる触腕の一本たりとて動かなくなった巨大妖族に向かって、カイツはその頭上に巨大な氷柱を凝固させ、落下させた。

 そのまま砕け散る、氷漬けの巨体。

 ばらばらの欠片になって要塞の表面を滑り落ちてゆく名も知らない巨大妖族に向かって、カイツは近しい境遇にあったものとして同情した。

 そして、体色を銀色に変化させて動き始めたアムノトリヌスに向かって飛翔、彼を出迎えた防寒着姿の妖族たちに伝えた。


「悪い、寒かったか。急いでアムノトリフォンを追って……式場に向かおう」


 だがその時、浮遊要塞から再び火砲と触腕が放たれ、アムノトリヌスを直撃した。


「!?」


 巨大妖族と戦っている時には沈黙していた浮遊要塞が、再び動き出したのだ。


「やっぱりまだ中に運用してる連中がいるのか!」

『こ、こんな近くで撃たれては……』

「ぐふふ……ふふ……」


 声の方を振り向くと、首だけになったあの妖族が、不敵に笑っている。

 そこだけは砕けずに残ったのか、よく見れば首の断面から例の触腕のようなものがいくつも伸びて、要塞の中へと突き刺さっている。


「(……なんつうしぶとさだ)」


 カイツは再び銀色の魔人(クインゾッド)に変化して飛翔するが、もはやこちらを捕食するつもりはなくなったのか、飛来する弾幕に隙がない。

 要塞各所から魔女諸国で作られたと思しい火砲までが顔を出しており、これに加えてその表面のありとあらゆるところで魔弾の妖術が構築されるのが、感じ取れた。

 これが、霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムの力なのか。


「クソッ、このままじゃ……!」


 再び要塞に取りつき、黒曜の魔人(ノクティス)となって要塞そのものを凍結させる。

 巨大妖族は推定重量一千トン、こちらの要塞は一億トンはあるかも知れない。

 出来るだろうか? 出来たとして、何時間かかるか? それまで天船が持ちこたえられるとは思えない。

 カイツは全力で念動力場を展開し、天船に当たる砲弾の威力を減殺しようと試みるが、砲弾を防ぐ強度の障壁を、全長千二百メートルのアムノトリヌス全体を防御できる規模で広げることは、さすがにできないようだ。

 近距離からの無数の砲撃、一部は何とかトラティンシカの部下たちが船外に出て展開している防御障壁によって防がれていたが、今度はその巨体が仇となった。天船アムノトリヌスはもはや崩壊しつつあるように見えたが、そこで、トラティンシカが外部音声でアナウンスを発する。


『カイツ・オーリンゲン! 船内に退避しなさい!』

「バカ、出来るか! 沈みたいのか!」

『いいから早く! 状況打開のためですのよ!!』

「……!? 分かった!」


 そう言うとカイツはアムノトリヌスに生じた損傷部分から船内へと入り込み、内部でトラティンシカの部下たちの説明を受けた。


『炉心停止! 残り時間、百十五秒!』

「案内します、動力炉へ急いで!」

「動力炉!?」


 嫌な予感がするのを堪えて――電気知性たちは露骨に嫌がっていたが――、銀色の魔人(クインゾッド)に変身して動力炉へと向かう。

 距離にして七百メートルはあったが、広い直通の基幹通路を飛べたので、わずか十数秒で炉心へと到着できた。


『炉心、解放!』


 広大な空間に辿り着いた彼を待っていたのは、配線に囲まれて横たわる、巨大で重厚な円筒だった。

 今はその中心部分が彼等に向かって引き出されており、そこには鈍く輝く一抱えほどの金属質の結晶が固定されていた。


『その永久魔法物質(ヴィジウム)を取り外して、炉心にお入りなさい! 魔力線を取り出すだけのものですから、内部に圧力や熱などは加わりません!』

「やっぱり燃料役をやれってことかよ!?」


 カイツは先日セオに天船の燃料にされそうになっていたことが記憶に新しく、思わず抗議した。

 だが、トラティンシカも切迫しているようで、スピーカーから聞こえてくる声音は荒い。


『炉を一時停止したから、あと四十秒で本船は推力を失って墜落しますのよ! 急いで!』

「くそ、しょうがねえな……!」


 カイツは永久魔法物質(ヴィジウム)を蹴って固定座から外すと、そこに片膝を立ててしゃがんだ。


「いいぞ!」

『炉心制御系、急速再始動! 炉が閉鎖されたら、何も考えずに力を放出なさいまし!』


 いうなり、急速にカイツは、台座と共に炉の内部へと引き込まれた。

 もはや破れかぶれで、カイツは黒曜の魔人アルクース・ノクティスへと変身し、力を振り絞る。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 単純に力むだけで、先程は負のエネルギーに変換されていた魔力線が、純粋な(ヴィース)として放出されていく。


『トラティンシカ様、出力良好! 炉心安定! 行けます!』


 操船室でそれを待っていたトラティンシカは、動力区画からの報告を受けて喝采した。

 それまで乗員たちの防御障壁の妖術でかろうじて崩壊を免れていたアムノトリヌスに、力がみなぎる。

 魔人の力で炉心からの出力が上昇し推力の供給も復活し、墜落の心配はなくなった。

 それどころか、船体全体の自己修復速度が向上、休眠していた兵器たちの一部が覚醒し、しまいには天船全体を覆う防御障壁の発生装置が起動した。

 巨大妖族と一体化しているらしい浮遊城塞からの砲撃は、火砲か魔弾かを問わず、全てが遮断されて届かない。

 それに穴を開けようとした触腕も、爆音を立てて弾かれてゆく

 トラティンシカは操船者として昂揚しつつも、次にすべきことのために船内放送を行った。


「総員、本船はこれより、基幹構造遷移(きかんこうぞうせんい)に突入します。繰り返します、本船は基幹構造遷移(きかんこうぞうせんい)に突入します。各配置、所定の方法で遷移に備えてくださいまし!」


 操舵席の後ろに後付けされた板ガラスを拳で叩き割り、大きく息を吸う。


「行きますわよ……アムノトリヌス、基幹構造、遷移開始!」


 保護されていたレバーを引くと、変形が始まった。

 彼女の周囲にも、今まで機能不明の装置とされていた部分が移動してきて、操縦座の様相が様変わりする。

 船体の基幹構造が巨大な蝶番(ヒンジ)往復機構(シリンダー)の作用で折れ曲がり、関節の発動に合わせて四基の姿勢制御肢(スタビライザ)が放射状に広がって四肢を象る。情報収集機器(センサー)の集中する操船室は高度を保つために上部にせり上がり、天船アムノトリヌスは、高度一千メートルの空に全高八百メートルほどの傷だらけの巨人の形状となってそびえ立った。

 所要時間は百二十秒、その間も加えられ続けた砲撃は今この瞬間に至るまで、全て防御している。


「遷移、完了! 総員、戦闘再開ですわ! 強攻形態になったアムノトリヌスの恐ろしさ、味わわせて差し上げてよ!」


 アムノトリフォンとの合体機能が判明した際、この変形機構と特別な武装の存在も合わせて解析されている。

 前方投影面積を増やすのは、恐らく味方の盾になるため。

 そして、盾となって味方を守る天船には、同時に敵を叩く最強の矛が与えられていたのだ。

 夫船であるアムノトリフォンがなくとも、今は炉内に魔人の協力を得ている。


「(あら、これってもしかしてセオさま以外との共同作業になってしまいはしないかしら……!?)」


 などと不埒な思考が一瞬脳裏をよぎるが、とにかく、トラティンシカは船内に警告しつつ、操作盤を分割してせり上がってきた、特殊砲なる設備の起動スイッチを押した。


「特殊砲、照準!」


 そこに付属していた、魔女たちの使う拳銃のような照準装置を手に取り、発射地点を照門に捉える。

 照準が開始されると、右舷上部姿勢制御肢(スタビライザ)――つまり右腕を前方に掲げ、左腕の先端が右肘の部分に開いた孔へと接続された。

 防御障壁は継続していたが、ここに及んで、浮遊城塞が速度を落とし、後退を始める。

 アムノトリヌスの右腕の先端に開いた発射口らしき部分の照準から逃れようと運動しているが、今更遅い。

 射線軸とそこから半径百メートル以内には、味方はいない。全員が船内だ。


「照準固定、目標、敵浮遊城塞! 総員、対閃光・対衝撃姿勢――」


 少々忙しく、またセオと離れた不安もあったが、トラティンシカは諸々の雑念を吹き飛ばすように、最後の号令を一息に吐き出し、照準器の引き鉄を引いた。


「特殊砲、発射!」


 アムノトリヌスの右手の先から渦巻く閃光の渦が迸り、浮遊城塞を貫いた。

 投射された甚大なエネルギーは当たった時点で音と衝撃、光と熱とに別れ、距離が近すぎたのか、防御障壁がなければアムノトリヌスも更に装甲を破損しかねない、強烈な衝撃波、遅れて爆音と熱風が大気を伝わって船体を揺るがした。


「…………!?」


 恐らく、アムノトリヌスの強攻形態はこうした巨大な爆風から味方が逃げこむ影としても機能するのだろう。

 敵がどうなったのかも全く目視できない規模の爆煙が周囲に漂い始め、爆心点からは巨大な熱によって上昇気流が発生し、上空に巨大な傘のような雲を形作っていた。

 自分が使うには――ひょっとしたらセオにさえ、過ぎた力かも知れない。

 このような破壊力を秘めていた天船と、それが埋まっていた狂王の宝物庫、何よりそれを機能させてしまえる出力を生み出したカイツ・オーリンゲンの力に、トラティンシカは静かに戦慄した。

 部下の一人が無事な伝声管から提案する声で、我に返る。


『トラティンシカ様……少々方角は違いますが、戦闘をしながらだいぶ東にきています。セオ殿下を追いかけましょう』

「そ……そうですわね。最低限の状況確認が完了したら、急ぎましょう」


 もはや追撃はあるまい。

 トラティンシカはアムノトリヌスを天船形態に戻しながら、動力炉の停止・再始動措置を取ってカイツを炉から出してやるよう部下たちに命じて再び舵を握った。

 傷だらけの天船は、やや機能を減じた推進装置の推力で回頭、前進し、アムノトリフォンの反応を追跡し始めた。











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