05.絶望の空間
妻の天船を分離し、セオは航路を急いだ。
彼女とその天船、そして乗員たち。またあの場に残ってくれた魔人が彼女を守り抜いてくれると信じて、彼は進路を保ち続けた。
天船の外殻は強固で、合体を解除してもなお音速で飛び続けることで生じる風圧から、積載している乗員や機材、資源を守り続けている。
だが、解析と復元が完全でない今、多くの機能は封印されたか、低い段階でしか動作していないものが大半だ。
その一つが、船体表面の検索機能。
船体に接触、付着、接近などした物体を解析し、予測される危険度などに応じてそれを操船室の他、設定に応じた場所に伝えるはずのその機能は眠っており、それが、更なる脅威の接近を許してしまった。
「むっ……」
やってきた激しい振動に呻くと、促すまでもなく伝声管から状況報告が入ってくる。彼の擁する戦士団である破軛の妖族たちも、今は船の各所に分散して配置されていた。
「船体外部、天面甲板に、タルタス・ヴェゲナ・ルフレート殿下! 破壊活動をしています! このままでは!」
「……俺が行く!」
タルタス。あの男が自分でやって来たというのか?
恐らくあの深海の色の全身鎧を纏っているのだろうが、それにしても、大胆だった。部下に当たらせても被害が増えるだけなので――その決断はタルタスの思う壺ではあっただろうが――、セオは自分の魔具を携え、爆音と共に沈黙する伝声管を背に、操縦を自動に任せて外部へ向かおうとした。
だが、それより前に、彼の後ろの隔壁が破壊された。
噴煙の中から姿を現すのは、深海の色の全身鎧に身を包んだタルタス・ヴェゲナ・ルフレート。ただの装飾だと思っていた背部の突出物が展開し、副腕となって魔具剣を握っている。
そして生来の両腕にも魔具剣。合計で四振りの武器が、セオに向けて構えられている。
硝鬼の剣状器官、黒い炎の剣、諸刃の魔笛、十二柱艦隊の指揮剣。
いずれ劣らぬ名高い魔具剣ばかり、セオもそれなりに強力な魔具の収集には余念のなかったつもりだが、これほどの業物ばかりを揃えるには、どれほどの時間と手管を要したか。
兜に覆われたそタルタスの表情は窺えないが、きっと笑っているのだろうと思われた。
「何故この操舵室の場所をご存知なのです」
「協力者がいたからな。どんなに一枚岩のつもりでいても、虫というものは何処からか入り込んでしまうものだ」
「(……カレッフォアか……!)」
先日の一件以来姿を消していた新参の青年の素性に対して抱いていた疑問が確信に代わり、セオは胸中で舌打ちした。
「セオ。ここで船を引き返し、霊剣使いを引き渡せ。しからば、君は見逃そう」
「……何故彼らに用がある」
「君が知る必要はない」
「そういう物言いだから、疎まれるのだ!」
「それで結構。忠告は感謝しよう、弟よ」
セオも負けじと蛮刀と短い騎兵槍を取り出し構え、そして、相撃つ。
「その切り札の名は疾風!」
「狂乱する音界よ!」
肉体を強化する妖術と、神経の交感間隔を早めて主観時間を加速する妖術の、連鎖複合行使。
それを発動した狂王の有力な息子同士が複数の魔具を携え、全力でぶつかり合う。
セオがどんなに内部の設備に気遣ったところで、相手は完全武装したタルタス・ヴェゲナ・ルフレート。どう見積もっても生涯有数の強敵であり、手加減や配慮などはしていられない。操舵室は瞬く間に破壊され、天船アムノトリフォンは自動で救援を要請するための機能が作動、区画と区画を遮断して火災や外敵などを阻止するための隔壁が作動し、基幹となる通路を閉鎖した。
主観時間が加速しているため、ゆっくりと膨れ上がるように見える爆炎などには脇目もふらず、タルタスの魔具剣から放たれた大量の、高熱の液状魔法物質を回避する。
必殺のタイミングで繰り出した突きは背中の副腕に握られた魔具剣によって弾かれ、同時にやってきた三振りの魔具剣による同時攻撃を蛮刀で防いだ。
「(強い……しかも奴はまだ霊剣を抜いていない)」
その切り札であろう道標の名を持つ霊剣は、少なくとも今は持っていないらしかった。
セオにとっては甚だ不本意ながら、戦闘は操舵室を破壊しつくし、船内の通路へと移って行く。空間の限定された閉所で壁を蹴り、時に飛び散った破片を投擲し、魔具の武器から魔弾が飛び出し、黒衣を纏ったセオと深海の色をした鎧に包まれたタルタスが、破壊をまき散らしながら傷跡を広げていった。
飲み込んだ小人に針の剣で消火器官を痛めつけられる巨大な竜のように、アムノトリフォンは徐々に機能を喪失、速度を落としてゆく。
「(これは妖術も併用せねば、修復に時間がかかりすぎるな……)」
双方が複合加速を使用して音速に近い速度で動き回っているので、音声は相対速度の変化で乱高下を繰り返し、あまり意思疎通の用をなさない。
セオはそれでも気合と共に叫ぶと、彼を狙ったタルタスの魔弾を弾いて素早く跳躍した。
轟音と駆動音が響く船内の通路。基幹の通路に近いのか、かなりの高さと広さがあり、所々に支柱が立っている。
タルタル・ヴェゲナ・ルフレートの擁する“嫡子部隊“。カスカを含めた九人の狂王の実子たち全員が、天船アムノトリフォンへの転移突入に成功した。
高速で移動する物体への座標間転移は非常に危険度が高く、浮遊要塞とローエンボウ伯の攻撃だけで天船を落とせない場合、彼らが突入して内部から破壊する手筈となっていた。タルタスはセオを狙っており、あわよくば、彼がセオごと船を止めてくれるだろうが、それは嫡子部隊の有用さを示す上では都合が悪い。
「何だよあいつ……全然俺たちの命令聞かないじゃん!」
「囮にはなった。このまま動力機関を破壊して、天船を止める」
グレーチャが不平をこぼす。この中では最年長、嫡子部隊の隊長でもあるアークェネイが彼をそうなだめると、他の八人はそれぞれ事前に取り決めていた班に別れた。
「ベール、グレーチャ、ハインハインはこのまま内部で。ディット、エニ、ファニは外殻で派手な術を乱射して破壊工作、応戦があればそこを叩け。私はカスカとイルシュスクを連れて霊剣使いを探す」
「兄上、来ます!」
魔具剣を抜いたベールがそう呟くが早いか、九人の意識は魔法術で転移してくる存在に向いた。
転移直後に特有の、そこから押し広げられるような風圧と共に現れたのは二人、赤い髪の長身の男と、腰まで黒髪を伸ばした娘だ。いずれも魔女。タルタスから見せられていた似顔絵付きの個人情報に、容姿が一致する。
「君たちは誰。何故ここに来た?」
何を聞くかと思えば、と、カスカはそこで意外さを感じた。
代表であるアークェネイが、それには答えず、告げる。
「グリュク・カダンだな。お前には用がある。我々と共に来てもらおう」
「断る」
戦わないに越したことはないが、要求を即座に拒否されたことで、穏当な連行は不可能になってしまった。
相手の思惑など知ったことではないのは互いに同じだろうが、剣士は更に言葉を続ける。
「フォレル王子とタルタス王子に命令されてきているなら、俺から君たちにいうことは一つだけだ。帰って、俺から奪ったものを返せと彼らに伝えて欲しい」
疲れたようにそう告げる、グリュク・カダンの戦意は語気に比べて旺盛のようだった。霊剣こそ持っていないが、右手に提げた儀仗は何らかの強力な魔具であろう。黒髪の魔女、グリゼルダの方も、タルタスに奪われた霊剣ではなく、燃え上がるような深紅の剣を携えていた。二人して腕につけている銀灰色の装甲はよく分からなかったが、赤い髪の剣士に関して言えば、切断された腕の接合を維持するためのものか。
「…………」
アークェネイは剣士の言葉に答えない。カスカたちもうかつな発言は出来ず、彼の合図を待ってそれに応じた行動を取るだけだ。既に黒髪の魔女の方は、深紅の剣を構えている。
グリュク・カダンはやや残念そうに視線を持ち上げると、儀仗の尖った石突きの方を彼らに向けて、短く呟いた。
「……そうか。分かった」
来る、とカスカが確信した瞬間、何か遠くから爆発音のようなものが聞こえ、そして平衡感覚が狂う。
床が、いや、周囲全体が傾き始めていた。
「また空を飛ぶ敵……!?」
黒髪の魔女が訝ると、そこにまた別の来訪者があった。どこからか大量の枯れ葉が――あろうことかこの高度を航行する天船の船内に――風と共に吹き込み、それが止んだかと思うと、そこには既に深海色の鎧をまとったタルタス・ヴェゲナ・ルフレートが佇んでいる。
しかも、その左肩に黒い何かを担いで。
「嫡子部隊諸君。この場は私が、意趣返しも兼ねて引き受けよう」
そう言いながら彼は左肩の黒い塊を放り出した。
青みがかった金髪の、黒衣を纏った妖王子。
「セオ殿下……!?」
意識を失っているようで、全身に打撲や切創、火傷を負っていた。魔女の知覚も含めてかろうじて息があると分かるものの、いつ死んでもおかしくはない状態に思える。
「大事な私の弟だ。殺してはいないが……」
もしかしたら、嫡子部隊に引き入れるつもりだろうか。
わずかに動揺の色を見せる霊剣使いたちに向かって、タルタスは両の腰の剣を抜く。
右手に十二柱艦隊の指揮剣、左手に硝鬼の剣状器官。更に背後に畳まれていた一対の副腕が展開し、それぞれに黒い炎の剣、諸刃の魔笛。
腰には更に他の魔具剣を複数帯びており、タルタスがいかにこの戦いに本気であるかを窺わせた。
どうやら裁きの名を持つ霊剣は持っていないようだが、合計四本、タルタスは自分の両腕と鎧の両副腕とを同時に広げ、全ての剣から魔弾を投射した。
霊剣使いたちは素早く防御障壁を張ってこれを防ぎ、タルタスは大妖術、精霊万華鏡の構築に入る。これで霊剣使いたちを異空間に引きずり込み、邪魔の入らない状況で赤い髪の方を生け捕りにするつもりなのだろう。
カスカたちが加われば、十対二となり、そのまま完全な圧倒が可能となる。
だが、
「――――!!!!」
無言の気迫と共に、黒い長髪をたなびかせて小柄な魔女が突進する。
四本の魔具剣と深海色の鎧に守られたタルタスに向かって!
「……!?」
「行く先は、風と共にッ!」
「グリゼルダ!?」
四振りの魔具剣が小さな魔女を切り刻む前に座標間転移が発動し、彼女はタルタスはその場から消えた。
カスカたちの一瞬の隙を付き、精霊万華鏡の構築でほんの一瞬、無防備になった瞬間を狙われたのだろう。
妖王子タルタス・ヴェゲナ・ルフレートを転移に巻き込むとは、魔女の小娘の皮を被ってはいても、やはり霊剣使いということか。
ベールが狼狽を滲ませた声で、隊長であるアークェネイに告げる。
「アークェネイ、どうするの……!」
「……タルタス兄上が負けることはない。我々だけで、霊剣使いを無力化する」
その言葉と共に、カスカたちは戦闘態勢を取る。一人になった霊剣使いはしかし、それにも怯まず、ただ静かに杖を構えながら、呟いた。
「相棒を奪っておいて……まだ俺を霊剣使いだなんて呼ぶのか!」
その表情は、怒りに見えた。
一度はタルタスを退けたという鬼神の如き霊剣使いの事前情報には似つかわしくないようにも思えたが、狂王の王子と王女の九人を対手になお戦意を失わないのは、敵ながら賞賛に値することだ。
霊剣使い――いや、彼の希望にそうならばただの剣士と呼ぶべきだろう――が、素早く魔法術を構築する。
「遷し給え!」
「転移だ! 逃すな!」
すかさず全員が先ほどの班分けに従って三人ずつに別れ、妖術で霊剣使いを追って転移した。
天船アムノトリフォンは、操縦管理を失い、速度と高度を徐々に落としている。
このような状況で確保をしなければならないのだが、カスカは何やら、良からぬ悪寒を感じてもいた。末弟の不安が、的中するかもしれない。
比較的開けてはいるが、陰鬱とした森。
今のグリゼルダがいるのは、そんな場所だ。
九人の狂王の子女に、セオを破ったタルタスまでもが加わってはと、無我夢中で転移を行った。
術は成功し、上手くタルタスを引き離せたものの、結果として、転移先で発動した精霊万華鏡によって異空間へと引きずり込まれてしまったらしい。今の彼女がいるのは、妖王子タルタス・ヴェゲナ・ルフレートの妖術によって現実から写し取られた偽の空間だ。
空は薄暗く、太陽の代わりに照明の役割を果たすらしい上空の光球だけが高原だった。動物などは写し取られていないようで、鳥の鳴き声や虫の音などは聞こえない。
後ろを振り向けば、深海色をした全身鎧で頭頂から爪先までを完全に武装した妖王子、タルタスが佇んでいた。転移する前と同様に、鎧の背部から伸びた二本の副腕と自分の両腕で合計四振りの魔具剣を構えて、グリゼルダを睨んでいた。
「今の私と一対一の勝負を望むとは、さすがは勇敢なる霊剣使いだ」
「思い知らせてやるわ。霊剣とその主を二度も虚仮にして、辱めた罪の重さを」
「それは私怨というものだ」
「私怨だったら何よッ!! あんたたちの横暴を裁く誰かがいないってんなら――」
グリゼルダも、相棒の代わりに紅い炎の剣を構え、念じた。
分厚い両刃の剣身が熱を帯び、火焔をまとって陽炎と彼女の髪を揺らめかせる。
「裁きの名を持つ霊剣に代わって、あたしがあんたをぶった斬る!!」
「レグフレッジは確保している以上、君を生け捕りにする気はないが……もう一人の戦意を削ぐために、死体くらいは残しておいて差し上げよう」
全身鎧に多数の魔具剣、完全武装の妖王子に比べ、紅い炎の剣一振りとレヴリスに借りた両腕の篭手しか持たない小柄なグリゼルダ。相手が相手だけに、心細いものがあった。
「(レグフレッジ……あたしに、力を貸して!)」
心残りはあったが、既に相棒の事はグリュクに託してある。
別れ際に言った言葉を、彼は聞き取ってくれただろうか?
グリゼルダは頭を振って、複合加速の魔法術を構築する。
そして迷いを断ち切るように呪文を叫び、加速する主観へと身を投じた。
カイツとトラティンシカを置き去りにし、セオの危機に気づけず、そして今、グリゼルダが自殺まがいのことをしてまで自分のためにタルタス王子を道連れに転移したのを止められず。
グリュクは泣きそうになりながら九人の妖族たちの追撃を躱し、アムノトリフォンの船首に向かっていた。
セオとタルタスの戦闘の痕跡だろう、焼かれ、抉られ、砕き散らされた船内の部材で転倒などしないよう注意しつつ、グリュクは感情を堪え、使い魔を見つけて伝えた。
「船尾方向、セオ殿下が重傷を負ってる! 俺が内部に入り込んだ敵を引き付けるから、誰か治療できる人を!」
「わ、分かりました!」
伝言を受けたカササギの使い魔はグリュクを目掛けて飛んでくる魔弾の巻き添えを辛うじて回避、そのまま破壊された通路をばたばたと不恰好に飛んで行った。
「眩き弾丸よ!」
「貫けッ」
死角から飛んできた貫通魔弾の連射を回避し、グリュクは自分の貫通魔弾で天井を破壊する。
「飛ばしめ給えッ!」
次いでそこに連鎖させた重力反転で自重をゼロ近くまで軽減、全力で跳躍して甲板へと飛び出した。
内部でも実感できていたが、既に船体はかなり傾いており、墜落は時間の問題のようだった。
だが、後部で炎上や小さな爆発が起きているその光景に息を呑むまもなく、彼が飛び出てきた破壊跡から大量の誘導魔弾が彼を目掛けて殺到してくる。
「遷し給え!」
引きつけておいて座標間転移で逆方向へと移動し、
「歪め!」
それに連鎖させた念動衝撃波を見舞って全てを叩き落とした。
九人の妖族たちがその隙を突いて同様に飛び出してくるのを目に捉えつつ、グリュクは胸中で唇を噛んだ。
「くそっ……何が……!」
グリゼルダの別れ際の言葉。
あたしのことは心配しないで、フェーアの所に急いで。
「(何が心配しないでだよ……こんな……!)」
既にカイツとトラティンシカを置き去りにしている。この上何度も体を張って自分を守ってくれた少女までもを引き替えにしてまで、フェーアを連れ戻しに向かうべきなのか。
相棒の亡骸を、取り返すべきなのか。
だが、ここで諦めてしまえば、それはもはや逃亡だ。
逃げてしまえば、両腕を落とされ相棒を折られ、好きな女までもを奪われた、今の自分以下になってしまう。
やりきれなさを四肢に込め、グリュクは砂漠の刻印の杖を構えた。
妖族たちの中の、リーダー格らしきマントの男が、グリュクに告げる。
「降伏しろ、霊剣使い。俺たちは九名が全員、狂王ゾディアック・ヴェゲナ・ルフレートを父に持つ。タルタス兄上と戦ったことはあるのだろう」
本来ならば、いかに霊剣の主であろうと絶望でしかない状況だ。
だが、グリュクはそれよりも、彼らに言いたいことがあった。
「霊剣使いって呼ぶな」
「……?」
天船がいよいよ深刻な損傷を受けているのか、煙の匂いが濃くなってきた。
セオの部下たちが、冷気や液体創製の妖術を使って炎を消しにかかっているようだが、とても間に合いそうにない。
むせ返りそうになりつつ、訝る彼らに続ける。
「もう俺の相棒の霊剣はいない。フォレル王子に折られて、死んだ」
「無念は察する。敗れたことを認めるならば勝者に従え」
「断る。せめて、あいつを生まれ故郷に連れ帰って弔ってやりたいんだ。邪魔しないでくれよ」
「あ、アークェネイ兄上! ヤバい! 地上が近いよ!」
焦りを浮かべる一人――アークェネイと呼ばれたリーダー格の説明を信じるならば、彼も妖王子なのだろう――の言葉にグリュクを除く全員に緊張が走り、彼はその一瞬を突いて、座標間転移を構築した。
「遷し給え!」
転移先は地表付近、起伏のある草地にまばらに樹木を散りばめたような、妖魔領域にはよくある森だ。
既に何度も座標間転移を連続して使っており、転移酔いが悪化している。神経の限界も近づきつつある。
小さく呻きつつ、グリュクの魔女の知覚は彼を追って転移してくる妖術の予兆を捉え、その直後、九人の狂王の子女たちが彼を追って地表に転移出現した。
彼らも相当妖術に熟練しているらしく、その時点で既にグリュクは、九人の妖王子・妖王女たちに包囲されていた。転移してそのまま敵を包囲するというのは、かなり難易度の高い戦術だ。
アークェネイが、彼に言う。
「逃げきれると思ったか」
「どうしても見逃してくれないのか」
「我々には命令を遂行する理由がある」
天船アムノトリフォンがついに墜落したらしく、轟音がやや遠くに響き、木々を揺らした。
黒煙がうっすらと漂う空に、妖王子の号令が響く。
「総員、霊剣使いグリュク・カダンを捕獲せよ!」
その合図で、グリュクを取り囲む何人かが妖術の構築に入った。
戦いが始まる。
「ウィルカさん……あなたは本当にフォレル王子の写しなんですか?」
戻った自室で、フェーアは鞘に収めたまま膝上に置いた剣へと、そう尋ねた。
肉声ではないと分かっているのに、何故かフォレルのそれだと理解出来てしまう音ならざる声が、答える。
(その通りだ。パノーヴニクの話では、ミルフィストラッセもレグフレッジも、パノーヴニク自身も、七百年前の剣鍛治ビーク・テトラストールの人格が元になっているらしい)
「でも、ミルフィストラッセさんとレグフレッジさんはパノーヴニク……さんとも全然性格が違いますよ?」
(そこは俺の……いや、フォレルの分析によれば、主としてきた歴代の魔女たちの人格に左右されるのではないか、ということだ。温和な主ばかりを選んでいけば、その記憶と人格を写しこまれて、少しずつ、より温和な霊剣になってゆく。苛烈な性格のものばかりを選んでゆけば、そのようになる。
俺が打ち出された時は、フォレルとタルタスが知っている霊剣はパノーヴニク一振りだけだったから、これはミルフィストラッセとレグフレッジの実在をタルタスが確認してからの一ヶ月に満たない間に生まれた、検証不足にも程がある仮説だがな)
そこまで聞いて、フェーアは疑念を覚えた。
剣と喋ることについてはここ一ヶ月ほどで全く慣れてしまっていたので恐る恐るというほどでもないが、やや緊張して、尋ねる。
「……その、すごく聞きづらいんですけど、いいですか」
(何だ)
「何で私の質問にそんなに答えてくれるんですか?」
(話して構わんことだけを話している。俺たちの不利益になることには一切答えられないぞ)
「話し相手になってくれるだけなら、世間話でもいいんじゃありません?」
(…………やはり俺はフォレルの複写にすぎん。何人もの主の人格を写しこまれてすっかり独自性を得た他の霊剣たちと違って、太陽の名を持つ新霊剣ウィルカは打ち出されて百年ほどしか経っていない。人格も一人分だ。未だに俺は、自分が何者かに騙されて剣へと人格を移された本当のフォレルなのではないかと疑う時がある)
「ごめんなさい……好奇心のつもりで、酷いことを訊いちゃいました」
(冗談のつもりだ。フォレルと寸分違わぬ思考しか出来ないから、過去に熱中したエルメールの面影が色濃い君に心を許し、べらべらと身の上を喋りすぎてしまう。我ながら、おかしな話だな)
新霊剣は鼻もないのに、フ、と笑ってみせた。
「……辛いことですか?」
(自分が霊剣になるつもりで挑んだ創製だ、さほどではないさ。もっとも、俺の人格は恐らく、まだ今のフォレルほどにはエルメールへの恋心を拗らせてはいなかった頃のままだろうから……徐々に常軌を逸してゆくオリジナルの自分を見ていて、悲しくなることがあったのは事実だ)
「…………」
(ビーク・テトラストールは、だから自分では霊剣使いにならなかったんだろうと思っている。パノーヴニクによれば、彼は全ての霊剣に自分の人格を写し入れておいて、自分はそれを使わず、全て弟子や友人に任せたそうだよ)
「……オリジナルのフォレル殿下に、私のことを諦めるように説得してもらったりは……出来ないでしょうか?」
(無駄だろうな。何より、タルタスがいる。あいつはお前さんがフォレルの妃になることを誰より望んでいる。ひょっとしたら、当のフォレルよりも)
「それは……彼に利益があることなんでしょうか」
(さて。どうだろうな……)
「…………」
フェーアは唐突に、自分の今の状況が腑に落ちたのを理解した。
理由はともあれ、彼女が今ここにいるのは、フォレルと、タルタスが望んだからだ。
己の望みを、自らで達成したのだ。それが、妖魔領域の掟。
(何を考えている、花嫁よ)
「……ウィルカさん、あなたは私の事、エルメールって呼ばないんですね」
(………………)
それはあるいは、彼女の主観が行った都合の良い解釈かも知れない。
それでも、この新霊剣が何を思っているかを何となく察せた気がして、フェーアは少しばかり、体に活力が湧くのを感じた。
意を決して、告げる。
「ウィルカさん」
(な、何を――)
「ごめんなさい!」
彼女は走りだし、手中の霊剣を、鞘のまま開いた窓の外に放り投げた。
(ほわあああああああ!!)
ぼちゃり。
放物線を描きながら、太陽の名を持つ霊剣はその荘厳な名に似つかわしくない音を立てて、庭の池に落ちる。
これで、誰かが太陽の名を持つ霊剣を池から引き上げる必要が生じた。人手が引き抜かれれば、その分彼女の邪魔をする者が減る。
何かをやり遂げる第一歩を踏み出せたような気がして、鼻息を一つつくと、フェーアは裁きの名を持つ霊剣の居場所を探して、行動を始めた。
「エルメール様、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよぅ……」
一瞬怪訝そうな顔をしつつも、会う者全てが彼女に優しく声をかけてくれる。当然ながら、誰一人として彼女の名を呼んではくれなかったが。
「(ここでもない!)」
目星をつけてはそこに行く途中でどこに行くのかと訊かれ、「迷った」「庭園は何処か」「一人で行ける」などと、苦し紛れの嘘をついて言い逃れた。
フォレルに見つかっただけならば、罰せられることもあるまい。タルタスに見つかったとしても、フォレルがいるならばそうそう手酷い洗脳などには及ばないだろう。
「(最低の女……)」
思わず、自嘲する。
いくら認識を歪めてエルメールだと思われていようと、自身に向けられた強固な愛情を利用して、裏切ることを考えているのだ。そうするほどに彼女がグリュクに対して女として執着を持っているのかと言われれば、自信はなかった。
どちらかといえば、彼女の自由意志を脅かすものに抗っているだけ。悪夢の中でエルメールに罵られたような、求められれば容易に男を乗り換えるような女ではないと、大叔母を否定したいだけなのではないか。
「何かお悩みかな、義姉上?」
「!?」
慇懃でいて、限りなくこちらを見下した声。
フェーアはおぞましささえ感じて、そちらに振り向いた。
タルタス・ヴェゲナ・ルフレート。二振りの剣以外の武装こそしていないが、多少条件が緩まったところでフェーアにどうにか出来る相手ではない。レヴリス同様にいつでも鎧を呼べるのなら、逃亡の成算さえゼロだ。
これだけ嗅ぎ回っていれば当然だが、フェーアはそれでも、妖術が使えないなりの抵抗を試みようと考えを巡らせた。広い場所に出て、目につきやすくなれば、フォレルに伝えるものも増えるだろう。
「やはり躾が必要のようだ。何、痛みは一瞬――」
その瞬間、妖術の予兆が走り、タルタスは右腰の剣を振り向きざまに抜き、背後から飛来した魔弾を切り裂いた。
二つに分かれた魔弾は軌道を僅かに変えてフェーアの後方へと着弾し、彼女の大きな耳に強烈な爆音を叩きつけてきた。
「……!?」
何事かと、彼女に背を向けるタルタスの視線の先を見ると、そこには数日前に遭遇したばかりの、白金の色の嵐が立っていた。
「いいとこで見つけたぜ、クソゴミ狸!」
リーン王女。
狂王の娘でありながら、彼とその子女たちの命を狙っているという、美しくも狂える妖王女。何故ここにいるのかは分からないが、フォレルを標的にしているのだろうか?
いずれにせよ、先日の移動都市防衛の一件で見た時同様、背の高い礼服の従者と比類なき凶暴さとを伴っていた。
彼女に子供のような罵倒を浴びせられたタルタスはと言えば、冷ややかな目で相手を一瞥し、そして剣を抜いた。
「そうじゃねぇとなァ! アーノルド、俺を鎧え!!」
「はい、お嬢さま!」
言うなり彼女は両の側頭に垂らした髪の飾りを下ろし、巨大化させて剣のように構えた。
従者も目の錯覚かと見紛うでたらめさで変形し、主人であるリーンにまとわりつく。
一秒と経たず、数日前に見た彼女の破壊的な姿が再び現れ、間髪をいれずにタルタスに向かって弾けるように跳んだ。
「(い、今のうちに……)」
遭遇時に殺されそうになったこともあり、あまり彼女に積極的に関わる気はしなかった。他人を利用して逃げる自分に嫌気が募りつつも、だからといって突っ立っていては戦闘の余波で死ぬだけだ。
だが、
「ひっ」
そんなフェーアの打算も見透かされていたのか、そろそろと逃げようとする彼女の耳をかすめてリーンの投げた剣が壁に深々と突き刺さる。
「逃げんなクソ耳カス女!」
「……くそでもかすでもありません!」
「手前がここにいるってことはだ、あのグリゼルダ・ドミナグラディウムも何処かにいるか……居場所くらいは知ってやがんだろ……なあ!」
タルタスに斬りかかりながら、妖王女は牙を剥く獣を思わせる表情で語りかける。
「不覚。ここにも調教の必要な獣がいたようだな」
「抜かせ!」
タルタスの魔法毒で、フェーアは唯一の取り柄である妖術すら行使出来なくなっている。リーンも以前シロガネと共に相対した時に彼女を大した戦力ではないと認識していたのか、二人はフェーアの存在など歯牙にもかけず、応酬を激化させていった。
「!?!?」
尻餅をついた彼女の頭上を、魔法物質の巨大な刃が抉って抜ける。城の妖族たちに混乱が波及を始め、戦闘は小さな台風のように、内壁や調度を破壊して行った。
「(どうしよう……)」
逃げるなとは脅されたが、リーンには今やそこまでの余裕があるようには思えない。
ましてタルタスまでがその対応に手を塞がれている状況ならば、今のうちに裁きの名を持つ霊剣を探すべきだ。
そもそも、あのタイミングでタルタスが現れたことにも、理由があったとしたら。
「(私が奪った霊剣の近くまで来たから……?)」
見つけられるかも知れない。
フェーアはその可能性に縋ることに決めて、戦闘の余波でこちらに飛んできた、細い長めの角材を引っ掴む。
そしてそのまま、周囲を探し始めた。